第66話: 新たな脅威
真夜中、誰かが私の肩を激しく揺さぶっていた。
「エリアナ様、起きてください。大変です」
マーガレットさんの声だった。普段は落ち着いた彼女の声が、今は上ずっている。何かあったのだろうか。私は飛び起きた。
「何があったんですか?」
「侯爵様が、今すぐ書斎に来るようにと」
マーガレットさんの顔は青ざめていた。ただ事ではない。私は急いで上着を羽織り、マーガレットさんの後を追った。
廊下を駆ける間、胸の鼓動が激しくなる。窓の外はまだ暗い。時計を見る余裕もなかったが、おそらく朝の五時くらいだろう。こんな時間に呼び出されるなんて、何か重大な問題が起きたに違いない。
石造りの廊下は冷たく、裸足で歩くとひやりとする感触が足裏から伝わってくる。マーガレットさんの足音が、静寂の中で響いている。私の心臓の音も、自分には大きく聞こえた。
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書斎の扉を開けると、暖炉の火だけが部屋を照らしていた。侯爵様は机の前に立ち、窓の外を見つめている。その背中は緊張で固まっていた。
「侯爵様」
私が声をかけると、侯爵様はゆっくりと振り向いた。紫色の瞳が、暗闇の中で鋭く光っている。
「すまない、こんな時間に起こして」
侯爵様の声は低く、普段の優しさが消えていた。
「だが、これを見てくれ」
侯爵様は机の上にある手紙を指した。黒い封蝋が施された、見るからに不吉な手紙だった。私は恐る恐る手に取る。
羊皮紙には、乱暴な文字で短い文章が綴られていた。
『魔法陣の秘密を公開するか、我々に協力するか。選べ。期限は三日後。』
手紙を読み終えた瞬間、私の手が震えた。秘密結社からの脅迫だ。
「これは...」
「今夜、門の前に置かれていた。誰にも気づかれずにな」
侯爵様の声が怒りで震えている。
「ふざけるな」
侯爵様は手紙を握りつぶした。その手が、わずかに震えていた。普段は冷静な侯爵様が、こんなに感情を露わにするのは初めて見た。暖炉の火が、侯爵様の影を壁に大きく映し出している。
「君を、この屋敷を、危険に晒すわけにはいかない」
侯爵様の紫色の瞳が、怒りと不安で揺れていた。
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私は深呼吸をして、冷静になろうと努めた。前世で、システム障害が起きた時のことを思い出す。緊急事態こそ、感情的にならずに対処しなければならない。
「侯爵様、まずは落ち着きましょう」
私の言葉に、侯爵様は少し驚いたような顔をした。
「感情的になっても、解決策は見えません。冷静に、選択肢を考えましょう」
侯爵様は一瞬、言葉を失った。そして、ゆっくりと頷いた。
「...君は、いつも冷静だな」
侯爵様の声が、少しだけ穏やかになった。
「それが、助かる」
侯爵様は椅子に座り、深くため息をついた。私も向かいの椅子に腰を下ろす。
「まず、情報を整理しましょう」
私は前世のSEとしての経験を思い出していた。システム障害が起きた時、最初にすべきことは情報の整理だ。感情に流されず、事実を把握する。落ち着いて、論理的に。それが、問題解決の第一歩だ。
「敵は魔法陣の秘密を知りたがっている。でも、本当にすべてを知っているのでしょうか?」
私の言葉に、侯爵様が考え込む表情を見せた。
侯爵様が顔を上げた。
「どういうことだ?」
「もし敵がすべてを知っているなら、こんな脅迫は必要ありません。つまり、敵は情報の一部しか持っていない可能性があります」
侯爵様の瞳に、希望の光が灯った。
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部屋に戻ると、私は机の引き出しから小さな水晶箱を取り出した。ことりだ。淡い青色の光が、箱の表面に浮かび上がる。
> 状況を分析してください。敵の真の意図は何でしょうか?
【ことり】
*************
確率: 65%
脅迫の内容から判断すると、敵は魔法陣の詳細を完全には把握していない可能性が高いです。
もし完全な情報を持っているなら、協力や公開を求める必要はありません。これはブラフの可能性もあります。
ただし、敵が部分的な情報を持っていることは確実です。慎重な対応が必要です。
*************
[魔力: 140/150]
確率65%。中程度の信頼性だが、可能性は高い。つまり、敵は私たちほど詳しくないのかもしれない。
「ブラフ...そうか」
私は小さく呟いた。前世で、ハッカーが企業を脅迫する手口を思い出す。彼らは完全な情報を持っていなくても、持っているかのように振る舞う。相手を怖がらせ、自分から情報を出させる。それが彼らの常套手段だった。
机の上のことりが、淡い青色の光を放っている。この小さな水晶箱が、私の最大の味方だ。前世の知識と、この世界の魔法。二つを組み合わせれば、道が開けるかもしれない。
ことりの分析を元に、次の手を考え始める。私たちには、まだ戦える余地があるかもしれない。
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ノックの音がして、マーガレットさんが入ってきた。
「エリアナ様、朝食の準備ができております」
彼女は銀のトレイに、紅茶と軽食を載せていた。優しい花の香りが部屋に広がる。
「ありがとうございます」
私は紅茶を一口飲んだ。温かい液体が喉を通り、心がほっと落ち着く。ローズヒップとカモミールのブレンドだろうか。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「落ち着いて、エリアナ様」
マーガレットさんが優しく微笑んだ。
「侯爵様も、あなたも、一人ではありません。私たちが、ここにいます」
彼女の言葉に、涙が出そうになった。そうだ、私は一人じゃない。侯爵様も、マーガレットさんも、フィリップスさんも、みんながいる。
窓から朝日が差し込み始めた。部屋がゆっくりと明るくなっていく。新しい一日の始まりだ。カーテンの隙間から、金色の光が細く伸びている。
「はい、少し落ち着きました」
私は紅茶を両手で包み、その温もりを感じた。陶器のカップが、ちょうどいい温度で手のひらを温めてくれる。ローズヒップの甘酸っぱい香りが鼻をくすぐり、カモミールの優しい香りが心を落ち着かせてくれる。
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朝食を終えて、私は再び書斎へ向かった。廊下を歩きながら、頭の中で考えをまとめる。
侯爵様は怒っている。それは当然だ。私たちの安全が脅かされているのだから。
でも、怒りだけでは解決しない。冷静に、戦略を立てなければならない。
「侯爵様と、フィリップスさんと、そしてことり...意見が分かれるかもしれない」
私は小さく呟いた。侯爵様は戦いたがるだろう。フィリップスさんは慎重派だ。ことりは、確率と論理で判断する。
そして私は...私はどう判断すべきなのか。
書斎の扉の前に立ち、深呼吸をする。
「でも、私は正しい道を見つける。必ず」
決意を胸に、私は扉をノックした。これから、大切な話し合いが始まる。私たちの未来がかかっている。
侯爵様の「入れ」という声が聞こえた。私は扉を開け、一歩を踏み出した。
**次回予告**
脅迫を受けた侯爵様は戦いを選ぼうとする。しかし、フィリップスさんは慎重派。意見が分かれる中、エリアナが提案する第三の道とは——。
第67話: 選択の悩み。




