第65話: 魔法陣修復と愛の確認
地下研究所の扉を開けた瞬間、胸の奥が、ひやりと鳴った。
魔法陣——あの巨大な円は、昨夜までの修復の痕が確かに残っているのに、今日は違う。淡い光が、呼吸するみたいに不規則に明滅していた。
(嫌な感じ。……でも、逃げてる時間はない)
屋敷に来てから、もう一ヶ月が経った。
呪いが完全に進むまで、残りは五ヶ月。
数字にした途端、背中に冷たい針が刺さる。
私は手袋の上から床の紋様をなぞり、ことりを取り出した。小さな水晶箱が淡く青く発光し、文字が浮かび上がる。
> 魔法陣の異常の原因と、修復の手順を簡潔に教えて。成功率も。
【ことり】
*************
確率: 60%
修復には魔力の集中と正確な操作が必要です。成功確率は約60%ですが、あなたなら可能です。
暴走兆候があるため、最初の工程は外周の逆流止めから。
本修復は段階に分割し、各工程ごとに安定化を挟んでください。
*************
[魔力: 110/120] (-10)
(……魔力が増えている? 昨日と違う)
気づいた瞬間、体の奥の“器”が広がり、魔力が瞬時に満ちた。全回復したように感じられる変化だ。
(ありがたい。でも、これで言い訳はできない)
私は拳を握り、仲間たちを見回した。
フィリップスさんは古文書と設計図を並べ、ページ端に細かな注釈を書き足している。セレスティアは補助陣の線を引き直し、メイド長は道具の配置を、いつもの几帳面さで整えていた。
「……皆、聞いて」
私の声が反響して、地下に沈む。
「今日は本修復。ことりの助言だと、外周の逆流止めから入る。工程は段階に分けて進めます。フィリップスさんは文書の照合と指示、セレスティアは補助陣の維持、メイド長は資材と安全確保——私は中心で、魔力を流す」
「了解。無理に押さず、工程ごとに確認しよう」
フィリップスさんが即座に頷いた。
「私が流れを支える。あなたは“焦り”を手放して」
セレスティアの言い方はいつも通り少し厳しい。でも、そこに棘はない。
メイド長が短く、強い声で言った。「休憩の合図は私が出します。倒れる前に止めましょう」
(頼もしい……。私は一人じゃない)
――そのとき、背後の気配が静かに近づいた。
「始めよう」
侯爵様が、作業台の影から現れる。私の緊張を見抜いたように、ただ一言だけ。
私は頷き、掌を魔法陣の中心へ向けた。
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最初の工程。外周の逆流止め。
円の縁に沿って、風と光の糸を極細に伸ばし、古代文字の“欠け”を繋ぐ。光が粉雪みたいに舞って、床面を一瞬だけ白く染めた。
「今、良い。速度を落とさず」
フィリップスさんの声が背中を押す。
私は焦らない、焦らない、と自分に言い聞かせながら、一定のリズムで魔力を流した。
(前世のデバッグみたい。大きく触らず、流れの“ログ”を読む)
[魔力: 80/120] (-30)
最初の工程、完了。
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第二工程。欠損部の接続。
私は中心から欠けた箇所へ、光の柱を一本、まっすぐ通した。セレスティアが補助陣で支えると、柱は震えを止め、透明な針のように固定される。
「エリアナ、今だ。合金片、位置合わせ」
メイド長が差し出した小片を、私は魔力でふわりと浮かせ、欠けにぴたりと嵌め込んだ。
カチ、と静かな音。
床の文字列が、古い文章を“読み上げる”ように連鎖して点灯する。
[魔力: 50/120] (-30)
フィリップスさんが息を呑む。「この配列……起源は、王都の学院式じゃない。もっと古い。……“契約式”に近い」
(魔法陣の起源だ。やっぱり、侯爵様の言っていた“古き契約”と繋がっている)
第二工程、完了。
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第三工程。安定化——そして、試練。
魔力を流し込むほど、魔法陣は「こちらを見てくる」みたいに強く光った。
次の瞬間。
ばちん、と空気が弾ける。
光が黒に反転したみたいに、中心の一部が濁った。
「逆流!」
フィリップスさんが叫ぶ。
セレスティアが即座に補助陣を重ねる。「押さえ込むわ!」
私は反射で、緊急遮断の型に指を組み替えた。
(止める。切る。……でも、完全停止は危険。流れだけを遮る)
前世の記憶が、また一枚、剥がれる。
“フル停止は落ちる。スロットリングで逃がせ。”
言葉にならない知識が、手の動きになって出た。
私は風の膜で逆流の出口を作り、光の糸でそこへ導く。暴れ回る魔力が、細い導管へ吸い込まれていく。
[魔力: 30/120] (-20)
侯爵様が私の背に手を添えた。体温が、魔力の震えを落ち着かせる。
「よくやった。君は、止め方を知っている」
緊迫の対峙。……怖かった。でも、私は逃げなかった
第三工程、完了。
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第四工程。封印と再起動。
最後は、魔法陣に“約束”を戻す工程だ。
最終工程、完了。
[魔力: 10/120] (-20)
最終工程、完了。
私は欠けを繋いだ線の上を、光でなぞり直した。風の属性で余計な揺れを掃き、光で“正しい形”を定着させる。
静かに、しかし確かに。
魔法陣が、整った円として、ひとつの呼吸を取り戻した。
……そして。
青白い光が、天井に届くほど立ち上がる。
「成功……」
フィリップスさんの声が震えた。
セレスティアが、ふっと肩の力を抜く。「やったわね」
メイド長は目を伏せ、胸の前で手を組んだ。「ありがとうございます。……本当に」
私はその場に座り込みそうになるのをこらえ、深く息を吐いた。
魔力が、空っぽに近い。
でも、胸の奥は、妙に満ちていた。
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休憩スペースの椅子に座ると、侯爵様が外套をそっと私の肩にかけてくれた。
「冷える」
「……ありがとうございます」
「怖かった?」
「……はい。でも、皆がいてくれたから。侯爵様が、後ろにいてくれたから」
侯爵様は少しだけ目を細めた。「君を選んだのは、才能だけではない」
息が止まる。
「君は、恐れても前へ進む。誰かのために、自分の力を使う。……そういう人を、私はずっと探していた」
(選ばれた理由——私の“前世”や“相性”だけではなく、私自身を見てくれている)
胸が熱くなって、言葉が詰まる。
「私は……侯爵様に救われました。ここに居場所をくれて、信じてくれて」
「それだけではない」
侯爵様の声が、いつもより低い。
「君を大切に思っている。師弟の情だけではない。……私は、君を愛している」
心臓が痛いくらい跳ねた。
(私なんかが、って、いつも思うのに。今だけは——)
私は外套の端を握りしめ、正直に言った。
「……私も、侯爵様のことが好きです。怖いのに、嬉しくて。……この人の隣にいたいって、思ってしまう」
侯爵様の指が、そっと私の手を包む。
「焦らなくていい。だが、君の答えを聞けて——今日は、世界が少し明るい」
私は笑って、泣きそうになって、結局どちらも中途半端な顔になった。でも、それでいいと思えた。
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作業場へ戻る直前、魔法陣の中心が、また微かに光った。
耳の奥で、誰かの声がした気がする。
(……今、何か言った?)
言葉は掴めない。ただ、次の試練を告げるような——そんな冷たい予感だけが残る。
残り五ヶ月。
私は、侯爵様の手の温度を思い出しながら、前を向いた。
魔法陣の修復は成功し、当面の危機は回避された。仲間たちとの信頼も深まり、侯爵との関係も一歩進んだことで、屋敷内の安全は保たれている。
しかし、中心で聞こえた謎の声は未解明のままで、結社の気配も消えてはいない。残り五ヶ月という時間制約が残る中、次はその正体を突き止め、さらに広がる脅威に備える必要がある。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
第II部では、エリアナが「調べる」だけでなく「自分で決めて動く」場面が増えていきました。ことりの助言に頼りきりだった頃から、助言を材料にしながらも自分の手で答えを掴もうとする——その小さな変化の積み重ねが、仲間との信頼を形にしていった章だったと思います。
また、侯爵の優しさにただ救われるだけではなく、エリアナ自身も「守りたい」「支えたい」と願うようになったこと。恋心の揺れや不安、日常の温もりが、重い状況の中でも確かな支えになっていく過程を大切に描きました。
そして、修復はひとつの到達点です。けれど同時に、ここから先の“選択”が、もっと厳しくなっていくことも感じていただけたら嬉しいです。
第III部予告
静かに潜んでいた脅威が、はっきりと形を持って迫ってきます。敵は、ただ怖いだけではなく——こちらの弱さや迷いを、狙ってくる。
ことりの冷静な提案と、侯爵の強い拒絶。二つの意見の間で揺れながら、エリアナは「どちらかを選ぶ」ではなく、「自分の道を作る」ために動き出します。
その選択は、必ずしも綺麗な成功ではありません。迷い、傷つき、反省し、それでも立ち上がる。仲間との絆も、恋も、試されながら深くなっていきます。
次の章も、一緒に歩いてもらえたら嬉しいです。
更新再開のお知らせ
第三部の更新は、3日後 **1月30日(金)**から再開を予定しています。
少しだけ間をいただきますが、その分、より良い形でお届けできるよう準備して戻ってきます。
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