第52話: ルシアの想い
日記帳を開くと、ルシアさんの繊細な筆跡が目に飛び込んできた。インクの色は少し褪せているけれど、一文字一文字に込められた想いが、紙の上から伝わってくる。
ページをめくるたび、侯爵様への深い愛情と、研究への情熱が行間から溢れてくる。ルシアさんは、日々の小さな出来事や、侯爵様と交わした何気ない会話まで丁寧に記していた。
「今日は侯爵様が新しい魔法理論について語ってくれた。あの方の瞳が輝くと、私も嬉しくなる」
そんな一文を見つけて、私は思わず微笑んでしまう。ルシアさんの素直な気持ちが、まるで今ここにいるかのように感じられた。
けれど、日記の後半に進むにつれて、文章の端々に不安や葛藤が滲み始める。
「最近、屋敷の中で妙な気配を感じる。けれど、私が守らなければ」
ルシアさんは、自分の身に危険が迫っていることを察しながらも、侯爵様を守るためにあえて呪いを引き受けようとしていた。その決意の強さに、私は思わずページを握りしめる。
指先に紙のざらつきが伝わり、胸の奥が熱くなる。ルシアさんの孤独や恐れ、そして愛情の深さが、痛いほど伝わってきた。
「……本当に、こんなにも想っていたんだ」
私は小さく呟き、目頭が熱くなるのをこらえながら、静かに読み進めた。
ふと、ルシアさんの笑顔を思い出す。あの優しい声、穏やかな仕草。直接会ったことはないのに、日記を通して彼女の人柄が心に染み込んでくる。
「エリアナ、大丈夫?」
セレスティアさんがそっと声をかけてくれる。私は顔を上げ、彼女の優しいまなざしに救われる思いがした。
「……うん。大丈夫」
私は微笑み返し、日記帳をそっと閉じた。手のひらに残る革の感触が、しばらく消えなかった。
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食堂に戻ると、テーブルの上には湯気の立つ紅茶と焼き菓子が並べられていた。フィリップスさんが手際よくカップを用意し、私の前にそっと差し出してくれる。
「少し休もう。無理は禁物だ」
フィリップスさんの優しい声に、私はほっと息をついた。カップを両手で包み込むと、温かさが指先から心にまで染み渡る。
「ありがとう、フィリップスさん」
私は小さく礼を言い、紅茶を一口飲む。ほのかな香りと甘さが、張り詰めていた気持ちをゆっくりとほぐしてくれた。
セレスティアさんは私の隣に座り、静かに私の様子を見守っている。彼女の存在が、言葉にしなくても大きな支えになっていた。
ふと窓辺を見ると、侯爵様が静かに外を眺めている。その背中はどこか寂しげで、肩がわずかに震えているように見えた。
「ルシアは、最後まで僕のことを……」
侯爵様の声はかすかに震えていた。私はその言葉に胸が締めつけられる。
私はそっと立ち上がり、日記帳を手にして侯爵様のもとへ歩み寄る。
「ルシアさんの想い、きっと伝わります」
私はできるだけ優しく、日記帳を差し出した。
侯爵様はゆっくりと日記帳を受け取り、しばらく表紙を見つめていた。その瞳には、深い哀しみと、消えない後悔が浮かんでいる。
「……ありがとう、エリアナさん」
侯爵様は小さく呟き、静かにページをめくり始めた。指先がわずかに震えているのが、私にも伝わってくる。
食堂にはしばらく静寂が流れた。けれど、その静けさはどこか温かく、みんながそれぞれの想いを胸に抱いているのが分かった。
やがてフィリップスさんが、そっと焼き菓子の皿を私の方へ押しやる。
「甘いものでも食べて、少し元気を出して」
私は微笑み、焼き菓子を一口かじる。サクサクとした食感と優しい甘さが、心の奥まで染みていく。
「……ありがとう」
私は小さく呟き、みんなの存在に改めて感謝した。
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夜、自室の静けさの中で私は再び日記帳を開いた。窓の外では風が木々を揺らし、時折、月明かりが机の上に差し込む。
ルシアさんの言葉が、まるで私自身へのメッセージのように胸に響く。
『愛する人を守るためなら、私はどんな運命も受け入れる』
その一文を読んだ瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなった。ルシアさんは、どれほどの覚悟でこの言葉を書いたのだろう。孤独や恐れ、そして愛情の深さが、行間からあふれてくる。
私はそっとページをなぞりながら、自分自身の気持ちと向き合う。
「……私も、同じように誰かを愛せるのだろうか」
ふいにそんな疑問が心に浮かぶ。侯爵様への想い、仲間たちへの信頼、そして自分自身の弱さ——すべてが渦を巻いていた。
そのとき、枕元のことりが淡く青く光り始めた。静かな部屋に、ことりの優しい光が広がる。
> ルシアさんの気持ち、私にも理解できるかな?
私は小さな声で問いかける。ことりの表面に、やわらかな文字が浮かび上がった。
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「エリアナさんの共感度は高いです。ルシアさんの想いを理解できる確率は……78%です」
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[魔力: 40/113 (-10)]
ことりの言葉に、私は少しだけ勇気をもらった気がした。ルシアさんの想いを完全に理解することはできなくても、寄り添うことはできる——そう思えた。
私はそっと日記帳を胸に抱き、目を閉じる。ルシアさんの優しさと強さが、静かに心に染み込んでいく。
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翌朝、私は中庭で深呼吸をした。朝露に濡れた芝生の香りが鼻をくすぐり、冷たい空気が肺いっぱいに広がる。
昨日までの重苦しさが、少しずつ薄れていくのを感じた。空は澄み渡り、木々の葉が朝日にきらめいている。
ベンチに腰掛けていると、セレスティアさんがそっと隣に座った。彼女は私の肩に軽く手を置き、優しく微笑む。
「無理しないで。あなたはあなたのペースでいいのよ」
その言葉に、私は心の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「ありがとう、セレスティアさん。……本当に、みんながいてくれてよかった」
私は素直な気持ちを口にし、紅茶を一口飲んだ。カップから立ちのぼる湯気と、ほのかな香りが心を落ち着かせてくれる。
セレスティアさんは静かにうなずき、しばらく一緒に空を見上げていた。
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自室に戻ると、窓の外はすっかり夜の帳が下りていた。私は静かに机に向かい、日記帳をそっと置く。
革の表紙を指でなぞりながら、ルシアさんの想いの重さを改めて感じる。彼女が遺した言葉と魔法、そして愛情——すべてが私の中で静かに息づいていた。
「ルシアさんの想い、必ず解き明かしてみせる」
私は小さく誓い、窓の外に目を向ける。
夜空には雲の切れ間から月が顔を覗かせ、淡い光が部屋の中に差し込んでいた。その光に照らされながら、私は新たな決意を胸に刻む。
「私も、誰かを守れる強さがほしい」
心の奥でそう願いながら、私はそっと目を閉じた。
明日からの調査が、きっと新しい道を切り開いてくれる——そんな予感が、静かに心に広がっていく。
**次回予告**
新たな手がかりを求めて、エリアナたちの調査は続く。次回「真実の重み」をお楽しみに!




