第50話: 触媒の探索
朝の光が薄く廊下の大理石を照らしていた。冷たい石の床に靴音が反射し、遠くの暖炉からはまだ火の残り香が漂う。今日は西棟の本格的な探索が始まる日だと、自分に言い聞かせるように息を吐いた。
屋敷の西棟は普段あまり人が足を踏み入れない場所で、古い家具や埃を被った巻物が隙間に忍び込んでいる。呪いの触媒──それがこの屋敷のどこかにあるという可能性を考えると、胸の奥がざわついた。けれど、私には仲間がいる。侯爵様、セレスティアさん、そしてフィリップスさん。
「エリアナ、準備はできているか?」
侯爵様の落ち着いた声に振り返ると、彼はいつも通り静かに立っていた。隣にはセレスティアさんが背筋を伸ばし、少し緊張した表情で私を見つめる。フィリップスさんは資料の束を抱え、額に光る汗も忘れてしまったかのように目を輝かせていた。
「はい。西棟の地図と過去の記録のコピーを用意しました。こちらです」
私は地図を差し出すと、侯爵様は軽く頷いた。
「安全を最優先に。何かあればすぐ知らせてくれ」
侯爵様は静かに言った。その声には普段の命令調ではなく、誰よりも仲間の無事を願う温度が含まれている。
セレスティアさんが小さく微笑んで言う。
「私も全力でサポートするわ。魔力感知で何かあればすぐ分かるはず」
フィリップスさんは声を弾ませながら言った。
「古い魔法陣の痕跡が見つかれば解析して手がかりにできます」
彼の言葉を聞くと、私の胸の緊張が少し和らいだ。
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廊下を進む間、私はことりを手のひらでそっと撫でる。冷たい箱の表面に触れると、内部の淡い青い光がふっと明るくなった。
「ことり、呪いの触媒について何か分かる?」
私は心の中で問いかける。ことりは音声は出さないが、いつも私の問いかけに即座に文字で答えてくれる。
【ことり】
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『西棟の地下室に関連する記録が過去に残っています。確率は60%。慎重な調査を推奨します』
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[魔力: 103/113 (-10)]
「地下室か……」
私は小さく呟く。地下は湿気と古い魔法の匂いが混ざる場所だ。思い浮かべるだけで、背筋がぞくりとする。
セレスティアさんがすぐに反応し、言った。
「私、魔力感知の魔法を使うわ」
彼女の瞳は鋭く、頼もしさがにじむ。
フィリップスさんは書類をめくりながら言った。
「古い魔法陣の痕跡があれば、僕が解析します。保存されている文献も調べれば手がかりになるはずです」
冷静に述べる。
私たちは連携して、一歩一歩、埃をかぶった扉や棚を調べていった。扉の金具を指でなぞると、かすかな震えが伝わる。侯爵様が私の肩をそっと撫でた。
「無理をするな」
と囁いてくれると、その温もりが何よりの支えになった。
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探索の途中、古い扉の前で私たちは立ち止まった。扉の向こうから、かすかな魔力の気配が漂ってくる。空気が微かに震えているのが分かった。
「ここが怪しいわね」
セレスティアさんが低く囁く。彼女の声にはいつもの挑戦的な響きはなく、真剣さが宿っていた。
私は深呼吸をし、指先で扉の取っ手に触れた。金属は冷たく、やや湿っている。ゆっくりと扉を開けると、中は薄暗く、古い埃の匂いが鼻をついた。壁にはかすかに、しかし確かに魔法陣の痕跡が浮かび上がっていた。
「フィリップスさん、これ……」
私は声を震わせずに言った。指先が痕跡をなぞると、紙のように薄く、時代を刻んだ亀裂が見える。
フィリップスさんは近寄って解析の姿勢を取り。
「間違いない、呪いの発生源に近い痕跡だ」
と言った。彼の声は興奮を抑えきれないが、冷静に情報を並べていく。
そのとき、部屋の奥から冷たい風が吹き抜け、床に落ちた埃が舞った。空気が薄くなるような感覚が瞬時に走り、私たちの足元に淡い光が集まる。
「エリアナ、下がって!」
侯爵様が咄嗟に前に出て私を庇う。彼の外套が風を切り、私はその影に隠れるように後退した。侯爵様の顔つきは真剣そのもので、普段の冷静さよりも強い緊張が走っていた。
私はことりを強く握りしめたが、ここは自分の直感で動くべきだと判断した。
まず探索の詠唱を短く紡ぐと、私の手先を伝って小さな光の輪が走り、床の亀裂が瞬時に浮かび上がった(探索魔法)。続いて防護の詠唱を重ね、触媒のありかに薄い膜を張るように魔力を収束させる。
[魔力: 53/113 (-50)]
セレスティアさんは魔力感知の詠唱を始め、フィリップスさんは古い符号の並びを指で辿りながら解析を行う。侯爵様は的確に指示を出して魔法の流れを整えてくれた。
やがて淡い光は収束し、風は止み、部屋は静けさを取り戻した。皆が少しだけ息を吐き、互いに顔を見合わせる。安堵のような気配が広がった。
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探索を終えた私たちは、書斎の隅の小さなテーブルで昼食をとることにした。窓から差し込む午後の光がテーブルを柔らかく照らし、温かいスープの香りが漂う。疲れた身体に優しい温度が染み込んでいくのを感じた。
「今日は本当に助かったわ、エリアナ」
セレスティアが微笑む。彼女の表情にはわずかな安堵と、新たな敬意が混ざっていた。
「僕も、君がいてくれて心強かった」
とフィリップスさんがぽつりと言う。普段は専門的な話ばかりの彼が、気さくにそう言ってくれるのは珍しい。
侯爵は静かに私を見つめ。
「君の判断力と勇気に感謝する」
と告げる。その言葉は私の胸にじんわりと残り、頬が熱くなる。
私は照れくささを押し隠しつつ、けれど確かな満足感に包まれていた。仲間と一緒に食事をすることの温かさを、改めて噛みしめる。
話題は次第に和やかになり、フィリップスさんが古い魔法陣の可能性について説明してくれると、セレスティアさんが興味深そうに聞き入り、侯爵様が時折専門的な指摘を加える。私は二人のやり取りを見ながら、自分もいつか彼らと対等に議論できるようになりたいと、静かに思った。
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自室に戻ると、窓から差し込む夕焼けが部屋を薄く橙色に染めていた。今日の出来事を一つ一つ反芻しながら、私は明日の調査計画を頭の中で整理した。
触媒の詳細分析を最優先にする――まずは記録と保存方法の見直し、次に研究所や図書室に残る古い記録を洗い出す。フィリップスさんには解析の目を頼み、侯爵様とセレスティアさんには探索で見つかった破損箇所の修復と保全を依頼する手はずを考える。
ことりに頼らず、自分の頭で整理をつけることで、妙な依存を避けたかった。深呼吸をし、今日の出来事で得たものと残った不安を天秤にかける。
今日見つけた痕跡は確かに手がかりだ。だが、それだけで全てが解決するわけではない。私たちは慎重に、少しずつ真実に近づいていかなければならない。
「分かった。明日は地下室の文献をさらに詳しく調べる。フィリップスさん、よろしくお願いします」
私はそっと目を閉じ、明日への決意を新たにした。仲間の存在、侯爵様の信頼――それらが私の背中を押してくれる。
**次回予告**
新たな謎と危険が待ち受ける西棟探索。仲間との絆が、エリアナをさらに強くする――第51話「禁断の部屋」をお楽しみに!




