第49話: 侯爵の想いと時間の恐怖
夜の静けさが書斎を包み込む。窓の外には淡い月明かりが差し込み、机の上の書類や本の影を長く伸ばしていた。壁にかかった古い時計の針が、静かに時を刻む音だけが響いている。
私は侯爵様の隣で魔法理論の資料を読み込んでいたが、ふとした沈黙が訪れた。侯爵様の横顔を盗み見ると、彼は何かを考え込んでいるようだった。
この屋敷に来てから、夜の書斎で二人きりになることが増えた。最初は緊張していたけれど、今はこの静けさが心地よい。けれど今夜は、どこか空気が違う気がした。
「君がいてくれて、本当に良かった」
侯爵様の低い声が静かに響く。その言葉は、まるで夜の静寂を破る鐘の音のように、私の心に深く染み渡った。
私は思わず顔を上げた。彼の横顔は、いつもより柔らかく、どこか寂しげにも見える。月明かりが彼の髪に銀色の光を落とし、普段の威厳とは違う、脆さのようなものを感じさせた。
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「……え?」
思わず声が漏れる。胸の奥が熱くなり、鼓動が速くなる。侯爵様がこんなふうに素直な言葉を口にするのは、初めてだった。
私は自分の手が震えていることに気づき、慌てて膝の上で握りしめる。
「私も……あなたと一緒にいたいです」
勇気を振り絞って返すと、侯爵様はそっと私の手を取った。大きな手の温もりが、私の指先にじんわりと伝わる。彼の手は思ったよりも柔らかく、けれどしっかりと私を包み込んでくれる。
「エリアナ、君が傍にいてくれることが、どれほど救いになっているか……」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。私は侯爵様の目を見つめ返す。紫色の瞳が、月明かりに揺れている。
「私……最初は自分がここにいていいのか、ずっと不安でした。でも、今は……あなたの隣にいると、安心できるんです」
「君は、もうこの屋敷の大切な一員だ」
侯爵様の声は優しく、私の心の奥の不安を溶かしていく。
静かな幸福感が、二人の間に広がっていく。部屋の空気が、ほんのりと甘く感じられた。
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しばらくの沈黙の後、侯爵様はふいに視線を落とし、手をわずかに震わせた。
私はその変化に気づき、そっと彼の手を包み込む。
「……あの時、私は自分が時間から消えていくような、そんな恐怖を感じた」
侯爵様の声はかすかに震えていた。その言葉に、私は息を呑む。侯爵様の手がかすかに冷たくなり、部屋の空気が一瞬、薄くなるような錯覚を覚えた。
まるで、世界から色と音が消えていくような、そんな不安が胸を締めつける。
「存在が薄れていく……光も音も遠ざかって、何もかもが霞んでいくようだった」
侯爵様の目が遠くを見つめる。私は彼の手を強く握り返す。
「絶対に、あなたを消させたりしません」
私の声は震えていたけれど、心からの誓いだった。
侯爵様は小さく微笑み、私の頭をそっと撫でた。その手のひらが、私の髪を優しくなぞる。
「ありがとう、エリアナ」
その優しい仕草に、胸が熱くなる。涙がこぼれそうになり、私は慌てて目を伏せた。
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やがて、侯爵様が用意してくれた温かいミルクとパンが運ばれてきた。銀のトレイに乗せられた湯気立つミルクの香りが、心をほっと和ませる。
「夜食を用意した。無理はしないで、少し休もう」
侯爵様の声は、どこか照れくさそうだった。
私はパンをちぎり、ミルクを一口飲む。温かさが喉を通り、体の芯まで染み渡る。
「こうして二人で食事をするの、なんだか不思議ですね」
「君と過ごす時間が、私にとっては何よりの癒しだ」
侯爵様の言葉に、胸がまた高鳴る。
「……ことり、本当に彼を守れるの?」
私は心の中でことりに問いかける。
【ことり】
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『現時点での成功確率は80%。あなたの成長は十分です』
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[魔力: 103/113 (-10)]
ことりの答えに、少しだけ肩の力が抜ける。けれど、未来への不安は消えない。
「今後、私はどうすればいい?」
【ことり】
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『愛と絆を深めることが最善です』
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[魔力: 93/113 (-10)]
ことりの言葉に、私は静かに頷いた。侯爵様の横顔を見つめながら、私は自分の中に芽生えた強い想いを確かめる。
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夜も更け、私は自室のベッドに横たわる。窓の外には静かな夜が広がり、遠くでフクロウの鳴き声が聞こえる。
今日の出来事を思い返すと、胸がじんわりと温かくなったり、少しだけ不安になったりする。
侯爵様の言葉、手の温もり、ことりの助言……すべてが私の心に深く刻まれている。
「絶対に、侯爵様を守る」
私は小さく呟いた。
「ことり、明日も頑張れるかな?」
【ことり】
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『もちろん。あなたならできます』
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ことりの励ましに、私はそっと微笑む。月明かりの中、私は新たな覚悟を胸に、静かに目を閉じた。
**次回予告**
触媒の探索が始まる。新たな謎と仲間たちとの絆が、エリアナを待ち受ける――第50話「触媒の探索」をお楽しみに!




