第31話: 再始動、時間との戦い
お待たせしました。第II部の開始です。
引き続き毎日3話ペースで更新していきます!
朝の光は優しいはずなのに、目を開けた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
昨夜――侯爵様の身体が、紙のように薄く透けていった。あの恐怖は、夢の中のものではない。確かに私の手の中で、すべり落ちそうになっていた。
抱きしめられた温もりだけが、いまも掌に残っている。
怖かった。失うのが怖かった。
それが恋だと、もう私は知っている。
だからこそ、時間が怖い。
半年。半年で、侯爵様を縛る呪いをほどかなければならない。
私は身支度を整え、髪をまとめ、深呼吸をひとつした。自分の心を落ち着かせるために、動作をゆっくりにする。焦れば、手元が乱れる。
廊下に出ると、冬の屋敷は静かだった。
地下へ降りる階段の手前で、侯爵様とすれ違った。
いつもより早い時間なのに、もう身支度を整えている。
「無理はしないように」
私は、昨夜の“約束”を思い出して、笑ってみせた。
「大丈夫です。約束しましたから」
侯爵様の瞳が一瞬だけ揺れる。分かったところで、怖さは消えない。けれど、逃げない。
「……ありがとう」
小さく落ちた言葉は、私の胸の奥に静かに沈んだ。
私は地下研究所へ向かった。
◇
資料室は紙の匂いが濃い。冬の冷えが指先に残る。
フィリップが既に机を整えていた。積み上げられた文献が、几帳面に並ぶ。
「今日から、調査を本格化させる」
フィリップが言う。
私は頷いた。頭の中で、前世の習慣が勝手に動き出す。目標を分け、優先度を付け、手順を決める。
――最後に決めるのは、私の手と心だ。
「半年で“ほどく”。そのための材料を集めましょう」
私がそう言うと、フィリップは短く息を吐いた。
「“解除”じゃなくて“ほどく”。君は言葉選びが、妙に正確だな」
昨夜の装置暴走について話が及ぶ。何が起動の引き金になったのか。誰が触れたのか。あるいは、触れていないのか。
「ルシア様の研究は、途中で止められた可能性がある」
「止めたのが、本人ならいい。でも……」
私が言い淀むと、フィリップは続きを言わずに頷いた。
そして、森の光。
あの青白い瞬きが、頭から離れない。
「森の影……誰かが見ている気がするんです」
言葉にした途端、背筋が薄く冷えた。怖くても、目を逸らせない。
「警備は強化されるはずだ。だが、調査の方も進めよう」
時間は、待ってくれない。
私は水晶箱――語り箱を机の端に置いた。表面が青く光る。
「ことり。いまの時点で、意識転送魔法陣を“ほどく”手がかりを探したい」
> 意識転送魔法陣を解くための手がかりは? 重要な語や構造は?
【ことり】
*************
確率: 62%
「解除」ではなく「解縛」という語が重要です。
古代文献では「鍵」「誓い」「触媒」が繰り返し登場します。
*************
[魔力: 90/100] (-10)
鍵。誓い。触媒。
紙の上の文字が、いまは刃物のように見えた。
フィリップが文献の余白を指で叩く。
「“誓い”は魔法契約と同義の可能性が高い。契約なら、解除ではなく解縛という発想も――」
私は頷き、手元のメモに矢印を引く。契約なら、結び目がある。結び目があるなら、ほどき方がある。
ページをめくるたび、埃が舞った。喉が少し痛い。
その中に、見慣れない単語が混ざっている。
「欠片」「古代結晶」――。
“触媒”の候補だろうか。胸が小さく熱くなる。興奮は焦りを呼び、ミスを呼ぶ。
私は意識してペンを置き、息を整えた。
◇
昼前。保管棚の前でフィリップが唸った。
「記録の中に、特定の年のページだけ抜けがある」
抜けた箇所の周辺には、家紋の押印がある。ヴァンヘルシング家――この屋敷の名。
なぜそこだけが抜ける。なぜ隠す。
背後に気配が増して、私は振り返った。
侯爵様が立っていた。音もなく現れるのは、いつも通りだ。
視線が一瞬重なり、昨夜の言葉が胸の内側を叩く。
――君がいなければ耐えられない。
あの言葉が私を弱くも強くもする。強く、してほしい。
「進捗は?」
侯爵様は机の上を一瞥し、すぐに私の指先の震えに目を留めた気がした。断定はできない。けれど、見られていると感じる。
私は語り箱に触れ、二つ目の問いを投げる。
> ヴァンヘルシング家の家紋は何を示す? 関連する年代の手がかりは?
【ことり】
*************
確率: 48%
家紋は「封印」と「継承」を示すものです。
関連年は、呪い発生の年代と一致する可能性があります。
*************
[魔力: 80/100] (-10)
四十八。低い。
それでも、方向は見える。“封印”と“継承”。そして“年代”。
「守るべき理由がある、ということか」
フィリップが言うと、侯爵様は何も答えない。ただ、沈黙が答えの形をしていた。
私はその沈黙を、無理に破らない。いま私が知るべきは、感情の満足ではなく、呪いをほどく手順だ。
侯爵様が低い声で言う。
「エリアナ。君の力は必要だ。だが、君自身を削ることは望まない」
“望まない”という言葉の端に、祈りが混ざっている。
胸が熱くなる。理屈じゃない。
私は頷き、メモの余白に書き足した。
――急ぐ。けれど、壊れない。
◇
午後、休憩室の暖炉の前。
温かいお茶の湯気が、冷えた指先をほどいていく。焼き菓子の甘い香りが、肩の力を抜かせた。
侯爵様が外套をそっと掛けてくれる。重みが、毛布よりもはっきりした安心をくれる。
「昨夜は……怖かったでしょう」
私は頷き、言葉を飲み込む。怖かった。けれど、あの時の温もりを思い出すと、心の底に小さな火が灯る。
私がここにいるだけで――。
昨夜の言葉を思い出して、顔が熱くなる。
フィリップがわざとらしく咳払いをして、空気を軽くする。助け舟だと分かって、小さく笑ってしまった。
笑える。今日はそれだけで、まだ戦える。
私は語り箱に指を置く。調査だけでは足りない。力も要る。けれど力は、無茶で増えない。
> 訓練を再開する場合の優先順位と、安全な進め方を教えて。
【ことり】
*************
確率: 71%
安全第一で、魔力測定を優先してください。
訓練は段階的に進めるのが効果的です。
*************
[魔力: 70/100] (-10)
七十一。十分だ。
私は頷き、頭の中で明日の段取りを組む。測定、軽い訓練、記録。焦りは、順番を壊す。
暖炉の火がはぜた。
その音が消えた一拍の隙間で、ふと窓の外が気になった。
夕焼けに染まる森の端で、青白い光がほんの一瞬だけ瞬いた。
見間違いだと笑いたいのに、笑えない。
「……また」
声は自分の喉から落ちたのに、自分のものじゃないみたいだった。
私は外套の端を握りしめ、決める。
調査計画に、監視対策を加える。
警備の状況も確認する。
そして――明日から訓練を再開する。
時間との戦いは、待ってくれない。
でも、私はもう一人じゃない。
◇
夜。資料室に戻り、今日の成果と課題を整理する。
「解縛」「鍵」「誓い」「触媒」――そして「欠片」「古代結晶」。
手がかりは揃い始めた。揃い始めた、だけだ。
私は紙の端に小さく書き込んだ。
――半年。
文字にすると、心臓がまた痛む。痛いのに、目は逸らさない。
侯爵様を、ほどく。
そのために。
**次回予告**
「解縛」「誓い」「鍵」――調査初日で掴んだ手がかりは、まだ“入口”にすぎない。半年という期限の重圧の中、エリアナは訓練を再開する。一方、森の奥で瞬いた光は、屋敷を見つめ続けている――。
第32話「魔力の成長と緊急停止の練習」をお楽しみに!




