第27話: ルシアの想いと研究
朝、書斎の空気はいつもより重かった。
机の上に置かれた日記の束。侯爵様は手袋を外し、紙の端に指を置く。
「読むのは、一部だけです」
「はい」
私は頷きながら、胸の奥がざわつくのを止められない。
ルシア。
この屋敷に残された影。その影を辿るほど、侯爵様の表情が痛む。
◇
侯爵様がページを開き、静かに読み上げた。
『魔法陣は、意志を構造へ落とし込む器だ。構造は、いずれ“思考”をも写し取れる』
研究者の文章。けれど、行間に熱がある。
『失敗すれば、私が壊れる。それでも――彼を守りたい』
その一文で、胸がきゅっと縮んだ。
守りたい。
私も同じ言葉を、いつか侯爵様に向けて言うのだろうか。
――私が言うのは、許される?
そんな卑怯な思いが頭をよぎり、私は自分に腹が立った。
ルシアは命を懸けている。
私は、今ここにいて、守られている。
◇
侯爵様の声が、少しだけ掠れた。
『彼は時間に縛られている。外見は止まり、日々だけが積もる。私は、その鎖をほどきたい』
私は息を呑んだ。
時間。
縛り。
言葉の意味はまだ分からないのに、確かに背中が寒くなる。
侯爵様はページを閉じ、しばらく目を伏せた。
「……ここまでにしましょう」
「侯爵様」
名前を呼ぶと、侯爵様は少しだけ笑った。
「君に、重いものを背負わせたくない」
「背負いたいわけじゃありません」
私は正直に言った。
「でも、知って、考えて……一緒に解きたい」
侯爵様の目が揺れる。
「……君は強い」
「強くなりたいんです」
それは、あなたの隣に立つため。
◇
侯爵様は一度、窓の外へ視線を逃がしてから、静かに言った。
「ルシアは……研究の人でした。けれど、私のこととなると、不器用なくらい真っ直ぐだった」
不意に胸が痛む。
嫉妬という言葉で片付けたくない。尊敬と、羨ましさと、置いていかれる怖さが混ざっている。
「……私、ルシア様のこと、すごいと思います」
そう言うと、侯爵様の目がわずかに揺れた。
「君は、彼女を否定しないのですね」
「否定できません。私も……守りたいから」
言ってしまってから、頬が熱い。
侯爵様は何も言わず、机の上のカップを私の前へ寄せた。湯気の温度が、張り詰めた胸を少しだけほどく。
「今日は、ここまでにしましょう」
私は頷いた。怖いけど、無理に先へ進めば折れる。いま必要なのは、折れないための呼吸だ。
◇
午後、私は図書室でルシアの研究記録を整理した。
意志×魔力×構造。
彼女も同じ骨格で世界を見ていた。私の前世の言葉に置き換えても、矛盾がない。
「先人の想いを、受け継ぐ」
口にすると、責任の重さが増す。でも同時に、道が一本見えた気がした。
夜、侯爵様と廊下ですれ違ったとき、私は言った。
「ルシア様の研究、無駄にしません」
侯爵様は足を止め、私を見た。
「……ありがとう」
その声は、少しだけ救われた人の声だった。
**次回予告**
侯爵様から、呪いの存在を正式に告げられる。呪いもまた魔法陣で、複雑な多層構造は“無限ループ”のように彼を縛っていた。脱出条件を見つけるため、私の解析は加速する――。
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おかげさまで多くの方に一気読みしていただけているようで、執筆の励みになります!第1部完結の30話まで、あと3話。ドキドキの展開を用意していますので、第28話「呪いの魔法陣構造の理解」もお楽しみに!




