第18話: 友人の訪問とルシアの肖像
玄関ホールに、馬車の止まる音が響いた。
私は階段を駆け下りる途中で、スカートの裾を踏みそうになって慌てて手で押さえる。――笑われてもいい。今だけは、礼儀より先に会いたかった。
扉が開き、まだ冷気の残る朝の空気と一緒に、見慣れた顔が飛び込んでくる。
「エリー!」
「リリー!」
互いの名前を呼んだ瞬間、足が勝手に前へ出た。抱き合うと、香水の匂いと体温が胸に沁みて、言葉より先に喉が熱くなる。
「会いたかったわ。手紙だけじゃ足りない」
「私も……本当に、来てくれてありがとう」
◇
部屋に案内すると、リリーは窓辺の椅子に腰を下ろし、用意されたお茶と焼き菓子を嬉しそうに見た。
「屋敷、立派ね。……でも、あなたの顔が一番変わった」
「え?」
「目がね、前よりちゃんと前を見てる。ここで……何かあったのね」
胸の奥が少しだけ痛い。西棟の秘密、地下研究所、ルシアの名。全部を話せるわけじゃない。でも、親友の前だと嘘が薄っぺらくなる。
「いろいろ……あったよ」
リリーは意味深に笑って、ティーカップを持ち上げた。
「それで? 侯爵様とは?」
「……な、何のこと?」
「とぼけないで。あなたの手紙、行間が甘いの。ほら、頬が赤い」
指で軽く頬をつつかれて、私は観念して息を吐いた。
「……好き、なの。侯爵様のこと」
言った瞬間、胸が跳ねて、怖さと同じくらい、ほっとした。
リリーは両手を握りしめて、子どもみたいに目を輝かせる。
「やっぱり! 応援するわ。あなたが恋する顔、かわいいもの」
「かわいくない……」
「かわいい。で、侯爵様は?」
「わからない。優しいけど、壁がある。……それに、過去に大切な人がいたみたいで」
「それでも、あなたのこと特別に見てるわよ」
「本当に?」
「絶対。女の勘」
その言い切りに、胸がじんわり温かくなった。安心、という言葉がぴったりの温度。
◇
昼食の時間になり、ダイニングへ行くと、侯爵様が先に待っていた。黒い手袋を外す仕草が静かで、リリーが一瞬見惚れたのがわかった。
「リリアさんとは、手紙でお名前を存じ上げています」
「お会いできて光栄です、侯爵様」
丁寧な挨拶のあと、食卓は穏やかな会話で満たされた。領地の話、リリーの家の近況、最近の流行――。
私はその合間に、侯爵様の視線が私へ戻ってくる回数を数えそうになって、慌ててやめた。
でも、リリーは気づいたらしい。フォークを置く瞬間、私にだけわかる角度で小さく頷いてみせた。
◇
午後、屋敷を案内していると、書斎の前で侯爵様と鉢合わせた。
「少しお話ししても?」
そう言われ、三人で書斎に入る。
壁に掛けられた肖像画が、真っ先に目に入った。柔らかく微笑む、美しい女性。光を含んだ髪。何より、目が――どこか、ことりの文字の温度に似ている気がした。
「……ルシア様?」
侯爵様は肯定も否定もせず、ただ肖像画を見つめていた。
悲しみと後悔と、消えない愛情が混ざったような表情。私は胸が締め付けられ、息を吸うのが遅れた。
「侯爵様にとって、ルシア様は……」
言いかけて、飲み込む。知りたいのに、踏み込んだら戻れない気がした。
リリーが静かに視線を落とし、空気の硬さをやわらげるように言った。
「素敵な方ですね。……大切な人だったんでしょう」
侯爵様はほんの少しだけ目を伏せた。
「ええ」
短い一言が、重い。
私はその重さごと受け止めたいと思った。過去を奪うんじゃなく、今の侯爵様の隣に立ちたい。
◇
夕方前、庭園をリリーと歩いた。初春の光は淡いのに、植え込みの緑だけがやけに濃い。
「ルシア様のこと、気になる?」
「少し……でも、それは過去のこと」
言葉にすると、自分の心が少しだけ整う。
「私は、今の侯爵様を支えたい。……呪いも、屋敷の謎も、全部」
リリーは私の手を握り、温度を分けてくれた。
「その気持ち、大切にして。過去は変えられないけど、未来は作れるわ」
胸の奥に灯りがともる。怖さは消えない。けれど、怖さの横に、支えが増える。
◇
リリーは出発の支度をしていたのに、私の顔を見て首を振った。
「今日は泊まるわ。あなた、無理して笑ってる」
返す言葉を探す前に、リリーは荷物を引っ込めてしまう。玄関に張っていた空気が、少しだけほどけた。
「良い友人ですね」
「はい。大切な人です」
言った瞬間、沈黙が落ちた。胸の中で言葉が渋滞している。
侯爵様の横顔を盗み見た、そのとき。
部屋の奥から、淡い青い光が瞬いた。
私は反射的に自室へ戻り、机の引き出しから小さな水晶箱を取り出す。
【ことり】
*************
………………
確率: 31%
申し……訳……あり……ませ……ん
*************
[魔力: 65/75] (-10)
文字が途切れ、確率の数字だけが不自然に揺れた。
「ことり?」
返事はない。背中が冷えた。
その夜は、眠れなかった。
**次回予告**
ことりの応答が不安定になり、地下研究所の魔法陣にも異常が発生する。調査に踏み込んだ瞬間、装置は暴走し——侯爵様が、私を庇ってくれた。
第19話「ことりの異変と救出」へ続く。




