第155話: 婚約発表
正殿の扉が開くと、金糸の幕が朝光を受けて揺れた。楽団の音が高く伸び、列席者が一斉に立ち上がる。私はアレクサンダー様の半歩後ろで歩幅を合わせ、長い絨毯の先へ進んだ。
式典は荘厳だった。宣言文が読み上げられ、婚約の成立が公式記録として刻まれる。拍手は整っていて、歓声は品位を保ったまま温かい。
「おめでとうございます、エリアナ様」
何人もの声を受け取りながら、私はひとつずつ丁寧に礼を返す。アレクサンダー様は横で穏やかに微笑み、必要な場面だけ私の手を支えた。
昼、式典裏方では段取りが秒単位で動く。私はことりを起動して補助を受けた。
> 告知対応の優先順を出して。
【ことり】
*************
応答管理:
1) 近隣領主
2) 市民代表
3) 学術関係者
定型文を更新しました。
[魔力: 100/150 (-10)]
*************
> 次の導線も確認して。
【ことり】
*************
移動導線は問題なし。
遅延要因は北回廊の混雑です。
迂回ルートを提示。
[魔力: 90/150 (-10)]
*************
執事たちが表示どおりに動くと、滞っていた流れがすっと整った。私は「助かりました」と伝え、端末を閉じる。ことりは便利だ。でも、最後に笑顔を向けるのは人の役目だと改めて思う。
夕方、庭園の祝宴では空気が一気に柔らかくなった。焼き菓子の甘い香り、弦楽器の軽い旋律、噴水の飛沫。リリーが私の袖を引く。
「エリー、今日は泣かないって決めてたのに」
「泣いてないよ、たぶん」
「たぶんって何」
笑い合う声に、フィリップさんも珍しく肩を揺らした。セレスティアさんが「この調子なら明日も持つわね」と言って、私たちは小さく杯を合わせる。
夜、私室で翌日の公務を確認する。ことりが簡潔なチェックを出した。
【ことり】
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明日予定:
午前 公会堂挨拶
午後 要人面談
夜 休息確保を推奨
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「休息確保、命令ですって」
私が笑うと、アレクサンダー様は真面目な顔で頷いた。
「それは従うべきだ」
一日の終わりにそんな会話ができるだけで、未来はもう十分に明るい。
式典後の記録室では、祝辞と返礼文の整理が続いていた。机の上には封書の山。私は封蝋を一つずつ確認し、返信優先度を付ける。派手な舞台の裏で、こういう地道な作業が次の信頼を作る。
ことりは待機状態のまま、必要なときだけ小さく光った。
【ことり】
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未返信一覧を整理しました。
緊急性の高い書状は5件です。
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「ありがとう。明朝一番で返します」
私は短く返して、書状へ署名を入れる。インクの匂い、紙を滑る羽根ペンの音。戦場とは別の集中が心地よい。
しばらくしてリリーが顔を覗かせた。
「まだ仕事してるの? 今日は主役なんだから休んで」
「主役でも締切はあるの」
「それはそう」
二人で笑う。彼女は焼き菓子を一枚置いて去っていった。甘さが疲れた頭にしみる。
深夜近く、私は最後の封書を閉じて立ち上がる。窓外の庭園では灯りが落ち、噴水の音だけが続いていた。祝祭が終わっても、暮らしは明日へ続く。私はその連続の中で、婚約者としての役割を少しずつ覚えていけばいい。
部屋へ戻ると、アレクサンダー様が本を閉じて待っていた。
「終わったか」
「はい。これでようやく一日終わりです」
「なら、今日はよく眠ろう」
私は頷き、灯りを落とした。祝福の余韻は静かに残り、心を穏やかに満たしていた。
灯りを落とす前、私は式典で受け取った花を小瓶へ移し替えた。花弁の香りは穏やかで、緊張で固まっていた肩をゆっくりほどいてくれる。祝福の場は終わったが、明日からは婚約者としての実務が本格化する。私は帳面へ優先順位を三つだけ書き、余計な焦りを手放した。大きな節目の翌日こそ、地道な一歩を選ぶことが大切だと自分に言い聞かせる。
窓外の噴水音を聞きながら、私は静かに頷いた。華やかな一日の価値は、次の日の丁寧さで決まる。そう思うと、明日の仕事が少し楽しみに変わった。
祝福の余韻を抱いたまま、私は穏やかに目を閉じた。
明日も一歩ずつ、丁寧に進んでいく。
婚約を正式に終えた二人は、公私の境界を学びながら新しい役割へ踏み出していく。第156話「婚約者として」をお楽しみに!




