第149話: ルシアの声
夜の指揮室は、灯りを落とした船室みたいだった。紙束と記録板、薬瓶、乾いた血の匂い。誰も大きな声を出さない。そんな静けさを破るように、通信器が一度だけ鳴った。
「……聞こえる? エリアナ」
ルシアの声だった。かすれているのに、耳へまっすぐ届く。部屋の空気が変わる。私は返事をする前に、喉の奥が熱くなるのを感じた。
「聞こえます。あなたの記録、届いてる」
短い沈黙の後、彼女は封印符号の読み順と、誤読しやすい注記の位置だけを端的に伝えた。装飾ではない、実務の声。いま必要な言葉だけが残っていく。
通信が切れたあと、誰もすぐには動かなかった。私は一度だけ目を閉じ、次の行動へ意識を戻す。
> ルシアの録音データを解析、重要箇所を抽出して。
【ことり】
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解析完了。
重要注記を3件抽出。
- 封印符号の逆順読解条件
- 結節中和の時間窓 47秒
- 誤作動回避の識別鍵
一致率: 91%
[魔力: 20/150 (-10)]
*************
フィリップさんが息を呑む。
「これだ……未知符号の意味、繋がります」
先に検出した断片ログへ、ルシアの注記を重ねると、バラバラだった線が一本になった。私は解析画面の光を見つめながら思う。ことりの演算と人間の執念、どちらか片方だけではここに届かなかった。
「中和手順、いますぐ実行する」
アレクサンダー様の判断は速かった。
夜間通路で、私たちは作戦を短時間で組み替えた。西回廊の護衛を減らし、封印室側へ要員を集中。ことりの抽出した時間窓に合わせて、秒単位で行動を合わせる。
敵の残党が一度だけ妨害してきたが、リリーとセレスティアさんが挟み込んで即座に制圧。私は中和印を刻み、フィリップさんが結節の読み順を固定する。四十七秒の窓は短い。けれど間に合った。
「中和、完了!」
光の波が静かに収束し、通路の赤い警告線が消えた。誰かが壁にもたれて笑う。私は膝の力が抜けそうになりながら、ようやく息を吐いた。
指揮室へ戻り、散らかった机を片づけながら最終確認を行う。
【ことり】
*************
最終解析提案:
残留ログの照合を実施してください。
決着工程へ移行可能です。
*************
「次で終わらせる」
私の言葉に、アレクサンダー様が静かに頷く。夜はまだ深い。でも終わりの形が、はじめて具体的に見えた。
指揮室の片隅で、私はルシアの残した録音をもう一度だけ再生した。雑音の奥にある息遣い、言葉の切れ目、注記を読むときだけ少し早くなる話速。そこに、彼女が最後まで諦めなかった時間の重さを感じる。
「ありがとう」
誰に聞かせるでもなく呟くと、ことりの表示板が柔らかく明滅した。機械に慰めを求めるつもりはない。けれど、この静かな反応がいまは不思議と心に優しい。
フィリップさんは机いっぱいに資料を広げ、未知符号の読み替え表を作っていた。セレスティアさんは必要な紙だけを素早く選別し、リリーは疲れた目をこすりながらも朱筆で印を付ける。誰も派手な言葉は使わない。ただ、やるべきことを淡々と進める。
私は湯を温め直し、全員の前へ置いた。
「五分だけ、休みましょう。手が震えてる」
最初に笑ったのはセレスティアさんだった。
「珍しく正しい命令ね」
短い笑いが部屋を巡る。こういう瞬間があるから、長い夜を越えられる。
休憩後、私は最終計画を書面へ落とし込んだ。四十七秒の時間窓、移動順、封止担当、予備手順。紙へ書くと怖さが形を持つ。形を持てば、対処できる。
アレクサンダー様が私の肩越しに計画書を見て、短く言った。
「完璧だ」
「完璧じゃなくていいです。全員で終われれば」
彼は小さく笑い、同意した。私は計画書の最後に一行だけ書き足す。
『勝つこと。生きて帰ること。両方を諦めない。』
夜明けまではまだ遠い。けれど、進む方向はもう見失っていなかった。
私は計画書を畳み、胸ポケットへしまった。紙の重さはわずかなのに、そこへ載っている責任は重い。扉の向こうでは仲間が装備を整える気配がする。誰も英雄の顔をしていない。疲れ切ったまま、それでもやるべきことを選んでいる。その姿が、私にとっていちばんの勇気だった。
私は最後に灯りを一段落とし、作戦開始時刻を口の中で繰り返す。迷いを残さず、夜明けの前に決着へ届くために。
最後の戦線で、エリアナたちは長い争いへ終止符を打つために立ち上がる。第150話「決着」をお楽しみに!




