第148話: 侯爵の真の力
北側戦線の入口で、石と鉄の破片が雨みたいに降っていた。前衛は押し込まれ、救護班の担架が足りない。私は息を呑み、崩れた柱の向こうで踏みとどまるアレクサンダー様の背を見つめた。
「ここを守る。全員、私の後ろに」
低い一声だけで、散りかけた隊列が戻る。私はその背中越しに、床に刻まれた奇妙な符号を見る。呪いの余波に似ているのに、どこか違う。ことりが微弱振動を拾い、警告灯を一度だけ点滅させた。
敵の圧は強い。今のままでは持たない。私はアレクサンダー様と視線を合わせ、彼の決断を待った。
「切るべきだな」
私は頷く。あの力を使うしかない。
舞台裏の簡易指揮卓で、ことりを起動する。
> 侯爵の術式を最適化。反動を抑えて最大出力に。
【ことり】
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解析完了。
共振抑制を二点挿入。
出力は増加、反動も増大。
安定化手順:
- 起動前呼吸同期
- 第三節で位相補正
推奨実行者: エリアナさん補助
[魔力: 40/150 (-10)]
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表示の線をなぞりながら、私は専門用語を噛み砕いて伝える。
「最初に二点で揺れを止めます。三節目で私が補正します。反動は来ます」
「構わない」
アレクサンダー様の返事は短い。迷いがないぶん、怖い。私は拳を握って言う。
「終わったら、必ず休んでください」
彼はわずかに笑った。
中央戦線。日没前の薄赤い光の中で、アレクサンダー様は剣を逆手に持ち、静かに呼吸を整えた。私は背後で補正式を展開する。空気が震え、匂いが変わる。雨の前みたいな、電気を含んだ匂い。
「いま……!」
私の合図で、彼の術が解放された。白銀の奔流が一直線に走り、敵主力の術式をまとめて押し流す。轟音の直後、妙な静寂が落ちた。誰も一瞬動けない。
遅れて衝撃が戻り、瓦礫が弾ける。仲間たちが防御に入って二次被害を抑え、私は補正線を最後まで維持した。ことりの手順は正しかった。戦局は、たった一撃で反転した。
夜、救護テントでアレクサンダー様は椅子にもたれ、言葉を探すように唇を動かしていた。激しい疲労で声が途切れる。私は彼の手を包む。
【ことり】
*************
解析ログ:
出力過負荷を確認。
補正完了、長期副作用は検出されません。
短時間安静を推奨。
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「休んで。あなたのせいじゃない」
私の言葉に、彼はかすれた声で返した。
「まだ……終わらない」
「だからこそ、いま休むんです」
私は温かい布を取り替え、彼の肩に掛ける。外ではまだ片付けの音が続く。でもこの小さなテントの中だけは、確かな安堵があった。
救護テントの外で、私は夜風を吸い込んだ。冷たい空気が肺に刺さる。さっきまで燃えるような光に包まれていた戦場が、いまは灰色の静けさへ沈んでいる。遠くで兵士たちが瓦礫をどける音だけが、一定のリズムで続いた。
フィリップさんが報告書の束を抱えてやってくる。
「侯爵様の術、観測値が想定を超えていました。ことりの最適化なしでは制御不能だったはずです」
「代償は?」
「短期疲労が主。長期は今のところ問題なしです」
私は胸を撫で下ろした。勝てても壊れてしまったら意味がない。その恐れが、戦いの最中よりも今になって重く来る。
少し離れた場所でリリーとセレスティアさんが毛布を配っていた。二人の背中を見ていると、戦局を変えたのは大技だけじゃないと分かる。誰かが支え、誰かが繋ぎ、誰かが笑わせる。その積み重ねで、ようやく一歩進める。
テントへ戻ると、アレクサンダー様が少しだけ言葉を取り戻していた。
「エリアナ」
「はい」
「君は……怖くなかったか」
私は迷わず首を振る。
「怖かったです。でも、あなたがいたから立てました」
彼は目を閉じ、静かに息を吐く。その横顔は疲れ切っているのに、どこか穏やかだった。
「なら、私も同じだ」
私は湯を注ぎ、二人分の杯を並べた。薄い湯気の向こうで、彼の表情が少し和らぐ。大きな力の余波はまだ残る。それでも、こうして向き合って言葉を交わせるなら、次の朝も迎えられる。
テントの外では夜警の交代が始まり、金具の触れ合う音が規則的に響いた。私はその音を聞きながら、今日の戦局図を頭の中で再生する。恐怖の瞬間ほど、仲間の顔が鮮明だった。誰かの決断が遅れていたら、違う結末になっていたかもしれない。だから明日も、同じように丁寧に連携を積み上げると心に決めた。
激戦の夜、遠くから届くルシアの声が最後の鍵を示す。第149話「ルシアの声」をお楽しみに!




