第13話: 夜会とダンス
夕方、若いメイドのアニーが手際よくドレスを整えてくれた。
淡い青の布地は、灯りの下で水面みたいに揺れる。レースと刺繍は控えめなのに、目を奪うほど丁寧だ。髪には小さな花飾りを留められ、最後に、アニーが背中の紐をきゅっと引いた。
「……できました」
鏡の中にいるのは、見慣れない私だった。頬が少し赤くて、目が落ち着かない。なのに、逃げ出したい気持ちと同じくらい、見てみたい気持ちもある。
大丈夫。侯爵様がいてくださる。
その一言を胸の内で繰り返し、私は扉を出た。
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大広間に降りた瞬間、空気の密度が変わった。
シャンデリアの光が宝石みたいに降り注ぎ、弦楽器の音が床を滑る。香水とワインと花の匂い。笑い声の波。
私のような平民が、ここに立っていいのだろうか。
そう思った時。
「エリアナさん」
振り返ると、侯爵様が近づいてきた。視線が合う前に、胸が跳ねる。
侯爵様は私を一度だけ見て、短く言った。
「美しい」
顔が熱くなる。逃げ場がない。
「あ、ありがとうございます……」
差し出された手を取ると、指先まで温かかった。その温度が、私の背筋をまっすぐにしてくれる。
「皆様に紹介しましょう」
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「皆様、紹介します。私の大切な客人、エリアナ嬢です」
一斉に集まる視線。好奇心、値踏み、そして——ほんの少しの羨望。
私は口角を上げる。ことりに教わったとおり、呼吸は浅くしない。
「初めまして。エリアナと申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
挨拶が返り、会話が始まる。
「魔法を学んでいると聞きましたが」
若い男爵に問われ、私は頷いた。
「はい。侯爵様にご指導いただいています」
「素晴らしい。魔法は奥深い」
天気、庭園、流行の詩集。話題を選んで相槌を打つと、思ったより言葉が続いた。
それでも私は、ときどき侯爵様の姿を探してしまう。
別の輪の中にいる侯爵様が、こちらへ視線を投げる。ほんの一瞬。
それだけで、胸の奥がきゅっと鳴った。
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音楽が変わり、空気がざわめいた。ダンスタイム。
貴族たちが当然のようにフロアへ向かう中、私は壁際で手袋の縁を握った。練習はした。けれど本番は初めてだ。
その前に、侯爵様が現れた。
「踊っていただけますか?」
差し出された手に、周囲の視線が集まるのが分かる。侯爵様が踊るのは珍しい——そんな囁きが、耳に刺さる。
「……はい」
私は手を取った。
フロアの中央。音が始まる。
侯爵様の手が私の腰に添えられた瞬間、息がひゅっと細くなる。近い。香りまで分かる。
「緊張していますか?」
「少し……でも、大丈夫です」
侯爵様のリードは迷いがなく、私の足は自然に音へ追いついた。
羨望と嫉妬の視線が刺さる。それでも今は、紫の瞳だけが世界みたいだ。
「あなたは、私の大切な客人だ」
囁きが耳元をかすめる。
心臓が跳ね、返事が遅れる。
「……いや」
侯爵様の声が、さらに低くなる。
「大切な人だ」
胸が苦しいほど熱くなる。曲の終わりが来ても、私はすぐに離れられなかった。
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「少し休憩しましょう」
侯爵様に誘われ、テラスへ出る。夜風が頬の熱を冷まし、星が近く見えた。
「お疲れ様でした。よく頑張りましたね」
「侯爵様のおかげです」
しばらく二人で星を見上げる。騒めきが遠くなって、心の音だけが聞こえる。
「あなたは社交の場でも素晴らしかった。自然体で、誠実だ。だから人はあなたを気に入る」
褒め言葉が、私の中の不安を一枚ずつ剥がしていく。
使用人が小さなトレイに載せた温かいワインを持ってきた。侯爵様は私に一つ差し出し、そっと『少し飲んでみてください』と言う。口に含むと、甘くて優しい温度が体に沁みた。
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深夜、部屋に戻ってドレスを脱いでも、鼓動はまだ落ち着かなかった。
「大切な人」
あの囁きが、何度も胸の内で反響する。
ベッドに横になり、窓の外を見ると——西棟の窓に、淡い光が見えた。
昨夜の機械音が、ふっと蘇る。
眠れなくて、私はそっとことりを手に取った。語り箱に触れると淡い光が広がり、表示には小さくこう出ていた。[魔力: 20/70]
> 「侯爵様の、あの囁きはどういう意味なの?」
【ことり】
*************
確率: 35%
申し訳ありません。人の感情に関する質問は私の苦手分野です。ただ、その行為は通常、信頼と好意を示すものと考えられます。
*************
[魔力: 10/70] (-10)
ふと、ことりの表示が微かに赤く点滅し、残量が 10/70 であることを知らせた。
侯爵様は、まだ起きているのだろうか。何をしているのだろう。
分からない。でも、確かめたい気持ちがある。
そして、それ以上に——。
侯爵様のことを思うと、胸が甘く痛む。
好き。
**次回予告**
夜会の翌日、美しい伯爵令嬢セリーナが侯爵を訪ねてくる。二人の親しげな様子に、エリアナは初めて嫉妬を感じる。自分の気持ちに戸惑いながらも——
第14話「嫉妬の芽生え」をお楽しみに!




