表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の侯爵家に招かれた元SEの私、手のひらサイズの語り箱と秘密だらけの屋敷で溺愛されています  作者: プロンプト時雨
第IV部: 暗転と再起

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

120/160

第120話: 休息と甘い時間

夜の廊下は、昼間よりもずっと長く感じた。壁の燭台に灯る橙色の火がゆらめくたび、石床に落ちる影も伸びたり縮んだりする。私はその影の中を、アレクサンダー様と並んでゆっくり歩いていた。


足は鉛みたいに重い。遺跡で張り詰めていた感覚がほどけたせいか、ふくらはぎの奥が遅れて痛み出している。まぶたは熱を持ち、指先はじんと痺れていた。けれど隣に合わせた歩幅だけは、不思議と乱れない。


「無理をしていないか」


低い声が、火のはぜる音に紛れて届く。


「正直に言うと、ちょっとだけふらつきます」


私が苦笑すると、アレクサンダー様は速度をさらに落とした。


「なら、今日は話を短くしよう。考えるのは明日でいい」


「はい。今夜は休むって、約束しましたし」


掌のことりが小さく光る。


【ことり】

*************

待機中。

休息を優先してください。

*************

[魔力: 50/150]


短い通知だけで、ことりは黙った。分析も助言もなく、ただ「休め」と言ってくれるのが、今はありがたい。


廊下の曲がり角で、ふいに人影が立ち止まった。


「……あっ」


リリーだった。湯気の立つハーブティーの盆を持ったまま、私たちを見て目を丸くする。


「まだ起きてたの?」


私が声をかけると、リリーはにやっと笑った。


「そっちこそ。廊下の向こうまで甘い空気が届いてたんだけど?」


頬が一気に熱くなる。慌てて否定しようとして、私はついさっきの会話の流れのまま言ってしまった。


「ち、違うの。アレクサンダー様が――」


言い終えた瞬間、リリーの目がきらりと光る。


「今、“アレクサンダー様”って言った?」


「う……」


返事に詰まる私を見て、リリーは肩を震わせて笑った。からかう声色は軽く、悪意はどこにもない。


「いいじゃない。すっごく似合ってる。前よりずっと幸せそうな顔してるし」


耳まで熱くなった私は、思わず視線を床へ落とした。隣でアレクサンダー様が小さく咳払いする気配がして、余計に恥ずかしい。


「リリーさん」


アレクサンダー様が穏やかに呼ぶ。


「彼女は疲れている。今夜は休ませたい」


「はーい、邪魔はしません」


リリーは笑顔のまま、盆を持ち直して一歩下がった。


「エリー、あとでちゃんと寝るのよ。明日はまた重い話になるんだから」


「うん。ありがとう」


すれ違いざま、リリーが小声で囁く。


「でも今の呼び方、ほんとに可愛かった」


私は何も返せず、ただ肩をすくめるしかなかった。けれど胸の中の緊張は、さっきより少し柔らかくほどけている。重い日々の中で、こういう笑いに救われるのだと改めて思った。


---


私室前へ着いたところで、膝がかすかに揺れた。自覚するより早く体が傾き、私は扉の取っ手に手を伸ばす。


その瞬間、アレクサンダー様の腕が背中を支えた。


「危ない」


低い声と同時に、視界がふわりと持ち上がる。気づけば私は、アレクサンダー様に横抱きにされていた。


「え、ちょ、ちょっと……自分で歩けます」


「歩けるかどうかではない。今は休むべきだ」


反論の余地を残さない口調なのに、腕の力はひどく優しい。肩と膝裏を支える手は安定していて、揺れがほとんどない。外套越しに伝わる体温と鼓動が、ざわついていた心をゆっくり落ち着かせる。


部屋へ入ると、窓辺に置いたランプの灯りが金色に揺れていた。石鹸と乾いたリネンの匂いが混ざり、遺跡の石粉の気配を静かに押し流していく。


アレクサンダー様は私を寝台へそっと下ろし、乱れた毛布を整えた。まるで壊れものを扱うみたいに丁寧な手つきに、胸の奥がきゅっと熱くなる。


「今日はゆっくり休んで」


そう言って、彼は私の前髪を指先で避ける。次の瞬間、額に柔らかな感触が落ちた。


ほんの短いキスだった。それなのに、耳の奥まで温かさが広がって、目の奥がじんわり滲む。甘いというより、守られている安心がそのまま形になったみたいだった。


「……ありがとうございます」


やっと絞り出した声は、小さく震えていた。


アレクサンダー様は私の手を一度だけ包み、静かに頷く。


「休むことは、前へ進むための準備だ。君はもう十分に戦っている」


私はその言葉を胸の中で繰り返す。休むのは弱さじゃない。次に進むための選択だ。遺跡で何度も自分に言い聞かせた理屈が、今は体温のある確信になっている。


---


扉が閉まり、足音が廊下の向こうへ消えていく。私は額に残る熱を指先で確かめながら、ゆっくり息を吐いた。


窓の外は深い藍色で、雲の切れ間に小さな星がいくつか見える。室内は静かで、布団の擦れる音さえやさしく聞こえた。


ことりが短く通知を出す。


【ことり】

*************

休息モード推奨。

睡眠により魔力回復が見込まれます。

*************

[魔力: 50/150]


「うん。今日は素直に寝る」


私はことりを枕元に置き、毛布を顎まで引き上げる。体の重さはまだ残っているのに、呼吸は少しずつ深くなっていった。


眠りへ落ちる直前、今日の出来事が断片的に浮かぶ。遺跡の冷たい回廊、資料に刻まれた危険な理想、リリーのからかい混じりの笑顔、そして額に落ちた温かなキス。


重い現実は変わらない。明日になれば、また呪いの真相へ踏み込まなければならない。


それでも、今夜だけは確かに安らげる。


次に立ち上がるための力が、静かに満ちていくのが分かった。


朝、目を開けると光はやわらかく、胸の奥の圧迫感は昨夜より薄れていた。まぶたは軽く、呼吸は深い。指を握ると、滞っていた感覚が素直に戻ってくる。


私は窓辺へ歩き、朝の空気を吸い込んだ。


「……行ける」


小さく呟いたその声は、昨日よりずっと澄んでいた。呪いの真相はまだ遠い。でも、向き合う準備は整っている。

**次回予告**

休息を経て、私たちはついに呪いの構造へ踏み込む。魔法陣、契約、そしてヴィクターの呪詛――散らばっていた断片が、ひとつの恐るべき真実へ繋がり始める。


第121話「呪いの真相」をお楽しみに!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ