表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の侯爵家に招かれた元SEの私、手のひらサイズの語り箱と秘密だらけの屋敷で溺愛されています  作者: プロンプト時雨
第IV部: 暗転と再起

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

119/160

第119話: 帰還

朝の街道は、昨夜の雨を薄く抱えた土の匂いがした。遺跡を背に歩き出してから、私はほとんど言葉を発していない。肩にかかる荷袋は重く、乾ききらない外套は動くたびにひんやりと背中へ貼りつく。


アレクサンダー様も無駄口を挟まず、周囲を警戒しながら同じ速度で歩いていた。沈黙は重いのに、不思議と息苦しくはない。必要な緊張だけを残して、余計な焦りを削いでくれる沈黙だった。


「屋敷に着いたら、まず安全確認です」


私が言うと、アレクサンダー様は短く頷く。


「次に情報共有。詳細な分析は、体勢を整えてから」


「はい。順番を守ります」


自分で口にすると、頭の中の混線が少し整理される。今は走るより、崩れないことが優先だ。


掌のことりが、かすかな通知だけを返した。


【ことり】

*************

移動中ログを記録しています。

現時点で追加処理は不要です。

*************

[魔力: 50/150]


分析はしない。消費もしない。今日はそれでいい。


昼に近づくころ、丘を越えた先に屋敷の尖塔が見えた。窓硝子に反射した光が、遠くで小さく瞬く。見慣れたはずの景色なのに、胸の奥に詰まっていたものがそこでようやくほどけた。張りつめていた呼吸が、ひとつ長く抜ける。


「……帰ってきた」


私の呟きに、アレクサンダー様が視線を和らげる。


「まだ終わりではない。だが、戻るべき場所には戻れた」


その言葉に、足先へ確かな力が戻った。


---


玄関ホールの扉が開いた瞬間、温かい空気とパンの匂いが一緒に流れ込んできた。遺跡の石と金属の匂いに慣れていた鼻には、それだけで泣きそうになるくらい優しい。


「エリアナ!」


最初に駆け寄ってきたのはリリーだった。彼女は私の両手を強く握り、顔をくしゃくしゃにしながら笑う。


「よかった……本当に、よかった」


メイド長――マーガレットさんは一歩後ろで深く頭を下げ、すぐに表情を崩した。


「お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」


その声の温度に、肩の力が一気に抜ける。私はリリーを軽く抱きしめ、次にマーガレットさんの手へ触れた。どちらの手も温かく、現実に戻ってきた実感が遅れて胸に広がった。


アレクサンダー様は私の隣に立ったまま、短く報告を切り出す。


「要点のみ伝える。ヴィクターは結社中枢にいる。計画名は“不死者の楽園”。そして――」


私は続きを引き取り、言葉を選ぶ。


「呪いと、私の魂が鍵にされていました」


ホールの空気が一段重くなる。リリーは息を呑み、マーガレットさんは目を細めて私たちを見た。問いは山ほどあるはずなのに、二人ともすぐには詰め寄らない。


代わりに、リリーが小さく言った。


「詳細は、みんな揃ってからにしよう。まず座って。あなた、顔色がまだ悪い」


私は苦笑して頷く。


「うん。今日は体勢を立て直す。会議は明朝に回したい」


マーガレットさんが即座に段取りを引き取った。


「湯と軽食を用意します。報告書は私が管理しますので、今夜は休息を最優先に」


アレクサンダー様も同意する。


「賛成だ。焦って判断を誤る余裕はない」


判断が共有された瞬間、胸の中のざわめきが少し静まった。重い情報はそのままだけれど、受け止める器を整える時間がある。それだけで、人はこんなに呼吸しやすくなるのだと知る。


---


夕方、最低限の打ち合わせを終えたあと、屋敷の廊下には柔らかな橙色の灯りが落ちていた。磨かれた床を歩く靴音は小さく、遺跡の硬い反響音とはまるで違う。


私の私室前で、アレクサンダー様が足を止める。


「今夜は休もう」


低い声は命令ではなく、疲労を見抜いた提案だった。


「明日のために?」


「明日だけじゃない。君が倒れないために」


私は扉へ手をかけたまま、少し笑う。


「休むのって、逃げてるみたいで苦手でした。でも今は、次に進むための選択だって分かります」


アレクサンダー様は歩幅を合わせるように一歩近づき、私の肩へそっと手を添えた。


「君は十分に戦っている。休む権利も、同じだけある」


胸の奥がじんわり温かくなる。私はその手に自分の手を重ね、短く頷いた。


そのとき、ことりが静かな通知を出した。


【ことり】

*************

休息を推奨します。

生体負荷は高水準です。

睡眠後に判断精度の回復が見込まれます。

*************

[魔力: 50/150]


「ことりも同意見ですね」


私が言うと、アレクサンダー様はわずかに笑った。


「珍しく、私と完全一致だな」


二人で小さく笑い合う。短い時間だったのに、その笑いだけで今日の重さが半分ほど軽くなった気がした。


私は扉を開き、振り返る。


「おやすみなさい、アレクサンダー様」


「おやすみ、エリアナ。いい夢を」


扉が静かに閉まったあと、私は深く息を吐いてベッドへ腰を下ろす。屋敷の空気は温かく、シーツには石粉の匂いではなく石鹸の香りが残っていた。


帰ってきた。まだ戦いは終わっていない。


それでも、帰る場所があるという事実だけで、明日へ進む力になる。

**次回予告**

緊張から解き放たれた夜、ようやく訪れる静かな休息。けれど、その穏やかさの中で二人は何を語り、何を確かめるのか。戦いの合間の小さな甘さが、次の決意を育てていく。


第120話「休息と甘い時間」をお楽しみに!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ