第117話: 裏切り者ヴィクター
朝の記録保管室は、音が少なすぎて、紙の端が触れ合う気配まで聞こえた。私は机いっぱいに資料を広げ、昨夜マーキングした「ヴィクター」の文字を順に追う。
古い羊皮紙のざらつき、乾いたインクの匂い、窓の割れ目から入る風の冷たさ。静かな室内のすべてが、これから読む事実の重さを先に教えてくるみたいだった。
アレクサンダー様は向かいに座り、黙って一枚の文書を見つめていた。次のページをめくろうとして、指先が止まる。ほんの一瞬の沈黙なのに、それだけで分かった。
この名前は、ただの敵の符丁じゃない。
私は問い詰める代わりに、乱れた紙片をそっと整えてアレクサンダー様の手元へ寄せた。言葉より先に、同じ机を囲んでいる事実を渡したかった。
掌のことりが淡く光る。
【ことり】
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待機状態を維持します。
追加分析の指示を待機中。
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[魔力: 70/150]
私は小さく頷いて、深呼吸した。焦って結論を急げば、大事な線を見落とす。今は一つずつ、確実に繋げるしかない。
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昼を回るころ、机の上には関係図の走り書きが増えていた。研究流出の報告、契約違反の記録、結社内での権限移譲。離れた時期の文書なのに、同じ筆跡の署名が何度も現れる。
――ヴィクター。
アレクサンダー様は長く黙っていたあと、低い声で言った。
「彼は……かつて私の親友だった」
私は息を呑む。胸の奥が冷たくなるのに、視線は逸らせなかった。
アレクサンダー様は資料から目を離さないまま続ける。
「家の事情も、研究の危うさも、誰より分かっていた。だから信じた。だが彼は、結社へ渡った」
言葉の端が、わずかに震えた。怒りだけじゃない。失ったものの重みが、声の奥で軋んでいる。
私は資料三点を並べ、ことりを中央へ置いた。
> ことり。文書年代と術式署名の一致を照合して。ヴィクター関与の確度を出して。
【ことり】
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照合を実行します。
対象:人物記録3件、術式写本2件、契約文書1件
年代整合:一致(誤差許容内)
術式署名:同一パターンを確認
関与確度:91%
補足:古代術式に外部層を継ぎ足す手法を使用
目的推定:固定化・長期運用向け改変
魔力消費:-10(残60/150)
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[魔力: 60/150]
九十一パーセント。限りなく確定に近い数字が、紙より重く胸に落ちた。
アレクサンダー様は拳を握りしめ、机の上で関節を白くした。
「私が早く気づいていれば……」
私は首を振る。
「アレクサンダー様ひとりの罪じゃないです。裏切った責任は、裏切った側にある」
それでも彼はすぐに頷けなかった。視線は遠く、過去のどこかへ向いている。私は椅子を少し寄せ、肩に触れた。
「責任感が強いから、全部抱えてしまうんですよね。でも、今は私もいます。半分じゃなくて、同じ重さで持たせてください」
アレクサンダー様は目を閉じ、ゆっくり息を吐く。何度か呼吸を重ねてから、ようやく私を見た。
「……すまない。ありがとう」
「謝らないでください。私は隣にいるって決めたから」
その言葉に、アレクサンダー様の肩の力がほんの少し緩んだ。
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夕方、私たちは遺跡外縁の回廊を歩いた。壁の亀裂から射す橙色の光が、石床に長い帯を作っている。昼に整理した要点を、私は声に出して確認した。
「判明したことは三つ。ヴィクターは結社中枢にいる。アレクサンダー様の過去と研究事情を知っている。術式改変の実行権限を持っている」
アレクサンダー様が頷く。
「次は、彼の目的だ。なぜそこまでして不死化へ固執するのか」
「そこが分かれば、止める方法も見えるはずです」
私は歩幅を合わせ、アレクサンダー様の手を取った。冷えた指先が触れたあと、互いの体温で少しずつ温まっていく。言葉にしなくても、呼吸が同じ速さになるだけで、胸のざわめきは静まった。
ことりが短い通知を出す。
【ことり】
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次段階の推奨:思想・目的分析。
現時点情報では動機が未確定です。
関連資料の再抽出を推奨します。
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[魔力: 60/150]
私は通知を見て、深く頷いた。
「次は“なぜ”を掴みに行く」
アレクサンダー様は握った手を離さず、前を見据える。
「共に行こう。真実の最後まで」
回廊の先では夜が降り始め、空気はひときわ冷たくなっていた。それでも不思議と足取りは軽い。痛みが消えたわけじゃない。裏切りの重さも、これから知る真実の怖さも、そのまま残っている。
それでも、二人で背負うと決めた今なら進める。
私はヴィクターの名を胸の内で繰り返し、次に開くべき扉を見据えた。
**次回予告**
裏切り者の名は判明した。だが、最も重要な「目的」はまだ霧の中。ヴィクターが目指す理想と、侯爵の呪い、そして私の魂がどう繋がるのか――次なる記録が、その核心を暴き出す。
第118話「ヴィクターの目的」をお楽しみに!




