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異世界の侯爵家に招かれた元SEの私、手のひらサイズの語り箱と秘密だらけの屋敷で溺愛されています  作者: プロンプト時雨
第IV部: 暗転と再起

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116/160

第116話: 侯爵の涙と告白

目を覚ますと、薄い朝の光が石壁を淡く染めていた。遺跡の仮設拠点――崩れた礼拝室を片づけた小部屋は、夜の冷気をまだ少し抱えたまま静まっている。


私は毛布を肩から落とし、胸元のペンダントをそっと握った。昨夜の誓いの余韻が、指先の内側に残っている。侯爵様の手の温度、抱きしめられたときに耳へ届いた鼓動、言葉にした「はい」の震え。どれも夢ではなく、確かに私が選んだ未来の輪郭だった。


掌のことりが、かすかな光で起動を知らせる。


【ことり】

*************

待機モードを解除しました。

本日の体調ログを更新します。

*************

[魔力: 80/150]


夜の休息で、三十から五十戻った。身体の芯に、ようやく余白がある。私は深く息を吸い、窓代わりの裂け目から差し込む朝風を肺いっぱいに入れた。湿った土と草の匂いが、今日が昨日の続きであることを教えてくれる。


部屋の奥では侯爵様がすでに起きていて、簡易机の上に資料束を整えていた。目が合うと、彼はほんの少し口元を和らげる。


「よく眠れたか」


「はい。……怖さはありますけど、頭は冴えています」


「それでいい。怖さを無視しない君を、私は信じている」


昨夜と同じ言葉なのに、朝の光の中で聞くと、約束の輪郭がいっそうはっきりした。私は侯爵様の隣に椅子を寄せ、二人で同じ机に向かう。紙の擦れる音だけが、小部屋に静かに響いた。


破れた研究記録、転写された魔法陣図、個人メモ。回収した資料はどれも急いで運び出した形跡があり、端が欠け、インクが滲んでいる。私は手袋をはめ、最初の束の封を切った。


文字を追ううち、侯爵様の視線が一枚の紙片で止まる。空気が、糸を張ったみたいに張り詰めた。


---


昼が近づく頃、窓の光は白く強くなっていた。私は三枚の文書を横並びに置き、共通する記号を炭筆で囲んでいく。


一枚目は、ルシアの研究を転用した実験計画。


二枚目は、不死化を名目にした術式変換の工程表。


三枚目は、指示系統を示す短いメモ。


どの文書にも、同じ名があった。


――ヴィクター。


胸の奥で冷たいものが沈む。昨夜見た署名は偶然じゃなかった。体系的な悪用が、ここで実行されていた。


「ことり、照合をお願い」


私は資料を重ね、ことりへ向ける。


> 三文書の記述整合性と、魔法陣用途の共通点を分析して。


【ことり】

*************

照合分析を実行します。

文書群の記述整合性を検証中。


結果:高整合(89%)

共通目的:既存呪術の固定化と不死化実験への転用

技術痕跡:古代魔法陣に前世技術由来の層構造を追加

主要指示名:ヴィクター(危険度:高)


補足:保護術式の削除履歴を確認

魔力消費:-10(残70/150)

*************

[魔力: 70/150]


表示を見た侯爵様の指先が、紙の端で止まった。爪が白くなるほど強く握りしめている。私は声をかける前に、彼の肩がわずかに震えるのを見た。


「……ルシアは、守るために作った」


絞り出すような低い声だった。


「それを、こんな形で……」


次の瞬間、侯爵様は机を叩きそうになって、寸前で拳を止めた。怒りが先に走り、その奥からもっと深いものが崩れるのが分かる。彼は顔を背けたが、こぼれた一滴は隠しきれなかった。


侯爵様の涙を見たのは、初めてだった。


私は言葉を探すより先に立ち上がり、彼の肩へ手を置いた。熱い。押し殺された感情が、そのまま体温になっているみたいだった。


「侯爵様」


呼ぶと、彼は目を伏せたまま小さく息を吐く。


「怒っている。取り返しのつかないことをした連中にも、自分にも」


私は首を振り、そっと彼を抱きしめた。外套越しの背中は硬く緊張していたけれど、腕に力を込めると、少しずつそのこわばりがほどけていく。


言葉より先に体温で支える。昨夜、私がそうしてもらったように。


侯爵様は私の肩口に額を寄せ、かすれた声で言った。


「二度と失いたくない。あのときも、今も……同じだ」


それは恐れの告白であると同時に、守る誓いだった。私は背に回した手を強める。


「失わせません。今度は、私も一緒に守るから」


長い沈黙のあと、侯爵様は小さく頷いた。呼吸の速さが、少しずつ整っていく。私たちはしばらくそのまま、昼の光が机を移動していくのを見守った。


---


夕方、資料を必要分だけ封筒へまとめるころには、空の色は灰青に変わっていた。私たちは遺跡の出口へ続く回廊を並んで歩く。石床に映る影が、同じ歩幅で伸びたり縮んだりした。


先に口を開いたのは侯爵様だった。


「エリアナ」


「はい」


「過去の影ではなく、今の私が選んでいる。君だけが、私の光だ」


侯爵様は言葉を切って、私の手を包んだまま視線を落とす。


「……もう一つ、願いがある。公の場ではこれまでどおりでいい。だが二人のときは、名前で呼んでくれないか」


胸の奥が熱くなる。私は小さく息をのみ、彼の瞳を見つめ返した。


胸の奥で、何かが静かにほどけた。昨夜の誓いに、今日の涙が重なって、言葉の重さがさらに深くなる。


私は足を止め、侯爵様の手を取った。


「私もあなたを愛しています、アレクサンダー様」


自分の声は驚くほどまっすぐだった。怖さは残っている。けれど、その怖さごと差し出せる相手だと、もう知っている。


侯爵様は私を短く抱き寄せる。硬かった腕は、今はただ温かい。私は目を閉じ、耳元で重なる呼吸を数えた。安堵が胸の中でゆっくり広がり、張りつめていた糸が静かに緩む。


そのとき、ことりが控えめな光で通知を出した。


【ことり】

*************

重要語句アラート。

資料中の固有名詞「ヴィクター」は危険度:高。

追跡優先度を上位に設定してください。

*************

[魔力: 70/150]


私は頷き、ことりを握り直す。


「次は、ヴィクターの動機と現在地を突き止めます」


侯爵様も同じ速度で歩き出した。


「共に行こう。最後まで」


回廊の先には夜が降りていた。暗さは深いのに、不思議と足元は見える。隣にいる人の体温と、言葉にした誓いが、道筋を照らしてくれているからだ。


私たちは出口へ向かう。次に開くべき扉の名を、胸に刻みながら。


――裏切り者、ヴィクター。

**次回予告**

資料に残されていた指示名「ヴィクター」。ルシアの研究を歪めた張本人の輪郭が、ついに浮かび上がる。怒りと哀しみを越え、エリアナたちは結社の中枢へ迫る手がかりを掴めるのか。


第117話「裏切り者ヴィクター」をお楽しみに!


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