第109話: 罠と分断
昼、遺跡の通路を進んでいたそのときだった。
足元の石床が、乾いた音と共に沈み込む。次の瞬間、耳の奥を掻き乱すような高い反響音が連続し、視界の端に白い幻光が走った。壁が迫ってくるような圧迫感、喉の奥に入り込む鉄臭い空気、崩れた礫のざらつき。全部が一斉に襲ってきて、私は一瞬、呼吸の仕方を忘れた。
「エリアナ!」
侯爵様の声が遠くで聞こえた。
セレスティアさんとフィリップさんの呼ぶ声も重なったけれど、音は水の底みたいに歪み、どんどん離れていく。視界は揺れ、通路がいくつにも裂けて見えた。
落ち着いて。
私は膝に力を入れ、崩落の縁から身体を引き上げる。痛む手のひらを壁に押し当て、呼吸を整えた。
【ことり】
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確率: 93%
危険警告。広域幻影・音響トラップを検知。
転落・分断の可能性が高い状態です。
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「……分かった。まず、生き残る」
声に出すと、恐怖は少しだけ輪郭を失った。
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気がつくと、周囲は静寂だった。
さっきまでの崩落音も、仲間の足音も、何も聞こえない。灯りを掲げると、湿った壁に細い水筋が流れ、暗い分岐が左右に口を開けていた。遺跡全体が、私をひとりで呑み込もうとしているみたいだった。
「侯爵様……セレスティアさん……フィリップさん……」
呼んでも返事はない。胸の内側がきゅっと縮む。
私が道を誤ったら、皆に合流できない。私が冷静さを失えば、皆を守るどころか、足を引っ張るだけになる。
そのとき、ことりの表示が静かに点灯した。
【ことり】
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確率: 86%
冷静に、状況を分析してください。
呼吸を整え、足場・風向・音の反射を優先確認。
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「……うん。大丈夫。まだできる」
私は壁面を照らし、刻まれた文様を追った。渦を巻く線の中に、斜めに重なる三本の刻印——見覚えのないはずなのに、どこか規則性がある。FS-15で記録されていた断片図と似た配置だった。
不安は消えない。でも、ことりの声があるだけで、暗闇の輪郭が少しだけ優しくなる。私は手帳に刻印の形を写し、分岐の印を順に確認した。
ひとつずつ。焦らず。ここで折れたら、再会の道まで失う。
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私はことりに最小限の緊急分析を依頼した。
> 方向補助。仲間の反応と安全な進行路を推定して。
【ことり】
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確率: 68%
方向補助・緊急分析を実行します。
・仲間反応推定方位: 北北東
・進行推奨経路: 右側第二分岐
・合流到達信頼度: 68%
注記: 断続的な干渉により誤差が発生する可能性があります。
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[魔力: 120/150 (-10)]
私は表示を見つめ、ゆっくり頷いた。
「信じる。行こう、ことり」
灯りを握り直し、右側の分岐へ足を踏み入れる。闇の奥から、金属が擦れるような低い音が返ってきた。
仲間のいる場所へ続く道か、それとも新しい罠か。
どちらでも、立ち止まらない。
私は刻印の続く壁を指で確かめながら、夜の遺跡のさらに奥へ進んだ。
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右側第二分岐は、想像以上に狭かった。
肩が石壁に擦れるたび、細かな砂がぱらりと落ちる。奥から流れてくる空気は冷たく、わずかに金属の匂いが混じっていた。
私は歩幅を小さくし、三歩進むたびに立ち止まって耳を澄ます。
遠くで、規則的ではない反響音。
罠の残響か、誰かの足音か、まだ判別できない。
「焦らない。焦ったら、見落とす」
自分に言い聞かせるように呟き、手帳に通路幅と刻印の位置を記していく。恐怖で視野が狭くなると、必要な情報まで見えなくなる。だから、記録する。記録して、思考を地面につなぐ。
ふと、左袖の端に裂け目があることに気づいた。崩落の瞬間についたものだろう。指先でなぞると、そこに確かに「生き延びた」手触りがあった。
私は灯りを少し高く掲げる。
「待ってて。必ず合流する」
壁に言葉が吸い込まれ、遅れて小さな反響が返った。私はその反響に背中を押されるように、さらに一歩、暗闇の奥へ進んだ。
**次回予告**
侯爵と再会。心配そうに抱きしめられる。「無事で良かった」という安堵の声。二人で協力して先に進む。
第110話「再会」をお楽しみに!




