第106話: 潜入計画
朝の作戦室は、張りつめた静けさに包まれていた。
机いっぱいに広げられた地図には、昨夜決まった遺跡候補——北東山間部の峡谷跡——に赤い印が重ねられている。余白の「旧研究区画」「封印炉跡」という書き込みが、FS-06とFS-53の断片をひとつに結んでいた。
「侵入は南側の崩落口。脱出は西尾根の旧搬路を第一候補にします」
フィリップさんの説明に、侯爵様が短く頷く。
「合図は三段。撤退合図を最優先だ」
私は最後の確認として、ことりに簡易シミュレーションを依頼した。
> 遺跡A潜入時の接触確率と、撤退成功率を簡易計算して。
【ことり】
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確率: 74%
簡易シミュレーション結果を表示します。
・外縁部での敵接触確率: 38%
・内部封鎖発生確率: 42%
・第一候補経路での撤退成功率: 74%
注記: 地形変化により誤差が生じる可能性があります。
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[魔力: 140/150 (-10)]
数字を見ても、指先は震えなかった。怖さを抱えたまま、私は立てる。
侯爵様が全員を見渡し、静かに告げた。
「必ず全員で帰る」
その一言で、部屋の緊張は覚悟へ変わった。
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中庭には、やわらかな朝の光が落ちていた。
出発前の私たちを、リリーとメイドたちが並んで見送ってくれる。リリーは笑おうとして、でもうまく笑いきれない顔で私の前に立った。
「……絶対、無事に帰ってきて。約束して」
「うん。約束する」
私が頷くと、リリーは小さく息を吐いて、目元をこすった。泣かないように堪えているのが分かる。
メイドたちは胸元で手を組み、静かに祈りの言葉を唱えていた。朝の風に白いエプロンの裾が揺れ、祈りの気配が庭全体を包んでいく。
マーガレットさんが一歩近づき、私の手をそっと包んだ。
「お嬢様、あなたなら大丈夫です」
短い言葉だった。でも、背中を押すには十分だった。
私は胸の前で手を重ね、皆の顔を順に見つめる。ここには、守りたい場所がある。帰ってくるべき人たちがいる。
「行ってきます」
温かな別れの中で、私の決意はさらに深く沈んでいった。
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昼、馬車乗り場で最終の役割確認を行った。
先導と前衛警戒は侯爵様、地形解析はセレスティアさん、後方監視はフィリップさん。私は全体判断と緊急時の魔法対応を担う。
「連携は三十息ごとに状況共有。通信札は必ず二重で」
フィリップさんの確認に、全員が頷いた。
私は念のため、ことりに短いリスク予測だけを出させる。
【ことり】
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確率: 71%
最新予測: 主要リスクは地形崩落と視界不良です。行程前半は低リスク、日没以降に危険度が上昇します。
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侯爵様が私の手を取り、低い声で言った。
「君を信じている」
私は小さく頷く。
——私も、侯爵様を信じてる。
声には出さなかったけれど、その思いは伝わった気がした。
やがて御者が一度だけ合図を送り、馬車の車輪が静かに点検される光景が残った。
しかし、出発は翌朝未明に改めて設定されている――今は最終確認と見送りの時間だ。
リリーとメイドたちは門前で祈りを捧げ、短い言葉を交わして私たちを送り出す準備を整える。私は一人ひとりの顔を見返し、皆の祈りと願いを胸に刻んだ。
夜は屋敷で装備の点検を終え、短い休息をとる。明け方、再び集まって最終出発の合図を待つ──その瞬間に、私たちは改めて互いの無事を願った。
その夜、私は寝台に横になってもすぐには眠れなかった。
窓の外では、風が屋根を撫でる音がしている。遠くで交代の鐘が一度だけ鳴り、時間が確かに進んでいることを告げた。
私は目を閉じ、今日交わした言葉を思い返す。
「必ず全員で帰る」
侯爵様の声。
「絶対、無事に帰ってきて」
リリーの祈り。
「あなたなら大丈夫」
マーガレットさんの温かい手。
不安は消えない。でも、不安の中でも立てるようになったのは、きっと一人じゃないからだ。
私は毛布を肩まで引き上げ、深く息を吐く。
——明日、前に進む。
そして必ず、帰ってくる。
**次回予告**
侯爵とエリアナが二人きりで話す。「君を失いたくない」「私も、あなたを失いたくない」と想いを確認し合う。
第107話「出発前夜」をお楽しみに!




