第102話: 休息
朝の光が、庭園の草花をやさしく照らしていた。
私は侯爵様に誘われ、屋敷の庭園をゆっくりと歩いていた。昨夜の緊張と安堵の余韻が、まだ胸の奥に残っている。けれど、今はただ、朝の空気の清々しさと、花の香り、鳥のさえずりに心が癒されていく。
「歩くの、辛くないか?」
侯爵様が私の歩調に合わせて、静かに尋ねてくれる。その声は、どこまでも穏やかだった。
「大丈夫です。……ありがとうございます」
私は小さく礼を言う。侯爵様は、私の顔を見て、ふっと微笑んだ。
「君が無事で何よりだ」
その一言が、胸に深く染み渡る。
言葉は少なくても、侯爵様の視線や仕草が、私を包み込んでくれる。私は、この平穏がずっと続けばいいのに、と心から願った。
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庭園散歩の後、食堂で朝食をとる。
テーブルには、焼きたてのパンと温かいスープ、季節の果物が並んでいる。リリーも少し元気を取り戻し、私たちと一緒に席についた。
「エリー、パンおいしいよ!」
リリーが笑顔でパンを頬張る。その姿に、私は思わず微笑んだ。
「本当に、久しぶりに普通の朝って感じがします」
侯爵様も、メイド長も、穏やかな表情で食卓を囲んでいる。
「皆が揃っていることが、何より幸せです」
私がそう言うと、メイド長が優しく頷いた。
「リリア様も、もう大丈夫そうですね」
「はい!もう心配いらないよ」
リリーの明るい声に、安心ビートが広がる。
侯爵様は、私の食事の進み具合をさりげなく見守ってくれている。その優しさに、私はまた心が温かくなった。
この時間が、ずっと続けばいいのに——そう思わずにはいられなかった。
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朝食の後、私はリリーの部屋を訪れた。メイド長と一緒に、リリーの容体を再確認する。
「エリー、もう大丈夫だから、そんなに心配しないで」
リリーは少し顔色が戻り、私に微笑みかける。
「でも、無理はしないでね。……本当に、守ってくれてありがとう」
私はリリーの手をそっと握った。リリーの手は温かく、私の不安をやさしく溶かしてくれる。
「ありがとう、エリー。私も、エリーがいてくれて嬉しい」
メイド長が静かに見守る中、私は安堵と感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
そのとき、扉の外から侯爵様が静かに顔を覗かせた。
「リリアさん、無理はしていませんか?」
「はい、もう大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
侯爵様は微笑みながらも、ふと手を握りしめる。その指先が、ほんの少し震えているのを私は見逃さなかった。
(……やっぱり、侯爵様の呪いはまだ続いているんだ)
侯爵様はすぐに手を隠すようにして、私たちに優しい視線を向けた。
私は、皆のためにもっと強くなりたい、と心の中で静かに誓った。
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夕方、屋敷のバルコニーに出ると、空が茜色に染まっていた。
私は侯爵様と並んで、しばらく無言で夕焼けを眺めていた。
「明日から、また忙しくなる」
侯爵様がぽつりと呟く。
「私も、力になりたいです」
私が静かに返すと、侯爵様は優しく微笑んだ。
「無理はしないで」
その言葉に、私は心の中で「あなたがいるから大丈夫」とそっと呟いた。
この屋敷が、皆の居場所であり続けますように——私は、そう祈るように目を閉じた。
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夜、自室に戻った私は、窓辺で湯気の立つカップを両手で包んだ。
ハーブのやさしい香りが、昼間まで胸に残っていた緊張をほどいていく。廊下の向こうでは、メイドたちの足音が小さく行き交い、屋敷がちゃんと息をしていることを教えてくれた。
私は日記を開き、短い言葉を綴る。
「今日は、休めた。皆の笑顔を見られた」
それだけの一文なのに、なぜだか涙がにじんだ。戦いの最中には、こんな当たり前の夜が、どれほど尊いものか分からなくなる。
ノックの音がして、侯爵様が扉越しに低く言った。
「もう休んでくれ。明日も君が笑っていてくれると助かる」
「はい。侯爵様も、どうかお休みください」
短いやり取りの後、私は毛布にくるまり、胸の中でそっと誓う。
——平穏を守るために、私はまた立ち上がる。
静かな夜気に耳を澄ませながら、私はゆっくりと目を閉じた。
**次回予告**
全員で今後の戦略を協議。防御を固めるか、攻勢に出るか。エリアナが積極策を提案。「結社の本拠地を突き止め、先制攻撃」。
第103話「戦略会議」をお楽しみに!




