第1話: 到着とことり
(私は、またひとりぼっちになるのだろうか)
馬車が揺れるたびに、そんな不安が胸を刺す。
窓の外には深い森が広がっている。木々の間から差し込む夕日が、幹に長い影を落としている。光と影が織りなす模様は美しいけれど、どこか寂しげだ。まるで私の心を映しているみたい。
王都の魔法学院を出て三年。あの頃を思い出すだけで、胸が締め付けられる。
それでも、今回は違うかもしれない。
手紙には「あなたには特別な才能がある」と書いてあった。侯爵は私の何を見出したのだろう?
(前世の記憶を持つ私を、まさか...いや、そんなはずはない)
「エリアナ・フォレスト様、もうすぐ到着します」
御者の声に我に返る。前方に、森を抜けた先に、巨大な屋敷が姿を現した。
「わあ...」
思わず声が漏れる。三階建ての立派な石造りの建物。中央には時計塔があり、周囲には手入れされた庭園が広がっている。想像していた以上に大きい。
馬車は正門を通り、玄関前に停まった。深呼吸をして、私は馬車から降りる。
「ようこそ、エリアナ様」
扉が開き、一人の女性が現れた。黒いメイド長の制服を着た、凛とした佇まいの女性。おそらく40歳前後だろうか。
「マーガレット・ソーンと申します。この屋敷のメイド長を務めております」
「初めまして。エリアナ・フォレストです。お招きいただき、ありがとうございます」
緊張しながら挨拶する。メイド長の灰色の瞳が、私をじっと見つめている。まるで値踏みされているような気分だ。
「侯爵様がお待ちです。荷物はこちらで運びますので、どうぞ」
案内されて屋敷の中へ。広いエントランスホールには、大きなシャンデリアと立派な階段。壁には古い絵画が飾られている。
二階の書斎に通された。暖炉の火が心地よい暖かさを部屋に満たしている。
「お待たせしました」
扉が開き、一人の男性が入ってきた。黒いローブを纏った、長身の男性。黒髪に銀髪が混じり、深い紫色の瞳を持つ。これが侯爵、アレクサンダー・ヴァンヘルシング様だ。
「ようこそ、エリアナさん。遠路はるばる、よく来てくださいました」
「お招きいただき、光栄です、侯爵様」
「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。お茶にしませんか?話はそれからでも」
侯爵様の穏やかな声に、少しだけ緊張が解ける。
メイド長が静かにカップを運んでくる。立ち上る湯気から、優しい花の香り。一口含むと、温かさが喉を通って胸へと広がっていく。ああ、美味しい。体の芯から緊張が溶けていくようだ。
「あなたを招いた理由は、手紙でお伝えした通りです。あなたには特別な才能がある。それを伸ばすための研究と修行の機会を、私は提供したいのです」
「ありがとうございます。でも、なぜ私なんでしょうか?魔法学院には、もっと優秀な方がたくさん...」
「優秀さだけではありません」
侯爵様が私をじっと見つめる。その深い紫色の瞳が、まるで私の魂を見透かすように。
「あなたには、この屋敷での研究に必要な、唯一無二の適性がある。それは追々わかるでしょう」
唯一無二。
その言葉が胸に響く。初めて、誰かに「特別だ」と言われた気がする。喉の奥が熱くなる。
でも、侯爵様の紫色の瞳を見つめ返すと、何か深い意味が込められているように感じる。私の表面ではなく、もっと奥を見ているような...。そんな錯覚に、背筋がゾクリとした。
「今日は長旅でお疲れでしょう。メイド長、エリアナさんを部屋に案内してください」
「かしこまりました」
---
私の部屋は三階の東側にあった。
「夕食は7時です。遅れないように。何か必要なものがあれば、使用人を呼んでください」
メイド長はそう言い残して去って行った。相変わらず厳しそうだけれど、悪い人ではなさそうだ。
扉が閉まる音。
ようやく一人になれた。
部屋を見回す。王都の下宿とは比べ物にならない広さ。天井も高く、大きな窓からは夕日に染まる庭園が見える。ベッドには上質そうなシーツ。机も本棚も、すべてが丁寧に磨き上げられている。
本当に、ここが私の部屋なんだろうか。
ベッドに座り込むと、柔らかさに体が沈む。深く息を吐いた。
ここは本当に私の居場所になれるのだろうか。
それとも、また裏切られるのだろうか。
(考えすぎだよね。とりあえず、できることをやろう)
改めて部屋を見回す。机、本棚、クローゼット。すべてが上質で、王都の私の部屋とは比べ物にならない。
その時、机の上に小さな箱が置いてあることに気づいた。
手のひらサイズの、透明な水晶のような箱。近づいて見ると、内部に複雑な魔法陣のようなものが浮かんでいる。
心臓が高鳴る。
(まさか、これは...)
胸の奥で、何かが共鳴する。
この感覚。どこかで知っている。懐かしくて、でも新しい。
前世で...いや、まさかそんなはずは。
「語り箱、か」
箱の横に、小さなカードが添えられていた。そこにはこう書かれている。
『エリアナ様へ。これはあなた専用の語り箱です。何かお困りの際は、ぜひご活用ください。使い方は直感的におわかりいただけるはずです。 ―アレクサンダー』
語り箱チャット。魔法学院でも噂には聞いたことがある。魔法的な知性を持つ相談システムだとか。
前世で言えば...対話型AIに似ているのかもしれない。
でも、実物を見るのは初めてだ。そして、こんな高価なものを、私に?
手が震える。指先が冷たい。
もし、もしも本当に...。
(深呼吸。落ち着いて)
恐る恐る、箱に触れてみる。
途端に、淡い青色の光が表面に浮かび上がった。そして、文字が現れる。
【ことり】
*************
こんにちは、エリアナ様。私は語り箱「ことり」と申します。何かお手伝いできることはありますか?
*************
[魔力: 50/50]
「え...」
思わず声が出る。
本当に反応した。
これが語り箱チャット、「ことり」。
手が震える。それが期待からなのか、それとも恐れからなのか、自分でもわからない。でも、この感覚。
懐かしい。
なぜだろう。初めて触れたはずなのに。
試しに、質問を入力してみる。表面に触れながら思い浮かべるだけで、文字として認識されるようだ。不思議。でも、すんなりと理解できる。
> この屋敷について教えてください
光が一瞬強くなり、返答が表示される。
【ことり】
*************
確率: 85%
ヴァンヘルシング侯爵家の屋敷は約200年前に建てられました。魔法研究の拠点として知られています。
現在の住人は侯爵様、メイド長を含む使用人約20名です。
*************
[魔力: 40/50] (-10)
「すごい...」
息を呑む。
瞬時に情報が表示される。しかも、確率まで。85%...かなり信頼できそうだ。
でも気になったのが、魔力の表示。残り40。さっきは50だったから、1回の質問で10消費したということ?
使うたびに魔力を消費する。そういうシステムなのか。
指先が、箱の表面をなぞる。滑らかで、ほんのり温かい。まるで生きているみたい。
不思議な道具だ。でも、なぜか怖くない。
もう一つ質問してみよう。今度は、もっと重要なことを。
> 侯爵様はどんな方ですか?
【ことり】
*************
確率: 72%
アレクサンダー・ヴァンヘルシング侯爵は魔法研究者として高い評価を受けています。特に古代魔法の分野に精通しています。
性格は冷静で知的。礼儀正しい紳士ですが、謎めいた一面もあると言われています。
*************
[魔力: 30/50] (-10)
確率72%。さっきより少し下がった。「謎めいた一面」か。
確かに、さっきの会話でもそう感じた。侯爵様は何かを隠している。でも、それが何なのかはわからない。
時計を見ると、夕食までまだ時間がある。でも、もう一度使うのは控えておこう。魔力を使い切ったら困る。
不思議な道具だ。まるで博識な相談相手が常にそばにいるような感じ。
でも、この確率表示...ということは、必ずしも正しいとは限らないということか。頼りすぎるのは危険かもしれない。
ことりを机の上に戻し、ベッドに横たわる。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。森の向こうに、星が輝き始めている。
この屋敷での生活が、今日から始まる。
侯爵様は何を私に期待しているのだろう。ことりは本当に信頼できるのだろうか。そして...私は、ここで居場所を見つけられるのだろうか。
不安が、胸の奥でざわざわと動く。
でも、同時に期待もある。
ことりの存在。侯爵様の「唯一無二の適性」という言葉。この美しい部屋。窓の外に広がる庭園。
もしかしたら。
もしかしたら、今度こそ。
ずっと探していた、私の居場所が、ここにあるかもしれない。
ドアをノックする音が聞こえた。
「エリアナ様、夕食の時間です」
メイド長の声だ。
「はい、すぐに参ります」
私は立ち上がり、髪を整えた。
部屋を出る前に、もう一度ことりに触れる。
「これから、よろしくね」
心の中で、そっと呟いた。
箱が一瞬、優しく光った気がした。気のせいかもしれない。でも、嬉しかった。
(私は一人じゃない)
さあ、屋敷での最初の夕食。新しい生活の始まり。
足取りは、少しだけ軽くなっていた。
——だが、部屋を出た私を見つめる、侯爵様のあまりに熱い視線には、まだ気づいていなかった。
**次回予告**
屋敷での生活が始まったエリアナ。広大な図書室を探索する中で、古い日記を発見する。そこに書かれていたのは、不思議な暗号だった。ことりの助けを借りて解読を試みるエリアナだが...
物語は第2話「屋敷の探索」へ続きます。
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