第10話 影の女・坂口愛衣
結局、事故処理に相当時間を要したが、セーフティーカー先導でゴールと言う結果にはならず、セーフティーカー先導スタートでラスト15周に短縮と言う形でレースが再開された。
坂口拓洋はほっと、肩を撫でおろした。
せっかく、小岩剣が見ているのに、こんなあっけない終わり方では、確かにS660のワンメークレースに付随する格好とは言え、せっかく群馬から遠路はるばる富士スピードウェイまで来たのに可哀想だと思ったからだ。
セーフティーカーが退いて、レース再開。
パナソニックブリッジを通過して、TGRへの飛び込み。
前にいる4台が団子のまま。
TGRを立ち上がり、コカコーラコーナーへの間で、坂口拓洋は一挙に6番手に躍り出ると、100Rでインから、LEONをオーバーテイクし、アドバンヘアピンでグッドスマイル初音ミクAMGをも抜き、5番手に浮上。
「ちょっと!欲出さないでよね!」
坂口愛衣が無線を飛ばす。
戻って来て残り14周。トップはSUBARU BRZ。2番手に埼玉トヨペットGRスープラ。3番手シンティアムGRスープラ。4番手、アップガレージNSXという隊列だ。
(アホめ。俺はアホの仲間じゃねえんだ。同士討ちなんてバカみてぇな事して溜まるか!)
坂口拓洋はアップガレージをどこで抜くかと探る。
坂口拓洋は今季初の表彰台を狙っていた。
ポイントこそ少数ながら稼いではいたが、やはり目立つ活躍がなければ、この不景気な時世の中、チームをサポートするスポンサー企業は良い顔をしてくれないだろう。
(10番手から表彰台へ這い上がるのはかなり厳しい。状況をひっくり返す一手なんてない。僅かなチャンスをものに出来るか。それが勝負を決める。どこぞの金ですべて解決するようなボンクラスーパーフォーミュラのような事をすれば、それはスポーツではない。)
坂口拓洋は後方から来たGT500のスリップストリームに乗って、ほんの0.1秒ずつでも、前との差を詰めて行く。
ホワイトレーシングプロジェクトで、注目を浴びているのは、やはり女性レーシングドライバーである坂口愛衣なのだが、所詮は女性という事で注目されているだけであり、実際の所、大健闘しているのは坂口拓洋なのだ。そうでなければ、来シーズン、GT500に他チームからスポット参戦のオファーなど来るはずもない。
坂口愛衣は拓洋を快く送り出すつもりでいるのだが、その裏で「外の世界を知った拓洋が、敵前逃亡して寝返るか、或いは、自分の見えない場所から、生まれ故郷へ帰りはしないか」と不安視していた。
残り10周。
勝負は膠着状態だ。
徐々に、4番手との差を詰めてはいるが、あと一歩が足りない。
「落ち着いて行け。」
と、無線通信するのは、元TOYOTA所属のレーシングドライバー大山神威。
大山神威はレクサスLC500でGT500を戦っていたが、所属チームが倒産し、行き場を失った所を、ホワイトレーシングプロジェクトに拾われたのだ。そして、今は坂口拓洋の後ろ盾である。
「現状、4位と3位が接近して争っている。争い始めると途端にペースが落ちる。そこが狙い目だ。」
「了解です。」
「今のペースで行けば、残り2周で追い付く。追い付いた後のチャンスは自分で見付けろ。」
予想通りの展開になった。
残り2周。
坂口拓洋は3位争いに加わっていた。
(さて、どう攻略するかだが―。)
坂口拓洋、一瞬で戦略を組み立てる。
(行くなら得意のコカ・コーラコーナーのインからの飛び込みで!)
コカ・コーラコーナー。
ここで、アップガレージNSXをインから差した。
そして、その勢いで、100RでシンティアムGRスープラとサイドバイサイド。
「大山さん。そこに小岩剣が居るはずです。無線に出て貰ってください。」
「あっああ―。」
大山神威が小岩剣に「無線に出ろ」と言う。
「えっ?」
「なんだか知んねぇけど。」
大山神威も解らないと言ったようだ。
「つるぎです。」
「どう見えるね。」
「レースの戦略についてでしょうか?」
「今の姿。」
「そうですね―。」
その時、拓洋がメインストレートを通過。いよいよファイナルラップ。現状4位だ。だが、GT300で最も激しく争っているため、ピエール北川氏の実況も時折こちらに注目している。
「今の拓洋さんは、自分の目指す場所です。自分も、そこへ行きたい。そう思います。行けるでしょうか?」
「そうだなぁ。」
サイドバイサイドになったシンティアムGRスープラと拓洋は100Rでタイヤとタイヤが引っ付きそうになる。
「行ける。」
と、拓洋は言った。
「えっ?」
「つるぎ」と、拓洋は初めて、小岩剣を下の名前で呼んだ。
「いいかつるぎ。そうやって「そこへ行けるかな?」って考えているうちは、何をどうやったって行けないまま。俺はここ、FSWでそれを知った。「チェッカーを受けられるかな」って思ったまま走って、痛い目に逢って大泣きして逃げ出していた。だから、どうすればFSWを走れるのか?どうすればFSWでチェッカーを受けられるのかを調べ、そのために努力を積んだ。愛衣にも引っ張られ、蹴られ、殴られながら。そして、「そこへ行けるかな」って言う疑問系で考えていた事が、ある日「行ける!」って思えるようになった。そして、そうなった時、俺はFSWでチェッカーを受けることが出来た。」
拓洋、現在アドバンコーナー立ち上がり。
変わらず300Rでサイドバイサイド。だが、抜けない。
「要するに、「行けるかな」って疑問系で考えるな。「行ける!」って思えるようになれ。俺は今、3位表彰台獲得の確信がある。それでダメなら、なぜダメなのかを考え、次に備える。それの繰り返し。レースの世界は、そういう世界だ。」
最終コーナー。
拓洋、ここでシンティアムGRスープラと立ち上がり勝負。僅かに軽いホワイトレーシングプロジェクトNSX‐GT3が、立ち上がりで僅かに前に出た。
そして、チェッカーを受けた拓洋は3位表彰台を本当に獲得してしまったのだ。
ホワイトレーシングプロジェクトのピットは大歓声を上げ大騒ぎになった。
「なっ?言っただろう。つるぎ。」
「―。ええ。本当に、凄いです。拓洋さん。」
表彰式を見た小岩剣。
坂口拓洋に、
「今日はこの後どうするので?」
と聞く。
「箱根支部には帰らず、秩父に行く。ほら、お祭りだから。」
「あぁ。秩父夜祭。」
と、小岩剣が頷く。その横で坂口愛衣が、
「でも、秩父に住むのに未だ、夜祭の祭囃子が打てない。蕎麦は打てるのに。」
と言う。
「そういえば―。」
小岩剣は公式パンフレットの中にある疑問点を見付けていた。
それは、坂口拓洋の出身地が不明なのだ。
そのことを聞いた。
秩父夜祭の祭囃子は打てないが、祭囃子が打てないから秩父出身と言えないのだろうか?それだけ、秩父夜祭の祭囃子が打てない事が秩父にとって重大な物なのだろうか?
確かに、秩父のアニメでは眼鏡っ子がコバトンのストラップを付けていたり、バイト仲間が秩父源流水を主人公に渡したりと、秩父の名物名産を身に着けているシーンが多々あるが、坂口愛衣もアニメと同じかと言うと、そうではない。
別に小岩剣のように記憶を無くして自分の出身地が分からなくなったのでもないのなら、例え秩父夜祭の祭囃子が打てなくとも、堂々と秩父出身と言えばいい。
しかし、そのことを言うと坂口拓洋ではなくて、坂口愛衣が目を強張らせ、小岩剣の首根っこに掴みかかる。
「その件、言ってならない。」
「えっ―。でも―。」
「でもへちまも無い!」
「自分は記憶を無くして、自分の生まれ故郷が分からなくなった時がありました。しかし、拓洋さんは秩父出身なのでしょう?なら堂々と秩父出身と名乗ればいいです!名乗れる故郷があるのが羨ましいです自分は!」
しかし、坂口拓洋は愛衣に気付かれないよう、小さく首を横に振った。
「あっ―。拓洋さんはもしや、隣の横瀬、或いは飯能?熊谷?」
「それ以上聞いたら殺す!」
とうとう首を絞め始めた坂口愛衣。
「ちょっとやめて!」
東郷日奈子と恵令奈が飛んできて止めに入る。
「大丈夫?」
玲愛が小岩剣に寄り沿い、
「拓洋の生まれ故郷を聞いてはならないの。愛衣が許さないの。それは、レーシングドライバーのみならず、モータースポーツファンや、関係者の中でも暗黙の了解よ。」
と、耳打ち。
「どうして?」
「詳しい事は知らない。でもね、拓洋と愛衣のヘルメットのエンブレムを見て見ると変な事がある。そして、これは噂なんだけど、拓洋は愛衣の婿と言うけど、実際には愛衣は拓洋を拉致監禁して、秩父の人間に仕立て上げた上、レーシングドライバーに仕立て上げたらしい。拓洋は自分の意志で走っているのではないのよ。」
小岩剣は先ほどまで、富士スピードウェイと言う巨大なサーキットをスーパーGTマシンで駆け抜けていた坂口拓洋の姿と、その噂のギャップに襲われる。
拉致監禁調教の末、監禁犯の愛衣を上回る成績を残した。それは、勝ちたいと言う意志からでは無いのだろうか?
或いは、監禁される檻から逃げようとしているのだろうか?
それでも、坂口拓洋は坂口愛衣から逃げられないのではないのだろうか?
坂口愛衣は白雪アンナと何か話すと、小岩剣に歩み寄る。
「暴力ふるってごめん。」
と謝ると、拓洋に何か言う。
その刹那、拓洋は小岩剣を哀れな目で見たのだった。




