01-02 デバイス
バンっと派手な音を立ててドアを開いたのは――カイの弟であるトシだった。
「兄さん、今何時だと思ってんの!?」
突き抜けるような快活な声にカイは圧されて後ずさる。トシはそんなカイにカバンを投げ渡してきた。
「今日はソーシャルの科目がある日だろ? ほら、行くぞ! 俺まで遅れちまう!」
カイは何か言い返そうとして――やめた。無用な争いはしたくない。大声を出さないでほしいだとか、いきなり入ってこないでほしいだとか、不満はあるけれど言葉にすればきっと角が立ってしまうから。
言葉には力がある。その使い方を誤ってしまうぐらいなら、いっそ使わないほうがマシだ。積極的な弟に対して微妙にやりづらさを感じながら、カイは外の世界に引きずり出されていく。
『Infinityがお知らせします。本日は快晴。気温は過ごしやすい42度となっております』
玄関のドアをくぐる直前に作動したリマインダーが、今日の天気がデバイスを装着した耳元で告げられる。そのまま祖父母と同居しているマンションから出ると、予報通りの快晴がカイを出むかえた。
街中の人間がそうしているようにデバイスメガネを目元にかけると、至る所に設置された画像コードが視界内でスキャンされた。スキャン後に現れたのは、現実世界に重ねるように投影されたホログラム広告たちだ。
『自動翻訳による世界同時公開! あの名作を元にした最新作がついに登場!』
『我々は最先端だ。君の脳内を世界に見せつけろ』
『娯楽は遊びじゃない! プロフェッショナルを育てるならクリエイタースクールへ』
やはりエンタメを推し進める国策もあって、エンタメ産業を主軸とした広告が目立つ。今やエンタメはこの国の主力産業だ。だが、ここまで来るとまるで一握りの勝ち組のために、クリエイターがアイディアを消費されているかのようで、あまり良い気分はしない。
そうは思っていても誰もが口に出さない。当然、言葉を慎重に選ぶカイはこれについて語らないことにしていた。
「てか晩飯も食ったの? 顔色悪いじゃん」
「……僕は元々この顔色だよ」
「ほらこれ食えよ、栄養レーション。売り切れ続出の新作だぞー?」
パッケージングされたスティック状の食べ物を目の前で振られ、カイはそれからそっと目を逸らす。ネットで見たことがある。これはケミカルすぎる味が不評でレビューが荒れていた商品だ。弟にからかわれているのを察し、だけどそれに対して穏便に怒る言葉も思いつかずにカイは沈黙した。
「もしかしてレビュー激悪のやつだって知ってた?」
「……うん」
「へへっ、つまんねー」
軽い笑顔を浮かべながら、トシはレーションの包装をちぎる。それを口に入れて噛みちぎり、うげえと舌を出した。
『Brain innovation ~ ONE』
バス停のパーテーションに映し出されたサイネージ広告。もはや世界のインフラの一部と化しつつある脳機能補助デバイス『Infinity』を作り出したのがこのONEという他国の企業だ。この国では人口の実に八割以上がこのデバイスの恩恵を受けていると言われている。デバイスをつけていないのは最新技術の不信論者と、時代についていくことを諦めた人々ぐらいだ。実際、カイもイヤホン型とメガネ型のInfinityデバイスを今も身につけていた。
「大体兄さんはさぁー」
「…………」
うつむいて歩くうちに、最寄りの中央バスステーションへとたどり着く。日課とも言える弟の小言に対して聞こえないふりをして、カイはさっさと自動運転バスへと乗り込んだ。当然、『Infinity』によって支払いも自動で行われる。
文字通り滑るように進みはじめる自動運転バスは、数分もしないうちに地下三番国道へと滑り込んだ。現在、この街の都心部では地上を走る車は少数派だ。人々の安全と敷地面積の拡大のために車は地下に張り巡らされた地下国道を走るようになったのだ。やがて地下道の出口から吐き出されたバスは、高校のある街の近くへとたどりついていた。
「兄さんは学校行くの好きじゃないかもだけどさー学校じゃなきゃ得られないものもあるんだぜ?」
そんなのわかっている。ほとんどの奴がアバターを活用してオンライン上で授業に参加できるこのご時世に、今でも登校日があるのがその証拠だ。今日行かなければならないソーシャルの授業がその最たるものだ。対面コミュニケーションを磨くためにどの学校でもこの科目だけは必修になっている。そして、カイはこの科目だけはあまり得意ではなかった。
「例えばほら、兄さんのクラスのなんだっけ? 地味なあいつ、最近彼女できたらしいじゃん? 兄さんだってちゃんと直接目を合わせて話せばもっとさー」
彼女なんて興味ないし、大きなお世話だ。そういう話題は好きじゃない。だけど――ここで不用意に発言して事を荒げるよりはずっといい。
「兄さん、都合が悪いとすぐ話すの嫌がるよなー。そういうのどうかと思うんだけどなー」
分かったような口を聞く弟に、カイは微妙な顔をする。違う。都合が悪い話だから黙っているわけじゃない。恐れているのはもっと別のこと。言葉の使い方を誤ってしまうことなんだから。
言葉には力がある。そして僕は、それを正しくあつかえる自信がない。沈黙するカイにトシはひとつためいきをつくと、自分の席に背中を預け直した。
「わかった、わかったよ。いじめて悪かったからさ。ほら、そろそろ学校だぜ?」
停止時にもほとんど揺れることなく、バスは複合教育タワー「SCRAMBLE Academy」の前で停車する。一際高くそびえたつそのビルは威圧感を放っていた。まるで訪れる学生たちを飲み込もうかとするかのように――。