01-01 言葉
言葉には見えない力がある。それはカイにとってひとつの真実だ。下ろされたブラインドによって外界から遮断された自室で、カイは耳元のデバイスに意識を向けてひとつまばたきをした。とたんに現れた光の帯はカイの目の前で像をむすび、半透明のホログラフとなって浮かび上がる。
表示された自分好みにカスタマイズしたホーム画面に、ニュース一覧が滝のように流れていく。カイはそれを斜めに見送り、常に開いているプログラミングアプリを思考のみで選択した。黒ぬりのウィンドウがポップアップし、「Infinity」のロゴが回転する。数秒後、ロゴは消えさり、カイの前には簡素なエディタだけが残された。
「……さて、どうしようか」
自ら決めた言葉で、作業のための心理的スイッチを入れる。ぽつりとつぶやかれたその言葉を聞いているのは机のすみで丸くなる長毛猫だけだ。その猫――NEOは、うすく目を開いたあと大あくびをした。
言葉には見えない力がある。それは良きにつけ悪しきにつけ確かに存在しているものだ。そして――たいていの場合、人はそれをコントロールできない。
耳元につけられたイヤホン型のウェアラブルデバイス。名称は「Infinity」。それを通じて脳波が読み取られ、AIによって解析されてプログラムコードが記されていく。前時代的なキーボードは必要ない。今ではこうして考えるだけでゲームプログラムを作成することができる。
魔法のように流れていく文字列はよどみなく、プログラミングは順調だ。だが、頭の端にちらつく言い知れない不安が、カイの集中を少しずつそいでいた。言葉は恐ろしい。その恐怖をカイは痛いほど刻みつけられている。
思考をぴたりと止め、作業ウィンドウを閉じる。ダメだ。集中できない。このゲームプログラムで僕は、「言葉」に勝てるようになるかもしれないのに。思考を中断し、ホーム画面に戻る。ほぼ無意識に画像アプリを開いていた。
ホログラムで目の前に浮かび上がる幼い自分と弟と、穏やかな表情をした自分の両親の写真。その表面を指先でなぞり、カイは小さく口を動かした。
「……父さん、母さん」
今はもういない二人を呼ぶ。その言葉は誰にも届かない。モニターごしに見たあの黒煙が、からっぽの二つの棺が、まぶたの裏から離れない。
「…………」
写真のウィンドウを消し、カイはうつむく。すると、揺れたメンタル状態を感じ取ったのか、いつのまにか近くに来ていたNEOがカイに体をすりよせてきた。カイはちらりとNEOを見ると、その耳の後ろを軽くかいてやった。
「お前はどう思う、NEO?」
「ニャア」
人とは異なる言語の鳴き声が返ってくる。だけど、このほうが気楽だ。人に言葉を聞かせるのは、どうしても抵抗があるから。
ガタガタッ! と背後のドアが乱暴に揺れる音がしたのはその時だった。