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第四話 戴冠式という名の白紙委任状

 

 戴冠式。奏は舞台袖から会場の様子をのぞき込む。


「流石は世界に冠たるビスケット。うらやましい限りだ」


 これは、会場のざわめきの一つであった。


 菓子世界の各国は、未だ新たな君主を探していた。だから、どこの国も必死であった。そんな慌ただしい世界の情勢下、悠々と戴冠式を行える状況は、単純に国民たちに安心と自信を与える。


「これより、世界に冠たるビスケット王国の最高位、国家の象徴たる王女となる、叡智と冷徹さと美貌を併せ持ち、慈悲深き人間様である奏様をお迎えする」


 奏は紹介の内容をはじめて聞く。盛に盛った口上。ちょっと照れくさい感情が湧きたつが、十分も聞いているとだんだん慣れてきた。大主教が十五分も話すのはこれを加味しているのだろうか?


 そして、予定通り静まる会場に先ほどと同じく玉座が月光の下でぼんやりと浮かぶ。


「殿下、行ってらっしゃいませ」


 メリッサは小さな声で合図した。奏は背中に触れる彼女の手をそっと握り返して返事した。身に纏う最高礼装は、新王女の一歩一歩を重々しく演出する。


「奏様、まず戴冠の儀において、菓子の身である私を神の代理人としてお認めいただけますでしょうか」


「はい」


「ありがとうございます」


 大主教の陽気な雰囲気が一気に変わる。


「私はこれより天照大御神の代理人として汝に問う」


 穏やかな口調が暗くなり、照らされる光は後光を纏うようである。まるで本当に神様が乗り移ったように見えるほど空気は張りつめる。流石、大主教である。


「汝はこの戴冠式において、嘘を述べず、偽りを語らず、立てた誓いを御心(みこころ)が健全である限り守り続けることを誓えるか」


「はい」


 今更ながら、奏は緊張してきた。はいと答えるだけ。それに無条件で従うことは、よく考えてみれば、白紙の書面にサインを書くようなものだ。この公の場で契約内容を上乗せされるかもしれない。奏は、今更ながら誓いの内容に神経が集中する。


「汝はビスケット王国の王女として民の模範となり、民が苦しむときに希望を与え、民が迷いしときに道標となり、民が決して諦めぬよう勇気を与え、ビスケット王国の行く末に責任を負うことを誓えるか」


「…」


 民を導くのはわかる。王国の行く末に対する責任とは何であろう。


 王国が成長し輝いているときに責任が問題になることはない。責任を追及するのは必ず悪いときである。


 世界をリードしているこの国は、これ以上成長の余地はない。栄枯盛衰とも盛者必衰とも言われるように、栄光には陰りが存在する。陰ったとき、奏はどうなるのか? これこそが究極のリスクであった。


 任期は二十四年と長い。大きな災害や経済不安や戦争が起こるかもしれない。そんなことに対する責任はどうやってとるのか。


「フフフ…そういうこと」


 奏が悩んでいた答えがここにある。平和な時はそれこそ奏は手を振って笑っていればいい。何もしなくてもだれも責めない。だからこそ、君主は見守るだけでいい。


 そうでない時、奏は初めて国民に必要とされる。答えもなく結論も出ない時。奏が道標となってみんなを前へ進め、危機に責任を負う。


 もし失敗したら? その時は、自分が責任をとればいい。戦争で負けたら謝ればいい。特別な存在である奏なら責任をとれる。そうすれば、少なくともこの国は守れるのだ。人間はいくらでも呼び出せる。そろそろ八十億人にもなる。なら、やばかったら自分を退位させて地球へ送り返せばそれで一件落着である。便利だ。菓子にとってとても便利なエコシステムが人の存在なのだ。奏はようやく納得した。だから彼らは自分たちで権威を持たないのだ。


 つまり、ここで失敗したときの奏の受ける罰は、また元の世界で行われる輪廻(りんね)に戻ること。たったそれだけなのである。何かしなければと思っていた奏たったが、王女なのだからドンと構えればいい。状況が良ければ何もせず、悪ければ責任をとる。


「はい、誓います」


 奏は、現代の輪廻が好きではなかった。普通だからである。不安はないが大して希望もない。ならば、不安も希望もあるこの世界に残ると決めた。


 神妙な雰囲気の大主教が微笑んだように見えた。


「今ここに、二つの誓いは成立した。新たな王女に神よりの祝福と、その証となる冠をビスケット国民の代表たるアーサー・ティプシー・ケーキが贈る」


 宰相が暗闇の中から現れる。そして、奏に冠を差し出す。


「これは、ビスケット王国王女の証であります。この冠により、世界の民は奏様が王女であること深く認識し、決して忘れぬようになります。この冠をビスケット王国の代表として、私、アーサー・ティプシー・ケーキが奏様に献上いたします」


 奏の隣に立つプディング大主教が小さな声で耳打ちする。


「今一度、冠をお確かめくださいませ」


 奏は冠の重さを腕に抱く。国家を導くダイヤの輝きを纏い、それを背負う重みも含んでいる。この冠、さっきよりも軽くなった気がした。王位の重みに対する気後れがなくなったからかもしれない。


「奏様。そろそろ、よろしいですか?」


 奏は冠をそっとプディングに手渡す。


 そして、しばらくして奏の頭に冠が輝く。この国家を背負うものとして奏はようやく自覚した。奏は顔を上げ賓客や国民を見つめる。


(私の使命は、この国を導く名君となること)


 奏の瞳には月光を啜ったような淡い輝きが満ちる。ようやく、彼女の魂に火がともった。


「今、神の代理人の名において宣言する。奏はビスケット王国王女として即位した」


 会場からは大きな拍手が上がる。そして、奏の前で跪く宰相が国家の承認を求める。


「奏様、我らビスケット王国が陛下の治める正統な国家であることをお認め頂き、この私、アーサー・ティプシー・ケーキをビスケット王国の宰相とお認めくださいませ」


「はい」


 宰相ティプシー・ケーキは奏の前に跪き、奏はそっと手を差し伸べる。今度は間違うことなく誓いのキスができた。


「我々ビスケット王国民は本日をもって姫君のスイーツとなることを宣言します」


 奏はビスケット王女としてこの国に即位した。今後、国家の重みにめまいを催し、嫌気がさしたとして、奏はこの日を思い出し、自身に課せられた使命を背負うことになる。



 戴冠式は(つつが)なく終了した。



 式典が終わり、賓客が帰ったころ。古めかしくも大きな写真機を持った男が現れる。


「陛下、お疲れのところ申し訳ありませんが最後にお写真をお願いします」


 奏はもう一度玉座へ戻る。両脇に宰相と大主教が立った。宮廷写真係はてきぱきと照明用のパラソルを組み立て、レフ版が眩しいくらいに白く反射する。


「はい、撮りますよ」


 写真機からバシャリと強いシャッター音がして、辺りが光に包まれる。奏はにわかにこれが夢ではないかと疑った。しかし、幻惑する景色が晴れてもなお、そこに王国は存在した。


「陛下、本日はご即位おめでとうございます。素晴らしい式典でした」


「大主教様のリードのおかげよ」


「ははは。お褒め頂き光栄にございます。さぁ陛下。本日はお疲れでしょう。お休みください」


「えぇ、明日も頑張らないといけないからね」


 奏が玉座から立つ。その時、誰かに呼ばれた気がしたので振り返る。するとメリッサが血相を変えて走ってくるのがわかった。


「ちょっと待ってください! 写真係さんを呼び戻してください!」


「どうしたのメリッサ?」


 ここにビスケット王国の王女と大主教と宰相の三人が一様にきょとんとする事件が起こる。


「奏様、冠の向きが間違っております」


「えっ!」


「向きが反対でございます。お写真撮り直さないといけません!」


「はっはっはっはっ」


 これには、大主教と宰相だけでない。奏も含め一同が笑ったのである。




 奏は何も知らず君主となった。また、理性と感情が激しく葛藤する年頃である。真面目過ぎるきらいもある。しかし、肝は据わっている。国家の理想を目指し真っすぐ歩む力も持っている。


 この時期、スイーツ世界の情勢は混乱期にあった。ビスケットの覇権にも陰りが見え、いくつかの列強国家による挑戦を受けるようになる。世界は帝国主義の様相を呈し、大戦争の陰が迫っていた。


 奏に待っているのは優雅な生活ではない。重く辛い決断と、凡人には到底理解されぬ苦しみが待ち受けている。奏は心の中では迷ってばかりだった。悩みもするし、諦めそうにもなる。帰りたければ写真機でいつでも元の世界に帰れる。しかし、どんなに辛いことがあったとして彼女はこの「役」を投げ出さなかった。


 この物語で描かれる主人公は、やがて、菓子の歴史に名を残す「名君」となる。これは、姫君がスイーツたちと共に作っていくビスケット王国黄金時代最後の物語である。

 

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