第一話 甘党過激派?
学校の入学式が終わり、奏は勧誘された部活動の体験として写真を撮っていた。
奏の瞳が写真機のレンズと重なる。写真機は革張りで黒く大きな箱型だった。見た目からしてとても古いとわかる。
「はい、撮ります」
シャッターを握る先輩の親指に力が入る。
ボン。火薬のような音と強い燐光。いつまでも消えない光が奏を別世界に運んだ。
気づいたらもうそこは別世界。
大きな城の広間の中で、奏はたくさんの跪く人に囲まれている。空間の中でただひとつ、目の前に置いてある写真機だけを知っていた。
一人の紳士が顔を上げて奏を見る。奏も椅子から見下ろすから二人は目が合った。
「ようこそおいでなさいました。我らが菓子の王国へ」
老齢な紳士は優しい笑顔を見せた。とりあえず敵意はないのだろう。だが、全くの見ず知らずの伯父様が何を企んでいるのかは測りかねた。お菓子の国とはどんないたずらであろうか? とりあえずこの人たちは尋常でないほど怪しい。
「お邪魔します」
よくわからない時ほど情報収集は大切である。とりあえず相手の出方を伺ってみる。
「お初にお目にかかり光栄であります。私はアーサー=ティプシー・ケーキと申します。役職はビスケット王国の宰相にございます。以後、お見知りおきを賜りたくお願い申し上げます」
宰相とは要するに国の責任者である。日本で言えば総理大臣に相当するだろう。そんなに偉い人が普通の女子高生相手に、王族と接するような丁寧な言葉づかいである。
「ご丁寧にありがとうございます」
「突然お呼び出ししてしまいご不興賜ることと申し上げますが、もうしばらくお付き合いいただけませんでしょうか?」
「えぇ、私も聞きたいことがあります」
「はい。お伺いいたします」
「ここはどこ?」
「ここはスイーツの世界にございます」
そのお菓子の世界は、地球からは測りようもないほど遠い場所にあって、始祖の人間パティシエ様の作った菓子の世界だという。まるで、おとぎの国である。確かに何かバターでも焼いたような甘い匂いが漂っている気がする。
奏は騙されているなら、この場所が本当に異世界であるほうが良いと思った。
中途半端にここが地球だとしたら、奏はカルト教団か何かに捕らえられた状態だ。きっと、こいつらは全員甘党過激派に違いない。
「えっと、招待してもらっていきなりこんなこと聞いて申し訳ないのだけど、帰る方法はありますか?」
「はい。お帰りになるのであれば、こちらの写真機でお戻りいただけます」
奏はふと思い出す。確かに、写真を撮った拍子に魂が抜けるような感触がした。なるほど、魔法か何かで奏の魂だけがこの世界にやってきたということなのだろう。
「ただし、一度地球へ戻るともう一度こちらに帰ってくることはほとんど叶いません」
奏にその発想はなかった。なにせ、奏は地球に帰りたくて仕方ないからである。地球からまたこちらへアクセスしようとは全く思いもよらない発想だった。
逆に、彼らが戻ってこられないことを強調するあたり、この世界にはそれなりのメリットが用意されているのだろう。奏は徐々に相手を出し抜くことに面白さを見出してくる。
「わかりました。一旦信じます。それで、私にはどのような要件ですか」
「はい。端的に申し上げますと、貴方に我が王国の王女になっていただきたいのです」
虫のいい話はされると思っていた。ただ、ぽっと沸いてきた女子高生にそんなお願いするだろうか。甘党過激派に洗脳されて、砂糖テロリストにでもされるのだろうか?
(世界の全てを甘くしてやる! ガハハハ…)
そういうしょうもない想像をして少し虚しくなった奏は周囲を見渡す。
建物は石造りの部屋、高い場所に掲げられたいくつかの肖像画。仕立ての良いスーツの大臣に、衛兵の目立つ赤い服。ごっこ遊びにしてはこだわりすぎている。いたずらでこれだけのエキストラをそろえるのは大変であろう。さらに言えば、普通の女子高生である奏に対してこれだけ手間のかかる悪戯を仕掛けるメリットがない。ユーチューバーのドッキリだとしても明らかにコスパの悪い勝負である。
(だとすればこの話は本物?)
チャンスの神様は以外と平等である。その辺に転がっているともいえる。ただし、チャンスを掴むのは勇気をもって飛び込んだ人だけである。
奏の性格は大人びている。高校に入学したばかりだというのに人間の限界や社会のつまらなさをよくわかっていた。悲観的なストーリーの映画を見過ぎたのかもしれないが、成長して、大人になって、普通の仕事をして、普通の結婚をして、遺伝子を残すための輪廻を紡いでいく。彼女の持つ人生観が、かえって奏に英断のきっかけをもたらす。
(王位につけるならやってみたい。今後の人生にそんなチャンスはないのだから)
これから待ち受ける輪廻という苦しみを想像した奏は、逆に今だけは騙されてもいいという気になった。だから、一体何のために自分にそんな話を持ち掛けるのか、理由が知りたくなった。
「私を王女にする目的はありますか?」
「はい、殿下には王女として即位していただき、国家の象徴として君臨しビスケット王国を承認していただきたいのです」
彼らの要求は想像以上に哲学的だった。「平凡な女子高生が国家を承認してみた」とかいう動画に視聴者が集まるだろうか? やはり、彼らは真面目にこんなこと言っているのだろう。
「私が貴方の国を国家として認めればそれでおしまいですか?」
「あとは、我々と国民の忠誠をお付けいたします。もちろん、王族として生活の保障もさせていただきます」
要求自体はとても簡単であった。なるほど、国民に笑顔だけ振りまいていれば単なる女子高生でも最低限の役には立つのだろう。だからこそ、奏でも良かったのである。
「人様は菓子の創造主にございます。貴方に悪いようには決していたしませんのでどうかお話をお聞きいただきたくお願い申し上げます」
奏は王権神授説という言葉を思い出す。王が国を統治することを国民に納得させるための理論である。なるほど、御神体が実際に姿を現して国を認めると言ったなら、それこそ強い説得力があるのだろう。人間も神様を呼び出せるならこんな風にお願いしたのかもしれない。
「そうすると、私の役割はここに座っているだけかしら?」
「はい、最低限度であれば」
「ふーん」
一転して部屋が静まってしまう。この沈黙は、お願いするのは奏でなくても良い。という意味である。奏しか王位に就けないならば、ナンパよりもしつこく付きまとってくるだろう。だから、ここで面倒な態度をとると、隣の写真機が光ってまた元の学生生活に戻るのだ。
「座っているだけは寂しいから、もっと私に協力できることはないの?」
奏のつぶやくような質問に対して宰相は、にっこりと笑った。
「殿下は変わったお人ですな」
「どういう意味?」
「もちろん、良い意味ですよ」
普通、人間というのは自分が神と同じだと聞けば、ほぼ邪神に成り代わる。神であるのだから、それを良いことにすべて自分の自由だと思うようになる。与えられたら更なる要求ばかりするようになる。
あれが欲しい、これが欲しい。ああしろ、こうしろ。という具合にである。そう言う人間に対する不満を宰相閣下は饒舌に話し始めた。かなり溜まっていそうな感じがとても嘘には見えなかった。
「しかし、殿下は違います。ご自身を神だと認識してなお、我々に与えようとお考えなのです。それこそが、人様の考える善神の姿ではないでしょうか」
菓子たちは、人をとても良く見ている。彼らはたくさんの人間を見ている。人の存在が人間よりも重要な彼らは、人間についてよく研究しているのである。そんな彼らに、
「私、ティプシー・ケーキは宰相の職責を賭して誓えます。殿下こそ名君の器です。ぜひこの国のプリンセスになっていただきたいのです」
と、褒められてしまった。奏の視界が少し明るくなった気がする。
きっと、この菓子たちはいろいろな人にお願いしているはずである。国家の承認を赤の他人にゆだねるスイーツシステムの中で感覚を研ぎ澄ませている。きっと、誰にでも褒め言葉を言っているに違いない。
それでも、奏は「自分こそ」という単語に惹かれてしまった。
「いいわ、私でいいならできることはするわ」
「おぉ」
と、部屋の中がどよめいた。
「ありがとうございます。私も殿下に決めました」
「おぉっー!」
部屋の中は更にどよめく。ティプシー・ケーキ宰相は部屋の隅に待機する三人ほどの係に向かって手で合図した。
「他の人様にはご丁重にお帰り申し上げなさい」
そして、一人の係が奏の目の前のカメラを重そうに持ち上げ、肩に担いで部屋の外へ運んでいく。
(どうやら、選ばれたみたい…)
「慌ただしくて、失礼いたしました」
「いいえ。それで、詳しい話を聞かせてくれますか?」
「もちろんです」
「私はどれくらいの期間、貴方たちを承認すればいいの?」
「最大で二十四年間ご承認いただけますが、殿下のご意思でお帰りになることはいつでも可能です」
妙に長い期間。
「その間の私の体は?」
「ご心配いりません。地球とこちらは時間の進みが異なります。最大二十四年間こちらにいたとして、地球での時間経過は一日にすぎません。貧血で倒れた程度に済みます」
彼の話が本当ならば、特にリスクはない。
「契約成立ね」
「念のため申し上げますが、もしこちらでお亡くなりになった場合は戻れませんぞ」
どうやらこの世で死ぬと現世の奏はフラッシュでショック死したことになるらしい。
「そうね、情けない死因ね。亡骸が綺麗なことが救いかしら」
「ありがとうございます。それでは、今宵には戴冠式を執り行わせていただきます」
奏は出来心でこの国に即位した。二十四年分の記憶をこの世界で作る決心をした。根拠は特にないけれど、せっかくだから菓子のために尽くし良い王女になろうと決めた。
「ところで、殿下のお名前をご教示いただけますでしょうか?」
賑わいだした部屋はまた静まる。緊張していて名乗るのを忘れていた。
「ごめんなさい。私は奏よ。よろしくね」
奏はこのビスケット王国の王女に内定した。
今週もスイーツ世界をご堪能いただきありがとうございます。遥海 策人です。
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チャンスを運んでくるのは大体怪しいやつらです。大抵はセールスや勧誘ですが、たまに良い話もあったりするので、気分転換に怪しい話に乗ってみるのも悪くはないかもしれません。ただ、この時期デマや詐欺など多いので自己責任でお願いします。
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