柚葉の賭け
「何、言って・・・」
柚葉の言葉を聞いたアリスは見て分かるほどに驚いていた。彼のこんな表情も珍しい。
「今はもうこれしか方法がない!私が野獣の背中に乗って、場所を知らせますから、それを目印に叩き斬ってください!あ、もちろん私を避けて!」
柚葉が口で教えて剣を振り回していては、アグラのスピードにはついていけない。傷を負わせることは出来るだろうが、致命傷は与えられないだろう。
それならば直接ここだと知らせた方が話は早い。ただ問題は、柚葉がアグラの背中にうまく乗れるか。そして乗れたとしても、アリス達が倒せるまでそこにしがみついておけるか。この時ばかり蚊になりたいと思ったことはない。
「馬鹿か!そんなことできるわけ・・・っ」
「だったら他にいい案をどうぞ!」
「・・・っ、」
アリスの手にまた力が入る。指が、脇腹にくい込みそうだ。
冷静になればもっと安全な方法などいくらでもあっただろうし、アリスとグレンだけなら、どうとでもなったかもしれない。見えない敵がいる前では、柚葉を抱えておかなければならないことを柚葉自身分かっている。足でまといだから離してと言ってもきかないだろう。
だったら自分も戦えばいい。非戦闘員なりに、力になればいい。
「いいですね?・・・グレンさんも、アリスさんが私をアイツの背中まで運んでくれる間、惹き付けててください」
「ユズハちゃん・・・、でも、どうやって惹き付ければ・・・」
「そちらも私が誘導します。とにかく、言う通りに動いてください」
言葉こそ強く言うが、もちろん自信はない。あるわけないのだ。これは賭けだ。
一国の王子とエースの密偵に指図するほどうまくできるかも分からないのだ。
ただ、今はやるしかない。
どうなるか分からなくても、柚葉が二人を動かさなければならないのを柚葉は分かっている。
「・・・ユズハ、」
ここまで柚葉が押し切れば、アリスももう言い返すことはできなかった。その代わりに、悔しさの滲む声で柚葉の名を呼ぶ。
「・・・大丈夫ですよ。これでも登り棒は得意でしたし」
学校の校庭にあるアレ。
「喧嘩だって割と強いんです」
「そういう問題じゃ・・・」
「そういう問題なんです。凶暴化したいじめっ子を皆で協力してやっつける。そういう問題です」
アリスは否定はしなかったが、肯定もしなかった。ただ、顔が全力で否定しているのが見て取れた。
「・・・あー、でも、そうですね・・・」
柚葉はアリスに眉を下げて笑ってみせた。
「死にそうになったときは遠慮なく助けて下さいね?」
私だって超乗り気でやるんじゃないんだぞ、と。
「─────わかったよ。それで行こう」
アリスは諦めたようにそう頷いた。
ここで言い争っている場合ではない。グレンにも目配せして、意思を伝えたようだ。
「いいか?やることはアグラの位置を知らせるだけだ。それ以上は絶対手を出すな。無茶もするな。大人しくしていろ」
一体どんだけ信用ないんだろう。柚葉はそれに不満そうにしながらも、出しゃばったところで悪い方向にしかいかないことは知っているので、黙って頷いた。
「分かりまし」
「それから、」
柚葉が返事をし終わる前に、言葉が重ねられる、
「危なくなったら必ず教えろ」
その声が妙に真剣だったので、元より危ないことをしに行くんですとは茶化せなかった。
「・・・・・・」
「返事は?」
「痛い痛い痛い痛い!分かりまひた!」
「よし、行くぞ」
柚葉の頬を引っ張る手を、再度腰の辺りに回され、軽く持ち上げられる。さすが細マッチョ、柚葉なんぞ発泡スチロールのようなのだろう。
「どうする?」
「はい・・・野獣は今正面でこちらを睨んできています。グレンさんはこのままここで、その目線もそのままで。今野獣と見つめ合ってますから。恋でも始まりそうですから」
「ええぇぇ・・・人間と恋したいなぁ・・・」
「アリスさん、ここから真っ直ぐ五メートルほど先、野獣に気付かれないように移動できますか?」
「・・・ああ、やってみよう」
アリスはそう言うと、素早く柚葉の示す位置に移動した。野獣は全くこちらを見ていなかったので、大方アリスが気付かれないような魔法でも使ったのだろう。
グレンは見えていないはずなのに、しっかり野獣と目を合わせていた。どんな敵意を向けられているかも分からないのに、野獣の方が慄くような目。彼がこんな目をするとは思わなかった。普段の朗らかな雰囲気からはとても想像できない。
「と、飛びつくので、できるだけ早く斬ってください!」
「分かってる」
まるで今から跳び箱でも跳ぶかのように助走の構えをとると、後ろでアリスが剣を強く握りしめる音がする。大丈夫、跳べるから、思い切って行け。
生唾を飲み込むと、勢いよく駆け出した。
野獣アグラの背中に向かって一直線。
足は速い方だったけど、砂で踏ん張りがきかなくて思ったようなスピードが出ない。
しかも、踏切版もない。
「あい、きゃん、ふらーーーーい!!!!」
そんな掛け声を出したら高く跳べそうな気がして。
「ふごっ!」
上じゃなくて前に跳んでしまっておでこと鼻を強かに打ち付けた。
「いったぁ・・・」
でも無事野獣に辿り着いたようだ。もさもさの毛が体中に纏わりつき、むず痒いやら気持ちいいやら獣臭いやら、いろんな感覚が一気に押し寄せてきた。だが、今はそんなのに構っている暇はない。
野獣が柚葉の飛びついた左後ろ足に違和感を感じてこちらを振り返ったのだ。
「やば、・・・このっ・・・」
体毛に埋もれながら、毛を握りしめてよじよじと上へと登っていく。ぼこぼこしていて、反りかえった腰のところで登るのをあきらめた。とても背中までは辿り着きそうにない。
「アリスさん!!これ以上は進めません!ここ、こいつの左後ろ足だか―――っうわっ!」
「ユズハ!!」
強烈な揺れと共に、柚葉の全身に遠心力がかかってきた。野獣が柚葉を振り落とそうとしているのだ。足は宙に浮き、遊園地の空中ブランコ状態だ。
「うおああああああい!」
「ユズハちゃん!?」
アリスとグレンから見れば柚葉が空中で右へ左へ浮いているように見えていることだろう。
段々と握力がなくなってくるし、何だか揺られすぎて酔ってきた。
「アアアリリリスゥゥさぁぁぁ、ここぉ、左後ろ足ですからぁぁ、私のぉ、右をぉぉ!」
早く。
もう力が入らない。
「ユズハ、目閉じてろ!」
頭で理解するよりも早く、柚葉はぎゅっと瞼を落とした。
肉を引き裂く音と共に、野獣の強烈な叫びと、血がそこらじゅうに飛び散った。




