荒ぶる感情
一体何があったのか。
そう聞くのは地雷を踏むようなものだ。自分の思いつくまま、こんな彼の雰囲気の時に疑問を投げかけると、ろくな事にはならない。長年の経験から、グレンはアリスの取扱説明書を頭に叩き込んでいる。
前の鬼任務という名の嫌がらせを終えた頃、見計らったようにグレンの元へ交信魔法が届いた。一時間以内にナリスの町へ来いとの殿下からのご命令だ。だがしかし、ナリスの町まではどんなに急いでも半日はかかる。それも、走りっぱなしでだ。昔からアリスの無理難題、横暴には慣れているが、今回のはいつもより磨きがかかっている。ああ、相当ご機嫌が麗しくないようだ、とグレンは覚悟を決めてナリスの町へ向かったのだ。
もちろん、一時間では着きようはなかった。約四時間、それだけ縮めただけでも褒めて欲しかった。でもどうせ文句を言われるのだろうと、心のない謝罪を口にしながらアリスの元へ行くと、ただ「来たか」と呟かれただけだった。思わず腹でも壊してんじゃないのかと疑ったが、彼の表情を見て、すぐにそういう事じゃないと分かった。
だって、どこにも柚葉がいないのだ。
状況からいろいろなものを察するのは得意分野だし、それがアリスのこととなれば尚更だ。無駄な確定要素は省き、必要最低限だけを問うことにした。
「それで、心当たりはあるんですか?」
「・・・いや・・・そうだな。思い当たる奴が多すぎて逆に分からん」
「・・・でしょうね」
生贄を攫う容疑者なんて、そこら中にごまんといる。アリスが確証を得られないのも無理はない。
「状況から見て、この町の人間だと思うのが筋でしょうね」
「ああ」
ここは闘技場の近くの店だ。試合はまだ行われているのか、歓声が遠く聞こえている。そこで柚葉はいなくなったと聞いたが、不特定の人間が集まる場所だ。犯人を割り出すには骨が折れるだろう。
だが、アリスの表情を見て、犯人を見つけるのがグレンの仕事ではないと悟った。
「殿下、」
「・・・なんだ」
「顔怖すぎ。瞳孔開いてますよ」
深紺の瞳。
それが割れてしまうんじゃないかとハラハラするほど、その目には怒りと焦りと後悔と叱咤が滲み出ている。横を通った者が、ひっ、と声をあげるのにも構わず外を睨み続けるアリスを纏う空気は、業火さえも一瞬で氷にしてしまうほどの絶対零度。普段あまり顔には出ない彼にしては、ここまで感情をぶつける姿は珍しい。
幼馴染としては、彼にこんな風にさせる存在ができてしまったのは少し妬けてしまうが、悪いことではないのだ。あまり交友関係が広くないアリスにはこんな存在が必要だった。
それが自分だった時代はもう過ぎてしまった。柚葉に出会ったときから、そう確信していた。
「ユズハを捜すぞ」
「───御意」
アリスが捜しているものは、犯人ではなく柚葉だ。
***
砕け散ったドアから視界が塞がる程の黴臭い埃が舞う。その中から姿を現したのは二人の男だった。一人は童顔だが身長はそれなりにある男、もう一人は左手に剣を握りしめた妙に整った顔の男、アステリア国第二王子アリス=ルヴィン。彼は第一王子と違って割と穏やかな性格で、国民には老若男女誰もが一度は心を射抜かれたことがあるという評判だ。
だが、本当だろうか。
もしくは、この男、本当にアリス=ルヴィンだろうか。
とてもじゃないが今の彼は穏やかとはかけ離れている。足を一歩一歩踏み出す度に触れた地面が凍っていきそうな空気を纏っているのだ。地獄からの帰りかと訊きたいが、今息をしたらその手に握る剣で切り刻まれそうだった。心を射抜かれたのではなく、心臓を一突きされたの間違いではないだろうか。
「な、何だお前ら!!どこから入ってきた!?」
勇気ある誰かが震える声で怒鳴る。だが、その疑問も最もだった。
この建物は何重にも結界を張り、普通の人間からは見えはしない。見えたところで入れはしないし、特にこの部屋にはさらに強力な結界が張り巡らされている。
それを、破ってきたとでもいうのだろうか。
「・・・・アリス、さ・・・?」
柚葉の口が、消え入るような声でアリスの名を呼ぶ。
ドアが吹き飛ばされたことに驚いて、彼女から男たちは離れたが、もう動くだけの力は残されていないらしい。今にも閉じてしまいそうな瞼が必死に抵抗しているのが分かった。服は既に機能を果たしておらず、布がそこにあるだけの状態だ。水の流れのようだった髪は地面に広がって土や埃にまみれてしまっている。
アリスはそれを見ると、すっと目を眇め、真っ直ぐと柚葉に向かって歩いていった。そこにいくらでも襲い掛かることはできるのだが、誰もそれをしようとはしない。否、身体が動かないのだ。
そしてその傍らで膝を着くと、露になった白い肌を隠すように自分の上着を掛けた。
柚葉は頬を撫でるその手にくすぐったそうにした後、安心したような表情が滲んだ。
「ごめ、ん・・・なさ・・・迷惑、かけ・・・」
「もういいから、喋んな」
柚葉の目を覆って、もう眠っていいと耳元で呟いてやると、それだけで意識を手放せたようだ。
生理的な涙が頬を伝った痕、所々に見える痛々しい痣、陶器の肌を汚す擦り傷や切り傷。大きな怪我はないようだが、何か飲まされたのか、身体は熱く、力が入っていない。汗で顔に貼り付く髪を避けると、上着ごと柚葉の身体を抱えた。
「グレン」
「はい」
柚葉の身体を受け取ると、グレンは何も言わず堂々と部屋から出ていった。
「おい、待―――・・・ひっ!?」
追いかけようとした男の顔すれすれをナイフが通り過ぎ、壁に突き刺さる。鼻の頭に赤い筋が入った。ナイフが飛んできた先を恐る恐る見ると、何事もないようにアリスが壁に背を預けて立っている。
「・・・アリス=ルヴィン=アステリア・・・」
忌まわし気にその名を呼ぶと、視線を上げた。緩くその口元に笑みを湛えると、決して笑っていない濃紺の瞳が陰を纏って姿を現す。
「言い残すことがあるなら聞いておく」
「なに、を・・・」
「分かってるはずだろ。アイツに手を出したんだ。このまま見逃すと思うか?」
漆黒の笑みが、背筋を凍らせていく。
「おっ、お前は、第二王子だろ・・・!?確かに、第一王子は冷徹で容赦ない人物だと聞くが、その弟はあまり人に裁きを下さない、寛容ある王子だと・・・っ」
「それは一体誰の話だ」
笑みを消した口元が、低く唸る。
そして、何かを悟ったように、ああ、と納得の声をあげると、再び口端を上げて高慢に笑った。
「世間の目はどうも俺を美化したがるようでな。一応訂正しておくが、俺は裁きを下すような甘いことはしないだけだ」
―――この男は、本当にあのアリス=ルヴィンなのか。
噂に聞く、あの。
「お忘れか?俺はお前らがよく知る、あのラン=ルヴィン=アステリア第一王子の血縁だぞ」
冷徹の血が流れる、その弟が、生易しい対応をするとお思いか。
言葉に出さないそう言った冷酷な目が、その場の全員をい竦めた。




