香り
「調子は戻ったのか、ザギ」
全く興味のない、だらりとした低い声が木の影から聞こえてくる。ザギは足を止め、ふっと笑うと、ポケットから手を出して頭をかいた。
「いや、まだ殿下をお相手するほどには戻ってないですね。少し調子乗って魔力使いすぎました」
「阿呆が。あのガキにかけた魔法は消費魔力が大きすぎるのは分かってたんだろう。結果お喋りして帰る間抜けになりやがって」
「すみませんって、先輩。でも、ちょっと面白いものも見つけましたよ」
「面白いもの?」
ザギはニヤリと笑って口元に人差し指を立てた。
「可愛い女の子をね」
山越えになったのもあったが、しばらくは野宿が続いた。その間に警戒していたザギは襲ってくる気配はなく、少し拍子抜けしてしまった。
さすがにこれだけ野宿が続くと身体の疲れも取れない。柚葉がへばってしまうギリギリのところで、新しい町に入った。今日こそはベッドで寝たいし、お風呂も入りたいし、ご飯もたらふく食べたい。
「アリスさんっ、今日こそは宿取りますよねっ!?ここでホームレスしないですよね!?」
「分かったから。ちゃんと宿取るから離れろ、近い」
アリスは詰め寄る柚葉の顔を、手のひらで押しのけて空いてそうな宿を探す。町は穏やかでもあったし、活気もあった。普段はバランスよく時が流れる、いい町だ。このナリスという町は、アステリア国内でも特に兵力に力を入れている町だ。戦争となると、この町から駆り出される兵士が多いのは、やはり一人一人の力が飛び抜けているからだ。それもあってか、国に対する忠誠心は高い裏で、国政をよく思っていない者もいるという。その派閥が争いは、この町では珍しいことではない。人が死ぬようなことにはならないが、今まで怪我を負った者もいる。
「今回はあまり存在を知られたくない。騒ぐなよ」
「別にいつも騒いでないじゃないですか」
「騒いでなくともお前は目立つんだよ、何故だかな」
人を面倒事の使い魔みたいな言い方はやめて頂きたい。だがまあ、訳はわかった。ここでアリスの存在がバレれば、忠誠を誓う者、そうでない者、どちらにしても大変な騒ぎになりそうだ。
町の入口の方で買ったローブのフードを深く被り、一軒の宿屋に入っていった。
久々の宿泊だったからか、部屋のグレードに少し奮発してくれた。といっても、豪華なものではない。他より一回りだけベッドが大きくて、風呂とトイレが別になっているだけだ。でも、それだけでも気持ち的にもゆっくりできるので、アリスには感謝したい。感謝はしたいのだが。
「何故一緒の部屋・・・」
「仕方ないだろ。他の部屋は空いてなかったんだから」
「わざといい部屋を取ってくれたんじゃなかったんですね・・・」
「何の話だ」
柚葉が乙女の貞操の危惧をしている横でアリスはしれっとした顔でローブをハンガーに掛けている。彼は分かっているのだろうか。この部屋は二人が泊まるようには作られていない。つまり、何もかも一つずつしかないのだ。宿主の計らいで増やせるものは増やしてくれたが、当然増やせないものもあるのだ。設備はもちろん、家具も。
「どうやって寝るんですか」
「横になって寝ればいいだろう」
「アリスさんたまに寝ぼけたこと言いますよね。ベッドが一つしかないでしょって言いたいんです」
「ああ、そういうことか。危険だな」
「でしょ?」
「俺の身が」
「・・・・」
柚葉の寝相でぶちのめされる心配をしているということは、二人が同じ布団の中に入ることは決定事項らしい。確かにベッドは柚葉くらいの体格の人間が一人で寝るには少し大きいが、だからといって二人寝てしまっては結構身を寄せ合わないといけなくなるだろう。
「風呂、入らないなら先入るぞ」
「・・・・入ります」
ドキドキ★初旅行的な展開に戸惑っているのは柚葉だけのようだ。考えてみれば野宿しているときだってすぐそばで寝ているわけだし、寝顔だって幾度となく見られている。今更恥ずかしがることもないのだが、部屋という囲まれた中での雰囲気のせいだろうか。
風呂に入っている間、柚葉は何とも言えない感情に悶々としていた。
***
夕食は下に降りて取る必要がある為、アリスが風呂から上がるのを柚葉はベッドの縁に座ってぼーっと待っていた。最近凝り固まっていた身体が温まったからか、徐々に瞼が重くなり、ころんとベッドの上に肢体を転がした。
「だから、ちゃんと乾かせって言ってんだろ」
「あ、アリスさん、おかえりなさい」
「ほら、起きろ」
「んーっ」
意識までベッドに沈みそうになったところを、腕を引っ張られて無理矢理持ち上げられ、座らされる。ふっと視界が暗くなったかと思うと、頭をわしゃわしゃとタオルで撫でくり回された。
「いぃやぁぁ、アリスさんんんんー、痛いぃぃ」
「我慢しろ。そのままじゃベッドが濡れる」
「んあああああ、もっと優しくぅぅ」
「変な声出すな!」
そんなこと言われても、まるで犬でも拭くかのようにガシガシとされては、髪の毛が抜けてしまいそうだ。絶対何本か逝ってる。髪の毛が細くて少ない柚葉にとっては死活問題なのだ。
そのうち火でも起こす気ではないだろうかという程拭かれると、絡まった髪の毛をアリスの指が解いていく。拭いていた時とは想像もできないくらい滑らかな手つきが妖艶さを醸し出していた。柚葉は未だ寝ぼけていたが、冷たい指が頬にかかった髪をそっと掬いあげた時、はっと意識が鮮明なものになった。
「っ!」
「・・・なんだ?」
「な、なんでもないです・・・、アリスさんの指が冷たいから、びっくりしただけ」
「?・・・そうか?」
アリスは不思議そうに自分の指を見つめて首を傾げた。風呂から上がったばかりなのに何故そんなに冷たいのかとか、冷え性かよ女子かよ、と突っ込みたいことはたくさんあったが、どれも言葉にはならず、そのまま嚥下した。
首元をアリスの指が通る度にドキリと心臓を跳ねさせ、目をぎゅっと瞑っていると、ふと頭から髪の重さがなくなった。見ればアリスが眺めるように柚葉の髪を指に絡ませて顔の近くまで持ち上げている。
「な、なんでしょう・・・?臭い?」
「・・・いや?俺は好きな匂いだが」
「・・・っ、この無自覚天然タラシ・・・」
「ああ?」
何のことだ、と眉を寄せるアリスをよそに、柚葉は全速力で動く心臓を鎮めるのに精いっぱいだ。
いいか、日本でその顔でそんなことするのは、ドラマか漫画かアイドルだけだぞ。素でする奴いたら本当は引くところだからな。
「もう大丈夫です・・・っ、目も覚めましたし、行きましょ、ご飯」
「・・・?・・ああ」
ふい、と目を逸らすように立ち上がった柚葉は、下へ向かおうとドアノブに手をかけた。アリスも後ろをついてきている気配がするが、それを確かめる前に肩にふわりと何かが覆った。
「その恰好で行く気か」
「え?だってこれしか着るものなかったから。・・・ああ、結構この寝間着温かいから大丈夫ですよ」
「・・・そうじゃなくて」
いいから着ていけとアリスは自分の服を柚葉に無理矢理着せた。前の町で置いてきたものの代わりに買った、新しい上着だ。肩や袖は余るし、丈は太ももまでくるほどブカブカだが、まあ温かいからいいか。ふわりと香るアリスの紅茶のような匂いも好きだが、彼とは違うのでそんな変態的なことは口には出さない。
「まぁ・・・ありがとうございます?」
「何故疑問形」
お互い様(笑)




