彼にだけ通用しない
宿を後にしたアリスと柚葉は、比較的整備された道を歩いていた。結局柚葉は闇に堕ちていたときのことは全く思い出せず、アリスに聞いてもはぐらかされ、グレンに聞いてもアリスが話さないのなら自分からは話せない、と真実は知ることができなかった。
「グラタンさん、半泣きだったですけど、大丈夫だったんですか?」
「自業自得だ。アレルギーでくしゃみが止まらなくなるがいい」
「おお、かわいそう」
後で聞いた話だが、グレンがアリスの昔の話をして、こういう目に遭うのは今回が初めてではないらしい。そう考えたらグレンは分かっていてやっているのだから、アリスが怒るのも分かる気がする。
「でも、アリスさんも昔は子どもだったんですねー」
「俺は生まれた時から今の状態だったとでも?」
「そうは言ってませんけど、あんまり想像できなかったから・・・お兄さんいるんでしたよね?」
「ああ」
それはそれは優秀な兄だと、グレンは言っていた。だが、アリスから聞く第一王子の姿は放浪者で、手に職もつけずフラフラとしているぷー太郎のイメージだ。あくまで後者は柚葉が勝手に想像しているだけだが。
城にいた頃もあったようで、その頃はちゃんと王子様の任を果たしていたというが、その話はアリスよりグレンの方が詳しかった。
「兄貴はどっちかというと執務室にいるより、訓練に参加したがっていた奴だった。中でもレベルの高い連中がいるグレンの隊によく行ってたらしいな」
「アリスさんは?そういうの参加しなかったんですか?」
「参加も何も、俺は別部隊に入隊していたからな」
「王子様なのに?」
「王子だってある程度、自分の身を守るくらいの技術は身に付けるよ」
アリスは十歳で入隊している。兄と同じ隊に入ったのだが、そのとき第一王子は既に一通りの訓練を終えて、隊には席を置いていなかったので、かぶらなかったのだ。同じ隊の連中から兄の数々の伝説は聞いたのだが、どれもこれもピンと来なかったのはアリスがあまり兄と関わり合いを持っていなかったから。
「お兄さんと仲悪かったんですか?」
「いや?良くも悪くもないな。年も離れていたし、俺が何か始めるときは兄貴は大体終わっていて、一緒に何かすることは殆どなかったからな。ただ単に接点がなかっただけだ」
「あれ?そういえばアリスさんってお幾つなんですか?」
「十九」
「え!?」
「なんだ」
柚葉は思わず足を止めて目を見開いている。ただ聞かれたことに答えただけなのに、そんなに驚くことを返した覚えはないのだが、とアリスは首を捻った。
「も、もっと年上だと思ってました」
「何歳だと思ってたんだ」
「三十ぐらい・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・大人っぽいって意味ですよ?」
容姿は恐らく年相応、いやアリスの場合は少し幼く見えるかもしれない。だが、柚葉が思うように事実よりかなり高い年齢を言われるのは少なくない。王子としての仕事、技術、小さいころから大人たちに囲まれてきた生活、アリスにとっては当たり前だったが、身体と心の成長を一緒にしていくわけにはいかなくなった。柚葉にとっては想像もつかないことだろうが、一国の王子とはそういうものだ。
「三十は兄貴の年齢。ちなみにグレンは二十」
「そんなに離れてるんですね。私の兄弟はあまり年離れていないからなぁ・・・」
「そういえばお前、あまり自分のことは話さないな」
「そうですか?聞かれないから話さなかっただけだと思いますけど」
というか、平凡すぎて、聞かれても話すようなことはあまりないと柚葉は笑った。
父、母、兄、姉、自分、弟。今の時代では少なくなっている六人家族だが、特に特別ではない。何か特別なことがあるかと言われれば、家族で弟が一番頭がいいということくらい。大学生の兄もそこそこの学力なのだが、中学一年生の弟はたまにそれさえも上回ることがある。
「お兄ちゃんは十九で、弟は十三。お姉ちゃんは一つ上・・・・十六だった」
同い年になっちゃったけど。
そう小さく呟いた柚葉の表情は見えなかった。
「・・・悪い、聞かれたくなかったか?」
「いいえ?大丈夫ですよ」
誰しも聞かれたくないことはあるはずだ。直接的に聞いたわけではなかったが、アリスが答えを促す形になってしまい、思わず謝るが、顔を上げた柚葉はいつも通りの笑顔だった。
「家族皆、仲はいい方ですけど、お姉ちゃんとは年が一つ違いなだけだったので、特に仲良かったですね。ずーっと一緒にいたから、いなくなってしまった今でも、いないってことがまだよく分からないんです」
父母、兄や弟がいて、喪失感を紛らわしてくれていたのかもしれない。姉の愛を、必死に補ってくれていたのかもしれない。
「顔も性格もよく似ていて、双子だってよく勘違いされていました。私は、私の方が少しばかりしっかり者だと思ってますけどね」
「ユズハ」
「仲良い分、喧嘩も多かったんです。髪とかむしられた時ありましたね」
「ユズハ」
「でも、お姉ちゃんだからって、絶対、絶対お姉ちゃんから謝ってくれるん――」
「ユズハ」
柚葉の頭に、大きな手がぽん、と被せられた。髪が押さえられ、前髪が目にかかる。
「・・・もういい」
「・・・・・・・すみません」
本当に、話したくないわけではなかった。話したかった。柚葉は、話したかったのだ。
ただ、思い出さないようにしていた。
”いない”という実感を噛みしめたくなかったから。
そろそろ、楽しい思い出ばかりを笑って話せるようになったかな、と思っていた。
だから、声の調子も、表情も、いつも通りだった。
でも、彼は止めた。
自分さえも誤魔化すことができていたのに。
彼には通用しないみたいだ。




