闇へ近付くということ
昨晩、食事を終えた二人は、それぞれの部屋で休み、朝を迎える。早い時間ではなかったが、朝食を含めた朝の支度を手早く済ませると、宿を後にした。またここに戻ってくる予定だから、必要最低限の荷物しか抱えていない。柚葉に至っては身一つだ。
「どこ行くんですか?」
「野暮用だ」
「何故私も一緒に?」
アリスの顔が、お前が勝手に動き回るからだろうがと物語っていたので、柚葉は返答にがなくても気にしなかった。
どうやら、町の中心街に向かっているらしい。この町はただの経由地だと思っていたので、用があるとは意外だった。アリスによると、ここだってアステリア国内なんだから用だってあるさ、ということらしい。
しばらく黙ってついていくと、何やら如何にも怪しげな、何かあるんじゃなかろうかといった、暗い細い道に入っていった。身を捩らせながら進んだ先に、不自然な穴が空いており、よく見るとそこには下へ続く階段があった。
「地下?」
「・・・昨日、これを調べにきた」
昨晩、アリスが出掛けた時のことを言っているのであろう。階段の下を無感情に睨み、話を続ける。
「森の入口で野獣が出ただろ」
「あー、はい・・・あのライオンみたいなやつ」
「本来なら、あんな入口に近いところに野獣は生息しない」
野獣とて人間には警戒心を抱いている。人間が通りそうな入口や出口付近からは離れて生息しているし、理由もなしに襲ったりはしない。もちろん、例外もあるのだが、先日の野獣は、そこまで気性の荒い種類ではなかったという。
「妙に森も荒らさせていたしな。違和感があって、ちょっと調べていた」
「ああ、やっぱりあれは元からではなかったんですね」
「あの森は割と歩きやすい所だったはずだ。随分長いこと来てなかったから変わってしまったのかもしれないと思ったのだが・・・」
事実、変わってしまったことに変わりはない。だが、それは自然現象ではなかったようだ。その最たる原因が、この階段の続く先にある。
「は、入るんですか?」
「その為に来たんだろうが」
階段は四段目ぐらいまでしか見えず、その先は闇が侵食している。冷たい空気を纏って、何もかもを取り込んでしまいそうな、そんな闇。見つめていると、怖いのに目が離せなくなって、瞬きさえ忘れてしまう。自分の目の焦点が合わなくなっている自覚はあるのに、それを戻すことができなくて、それがさらに恐怖心を煽り、息を止めてしまいそうになる。
何かが、
いや、闇が、段々とこちらに向かってきて、
全身を覆い、
身体を縛り、
何もかもを凍り付かせて、
何もかもを闇に染め上げて、
空も、地面も、建物も、植物も、動物も、アリスも、
自分も、
「―――――・・・ハ、おい、ユズハ!」
「!!」
名を呼ぶ声が闇を切り裂き、肩を掴む手に柚葉ははっと息を呑んだ。瞬きができるようになり、深く呼吸をし、滲んだ汗をそっと拭う。
「・・・・え、っと・・・アリスさん・・・?私何してました?」
「声かけても反応しなかった。ぼーっとしてたな」
「あ、すみません・・・」
額に張り付く前髪を整えながら、目線を地面で彷徨わせる。まだ止まない動悸に気付かない振りをして、周りを見回したが、ここに到着したときと何ら変わりはなかった。暗い細道、建物の隙間から見える澄み渡る空、隣にはアリス。こちらが現実だとほっと胸を撫でおろした。
「・・・古来から地下は"よくないもの"が集まる空間だ」
「え?」
息をついた柚葉の横で、アリスはそう言った。闇の中を睨む瞳は、それさえも凌駕しそうな濃紺。染まらない、絶対的な光と色を残し、細く眇められた。
「物理的な悪、または霊魂、空気、悪意、憎悪。あらゆる闇が集まり、光さえも取り込もうとする場所だ。誰かが意図的にそういう場所にしたかどうかは分からない。だが、していなかったとしても光を浴びないところに闇が棲みつくのは自然なことだろうな」
「闇、」
柚葉は、それに心を呑まれそうになったのか。負の感情は正の感情より遥かに力が強い。ほんの少しの量で、何もかも呑み込んでしまうほどに。気をしっかり持っていなければ、すぐに奪われてしまう。
「ここには何がいるんですか?」
「今回は別に取りとめようのないものを相手にするわけではない。ただの人間だが、問題はこの場所だ」
「・・・気色の悪い空気しかしませんね」
「・・・・・・・・お前にも分かるんだな」
「あ!今鈍感にもちゃんと気付けるんだなって思ったでしょ!これでも小さい頃はオバケ見たことあるんですからねー!」
「何の自慢だそれは」
「霊感自慢!」
何の役にも立たないが。
柚葉の小さい頃は足がなかったり、頭がなかったりする霊的なものをよく見ていたと母親が言っていた。あまり柚葉の記憶には残っていないが、家族の中で柚葉だけがそうだったらしい。成長してからは全くと言っていいほど何も感じたことはないし、墓地が怖いと思ったこともないし、肝試しもなんてことなかった。驚くという意味でうるさいことはあっても、敏感な人が体調不良になる中、柚葉はその中の一人にはなったことがない。
「いいから行くぞ」
「はぁい」
あまり気乗りはしないが、待っておくという選択肢は与えられないらしい。アリスはたじろぎもせず、下る階段に足を進めていった。その後ろ姿が、先程のように、闇に呑み込まれていくようで、柚葉は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
駄目だ、気をしっかり持て。そう言い聞かせて、アリスの後を追った。




