2人の道中
城下町を抜けると、柚葉は思わず息をついた。人は苦手ではないが、これだけ混みあっていると息が詰まるようだ。はぐれないよう、はぐれないよう、と必死にアリスの剣を握っていた手にびっしょり汗をかいていた。おかげでしっかりアリスについていくことはできたが、剣の鞘を汚してしまって申し訳ない。
気が付くと、辺りは緑に囲まれていた。よく見てみれば柚葉がこの世界に来た時に到達した場所の近くだ。よく分からない植物や動物は健在だ。なんだか懐かしい。
「そういえば」
もういいだろうと剣から手を離して、汚れたところを撫でてこっそりなかったことにすると、柚葉ははたと気が付いて漏らす。
「私、さっきのお店の看板とか、文字は読めなかったんですけど、言葉はなんで分かるんですかね?もしかして天才?」
「空間を移動したことによって、お前の魔力がこの世界に反応したからだ。形ないものは魔力が補ってくれるが、文字など形あるものはそのままの情報になる」
なるほど。だから制服も制服のままだし、胸もそのままの大きさなのか。いつか魔力が補ってくれる日を信じよう。自分の胸に手を当て頷いていたらアリスにやめんかと叩かれた。考えが読まれたのか?
「分かったら少しスピードを上げるぞ。できれば今日中に隣町にまで行きたい」
「えぇーっ、まだ早く歩くんですかぁ?」
「野宿になって構わないならゆっくり来い。俺は先に行く」
「行きます行きます」
こんなところで置いていかれたら先にも進めないし、城に戻る自信もない。否が応でもアリスに従うしかなかった。
その後のアリスは、宣言通り、柚葉との足の長さの違いを完全に無視したペースで歩いた。休憩は挟んでくれたが、あってないようなもの。水を三口程飲んだらすぐに競歩再開だ。
その繰り返しがどのくらい続いただろうか。アリスの息一つ乱れない体力にも驚かされたが、柚葉は自分の歩くだけでマラソンしたかのように疲れる身体にも驚いた。
「ぜぇ、ぜぇ、・・・っ、暗く、なっちゃったじゃないですか」
「野宿だな」
「結局野宿!?」
現在は小さな森の入口から少し入ったくらいのところだった。いくら小さいからとはいえ、暗くなってから森の奥へ入っていくのは危険だ。この森を抜ければ隣町だったのに、これ以上は進めない。
「が、頑張ったのに・・・アリスさんの嘘つき・・・」
「何を言う。お前が休憩したいと言う回数も多ければ、何度も遅れたのが原因だろうが」
「帰宅部の体力のなさ舐めんな」
確かに休憩の殆どは、柚葉からの提案だ。最初のうちはアリスのペースに合わせられていたのだが、進む度に体力ゲージは当然減っていき、距離が空いてしまってはアリスを待たせるというのを繰り返していた。こんな事なら帰宅部でも体力作りは大切だと誰か教えて欲しかった。身体のいたる所が軋み、悲鳴を上げている。
「もういいや・・・野宿でもいいから、もう一歩も動きたくない・・・って、あれ?アリスさん?」
木の根元に腰を下ろし、背中をその木に預けているうちに、アリスの姿は見えなくなっていた。まさか本当に自分だけ隣町でぬくぬくと宿を取りに行ったのか。
「アリスさーん?」
キョロキョロと見回すが、どこにも見当たらない。
ざあっと強い風が吹き、柚葉の髪を巻き上げる。木々たちも唸りをあげるように枝や葉を鳴らした。
予想はしていたが、夜の森は不気味だ。人もいない。動物達も寝静まって、梟だけが闇を呼ぶように鳴いている。一人だからだろうか。いつもなら何とも思わない夜の闇が、恐ろしく感じる。
心が、嫌だ、逃げたいと叫んだ。
「アーリースさぁぁぁぁあぁああああ痛っ!?」
「大きな声出すな!」
息の続く限り、アリスの名を呼んでいる途中で後頭部を何かが直撃する。カラン、と足元に落ちた枯れ枝が、その正体だったようだ。
「アリスさん!どこ行ってたんですか!怖いじゃないですか!」
「薪を集めに行っただけだ。暖を取らないと夜は冷える」
アリスは柚葉に投げつけた枝を拾い、器用に集めた枝を組み上げていく。ある程度の量になると、そこに人差し指を翳した。マッチのように指先に火がともり、薪に火が移っていった。
「魔法、ですか?」
「ああ。これくらいのことは大体の人ができる」
「ライター業者は商売あがったりですね」
魔法の基礎中の基礎、子どもでもできるという。柚葉にも練習すればできるらしいが、もし簡単にできなかったら、アリスの鬼特訓が怖い。丁重にお断りした。
「確かに、寒くなってきましたね」
昼よりは気温がぐっと下がった。制服は間服で、夏服でなかった分良かったが、やはり露出している足元から冷えていく。身を震わせていると、何故かきゅるると腹が鳴った。
「お前は寒いと腹が鳴るのか」
「いや、そんなはず」
「じゃあ飯はいらんな」
「お腹空きました」
「素直でよろしい」
だって城下町で買ったパンをチラチラ見せてくるなんてずるい。
アリスは旅に慣れているのか、柚葉が背負っていたリュックから乾物などを取り出すと、手際よくスープを作り出した。料理ができる男と付き合っておいて損はない。娘達に料理の才能がないと悟った柚葉の母親は、柚葉と和葉にいつもそう言い聞かせていた。
「ん」
「あ、ありがとうございます」
雑に出来立てのスープを渡されると、マグカップを包んだ手にじわりと熱が広がっていった。相変わらず腹の虫は早く何かよこせと小煩いが、しばらくこうして手を温めていよう。猫舌だし。
「ん?」
手もいい感じに温まってきて、さあそろそろ食そうかとカップに口をつけた時、視線の先、木の陰に何か光るものを見つけた。
瞬きを繰り返して、それが何かと目を凝らすが、どうやら少し動いているようだと言う事しか分からない。
「アリスさん、あれ何ですかね?」
「あ?」
柚葉が指さした先に目を向けると、アリスは僅かに眉間に皺を寄せた。それから立て掛けていた剣を取り、鞘から抜いた。
「えっ?あ、あの、・・・?」
「野獣だよ。・・・くそ、何でこんなところまで出てきてるんだ」
「野獣!?」
想定外だったのか、悪態をつきながらアリスは近付いてくる気配に神経を尖らせた。
「ああああの、アリスさん・・・?逃げ、逃げなくていいんですか?」
「逃げてどうするんだよ。追いつかれるのがオチだ。いいから離れろ!」
「無理ぃー!」
自分の意思とは関係なくアリスの足にしがみついてしまうのだ。それは無理な要求だろう。空いてる方の足で踏みつけられても構わない。徐々に聞こえてくる唸り声に身を固くして、より一層柚葉とアリスの足は固く結ばれた。
スピードを上げた野獣の足音と共に、すぐ近くでアリスが舌打ちしたのが分かった。
「目、閉じてろ」
柚葉は言うことをきいて、痛くなるほど目を瞑っていたので、何が起こったのかは分からなかったが、アリスが低く指示した瞬間、ふわりと身体が持ち上がったのは分かった。
木々が折れ、なぎ倒された音がする度に身体が揺れる。ふと地面に下ろされた感覚を感じ、おそるおそる目を開けてみる。最初に映り込んできたのは、アリスの闇夜に染まる顔だった。
「ここで良い子で待ってろ」
そっと頭に置かれた手が離れていったのが寂しく感じて、同じ所を自分で撫でる。そこには熱が残っている気がした。
それから柚葉が目の当たりにした光景は、映画のワンシーンのようだった。
牙を剥くライオンのような野獣を、いなす様に右へ左へとかわし、同時にその毛皮を切り裂いていく。飛び散って顔にはねた野獣の血を気にも止めず、細めた目でその後ろ姿を捉えると、声をあげる暇も与えず、真っ二つに一閃した。
柚葉が瞬きをする度に、アリスと野獣の場所が移動していく様は、コマ送りしたようで、最後に目に飛び込んできたのは、足元に転がってきた血が付いた塊だった。
「──────・・・っ!」
それが野獣の肉塊だと分かってしまった瞬間、内蔵が一気に収縮した。
「うっ・・・ぐっ・・・っ、げほっ」
せり上がってくるものは空腹だったために胃液しかない。さっきスープを飲む前で良かった。
顔を背けて口元を抑える柚葉の背中に、温かいものが触れた。
「だから目閉じてろって言ったろ」
「そんな、こと、・・・言われて、も・・・うっ、く・・・」
思いの外穏やかな声に落ち着かされてしまって、息が整ってくる。それを確認して、剣をしまったアリスが立ち上がって初めて、背中を摩ってくれていたのだと気付いた。
「場所を移動しよう。ここは血の臭いがひどい」
それはあなたが野獣を切り刻んだからです。




