暗き森の逃走劇 ―ハイリンダの青春録―
やけに低い位置にいるその男は、私を見上げて喜んでいた。久々の来客らしく、何か食い物や酒を所望しているので、私は珍しさと好奇心から思わず酒を渡してみた。
「昔な……ん? 昔で良いんだよな……? あれは15年前だったかな?」
男は頭を掻きながら何やらブツブツと話し始めた。目は虚ろで半分開いておらず、フラフラと頭がフラついている。随分と酒に弱い人だ。と、私はそんな事を思っていた。
頭に土を付け、男は一人話し始めた―――
「あれは……俺が森を抜けて町に行く途中だった。
森の奥で何やら木々のざわめき以外の妙な音が聞こえたと思い、足を踏み入れたんだ。今思えばそれが全ての間違いだったんだ。
森の奥には少女が居たんだ。赤やら金やら茶色やら髪の毛の色が色々混じっててな、不思議な印象だったよ。
彼女は誰かと話している様だったが、俺には何も見えなかった。すると突然彼女が森の更に奥へと走り出したんだ。まるで何かに追われる様にな……。
彼女の後ろには何も居なかったが、不思議と背筋が凍り付く様な悪寒だけは感じたよ。俺は気がついたら後を追い掛けてた。自分でも意外だったんだぜ?
足には自信があったから、彼女を追うのは簡単だった。背は低く見た目は15~16歳といった感じだったかな。幼さを残しつつも何か達観したかの様な立ち振る舞いだった。
ある程度走ると、彼女は観念したのか立ち止まり振り返ったんだ。そして懐から短い矢の様な物を取り出し、何も無い空間に投げ付けたんだ!
すると蚊の鳴くような大きな鳴き声が耳を覆い、それまであった背筋の悪寒が無くなったんだ……。俺の記憶はそこまでさ、後は気が付いたらこうなってた」
首から上と右手だけを地面から生やし、男は額に付いた土を払った。私を見上げるのが疲れたのか、首をグルリと回し右手で首筋を掻いた。
「……なぁ、最後に一つ頼みが在るんだが……その得物で俺を殺してくれないか?」
腰に下がったホルスターを指差し、男は自らの額をトントンと人差し指で叩いた。
「もうこうやって生きるのも飽きちまってよ……飲まず食わずでも死なねぇんだけどよ、暇すぎて死にそうだ。な、頼むよ」
私はホルスターから銃を抜き、男の額目掛けて引き金を引いた。鈍い銃声と鳥の羽ばたく音が聞こえると、もう男からは話を聞けなくなった…………
「これが私の知る全てだ」
頭半分と右手だけを地面から生やした男は、直ぐ傍に落ちていた寂れた銃を指差し自分の額をトントンと叩いた。
「頼む……楽にしてくれ」
「すまない。それをすると次は俺の番なんだろう? そいつはゴメンだぜ……」
足早に走り去る男を呼び止めるように、男の背中には呻き声の様な悲しい男の声が掛けられ続けた…………