文章表現技法
僕はぼーっとしている次郎を後ろから、わっ! と驚かした。瞬間、次郎は体を激しく震わした後、慌ててこちらを振り返った。その顔は驚愕したように目を大きく開いていた。
いきなり例文を挙げてすみません。けれど、文章表現技法とはなんじゃらほいとお思いになられた方のためにてっとり早く理解してもらえるようとのことです。
上の文を文章表現技法を使って表します。
僕は意識が宙を彷徨っている次郎の無防備な後ろ姿を驚かした。わっ! と声を発した瞬間、次郎はまるで雷に打たれたかのように体を激しく震え上がらせた後、バネの弾力じみた動きでさっとこちらを振り返った。その顔は驚愕に打たれたように目を月のように大きく開いていた。その瞳にはいまだ混乱の色を浮かべている。
この文では少しくどくなりすぎましたが、言いたいことが伝わったでしょうか? ともかく、文章表現技法を使えば、より場の臨場感溢れるものにできるということです。
本で読んだ文章表現技法を自分への確認ということもあり書いていこうと思います。
詳しく知りたい方は瀬戸賢一さんの『日本語のレトリック』をお読みください。そこに記されてある一部の技法を紹介していこうと思います。無論、その本の内容複写ということではありません。例文はすべて作者(僕)が独自で作ったものです。
文章表現技法というのは、主に比喩とかです。ではさっそく確認していきましょう。
1.隠喩
彼女との過ごした一年は、僕にとっての宝物だ。
無論、文字通りそれは宝物ではありません。彼女との過ごした一年は目にみえないもの。それを言葉で表すとき、『高価』『大切』な宝物に喩えて言ったわけです。もし彼女のことが嫌いだったのであれば『彼女との過ごした一年は、僕にとっての可燃ごみだ』とすれば、燃やして消してしまいたいというふうに伝わるのです。
他に例を挙げるとするならば、
怒ったときの母は鬼だ。
学校は生徒たちにとっての牢獄だ。
などです。
2.直喩
運動会の隼人くんはまるでチーターのように駆けていった。
こちらも喩えていますね。もし、これを先ほど説明した隠喩で表すならば『運動会の隼人くんはチーターだった』ということになります。
3.擬人法
深夜、小腹の空いた僕はコンビニに行こうと家を出た。この時間の街は漆黒の闇が町を覆っていた。こころもとない街灯の光を頼りに、僕は歩を進める。夜気が僕の頬をそっと撫でる。頭上の月は静かに町を見下ろしていた。
ご存知の通り、擬人法とは人ではないものをあたかも人のように描写することです。この文では『闇が町を覆っていた』と『夜気が僕の頬をそっと撫でる』『月は静かに町を見下ろしていた』という部分に該当します。
僕作者個人としてもこの技法が一番好きかもしれません。ただ『夕方が夜に変わる』とするよりも、『夕方が夜に呑み込まれ始める』としたほうがより読者をひきつけるからです。皆さんもぜひ、日常生活で擬人法を意識してみてください。部屋にいるときに、『時計が自分に現時刻を知らせる』、『電源のついていないテレビは、僕がリモコンに手を伸ばすのを無表情で待っている』というふうに考えれば、日々が豊かになった気がします。
4.共感覚法
高層ビル群に夕陽が沈んでいく。今日も一日終わるのだ。
「また明日」
不意に夕陽がそう囁いたような気がした。
レモン、梅干し等を見たとき、食べてもいないのに口の中が酸っぱくなったことはありませんか? 共感覚法とは五感のひとつが他の五感を呼び起こさせることです。レモン、梅干しは視覚が味覚を刺激し、上の文の夕陽は視覚が聴覚を揺らしました。
本に書いてあったことですが、『五感はバラバラではなく、つながっているのだ』と。
『噛んだ途端、衣のサクッと歯切れの良い音が鳴ると同時に、芳醇な香りが広がった』と聴覚と嗅覚だけで、『おいしい』と書かなくてもそう表現したようになります。刺激の強い食べ物でも『口の中でパンク少年たちが暴れている』とすればいいわけです。
5.くびき法
季節は冬。学校から見る窓の外は今もなお雪がしんしん降っていた。突然、太郎が教室に入ってくるなり叫んだ。
「布団がふっとんだー!」
教室内も寒いが、太郎も寒かった。
『教室も寒いが、太郎も寒かった』という部分がくびき法です。『寒い』という同じ言葉でも、二つは違う意味であることがわかりましたでしょうか。教室は気温が低くて『寒い』のに対し、太郎は白けるという意味で『寒い』です。要するに、くびき法とは一つの言葉で二つ以上の意味を持つ場合にのみ適します。
分かりにくいと思いますので例を記します。
父親が罪を犯した息子を殴りつける。
「なんでお前は、そんなことをした!」
震える拳が息子の頬を殴りつけるたびに、父の胸中に込み上げるものがあった。
このとき、息子は父の手によって痛めつけられるが、同時に父も自分の手によって痛めつけられた。
父の手によって、息子は体を痛めつけられ、父は心を痛めつけられるわけですね。ちなみに『込み上げるもの』は、当然『悲しみ』ですよね。
6.換喩
雨の降る町。多くの傘たちが行き交っている。
行き交っているのは人であって、傘が勝手に動いたり、ベルトコンベアーなどで移動したりしているわけではありません。雨の降る町、という文で傘が人を指していることがわかりますね。正確にすれば『雨の降る町。多くの人たちが傘をさして行き交っている』となるわけですけど、なんだか味気ないですね。
7.提喩
朝。時刻はすでに午前八時を回っていた。高校生の太郎は慌てながらも、家を出る際、母に告げた。
「じゃあ、学校に行ってくる!」
「はい、行ってらっしゃい」
寝ぐせ頭を直す暇なく、太郎は走っていった。
『じゃあ、学校に行ってくる』の学校は小学校でしょうか、中学校でしょうか。無論、高校生の太郎は高校に決まっていますよね。高校という具体性を、学校という抽象性の言葉で表すのが提喩です。学生証や、花見なんかもその例ですね。
8.誇張法
「実は、お前は私の子供ではないんだよ」
テーブルに並べられた夕食を前に、父がいきなりそんなことを僕に言ってきた。途端、僕は体が凍った。
『僕は体が凍った』という文は、近くに冷却放射器てきなものがない限り、文字通りの意味ではありませんよね。驚愕的な事実を突きつけられて、身体が凍ってしまうほどの衝撃を受けたということです。よく、学生同士で『今日テストあるから、昨晩死ぬほど勉強した~』といいますよね。本当に死ぬほど勉強したのならば、そんな言葉を発すること自体できませんよね。
9.緩叙法
僕は廊下を走り、背中を向けて歩く教師を呼び止めた。
「先生! 由美子のことが好きってほんとですか!?」
由美子は二年D組の生徒で、俺の彼女だ。俺の荒い息混じりの声を聞くと、教師は普段の冷徹な顔をおもむろに振り向かせる。眼鏡の奥の理知的な双眸に鋭い光がよぎった後、静かに言った。
「……少し、気があるだけだ」
教師はもう俺に目をくれることなく、再び歩き出した。俺は背筋に駆け抜ける悪寒を自覚せずにはいられなかった。
緩叙法とは控えめに伝えるということです。『……少し、気があるだけだ』という部分に当てはまります。ここで『……大好きだ』と言うよりもはるかに衝撃が大きい気がしませんか? ちなみに、この文のストーリーも当然フィクションなので安心してください。
10.曲言法
私は毎日、ピアノを弾き続けてきた。小学校から帰るやいなや、友達との遊ぶ暇を惜しんで、母の前でピアノに向き合う。母は私をプロのピアニストとして育てようとしているのだ。部屋に響くのはいつまでたっても上達しない私の奏でる同じ音楽と、母の鋭い叱責。「ダメ、やり直し」という言葉にぶつけられながら、私は辛い日々を送ってきた。そして、いま何十回目かの曲が引き終わった。
「……どうですか?」
隣で腕を組みながら黙然と聴いていた母に、私はおそるおそる口を開いた。固く結ばれた母の唇から発せられる言葉を、私は身を強張らせて待つ。
「――今のは悪くはなかったわよ」
母の凛とした顔、声音はいつもと変わらない。言葉だけが違った。瞬間、私の瞳に涙を溢れた。
なんか、技法を紹介する都度に文章が長くなってきてすみません。言い訳ではないのですが、隠喩、擬人法とは違って、少々意味が掴みにくいので、作者の拙劣によって長くなってしまうのをどうかお許しを。
さて、曲言法ですが、これは『今のは悪くなかったわよ』という母の言葉ですね。『悪くない』はマイナスを否定していますが、決してプラスを告げているわけではありませんね。でも、冷淡な人に『悪くない』と言われると、褒められた気がしませんか?
11.同語反復法
「さ、寒すぎる……」
高校への通学中、健二が息を白く染めながら身体を震わす。
「季節が季節だからしかたないよ」
隣を歩いていた香織が優しげな声で囁く。彼女の肌は周辺に積もる雪のように白くて、美しい。
同語反復法は二つの語を繰り返すことによって、より意味を鮮明にさせることです。この文では『季節が季節だから~』であり、ちなみに季節は冬です。正確に言い表すならば『冬だから仕方ないよ』になります。他にも例を挙げるとするならば『時間が時間だから、もうゲームをやめて布団にもぐろう』、『天気が天気だから、今日はドコモで駆けたくない』です。
12.撞着法
直美は誰に対しても気さくに声をかけている。女子であろうが男子であろうが、目についた人に近づいて話しかけるのだ。しかし、その分彼女は相手が忙しかったりしても、自分が話すのをやめない。相手の都合を考慮しないのである。彼女は実は愛想がよく、冷淡な女子である。
撞着法とは正反対の意を持ちながらも、結びつけることです。『彼女は愛想がよく、冷淡な女子である』というところですね。誰にでも気さくに声をかける部分が『愛想よく』、相手の都合を考慮しない部分が『冷淡』だと言っているわけです。よく一般的に言われている『酒は毒にもなれば薬にもなる』とありますが、『毒』と『薬』を結び付けているので、これも撞着法となるでしょう。
さて、文章表現技法12個で締めたいと思います。瀬戸賢一さんの『日本語のレトリック』という本には、全部で30個紹介していながら、夏目漱石や森鴎外など有名な著者の作品を引用しており、より詳しく説明がなされております。興味を持った方はぜひ手にとってみてください。では。