こぶたさん みたい だね。
わたしは かれの おくさんだ。
かれが いってた。
だから わたしは それを しんじてる。
わたしは まんしょんに すんでる。
そこで かれを まってる。
まってるひは ながい。
そして ひるのあいだ ちょっと さびしい。
でも ひるのあいだは まだましなのだ。
よるは もっと さびしくなる。
たぶん さびしいの きもちは ちくせき するのだ。
かれの しごとがおそいと わたしは ふあんになる。
かれは このまんしょんを せまい せまい というけれど。
わたしには ひろすぎる。
とくに かれの いないあいだは。
そんなわたしに かれは てれびを つけたらいいと おしえてくれた。
それで だいぶ さびしくなくなった。
かれは わたしに いろんなことを おしえてくれる。
わたしは それがうれしい。
かれが いえにかえってきたとき うしろでに なにかを かくしていたりすると それは ぷれぜんとの けはい。
わたしはもう そのけはいだけで どきどき してしまう。
するでしょう しないかな。
どきどき。
そして かれは わたしのための おみやげを ひろうする。
そのしゅんかんは もう はちきれそうで。
かれは ぷれぜんとをかってきたりゆうとか かえるのがおそくなったりゆうとか りちぎに ていねいに せつめいしてくれるけれど。
わたしのほうは もう ほとんど みみからつつぬけじょうたいで。
だって わたしは ぷれぜんとが うれしくて かれがかえってきてくれたことが うれしくて。
ないてしまったり するのだ。
ちょっと はずかしい けれど。
やっぱり うれしいこと。
こんどの りょこうは ずいぶん ながいなとおもう。
かぞえてみると もう にじゅうねん くらいになる。
わたしは ずっと まんしょんにいたけれど まちからは ひとがいなくなったようだ。
おせん ちいきが どうだとか。
たちいり きんし くいきが どうだとか。
てれびで やっていた。
にんげんが いきていけない がす? が じゅうまん してるらしい。
でも わたしは にんげんじゃないから だいじょうぶだ。
……。
かれが かえってこない。
わたしは ひるまえ と ゆうしょくまえに じゅうでんする。
そうじゃないと わたしは おなかいっぱいに なれない。
おしりから こーどをのばすわたしを かれはよく こぶたさんみたいだね とからかった。
わたしはおこったふりを して たけれど ちょと うれしかったりも した。
じゃれあってたうちが いちばん しあわせ。
そういうひびも もうずいぶん むかしのことだ。
かれのこえも ずいぶん きいていない。
……。
おかしい。
さいきん ぜんぜん おなかがいっぱいに ならない。
でんきが とまってるせいだと きづいた。
どうりで だんだん ろれつが まわらなくなってきてると おもった。
でも それでも いいかもしれない。
どうせ かれが かえってこないなら ながく ながく ながく ねむるのもいいかもしれない。
てれび が なにか いってたけれど もう みみは でんしおん を じんごに へんかん できない。
でんきが とまってる はず なのに どうして てれびが うつる の かな。
へんに おもった けど。
だいぶ ぽんこつに なってきた から かんちがい したのかも しれない。
だから とびらが ふいにひらくおとが したのも さっかくか ごさどうの たぐいだと おもったのだ。
「ただいま」
うちゅうひこうし みたいなのが たっていた。
「遅く、なったよ。やっと規制が解除されて」
へるめっとの むこうで しらない おじさんが ないていた。
「やっと。やっと」
でも ふしぎ。
そのこえ。
わたし すきかもしれない。
ふしぎだ。
わたしの すきなひと せかいに ひとりしか いないのに。
わたしは きれかけていく いしき の なか いったのだ。
その うちゅうひこうしのふく おしり の こーど。
こぶたさん みたい だねって。