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*咎なき罪人

 ナシェリオの胸の痛みは英雄の誕生に置き換えられ、休む間もなく村を挙げての宴が準備されてゆく。

 中央にある集会場には、幾つものテントが張られて多くの椅子やテーブルが運ばれる。そうして料理や酒や果物などが山と並べられた。

 広場全体を明るく照らす幾多の篝火かがりびは踊る人々の影をゆらゆらと地に映し、長老たちは村の安泰に喜び酒を酌み交わす。

 仲間の死に対する追悼はわずかも聞こえず、まるでそれすらも祝い事のように篝火から飛び散る火の粉が宴を彩った。

 ナシェリオはその光景が、どこか異国にも思えて言葉も無く呆然と立ちつくした。

 その輪に加わる気にはなれず人々の様子を場の外から見ていれば、宴の主役なのだからと引っ張り出されたり酒を勧められたりと、ナシェリオはその度にラーファンのことを口にしようとするも全て遮られてしまった。

 さしもの耐えきれなくなり宴から離れうまやで一人、馬の首をさする。家にいてもすぐに広場に引き戻され、独りになれる場所がここしか見つからなかったからだ。

 もとよりナシェリオは静かで落ち着いた場所を好み、日頃から村の祭りなどにもあまり長居する事はなかった。

 いつしか青年たちは酒で酔いつぶれナシェリオを探すことも止めてしまい、宴の意味すらも忘れたように騒いでいた。

 うまやは広場から離れた所にあるゆえ、宴の声はあまり届かずナシェリオはようやく落ち着く事が出来た。

「おまえをソーズワースと名付けよう」

 芦毛あしげの馬は応えるように軽く唸り、己を名付けた主人をじっと見下ろす黒い瞳にナシェリオは柔らかに微笑んだ。しかしすぐ、その表情を曇らせる。

 こんなはずではなかったのだ。ラーファンの死に皆は嘆き悲しみ、あまつさえ私は村を追い出される覚悟をしていた。

 だけれども彼を追悼する者はおらず、それがナシェリオの心をいっそう痛めていた。

「こんなことは間違っている」

 あれほど人気があり慕われていた彼が死んだというのに、誰も哀しまないなんて間違っている。

 けれど……。そうさせたのもまた、私なのだ。

 ラーファンを止める事も出来ず、救うことも出来なかった。そしていま、私は村の人たちにも罪を負わせようとしている。そんなことが赦されるはずがない。

 ここにはいられない──ナシェリオは家に戻り荷物を手早くまとめた。まとめ終えて外に出るとき、一度だけ振り返った。

 視界に見えるもの全てに今までの記憶が重なる。

 料理をする母の手元を興味深く見入っていたこと、暖炉でパイプをふかす父から多くの学びを得たこと。

 次々と押し寄せる記憶は、留まりたいと叫ぶ己の心なのだと握った手に力を込める。過去の思い出にすがってもラーファンが戻ってくる訳じゃない、背負った罪が消える訳じゃない。

 ナシェリオは後ろ髪を引かれる思いに歯を食いしばり戸を閉めた。厩に戻り、荷物を馬に預けて手綱を握る。断ち切れない未練に足取りは重く、時間をかけて村の入り口にたどり着くと再び振り返った。

 惜しむように村を見渡す。

「──さよなら」

 か細くつぶやいて馬に飛び乗り、星の瞬く空を仰ぎ見て躊躇いを振り捨てるためにあらん限りで走らせた。

 心は何度も「戻りたい」と血を流し、叫びをあげる。それでも、振り向いてはならないのだと強く自分に言い聞かせた。

 風がナシェリオの哀しみに呼応するように草原を撫でつけて物憂げな鳴き声を響かせる。

 私がもしドラゴンになったなら、誰かが倒してくれるだろうか。そんな人間が現れたなら、私は喜んでこの首を差し出そう。

 どんなに悔いても、あの日々は戻らない。二人で酒を酌み交わし暖炉の前で語り合った夜も、たわいもない話で盛り上がった記憶も、何気ない暮らしの中で過ぎていく刻のいかに輝いていたのかを思い知らされる。

 ──西の辺境で誕生した英雄の話は瞬く間に広がり、しばらくは噂を聞きつけた王都からの使いが村を幾度か訪れたものの、英雄のいなくなった村に恩恵など与えられるはずもなく集落は次第に衰退していった。

 村が消滅したと知ったナシェリオは哀しくもあったが何もかもが思い出のみとなり、心を引きずるものが消え去って軽くなったのも事実だった。

 だからといって、己の犯した罪が消える訳ではない。英雄ともてはやされる度に、心はギシギシときしみをあげる。

 私はそんなものじゃない。どうして忘れてはくれない。



†††



 深夜、エスティエルはベッドの端に腰を落とし、苦しみに歪むナシェリオの寝顔を見下ろしてそっと前髪に触れる。

 柔らかな山吹色の髪はさらりと彼女の指をつたい、苦悩する表情にさえ人を惹きつける輝きをまとっていた。

「あなたは優しすぎる。全てを背負おうとしなくともよいでしょうに」

「それが私の償いなのだ」

 エスティエルのささやきにゆっくりと目を開き、どこを見るでもなくつぶやいた。

「あなたの償いはもう終わっている」

 これ以上は誰も、何も望みはしない。

「お前が決めることじゃない」

 応えて、けだるそうに上半身を起こしたナシェリオはふと、ベッドに並んで腰を掛ける状態であるのに眉を寄せる。

 そんなナシェリオに対し、エスティエルは素知らぬふりで視線を外した。

「わたしは、死から見捨てられた英雄に興味を持ち、その村を訪れました」

 唐突に切り出された話に眉間のしわを深く刻む。

「彼らはそのことを商人たちから聞いたようね。知ったときにはとても驚いたと言っていたわ」

「言えるはずもない」

 不死などとナシェリオ自身もそのときは疑わしかったのだから。

「わたしがあなたのことをよく知り得たのは、あなたが残した物が沢山あったから」

 あなたが姿を消してから、五年ほど経った頃に私がその村を訪れたようです。英雄の家だということで時折訪問する者のためと、いつかあなたが帰ってくるかもしれないと家屋は残されていた。

 それでも、毎日のように少しずつ物がなくなっていき、ついには家の中は空になった。

「気に入っていたものほど記憶が残りやすく、使っていた者とのつながりも強い」

 そうしてわたしは、あなたのことを知ることが出来た。

 村の人たちとあなたの間には、とても大きな意識の差があったこと。彼らはそれをまるで考えてはいなかったこと。それがあなたを村から遠ざけたこと──どれほどに、あなたの胸を突き刺したでしょう。

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