*報いの報酬
動かなくなった塊にラーファンの死を確実なものとし、ナシェリオは絶望に心が引き裂かれた。
「──っそんな」
もはや希望はことごとくかき消され、抵抗する気力を無くしたナシェリオを解放したドラゴンは、がくりとうなだれる姿に視線を落とす。
[そなたを見捨てた男でも、涙を流すのか]
目を眇め、さも不思議そうに覗き込んだ。
「当然だ。私がそれを選んだのだから」
彼は死ぬべきではかったと苦しみに声を震わせる。
[ふむ。面白い]
伝わる嘆きに、ドラゴンは感心するように低く唸った。久方ぶりに人間を見たのだろうか、興味深げにじっくりと見回している。
「早く殺せ」
吐き捨ててナシェリオは、覚悟を決めたと頭を上げる。しかし、ドラゴンは死を待つ人間を無言で見つめ、何かを思案しているようだった。
[そなた。名はなんという]
殺す相手の名を聞いてどうするのかと眉を寄せる。
「ナシェリオ」
あるいは誇らしげに殺した数とするためだろうかと、こんなときに不思議なほど呑気な思考が巡る。
恐怖はとうに通り過ぎたのだろう。眼前のドラゴンを、ひどく冷静に見つめている自分に感心すら覚えた。
[そなたは大罪を犯した。然れども潔い。それに免じて、褒美をやろうぞ]
なんともおかしな物言いに顔をしかめる。このドラゴンは何をしようというのか。殺すだけでは飽きたらないというのだろうか。
[我が名はレフタルナ。古よりこの世界を見てきた。然るに、そなたはドラゴンをどう思う]
「どう、というと?」
ドラゴンが何を言いたいのかナシェリオには解らなかった。
人間とドラゴンでは、生きてきた年数も生き方も異なる。そこには、互いに理解し得ない感情や概念が存在している。そうである故に、ドラゴンの考えていることなど人間である私に解るはずもないと眉を寄せた。
[我は神に近い存在と謂われておる。されど、その命は尽きかけている]
「神に近いドラゴンが死ぬだって?」
他のドラゴンならいざ知らず、神にも匹敵するドラゴンに寿命があるなどと聞いた事がない。
[強すぎる力を有したが故に、限りある命を持つこととなった。然れども惜しむらくは、我を受け継ぐ者がおらぬこと]
この世界と共に生きてきた。流石に長らく生きすぎた、ここに至り死す事に恐怖はない。
[我の力を、人間が受け継ぐとどうなるか]
レフタルナはナシェリオにずいと顔を近づけて鼻を鳴らした。
「なに──?」
[おそらくは、受けきれなかったエネルギーが体内を巡り、その身を不死へと変えるだろう]
途絶えることが無いというのは、なんとも康寧であるとは思わぬか?
「よせ……」
ドラゴンが何をするのか、ナシェリオは次第に気付き始めた。小さな動物が蚊ほどの攻撃を与えただけで、そんな大きな罰は必要ないだろう!?
[我の血を浴び、そなたは永劫の報いを受けるのだ]
「やめろ」
逃げられないようにナシェリオを睨みつけ、ドラゴンは己の胸に腕を沈めた。そんな光景を目の当たりにして体は強ばり、渇いた喉が引きつる。
ゆうるりと引き抜かれた手には、脈動する心の臓が握られていた。それはナシェリオの頭ふた回りほどもあり、胸の奥に響くような低く力強い音を響かせていた。
とても、余命いくばくもないもののそれとは思えないほど活き活きとしている。
[永遠をかけて償うがいい]
頭上に掲げられた心の臓から滴り落ちる液体が、ナシェリオを徐々に赤く染めていく。
「やめろおー!?」
──握りつぶされた塊から吹き出た血が降り注ぎ、口の中に鉄の味を感じ全身が生臭さに満たされた次の瞬間、意識を引き離した。
どれくらい気を失っていたのかは解らないが目を覚ました時にはドラゴンの姿はなく、何事もなかったような周囲に夢だったのかと呆然とするもふと、視界に入った消し炭の塊に胸は急激な苦しみを覚える。
痛みに耐えきれず、ここから逃げ出したくて闇雲に走った。
しかしどんなに走っても、己の胸ぐらを掴んでもその苦しみは吐き出せず。どうして殺してくれなかった、私がお前に何をしたのだと呪いめいた言葉を繰り返す。
どこをどう彷徨ったのかは解らない。気がつけば古代の街跡にたどり着き、そこで手にした剣と共に洞窟に戻ってきた。
そうしてどうにか正気を取り戻し、ラーファンをこのままにしてはおけないと再び心を壊さないように幾度か深く呼吸する。
ナシェリオはわずかに群生する花の傍らに穴を掘り、掴み上げれば崩れる塊を慎重に持ち上げて友の遺体を埋葬した。
最後に彼の剣を墓標として地に突き立てる。
作業を終えて我に返り、友を喪った哀しみに両膝から頽れるも、ついぞ涙は出てこなかった。
墓を見下ろしてこれからどうすればいいのか途方に暮れていたとき、遠方から馬のいななきが耳に響いて不思議に思いそちらに目を向ける。
ナシェリオは向かってくる影に瞳を凝らし、捉えたその姿に我が目を疑った。
「まさか、そんな」
野を駆ける力強い四肢と艶やかな毛並み、風にたなびく見事なたてがみは雄々しく、溜息が出るほどに美しい。
見た目に伝わる存在感だけで、その馬がどのようなものなのかが充分に理解出来た。
それは、英雄の冒険譚に幾度となく顔を出し助言を与える者──空想の産物かと思われていた存在が今、まさに眼前に迫っている。
「馬の王に出会えるなんて」
白毛の馬はゆっくりとナシェリオに歩み寄り、彼の前で立ち止まると深い海の色をした瞳を向け穏やかな視線を注ぐ。
[麗しき者よ。そなたは何故に、そんなにも哀しみを湛えた瞳をしているのか]
心に直接語りかける優しい声に喉が詰まる。
全ての馬の種の上に立つ長にして、常しえなる馬族の王ゼフォロウムの前にナシェリオは、一人ではとても抱えきれずに今までの成り行きを切々と紡いだ。
「もう、取り返しがつかない」
馬の王はそう締めてうなだれるナシェリオをしばらく見つめ、ブルルと唸ったあと彼を見据えた。
[そうか。彼の者は彼岸に旅立ったか]
「知っているのか」
[古くからよく知っておる。いつかは旅立つと憂いておった]
この世界をずっと見てきたドラゴンは、己の寿命を素直に受け入れていた。ただ一つ、古からの力が失われる口惜しさを除いては──。
[そなたの哀しみがいくばくか我には解らぬが、昼夜を問わずその苦しみに嘆かぬように我から、ささやかな贈り物を捧げよう]
「贈り物?」
それにぎくりとしたナシェリオだが、馬の王は彼の頬に優しく顔をすり寄せた。
[途切れることのなき贈り物だ。我とそなたの、友情の証と思ってもらえればよい。先にはそなたの望まぬ道筋が横たわる限りだが、そなたならばと信じている]
そう述べ終わると一度高くいななき、たちまちに走り去った。そのときナシェリオにはそれがどういう意味なのかは解らなかったけれど、それは直ぐ訪れた。
ここにいても仕方がない。せめてラーファンの死を彼の両親に報告しなければと、乗ってきた馬を探したがすでにどこかに行ってしまっていて仕方なく歩くことにした。
──野を歩いているとどこからか馬のいななきが聞こえ、逃げた馬が戻ってきたのかと振り向くとそこには、見知らぬ馬がこちらに駆けて来ているではないか。
灰色の馬はいぶかしげに眺めていたナシェリオの前で止まり、まるで乗れとでも言うように鼻で胸をこづいた。
「一体……。あ」
もしや、これが贈り物かと馬の王の言葉を思い出し、馬の様子を窺うように首をさすり思い切って飛び乗った。
馬はバランスを整えると、主の行き先を尋ねるように頭を軽く振る。
「ありがとう」
旅路の友を得たナシェリオは表情を険しくし、村に進路を取ったのだった。





