*慚愧の起因
ラーファンは、立ち上がったナシェリオを見るでもなく顔を伏せる。
「──っどうして」
「前にも言ったろう。俺はこんな所で、くすぶっていたくないんだ」
合わせた視線には少しの威圧が見て取れた。ラーファンは本気だ、彼の目は一歩も譲らないという気概を放っている。
「俺は、名を上げて王都の騎士になりたい」
組んだ手に力がこもる。こんな言い合いの繰り返しには、いい加減に飽き飽きしている。
「解るだろう!? ドラゴンを倒せば必ず目に留まる」
王都を守る兵士の中で上位に位置する騎士は、誰からも尊敬される存在だ。もちろんのこと、騎士になるにはそれなりの腕が必要になる。
ドラゴンを倒したという功績があれば、騎士に早く近づく事が出来るだろう。
「お前がドラゴン退治の助けとなった事は当然伝えるし、俺が騎士になれば多くのものが与えられる。屋敷も、金も!」
騎士はそれなりの地位にあるため、それに見合った暮らしが保証されている。王都の兵士たちは押し並べてその暮らしに憧れ騎士を目指す。
王に仕え、王を護り。人々に平安を約束する、栄誉ある称号──騎士となるまでの冒険譚は吟遊詩人に数多く語られ、何冊もの書物になっている。
ある者は大蛇を、ある者は凶暴な魔物を、ある者はドラゴンを。そうして騎士は美しい女性を妻として迎え、揺るぎない生活を送る。
「そうすればお前だって、もっといい材料を手に入れることが出来るんだぞ」
「私は今のままで充分だよ」
「嘘を言うなよ。回ってくる商人が好意でくれた高級木材の木っ端なんかを、嬉しそうに貰っていたじゃないか」
「そうだよ。私にはそれで充分なんだ」
それ以上を望みはしない。ささやかな喜びがあればそれでいい。私は身の丈に合った幸福しか望まない。
「何を言っているんだ。お前は素晴らしい腕を持っているのに、こんな辺鄙な村で終わらせるなよ」
辺鄙な村……。彼にしてみればそうだろう。話に聞く王都は小さな村などいくつも入るほど広く、街を見下ろす城は巨大にそびえ立っているという。
しかし、ナシェリオは生まれ育ったこの村に愛着が湧かない訳ではなかった。両親が命を賭して守り抜いた人々が生活しているこの村を、離れたいと思った事はない。
否、離れたいと思うだけの野心がナシェリオにはないのだ。
「俺が王都で騎士になれば、大きな家や工房や、高い資材だってお前に与えてやれるんだ」
夢のような話でもナシェリオの腰を浮かせるだけの魅力はなく、旅をする願望も理由も不満も今の暮らしにはない。
それでも鍛えているのは、やはり両親の血によるものなのかもしれない。当然だが自身の身を守るためでもある。
村人は誰一人として知らない事だが、過去に商人の旅団のなかに奴隷商人が混ざっていた事があった。
奴隷商人は旅団に紛れ、立ち寄った町や村で住人たちを拉致し、奴隷として売りさばいていたのだ。
旅団は旅の安全を確保するために商人たちがまとまって行っているもので、それに加わっている商人全てを把握している訳ではない。
奴隷商人はナシェリオに目を付け、人々が寝静まった深夜に行動を起こした。
その夜はいつもと違う空気に眠りが浅く、勝手口の戸がゆっくりと開く音を聞き逃さなかった。ナシェリオは独り身ということもあり、常に剣を近くに置いている。
奴隷商人はよもや優男に見えた相手が武器を扱えるとは考えていなかったのか、脅迫のために手にしていた短剣を容易く弾かれ首もとに突きつけられた切っ先に肝を冷やし、震えておぼつかない手足を必死にばたつかせて逃げていった。
このときほど、鍛錬を続けていて良かったと思った事はない。危険はどこにでも存在する。しかし、旅をするという事は危険の中に飛び込むという事だ。
ましてやドラゴンに立ち向かうなど、人同士の争いのような解りやすい恐怖や危険とはほど遠い。
「両親はどう説得するつもりなんだ」
「村のみんなが盛大に送り出してくれるさ」
口角を吊り上げ、意味深げにあごをさするラーファンに眉を寄せる。
「どういう意味だ」
「ドラゴン退治に行くんだぞ、言えばみんなが見送ってくれる」
そうなれば誰も俺たちを止められない。
村を巻き込んで両親を黙らせるつもりなのか。ラーファンの考えにナシェリオは目を見開いた。
「自分のために動けないなら、俺のためについてきてくれ。お前の助けが必要なんだ。俺のために頼むよ、ナシェリオ」
両肩を掴まれ懇願するラーファンから視線を外す。それでも、掴まれた肩から伝わってくる感情に喉が詰まる。
唯一の引き留める理由となっていた両親の反対も使えなくなった。ラーファンにはもう、どんな言葉も届かないだろう。
これ以上引き延ばせば、彼は両親を恫喝しかねない。それほどに強い意思が感じられた。ナシェリオが言い返せない言葉を見つけたためか、ラーファンはすでに決意を固めている。
もうだめなのか? 君を説き伏せる事は、私には適わないのか。
「……わかった。その代わり、無理だと思ったらすぐに引き返す。それだけは約束してくれ」
「ああ、もちろんだ!」
ようやくの承諾に喜びでナシェリオを抱きしめる。ナシェリオは喜ぶ友の姿に笑みを浮かべるが、先の事を考えると愁思でしかなかった。
†††
それが、私の初めの罪──私の弱さが招いたものだ。彼のためを思うならば、了承すべきではなかった。
私もラーファンも世界を歩くには、あまりにも未熟で幼すぎたのだ。
彼が目を輝かせて夢を語る姿は勇ましく、見ているこちらも楽しかったものだが、夢だけで終わらせていれば幸福であったかもしれない。
残酷な世界も、無情な死も見ずにいられただろう。少なくとも、私一人が村を出ていれば彼は見知らぬ地で命を落とす事は、なかったかもしれない。
身寄りのない私と違い、彼には嘆く家族がいた。現に私が村に戻ったとき、彼の両親は息子の死に涙を流していたではないか。
なんと、大きすぎる罪なのか──