(3)
時系列
(2)→(3)
同棲中
今日の社内はやけに甘ったるい匂いが漂っている。いつからここはお菓子メーカーになったのだろう。いやお菓子メーカーだってこんな匂いはしてないはずだ。
「今日なんでこんな甘いの?」
隣のデスクの同僚にそっと訊いてみる。すると、その同僚はコイツ何言ってんの?とでも言いたげな顔で返してきた。
「今日バレンタインだよ」
あぁ、なるほど。
◇ ◆
本日、世は俗に言うバレンタインデーを迎えていたらしく、社内は何処も彼処もチョコレートの甘い匂いが漂っていた。あまり甘いのが得意ではない私にとってこの環境は若干辛いものがある。なんだか胸焼けしそうだ。
幼い頃から冷めていた私は、バレンタインデーなどのイベント事は企業の策略などと言って全く相手にして来なかった。友チョコなんていうのも、大学生時代に一回か二回作った事があるかないか程度だ。
どうでもいい事は直ぐに忘れるタチなので毎年毎年、その存在を忘れては匂いで思い出させられるというのを繰り返している。
ついでに言うと、いままで彼氏がいた時期とバレンタインの時期が被った事は無かった。
しかし、今年は流石に例年通り、というわけにもいかないだろう。なんせ今までと違い、今の私には恋人なるものがいるのだ。アレが恋人というのは未だに解せないが、捕まった以上は仕方のない事、として諦めた。
そして諦めている以上、やはり私もこのイベントに便乗するべきなのだろうか。こういうのはやはり本命は手作り、というのがセオリーなのだろうが、如何せん今の今まで忘れていただけに手作りチョコなんてそんな可愛らしいものは用意していない。しまった、どうしたものか。
暫し悩んだ所で、ハッと気が付いた。
そう言えば毎年、ヤツは紙袋いっぱいのチョコレートをもらっていたのではなかったか。
「結構甘いの好きなんだよね」などと言いつつ、毎年毎年、それこそ高校の頃から紙袋いっぱいのチョコレートの山を見せつけられていたではないか。
「…私がわざわざ用意するまでもないか」
最終的にはその結論に至り、私は再びパソコンと向き合った。
その日、私は定時で帰ったが、秀也は少し残った様だった。甘ったるい匂いが鼻の奥に染み付いて消えない。不快な思いを抱きつつ、私は帰路についた。
◇ ◆
「ただいまー」
夕飯を作っていると、秀也が帰ってきた。それと共に、あの甘ったるい匂いが部屋に入り込んで来る。
「…お帰り」
「今日の夕飯何?」
「寒いから、鍋」
「へぇ。いいね、鍋」
「お風呂先入ってきたら?」
「そうするよ」
ヤツは紙袋をダイニングテーブルの足元に置いて自室へ引っ込んでいった。手を休めて紙袋を確認すれば、案の定それはチョコの山で。近付いたがために胸焼けを起こしそうな甘ったるい匂いが私を襲う。
「今年もいっぱいもらってきちゃった」
自室から戻った秀也が、にっこりと笑ってそう言った。その時の私の顔は不機嫌そのものだっただろう。それを見てヤツは一層笑みを深める。なんだって言うんだ。
「キミからは無いのかい?」
「…私がそんな可愛い物用意してるとでも?」
「だよねぇ。そんな気はしてたよ」
少し期待してたんだけどなー、などと大きな独り言を呟いて、ヤツは風呂へと消えていった。なんだ、欲しかったのか。
再び紙袋に視線を落とす。いくら私が冷めてるとは言っても、このチョコレート共を貰って笑顔で礼を言う(多分)秀也を想像して、何も思う事が無いといえば、嘘になる。
しかも見たところ、これらの殆どが手作りだ。
まぁ最近は本命チョコよりも友チョコなどというものの方が主流になっているらしいので、さらに言えば本命だろうが友達だろうが手作りであるのが普通らしいので、もしかしたら同じ部署で配られた義理チョコなんてのもあるのかもしれない。
「…………」
ヤツが風呂から上がる頃、私は夕飯を作り終えて食卓に並べていた。
ある計画を脳内で立てながら。
◇ ◆
今年のバレンタインが金曜日でよかったと思う。おかげで翌日の今日は土曜日。休日だ。
ヤツは都合があって出社しなければならないらしく、普段通りの時間に家を出て行ったが、これも私としては好都合。
私は家の掃除をちゃっちゃと済ませると、近所のスーパーへ材料を揃えに行き、次いで家に帰るとヤツが昨日もらって来たというチョコレート共の包みを開いていった。この際、これを秀也に渡した女の事は考えない方向でいく。考えてたら何もできないからだ。
「普通のチョコもるけど…生チョコ、クッキー、パウンドケーキ……ふぅん、色々あるのね」
中には相当手の込んだチョコ菓子もあって、ラッピングの豪華さからしても十中八九本命だろうが、それも気にしない事にする。
私は溶かして固められたチョコレート共を再び溶かし、クッキーはある程度まで砕き、パウンドケーキは口に放り投げ(美味しかった)、新たな菓子へと変貌さすべく作業を行っていった。罪悪感は無い。何度も言うが、そんなものを感じていたら何もできない。
秀也と私の部署は違うので、ヤツが今日どんな用事で出て行ったのかは知らないが、まぁ秀也が帰るまでには私の作業も終えてこの菓子は完成している事だろう。
慣れない作業でもあるのでゆっくりとだが、しかし確実に私は作業を進めていった。
◇ ◆
「ただいま」
夕方近くになってから、ヤツは帰ってきた。リビングに入るなり香ってきた甘い匂いに不思議そうな顔をする。
「お帰り」
「…お菓子作りでもしてたのかい?」
「うん。アンタが貰ってきたチョコのおかげで大分材料費浮いたから助かったよ」
しれっとそう言うと、秀也はさらに驚いた様な顔をする。なんだなんだ。
「…一度作られたやつ、また使っちゃったって事?」
「だってただでさえ量が多いのに、そこに新たにチョコの量が増えるのは流石のアンタも大変でしょ。再利用しても余ったくらいだもの。私も正直匂いに耐えられないし。嫌なら食べなくていいわよ」
「いや、貰うよ。当たり前だろう?」
そう言ってヤツが椅子に座るので、私は席を立ち例の菓子を取りに行った。冷蔵庫から取り出し、切り分けて皿に乗せる。
「はい、チョコレートケーキでございます」
「これはまた…キミにしては手の込んだお菓子にしたねぇ」
「そうでもないけどね」
私が再び席に着くと、秀也は意気揚々とフォークを手に取った。
「…うん、美味しい」
「そりゃどうも」
「しかしまた、どうして再利用なんて真似したんだい?」
「さっきも言わなかった?ソレ」
「別の理由もあるだろ?」
そう言って秀也は私を見据える。いつからヤツは読心術などを習得したのだろう。この物言いから既になんとなくはバレてるっぽいので、私は普通に答えを返した。
「…他の子から貰った手作りをアンタが食べるのが嫌だっただけ」
「それで作り変えちゃえって思ったわけ?」
「…材料費も浮くしね」
「はいはい」
流しつつも、秀也はどこか嬉しそうだ。それが癪に障り、ケーキを食べるヤツの脛を蹴った。
畜生びくともしねぇこいつ。
「七瀬って本当……たまにすっごく可愛いよねぇ」
「……うっさい。黙って食え」
「はいはい」
「…まだ余ってるし、他の人にもあげてみようかな」
仕返し、とばかりにそんな事を言ってみる。例えば、高校の頃からつるんでいる二人の友人に。二人とも男なので、秀也の反応を伺うには丁度良い。二人ともそう遠くない場所に住んでいるので、明日渡しに行こうと思えば行けるだろう。
そう告げると、秀也は少しムスッとした顔で私を見た。
「…ダメ。ボクが全部食べる」
…ダメと言われるのは予想していたが、その顔は予想外だ。きょとんとしていると、秀也はむすくれた顔をさらに顰めて続ける。
「…キミが珍しく妬いてくれて、珍しく作ってくれたケーキ、他の人にあげるなんて勿体無い。だから駄目」
その顔はまるで拗ねた子供の様で、少し面食らってしまった。
暫しの沈黙の後、先に口を開いたのは私だった。
「……アンタも意外と可愛いところあるのね」
「…ッ!」
いつも飄々としているヤツのこんな顔を、いままで見たことがあっただろうか。
取り敢えずその赤面をケータイのカメラに収めて、私はおかわりをヤツに促した。
こんな顔が見れるなら、たまにはこういうイベントに乗じるのも悪くないかもね。
チョコレートって美味しいですよね。
ちなみにチョコレートって媚薬の効果があるらしいです。
ついでに言うと口の中でゆっくり溶かすと脳が興奮状態になるらしいです。
ほんとですかね?
ここまで読んでいただきありがとうございました。
皆様の存在がカムクラの糧となります。
もぐもぐ。
カムクラ