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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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95/204

愛の鎖『栞』

「~♪」


 藍色の小袖に白い割烹着を纏った栞は鼻歌を歌いながら朝食の準備を整えていた。

 御嬢様である彼女が何故? それはここが栞の家ではなく紫苑の家だから。


「味も良く染みていますし、中々の出来です」


 栞が望んだデートはデートというより一日夫婦体験のようなものだった。

 なので今日だけはアリスも家を離れており春風家には紫苑と栞の二人だけ。


「紫苑さんはお休みの日は何時まで寝ているんでしょうか?」


 もう粗方作り終えたものの、紫苑を起こして良いのかどうかが分からない。

 時刻は八時を少し過ぎたところで平日ならばとうの昔に登校しているのだろうが、

休日ならばまだまだ寝かせてやった方が良いのかもしれないし……。

 悩みに悩んだ栞は先に別の家事を済ませることに。


「……何かドキドキしますね」


 まずは洗濯をするべく脱衣所に籠を取りに来た栞だが、

沢山の衣服が詰まったそれを目の前にすると何故だか胸が高鳴ってしまう。

 ぶっちゃけると今の彼女は変態そのものだ。


「あ、この服は見たことがない」


 気持ち悪いことに栞は今まで紫苑が着ていた服の総てを覚えている。

 しかし手に取ったジャージは今まで見たことがないものだった。

 恐らくは部屋着か何かなのだろう。

 また一つ好きな人についての新しい知識が増えてご満悦な栞はルンルン気分で衣類を漁る。

 洗濯という目的は何処に行った?


「ん!」


 ふと、鼻につく匂いを感じ手を止める。

 ゴソゴソと漁って取り出したのは一枚のショーツだった。

 藍色のそれは透けており、えらくアダルティだ。

 紫苑には日常的に女装する趣味もなく言うまでもなくアリスのものである。


「……」


 同じ女だから分かる、染み付いた匂いが何なのか。

 アリスの名誉のために言うならば普通の人間ならば手に取って顔に近付けねば匂いなんて分からないだろう。

 栞はスペックが常人のそれとは違う上に先ほどの興奮で嗅覚が研ぎ澄まされていたからこそ気付けたのだ。


「……致した時のもの、ですか」


 言 い 訳 の し よ う が な い 変 態 で あ る。

 民間から選ばれた裁判員だって満場一致でギルティ判定すること間違いなしだ。

 他人が発情していたことを察知するなんて気持ち悪過ぎる。


「女の匂いに混じって香るこれは――――」


 火がついたように栞の顔が赤くなる。

 ようやく自分のしていることが恥ずかしくなったらしく衣類を総て籠に戻す。


「……せ、洗濯機はベランダでしたっけ?」


 そんな言い訳染みた独り言を漏らし、籠を持ってベランダへ。

 衣類を一枚一枚丁寧に洗濯機の中に入れていく。

 分けて洗うべきものがあるかもと思ったが、同じ籠に入れていたので問題はないのだろう。


「洗剤洗剤……あっと、これですね。柔軟剤は……ここに入れれば良いんですかね?」


 御嬢様育ちなので少々戸惑いながらも準備を整えスイッチを押す。

 音も立てずに回り出した洗濯機から視線を外し栞は眼下に広がる光景を眺めていた。


「……良いものですね」


 自分の家のように趣深い庭園が広がっているわけではない。

 あるのは道路や電柱、そしてよその家々。

 それでも尚、栞はこれが悪くないものだと笑う。

 偶々名家に生まれ、御嬢様として育って来ただけでそれらを特別好いているわけではない。

 醍醐栞一個人としてはむしろ豪奢なものは好んでいないのだ。

 大事なのは心が満たされること。


「この家で、二人一緒に暮らせたら幸せでしょうね」


 栞の家に比べればこのアパートの一室なんてカスみたいなものだ。

 けれど、ここに居れば好きな人との距離が近付く。

 常に近くで大事人のな温もりを感じていられる。

 それよりも幸福なことなど世界の何処にもない。


「アリスさんが羨ましいです」


 アリスが押しかけて来たのは栞自身がしがらみを吹っ切る前で、

その頃の彼女は素直に好意を示せていなかった。

 だが今にして思えば、アパートを買い取る? そういう手もあったか! ってな具合だ。

 即座に動かせる金銭で言うならば栞の方が断トツで、買おうと思えば即日に話はつけられただろう。

 総ては後の祭りで口惜しさが残るのみだ。


「っと……何時までもボーっとしてるわけにはいきません」


 まだまだやることがある。

 寝室で寝ている紫苑を起こさぬように箒とちりとりを手に部屋の掃除を始める栞。

 彼自体が綺麗好きなのでそこまで埃などはないものの、髪の毛が多い。

 割合で言うなら黒白金金金金金ってな感じだ。


「コロコロは……っと、ありましたありました」


 嫌な顔一つせず丁寧に丁寧に部屋を綺麗にしてゆく栞。

 紫苑が寝ている寝室を除く場所総てを掃除し、洗濯物を干し終える頃には十時を少し過ぎていた。


「起こしに行っても……あ」


 起こすかどうか悩んでいると寝室の方から人が動く気配を感じ取る。

 寝返りとかそういうのではなく上半身を起こしている。


「ん……あれ? ああ、そうか。おはよう栞」


 ほどなくしてリビングに入って来た紫苑は一瞬驚いたような顔をするものの、

すぐに栞が居る理由を思い出して朝の挨拶をする。


「はい、おはようございます紫苑さん」

「掃除してくれたのか? すまんな」

「いえいえ、今日はそういう日ですから御気になさらず。朝食を温めますので少し待っててください」

「ありがとう」


 ソファーに腰掛けた紫苑は手首に括り付けていた髪紐を解いて髪を結い上げる。

 寝る時は外しているものの起きている時は髪を纏めていないと鬱陶しいのだ。


『よう相棒、気分はどうだい?』


 分かっていて聞くのだからカス蛇も中々に酷い爬虫類だ。


「(最悪の朝だ。俺の私的空間に異物が混ざってるんだぜ?

クソガキもそうだが、あっちはまだそれなりの時間をかけて慣らしたからな。

嫌なのは変わらないが我慢出来る。けど呪いの日本人形はなぁ……分かるだろ?

いきなりずかずかと入って来て掃除とかまでしちゃうんだぜ? 鬱陶しいことこの上ない)」


 ソファーに深く凭れ掛かり天井を眺める紫苑。

 彼にとっては暗い一日の始まり、外はあんなにも良い陽気なのに……。


「(今日一日は頑張るけど、奴が消えたらしっかり消臭しとかなきゃな)」

『特にベッドを重点的にな』


 間違いなく起こるであろう情事を揶揄するカス蛇が心底憎らしい。

 紫苑のテンションは寝起きのそれも相まってマイナスゾーンを貫きどんどん下降していく。


「お待たせしました」


 お盆に乗っているのは典型的な朝御飯だった。

 白米に漬物、鮭の塩焼き、豆腐の味噌汁に里芋の煮っ転がし、

どれもこれも見ているだけでお腹が減る出来栄えだ。


「わざわざ俺が起きるまで待っててくれたのか……悪いな」

「いいえ、御気になさらず。今日一日は夫婦――のようなものですからね」


 瞬間、どうしようもない眩暈が紫苑を襲う。

 しかしそれを態度に出すことは出来ない、嫌悪の代わりに照れの表情を張り付ける。


「そう、だな。じゃあ、いただきます」


 両手を合わせてしっかりいただきます――ピシっとした様は栞的にも好印象だった。

 他の女性達は紫苑と深く関わり救われたからこそ、彼に恋をした。

 しかし栞の場合はもしあの事件がなかったとしても惚れていただろう。

 常日頃から紫苑が振舞っている真面目な姿からしてドストライクなのだ。


「はい、沢山食べてくださいね」


 栞も頭につけていた三角巾を外して料理に箸をつける。

 自分が作ったので特別美味しい不味いなんてことはないが、

それでも一緒に食べている人が特別だからか、今日はとても美味しい。


「紫苑さん、今日の御予定は?」

「栞に(心底嫌々)付き合うつもりだったんだが……」

「私は特別行きたい場所もありませんし、こうやって今日一日常に御傍に居られるだけで」


 何とも慎ましいものだ。

 他三人が紫苑を連れ回したのとは対照的で、彼の好感度も上がるかと思われたが、


「(良い子ちゃんアピールしやがってよぉ!

つーかテメェとこのクソ狭い家で二人きりってのも苦痛だわバーカ!!)」


 別にそんなことはなかったぜ!


「そうか……だが基本的に何もない休日は家で本を読んでるぐらいしかしないぞ俺。

流石にそれに付き合わせるのも申し訳ない(からテメェ一人でどっか行け)」

「私はそれでも構いませんが……」


 紫苑の瞳は栞につまらない思いをさせるのが申し訳ないと語っている。

 無論、それは表面上で中身は嫌悪たっぷりなのだが。


「なら、こういうのはどうでしょうか。紫苑さんは休日は何時も家というわけではないんですよね?」

「ん? ああ。流石にそれじゃ不健康だしな。出かける時もあるぞ」

「なら、それに付き合わせていただけませんか?」


 本を読んで過す予定を曲げて別の過し方に付き合わせてくれと言うのだ。

 基本的に紫苑は一人で休日に出かける場合、殆ど金を使わない。

 なので栞のこの提案は彼にとっても悪いものではなかった。


「ふむ……分かった。つまらなかったら正直に言ってくれよ」

「はい!」

「そうと決まれば朝食を食べてしまわねばな」


 時折味の感想を述べつつも休ませずに箸を動かし食事を終える。

 外出用の服に着替えるべく部屋に戻ろうとするが、


「あ、ちょっと待ってください」

「ん?」

「良ければこれを……着て、くれませんか?」


 渡されたのはシンプルな藍色の着物だった。

 帯は当然として襦袢なども用意されており、地味ではあるがどれも一級品であることが窺える。

 どうやら栞は和装でお揃いにしたいらしい。


「構わないが……その、着付けとか出来ないんだが……」

「それは私がお手伝いします」

「……分かった。じゃあ歯磨きしてくれるからちょっと待っててくれ」


 手早く顔を洗い歯磨きを済ませてリビングに戻ると早速着付けを始める。

 女物と男物では勝手が違うので大丈夫か?

と紫苑は懸念していたが栞の手際は良く、あっという間に整え終えてしまう。


「コートとマフラーも用意しましたので外を歩いても寒くはないかと」

「ん。何から何まですまんな」

「いえいえ、私のワガママですから」

「これぐらいワガママのうちにも入らんさ。さ、行こうか」


 栞は履き物も用意してくれていたが、紫苑はそれを辞してブーツを履いて家を出る。

 外は快晴で良いデート日和と言えよう。


「じゃあ、まずは美術館にでも行こうか。

(うーむ……俺の容姿が素晴らしいからセーフだが、これって下手すりゃコスプレだな)」

「美術館、ですか?」

「ああ。最近は忙しくて行ってなかったが、結構行ってたんだ。中々面白いぞ」


 紫苑がよく美術館に行っていたのは事実だ。

 もっとも、芸術を愛でるためではなく芸術を貶すためだが。


「ふふ、期待してます」

「……そう言われると少し不安になるな」


 和服に身を包んだ美男美女が街を歩く。

 それだけで人の視線が集まってしまうが二人ともまるで気にしていない。

 栞は単純に他人の視線如きで揺らぐような肝ではないから、

紫苑は自己顕示欲の塊だから――――後者がアレなのは仕様である。


「(……)」

『ん、どうしたよ?』

「(いや、少しだけ思い出してな。ほら、これと同じ顔したクソ迷惑且つ馬鹿な女が居ただろ?)」

『ああ、お前が言うところの大天使に化けてた奴な』


 なんて言ってるがカス蛇は百合の正体に気付いている。

 黒姫百合と名乗って紫苑に近付いている女が醍醐紗織であることを。

 それでもカッスは馬鹿な相棒に何も言うことはない。

 真実を告げても見たいものだけしか見ないので信じることはないと知っているからだ。

 どうせ言ってみたとしても、


"っけんじゃねえ! 何を出鱈目言って俺の天使を貶めようとしてんだアーン?"


 って返されるのが関の山である。

 そしてカス蛇のその予想は正しい。紫苑は十中八九どころか百パーの確率で言うだろう。

 伊達に四六時中一緒に居るわけではないのだ。

 加えて言うなら信じてもらえないだけではなく、

単純に踊っている紫苑を見ていて愉しいという理由もあったりする。


「(よくよく考えなくても、俺アレともデートしてんだよな……最悪だ)」


 最悪なのは姉妹揃ってコレに惚れているという残酷な事実である。


『そういやそうだな。大喜びしてたなお前』

「(だってのに……奴は俺を、この俺を裏切ったんだ!!)」


 尚、現在進行形で裏切りは継続中の模様。

 そして更に言うならば紫苑も他人を裏切りまくっているので人のことをどうこう言えない。


「(醍醐の血族ってのは本当に本当に俺に迷惑をかけてくれる……!)」


 楽しいデートを邪魔したのは栞の執事であった倉橋。

 頼まれて見合いをぶち壊しに行けば腕を斬られた挙句に紗織に拉致される。

 その後傍迷惑な姉妹喧嘩に巻き込まれて心底くだらない結末を迎える羽目に……。


「? 紫苑さん、どうかしましたか」

「いや、何でもないよ。それよりほら、ここだここ」


 やって来た美術館は私営でありながらそこそこの規模のものだった。

 紫苑は入場料が安いここがお気に入りなのだ。


「すいません、二人分御願いします」


 袖から取り出した財布で二人分の入場料を払って美術館の中に。


「おや、変わった催しをしているようですね」


 中に入ると、とてもプロの手によるものとはいえない稚拙な絵や粘土細工などがずらりと展示されていた。

 近くにあった看板を見ると近隣の小学校の生徒達が描いたり作ったものを期間限定で展示しているらしい。


「ああ。これはこれで良いものだな。表現が正しいかは分からないが、若さを感じる」

「分かります。未熟だからこその美があります。味がある、と言えば良いんでしょうか」


 稚拙な出来のものが心を打たないと誰が決めた?

 マラソン大会で一番になった者に賞賛を送りたくなるのは当然だが、

例えビリであろうとも必死で走っている人間を応援したくなるのは間違いなのか?

 この数々の作品はそういうものなのだ。

 拙い作品であろうともそこには確かな熱が宿っている。

 まあ紫苑は出来の悪いものは素直に貶すし出来の良いものも嫉妬で貶す、

マラソン大会で一位になった人間もビリになった人間も平等にディスるような人間だが。


「ちなみに栞はどうだ、絵とかは上手か?」

「さあ? 自分では分かりませんが小中の頃、図工や美術の成績は悪くありませんでした。紫苑さんは?」

「……俺は恥ずかしながらあまり良くはなかった」

「そうなんですか?」

「ああ。数学や理科は知識を蓄えて理解を深めれば良いだけだろう?

だがこういうものは感性――センスの問題だ。絵を描く技法なんかもあるんだろうが……どうにもな」


 などと言っているが実際のところ紫苑は自分がその手の技術に秀でているかどうかは分かっていない。

 確かに数値的なもので見れば通知表でも五段階でニだったりした。

 だがそれは意図的にそうしたものなのだ。

 「一つくらいわざと欠点を作っていた方が色々と便利」という薄汚い打算によるニ。

 ちなみに何故美術や図工を選んだのかというと一番役に立たなさそうだからだ。

 国語数学理科英語社会などの五教科は当然手を抜けない。

 体育に関しては冒険者の肉体なので手を抜けばバレるし運動出来ないのはカッコ悪い。

 となると残るのは家庭科や美術、その他の選択授業だけ。

 そして紫苑はその中で一番要らないと思った美術や図工を削ぎ落とすことにしたのだ。

 なので生まれてこの方一度たりとも真面目に絵を描いたり粘土でものを作ったりしたことがない。

 それゆえ能力が完全未知数なのだ。


「あらまあ、是非一度紫苑さんの絵を見てみたいものですね」


 クスクスと笑う栞に愛想笑いを返し紫苑は更に奥へ奥へと歩いていく。

 かなりの数の作品が展示されており、

その中で丁度良さそうなものを見つけた彼はそれを利用して一芝居打つことを決める。


「? どうかしましたか」

「……いや、少しな」


 紫苑が無言で見ているのはお姉ちゃんという題名の似顔絵だった。

 その隣には妹という題名の絵が飾られている。

 絵を見るにこれを描いたのは双子の姉妹らしいことが分かった。


「……」


 栞も絵と紫苑を見比べて彼が悲しそうな表情をしている理由に気付く。

 重ねているのだ、この絵と自分達姉妹を。

 栞にも分かっている、あの事件が紫苑のトラウマになったことを。


「温かい絵だな」


 きっとこの姉妹は仲が良いのだろう。

 今もこれからも仲睦まじく姉妹を続けていくのだろう、

それがどうにも眩しくて、こんな未来もあったんじゃないかと思わせる。

 そんな雰囲気を醸し出す紫苑。


「そう、ですね」


 栞が言葉に詰まったのはあったかもしれない未来を想ってのことではない。

 醍醐栞は醍醐紗織については完全に割り切ってしまっている。

 ゆえに過ぎ去ったものに何かを想うことはないのだ。

 彼女が苦い想いをしているのは死しても尚、紫苑を縛る姉が疎ましいから。


"私はあなたの胸に刻まれた消えない疵として生き続けます"


 あの場所で紗織が言ったように今でも紫苑に刻まれた傷は消えずに血を流している。

 自身への復讐と、想い人に対する歪んだ愛。

 今も尚絡み付く過去の残影に栞は歯噛みする。

 確かに最高の復讐だ。こんな風に自分の憎悪を掻き立てるのだから。


「(姉様、あなたは酷い女です……)」


 自身の手を握っている紫苑の手に籠められた力が強くなったことを感じながら栞は静かに瞳を閉じる。

 自分はもうふとした瞬間にくらいしか姉を思い出さない。

 しかし紫苑は違う。今でも絶えず悔いている。

 それは彼の家に飾られている、自身が断ち切ってしまった腕を見ても明らかだ。

 何時だったか栞はアリスにこう責められたことがある。


"あなたとあなたのお姉さんのせいで、紫苑お兄さんは余計なものを背負ってしまったわ。

部屋に飾られている自分の腕を見る度にお兄さんは自分への憎悪を滾らせているわ"


 彼があの腕を見る度にどんな想いを抱いているのか、察せないほど愚鈍ではない。

 だからと言って栞には何も出来ない。

 当事者である彼女が「気にしないでください」と言っても無駄だろう。

 これは春風紫苑の心の問題だから。


「あ……っと、すまない。他の作品も見に行こうか」


 自分が苦い顔をしていることに気付いたのだろう。

 紫苑はぎこちない笑顔を作りながら栞の手を引く。


「はい」


 栞はこんな風に気を遣わせてしまったことが辛かった。

 いっそ弱音を吐いてくれたら良い、しかし紫苑はそれをしない。

 今だって栞とのデートを楽しいものにしようと考えているのだろう。

 だからそそくさとこの場から去ろうとした。


「ここは浮世絵コーナーか……栞、こういうの詳しいか?」

「え? ええ、ここにあるものは一通り語れるかと」

「なら良かったら解説してくれ。ほら、あの巨大な骸骨のとか」


 紫苑が指差す方向に飾られている浮世絵には巨大な骸骨と姫、そして武者らしき男が二人描かれていた。


「あれは相馬の古内裏という題の絵で、作者は奇才と呼ばれた歌川国芳です。

この絵に描かれている姫は滝夜叉姫という名で平将門の娘とされています」

「へえ……これは骸骨が姫を襲ってる――わけじゃないよな?」

「ええ。この妖怪は姫が召喚したものですからね」

「……えらくファンキーな姫様だなぁ(地雷女は何時の時代にも居るんだなぁ)」

『でもその地雷女と関わることになるって、すんげえ確率だと思うの俺様』


 すんげえ確率で複数の地雷女にフラグをぶっ立てた紫苑に草不可避。


「ふふ、そうですね。滝夜叉姫はこの妖怪を使って亡父の遺志を果たそうとしたのですよ」

「(親の遺志を継ぐとかアホらしいのう。昔の人間はやっぱ馬鹿だ)成るほど」


 当然ながら時代によって価値観なんてものは違う。

 だというのに最新の価値観で過去の価値観を哂うのは愚か者のすることである。


「ちなみに栞はこの歌川さんの絵で好きなものとかはあるのか?」

「そうですねえ……あ、ここにもありますね。ほら、あれなんて良いと思いませんか?」


 栞の視線の先にある浮世絵では着物を纏った猫が三味線を弾いていた。

 これを可愛いと取るか気持ち悪いと取るかは個人の感性によるだろう。


「……猫?」

「猫です」

「何故、三味線を……猫が三味線ってとんだブラックジョークじゃないか」

「江戸時代後期に流行した浄瑠璃、そのお稽古の様子を敢えて描くことで滑稽さを演出したのかもしれませんね」

「確かにこれは何となく面白い絵だな。本を持ってる猫はこれ、先生かな?」

「でしょうね。ふふ、私はこの渋い顔がどうにもツボなんですよ。可愛いでしょう?」


 そうやって解説を受けながら美術館を堪能した後は近くの喫茶店で食事を取り、古書店巡りへ。

 紗織とデートした時と似たような感じで日暮れまで歩き続けた二人は家に帰る前に銭湯に行くことになった。


「(ふぅ……ええ湯じゃのう……)」

『外はちらほら雪降り出してからな。温まるぜぇ……』

「(何それ? ツッコミ待ち?)」


 湯船に浸かりながらカス蛇と駄弁る紫苑。

 浴場を走り回るガキどもがひっじょーに鬱陶しいがそこは鉄の自制心で我慢だ。

 こうやってカスと話していると少しは苛立ちも紛れる。


『それより、ここからだなお前にとっての本番は』

「(またクソつまんねえ告白聞いてからの追い討ちで拷問だからなぁ……)」


 乙女の告白をクソつまんねえと断じるこの男に人の心はあるのだろうか?

 そして仮にも美少女との情交を拷問て……。


『嫌いな奴でも一回抱けば情が沸くらしいけど、お前は全然ないよな』

「(何で俺があの連中に情を分けてやらにゃならんのだ)」


 唾を吐くような物言いにカス蛇がカラカラと笑う。これでこそ春風紫苑だと。

 こんな酷い有様なのに、他人はこの男の背を見ているだけで人間というやつが高尚なものだと勘違い出来る。


「(さぁて、そろそろあがるか……)」


 浴場を出た紫苑は脱衣所で身体を拭き再び和装を身に纏う。

 朝に栞の着付けを見ていたので今度は一人でも大丈夫なのだ。

 着替えを終えると備え付けのドライヤーでよーく乾かしてから髪を結い上げる。


「ん、栞も今出たところか」


 脱衣所を出たところで栞とバッタリ鉢合わせする。

 どうやら彼女も紫苑と同じか少し早めに入浴を終えたらしい。


「ええ、それでは帰りましょうか」

「ああ」


 雪の振る夜道を、二人身を寄せ合って歩く。

 湯で温まった身体なんてすぐに冷えてしまったけれど、心はとても温かい。


「栞、少しじっとしてろ」


 紫苑の指がそっと栞の頭をそっと触れ、付着していた雪を払い除ける。


「ありがとうございます」

「いや」


 家に戻るまで互いの口数は少なかった。

 だがその静けさは不快なものではなく、栞にとっては心地良いものだった。


「(カッス、俺はちょっと流れを変えようと思う)」


 コートとマフラーを栞に渡してソファーに腰掛けた紫苑はそう切り出した。


『あん?』

「(今までは押し倒されてやっちゃったわけだが……。

ぶっちゃけ、俺にとっては苦痛以外の何ものでもない。

つーわけでそーいう雰囲気にならない空気を作ろうと思うのよ)」

『まあ好きにすれば良いんじゃねえの?』


 失敗フラグは目に見えている。

 何度も何度も下手をこいているのに自分の考えに絶対の自信を持てる紫苑は一言で表すと馬鹿だ。


「……なあ、栞」

「はい?」


 何処か遠くを見ているような紫苑の瞳にただならぬものを感じた栞は居住まいを正して彼と向き合う。


「俺、ずっとお前に謝りたかったんだ」

「……謝る、ですか?」

「俺は――――お前の姉さんを殺しちまった」


 血を吐くような言葉だった。

 拭えぬ後悔と罪悪感がありありと見えるような、そんな重苦しい一言。

 誰が聞いてもそんな感想を抱く物言いなのに、当人は欠片もそんな感情を抱いていないのだから恐ろしい。


「あれは、紫苑さんのせいではありません。だってそうでしょう?

私と姉様は十年前に決裂していたのです。それをどうこうしようというのは不可能です」


 その罪悪感は紫苑が抱くものではないと咎める栞。

 だがここではいそうですかなんて言ってしまえば話は終わってしまう。


「確かに、悲しいすれ違いで栞と紗織は憎み合っちまった。

でも、決定的な決裂ではなかったんだ。もしかしたら、変えられたかもしれないんだ。

俺は……拉致られてからお前が来るまでに、アイツと話をした」


 過去のことを持ち出してエロいことする空気を無くそう作戦発動である。


「その時さ……紗織は、泣いてたんだ。少し、あの子の心に触れられたんだ。

何かを変えられるとしたら、その時しかなかった。

憎みながらも何処かで元の姉妹に戻りたいってアイツは思ってた。

確かに俺は二人の関係に口を挟めるような筋合いはない。

だが、無関係だったからこそ、あの場で何かが出来たんじゃないかって今でも思うんだ」


 思ってない、対岸の火事を眺めるような心境で誰も彼も破滅しろとしか思っていない。


「気絶させられて、アイツが炎の中に消える時も動けなくて……。

俺は、俺は……栞の家族を、むざむざと死なせちまった……! ごめん、本当に……ごめん……!

謝っても赦されないかもしれない、でも俺は……死なせたくなくて……い、生きてて欲しくて……」


 零れ出す涙を拭うこともなくひたすら謝り続ける紫苑。

 「何時か自分の身を滅ぼしてしまうくらいに他者を想い過ぎる」栞の心境としてはそれに尽きる。

 客観的に見て紫苑は巻き込まれただけだ。

 腕を斬られて拉致されて目の前で焼身自殺をされる――むしろ怨んでも良いぐらいだろう。

 なのにこうやって自分の罪だと悔やみ続けている。


「……紫苑さん、泣かないでください」


 紫苑の隣に座り、その涙を拭う。

 熱い熱い涙は皮膚を通して心にまで染み渡っていく。


「もしかしたら別の道も……確かにあったのかもしれません。

ですが、それを掴むとしたらやはり私と姉様が歩み寄るしかなかった。

でも、私も姉様もそれをしなかった。出来ることをやろうとせずに憎み合って殺し合ってしまいました」


 愚かだ、本当に愚かな女だ――姉妹揃って度し難い。

 栞は少しばかりの自嘲を滲ませながら優しく語り掛ける。


「ならばそれは私達の罪なのです。姉妹だから分かります。

もしここに居るのが姉様で、死んでいたのが私だとしても同じことを言ったでしょう。

私は、そんな風に誰かのために泣けて、誰かのために頑張れる紫苑さんが好きです」


 エゴに凝り固まって道を間違え続けた過ち塗れの自分とは違う美しい人。

 そうはなれぬと分かっているからこそ、焦がれてしまう光。


「姉様のことを忘れずにいてあげてください、でも、引き摺らないでください。

今を生きている私のことを見てください。私は紫苑さんが涙を流すために悲しくなる」

「栞……(作戦失敗じゃねえか!)」


 予想通りである。


「紫苑さん――――愛しています、愛してください」


 白梅の香りが広がり、罪に濡れた夜が始まる。

今日の分はこれで終わりです。

明日、残りの五話を投稿します。

活動報告にも書きましたが明日も同じ時間帯になるかと。

今日は少しばかり遅れましたが……申し訳ない。

ともかく明日の夜九時の投稿で第一部が完結します。

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