愛の鎖『アイリーン』
翌日、その日は放課後まで半ば放心状態だった。
三千世界の烏を殺して主と朝寝(隠語)してしまったので無理もないだろう。
"あのね、こういうことをしたわけだけど、それで付き合うとかは止めて欲しいんだ"
今朝方、天魔は紫苑の胸に顔を埋めながらそんなことを言った。
勿論放心状態の野郎は半ば聞き流していたわけだが。
"じゃなきゃフェアじゃないからね。僕だけじゃない、他のアホ共も僕と同じくらい君を愛している。
だからさ……僕が一番だったからって、それだけで恋人になっちゃ申し訳ないからねえ"
クスクスと楽しげに笑う天魔。確かに彼女は恋敵を心底邪魔だと思っている。
隙あらばマジで蹴落とそうと考えている――しかしそれとこれとは話が別。
義務感のような形で結ばれるのも一つの形だが、
それならば早い者勝ち、つまりは誰でも良いということになってしまう。
それほどこの想いは軽くないと信じているからこそ責任を感じなくて良いと言ったのだ。
こうして情を交わしたのだって、愛されていることを知って欲しかったから。
それで少しでも自分を大事にして欲しいと思ったから――ゆえにこれでくっつこうなどとは欠片も思っていない。
「(カッス……)」
『あん?』
「(俺、汚れちゃったよ……腐れ外道に散らされちゃった……)」
春風紫苑は最初から汚れ系なので何の問題も無い。
ウ●コがクソ塗れになったところで汚物は汚物以外の何ものにもなれないのだ。
そして基本的なことを言わせてもらならば穢れてしまった、それは女の台詞である。
『あっそう』
「(あぁあああああああああああああ! 思い出しただけで腹が立つぜマジで!!
この俺の純潔をタダで食い逃げしやがってよぉおおおおおおおおおお!!!!
大天使とヤるまで取っておきたかったのにぃ……! 悔しい、カエサルもビックリやで!)」
『天魔、お前もか――ってやかましいわwww』
「(笑いごとじゃねえよ生皮剥がれたいか!? 財布にすんぞオラァ!!)」
カス蛇からすれば他人ごとなのでしょうがない。
しかし一体どうやって生皮を剥ぐつもりなのだろうか?
『おいおい、俺様の蛇皮って作った財布とか億超えるだろ絶対』
「(早起きする程度の価値しかねえよバーカ)」
『三文って言いたいのかテメェ!? 今現在使われてない貨幣で値をつけやがって……!』
「(実質タダってことでFA)」
『シャー!!』
「(初めて蛇っぽい鳴き声出したな。半年以上経ってからとかお前爬虫類失格だぜ)」
『るっせえ! それよりお前、そろそろ時間じゃねえのか?』
「(……忘れようとしてたのに止めろよマジで)」
時刻は午後二時、定期健診のために実習を休んだ紫苑は健診を終えた後、天王寺駅に来ていた。
ここに来たのはこれから少しばかり遠方へ出かけるから。
目的は言うまでもなくデートである。
「(はぁ……一泊とかマジ勘弁……)」
『良いじゃん温泉。俺様のお肌もツルツルになるってもんよ』
鱗があるのにツルツルになるのだろうか?
「(確かに美容という意味では温泉も悪くないけどさぁ)」
男の癖に女みてえな物言いしやがって。
「(でもそれは一人ならばの話だろ? 何でアイリーンと一緒に行かなきゃならんのだ)」
ここが駅の中でなければ今すぐにでも唾を吐きたい気分だった。
温泉宿で一泊とか流れが見え見えであり、嫌な未来がどうしても頭から離れないのだ。
『まあまあ、悪いことばっかじゃねえんだからさぁ。ポジティブにいこうぜ』
「(……まあ、確かに宿は奴が取ってるらしくて金払わなくて良いのは楽だけどさぁ)」
『良いことを探そうぜ紫苑。じゃなきゃ向日葵に笑われちまうぜ』
「(つーかさぁ。お前、俺のアレコレ恥ずかしい情交を強制的に見せられてるんだよな?)」
『ああ。餓えた獣にお前が貪り喰われてるのをバッチリ見てるぜ』
「(不快だとか思わんのか?)」
自分がカス蛇の立場だったならば間違いなくゲロを吐いていたという嫌な確信が紫苑にはあった。
『そりゃ価値観の違いだな。俺様は別に人のアレコレにどうとも思わんよ。だって蛇だもん』
「(そういうもんか……)」
『そーいうもんさ』
「(にしてもあのアマ、俺を待たせるとか何様のつもりだよ)」
そういう紫苑は一体何様なのだろうか?
『おい、来たみたいだぜ』
カス蛇の声に目を開けると、入り口からアイリーンが向かって来るのが目に映る。
「待たせた」
「いや良いさ(どいつもこいつも俺とデート出来るんだから一日ぐらい前から待機しとけよ)」
「切符」
「切符か? ああ、もう買ったよ。アイリーンも買ったか?」
「うん。もう出発出来る」
「そうか。じゃあ乗り場に行こうか。もう少しで来るはずだからな」
サービスがてらアイリーンの手を取った紫苑は彼女の手を引き改札を潜りホームへ。
今回の目的地は大阪から一時間と少しで辿り着く白浜。
本当ならアイリーンも本格的な隠れ湯がある場所に行きたかったのだが、
明日も学校があるので近場以外の選択肢がなかったのだ。
「しかし白浜かぁ……」
「行ったことある?」
「小学校の遠足でな。パンダを見に行った覚えがある」
パンダというと可愛らしいイメージがあるかもしれない。
しかし紫苑が初めて見たパンダは妙に薄汚れており白い部分が茶色がかっていた。
その上妙にやる気がなく、リストラされた中年のような振る舞いをしていたのだ。
「(あれは笑えたな……動物界のアイドルもこんなものかと)」
『やっぱ蛇が一番か……』
「(蛇がアイドルになれるわけねえだろ。頭潰されるのが関の山だっつの)アイリーンはどうなんだ?」
「私? 初めて。だから、調べた」
近場の温泉地をまずネットで調べて、見つけたのが白浜。
そこから更に良い宿を調べて予約したと言いたいのだろう。
「そうか。わざわざすまないな」
「良い。これも醍醐味」
デートというの勿論その最中も楽しむが、それまでも楽しむものだ。
好きな人とここに行きたい、こんなものを見たい、そう考えるだけで心が弾む。
その時間を苦に思うことはないとアイリーンは笑う。
「はは、なら楽しみにさせてもらおうか」
「うん。期待してて」
ホームに着いた電車に乗り込むと車内は混み合っていてとても座れそうにない。
立ったまま自然と密着するような体勢になったのだが……。
「(こ、このアマ……俺のフレグランスを嗅いでやがるぜ……!)」
首筋に顔を埋めるように寄りかかって来たアイリーンの鼻がフンフンと動いている。
これはもうどう考えても変態の所業だ。
『何この子犬?』
「(そういやこの馬鹿が憧れてる馬鹿もクランの猛犬とかって言われてたっけ)」
嫌悪感剥き出しの紫苑だが、一方のアイリーンは割とご満悦だった。
彼女自身は気付いていないがどうやら匂いフェチのケがあるらしい。
鼻腔を擽る柑橘系のボディーソープの匂いと僅かな汗の匂い。
それをめいっぱい堪能しているのだ。
「落ち着く」
「(もし俺が名前を書くだけで相手をデス出来るノート持ってたら一番最初にコイツ殺すわ)」
『そんなノートねーよ』
ただでさえ優秀な人間が嫌いな紫苑。
アイリーン・ハーンは優秀な人間から見ても優秀なチートクラスの人材。
だというのにまだまだ発展途上。
その明るい前途を閉ざしてやりたい欲求に駆られるのも薄汚れたコイツの性根からすれば仕方のないことだ。
「む……」
これまでは乏しい表情ながらも喜色が滲んでいたのだが、一瞬にして消え去ってしまう。
アイリーンは紫苑の首筋にある赤い痣を見つけてしまったのだ。
それは情交の証であり、この男は自分のものだと示す女の情念そのものでもあった。
一度気付いてしまうと気になって気になってしょうがない。
「むむ」
ここは車内だというのにアイリーンは躊躇うことなく紫苑の身体を調べ始める。
見ればあちこちに首筋にあったものと同じ痣が浮かんでおり更に彼女の嫉妬心を掻き立てた。
「(いい加減うぜえ……)アイリーン? くすぐったいんだが……」
「む、ごめん」
「(ごめんなさい紫苑様、あなたを不快にさせて申し訳ありません、
今すぐ腹ぁ掻っ捌いてお詫びしますだろうがダボがぁ!)いや、分かってくれたら良いんだ」
腹ぁ掻っ捌くべきなのはアイリーンではなく紫苑だろう。
恥の多い人生を現在進行形で送っている人間失格野郎なのだし。
「しかし俺は健診があったから実習は休んだが……アイリーンは随分と早かったな」
午後の実習が終わるのは大体午後三時半を回った辺りが一番多い。
しかしアイリーンがやって来たのは二時を少し過ぎた頃だ。
紫苑の言う通り早いと言わざるを得ない。
「頑張った」
ほんの少しだけ誇らしげな表情のアイリーン。
彼女はデートの時間を少しでも長くするために今日だけは周りに合わせず本気を出したのだ。
アイリーンのパーティメンバーからすれば迷惑な話――でもない。
紫苑と違って基本的に性格の良い人間ばかりのAクラス。
それはアイリーンの仲間達も同じで、彼らは自分達が足を引っ張っていることを自覚しているのだ。
ゆえに少しでも追い付きたいと日々努力を重ねている。
なので彼らからすればアイリーンが遠慮しないというのは歓迎すべき事柄なのだ。
「(俺ってばマジでモテるよな(笑)欠片も嬉しくねえが……っつか反吐が出る)」
美人に好かれてこんな暴言を吐くのはB専か紫苑くらいだろう。
『だったら普段の言動を改めりゃ良いんじゃねーの?
毎回毎回自分で墓穴掘ってるようにしか見えねえぞ』
セルフ墓穴掘りも数ある紫苑の特技のうちの一つである。
「(しゃあねえだろ。俺のキャラ的にさぁ。ずっとこれで来たんだよ?
クラスの女子のハートを盗んで来たんだよ小中と。
でもまさか高校に入った途端こんな地雷ばっか引き寄せるとは思わなかったんだもん。
いや、俺だってそりゃ止められるものなら止めたいよ?
だがな、普段の振る舞いを止めるってのには相当大きな理由が必要なのよ)」
そしてその理由は未だに見つけられない。まだまだ遊べるドン! ってな具合だ。
「(簡単なのが悪堕ちなんだが、
それをするためには親しい人間が殺されるフラグを立てないといけないんだわ)」
『でもお前の周りに居る(一方的に)親しい人間ってそう簡単に死にそうにねえよな』
「(ああ、困ったことにどいつもこいつもGみてえにしぶといからな。一体何フォーマーだっつの)」
そのしぶといのの筆頭がアイリーンだ。
多くの修羅場を潜った紫苑だが未だに四月の戦いはトラウマとして深く心に刻まれている。
例のダンジョンで出て来る敵や京都で戦った鬼などは人外。
しかしアイリーン・ハーンは紛うことなき人類で同じ種族のはずなのだ。
なのに猛毒に身体を犯されながらも縦横無尽に暴れまわることが出来る……。
紫苑からすればちょっとしたホラーだ。
「っと、着いたみたいだな。ここからは案内、任せて良いんだよな?」
カス蛇と駄弁っていると一時間なんてあっという間だった。
白浜駅に着いた二人は改札を出て広場へと出る。
「うん、任せて。とりあえずタクシー拾う」
ちょっと本気出せば紫苑を抱えてタクシーのスピードより速く走れるアイリーンだが、
それでも土地勘がないのならば意味はなく、タクシーを拾う方が効率的である。
「丁度止まってる、行こう」
「ああ」
駅前に止まっていたタクシーに乗り込みアイリーンは目的地の住所を告げる。
当然のことながら紫苑にはそれが何処か分からないが、特に興味も無いらしく窓から外を眺めていた。
「ん、着いた。ここ」
「(おお! 何かすっげえ高そうなとこじゃん! うんうん、金かかってそうなとこは好きだぞ俺!)凄いな……」
辿り着いたのはかなり大きな旅館で、佇まいもそこらの宿とは一線を画していた。
如何にも金持ち――それも品の良い連中を相手にしていそうな感じがする。
「その、良いのか? 俺も金は持って来てるし……」
「大丈夫。それに事前に払ってある」
だから気にしなくて良いと紫苑の手を引き旅館の中へ。
「ハーン様とお連れの方ですね?」
紫苑の名前が出ないのは名が売れ過ぎているためアイリーンが配慮したからなのだが、
当人からすればチヤホヤされたかったらしく内心では不満たらたらのようだ。
「うん、案内よろしく」
「はい……ですがその、一つだけよろしいでしょうか?」
二人の対応をしている妙齢の女性はどういうわけか紫苑の顔を見つめている。
「(あれ? これ来たんじゃない? やっぱりねー、参ったなぁオイ)何でしょうか?」
「その、失礼ながら春風様――では御座いませんか?」
「(ほらキター!!)えっと……はい、そうですが」
紫苑が肯定すると女性は手を叩き全身で喜びを表現する。
「まあまあ、御会い出来て光栄です。妹が御世話になったようで……」
「(最初に逃がした連中の身内ってとこか)その、話が見えないのですが」
「ああ、これは申し訳ありません。うちの妹は京都におりまして、駅前で春風様に命を救って頂いたと」
深く頭を下げる女性を見て紫苑の優越ゲージは急上昇。
そうそう、これだよ、こういうのを期待してたんだよ!
デートをしなければいけないという不機嫌さも何処へやら。
「御気になさらず。俺は俺の正しいと思ったことをしただけですから」
「それでも……っとごめんなさい。今、お部屋に案内しますね」
何時までも入り口で駄弁っているのもおかしな話だ。
女性は自分の職務を果たすべく紫苑らを先導して予約を取っている部屋へと向かう。
『おお……すげえなぁ。一等良い部屋じゃねえのか?』
通された部屋はそこまで広くはないものの、
調度品の一つ一つを取っても普通のものとは違い控えめながらも特別さを醸し出していた。
窓から覗く景色も素晴らしく、この宿でもかなり良い部屋だということが見て取れる。
「夕食は十九時にお部屋にお運びしますので」
「分かりました。ありがとうございます」
頭を下げて女性が退室すると部屋の中は二人だけに。
これからこのコミュ障と一日一緒かと思うと眩暈を堪えきれない紫苑だった。
「さて、どうするアイリーン? まだまだ時間はあるから街に出るか?」
「ううん。温泉」
「いきなりか? まあ、確かに一日しかないからな。それも悪くないか。なら俺は部屋で待ってるから――――」
一人で行って来ると良い、そう言おうと思ったのだがアイリーンがそれよりも早く紫苑の手を取った。
「一緒に」
「えーっと……一緒っていうのは……その……」
「混浴」
「(オエ……!)待て待て。俺は男でお前は女だろう?」
「平気。紫苑になら、見て欲しい」
「(俺は見たくない)」
とは言えアイリーンの意思を曲げられそうにはない。
紫苑は小さく溜息を吐いて入浴セットを鞄から取り出し準備を整える。
「眼鏡?」
部屋を出ようとしたところでアイリーンが紫苑の顔を指差す。
外出用の眼鏡をつけたまま風呂に行って大丈夫なのかと言いたいのだ。
「あー……そうだな。風呂に入ってる時は曇るし部屋に置いていくか」
「そうした方が良い。素顔の方が、好き」
「うん……その、ありがとう」
浴場は混浴でも脱衣所は男女別。
脱衣所の前でアイリーンと別れた紫苑は溜息を吐きながら服を脱ぎ始める。
「(見た感じ他の客も居そうだし、そいつらと駄弁って気を紛らわそうかねえ)」
そこまでしてアイリーンと絡みたくないのか。
『ん? おい紫苑、見ろよ』
「(あん?)」
ふと浴場の入り口を見れば顔色を悪くした男達がこぞって出て来た。
一体どういうことだ? 困惑する紫苑を他所に男達はいそいそと服を着て出て行ってしまう。
「(……何かあったのか? すげえブスとかが入ってるとかだったりwww)」
『楽しそうだなオイ』
「(そりゃブスを見れば気分良くなれるからなぁ。どれ、どんな化け物が入っているのかにゃー♪)」
タオルを腰に巻いて浴場に飛び出すが、どういうわけか誰も居ない。
さっき出て行った男達はともかくとして、予想していたブスも居ないのだ。
『アイツら何で出てったんだ?』
「(鰐が入り込んでるとか?)」
『いやお前、海に面した街で何で鰐だよ』
「(誰かのペットとか……ああでも、やっぱ何もいねえな)」
『一体どういうこった?』
「(さあ?)」
首を傾げる一人と一匹――さて、種明かしをしようか。
当然のことながら女の子というのは他人に裸を見られたくないものだ。
好いた男ならばともかく見知らぬ男に見られるなど想像するだけで反吐が出てしまう。
加えて言うなら好きな男が他の女の裸を見るのだって嫌だ。
つまりはこういうこと――――そうだ! 殺気で中の客を追い払おう!
ってなわけでアイリーンは脱衣所から浴場に向けて逃げ出したくなるレベルの殺気を放ったのだ。
更に言うならば彼女は風呂に入っている間も外に殺気を放ち続けて人を追い払うつもりだ。
と ん だ 営 業 妨 害 で あ る。
「不思議なもんだ」
掛け湯をして浴槽に身を浸す紫苑。
パネェ屑であろうとも彼とて日本人、今の紫苑はとても安らいだ顔をしている。
「(あー……染みるわぁ……)」
『爺かよテメェは』
「(るっせえ。それより効能は何じゃろ?)」
近くの立て札には肩こり腰痛、美肌効果などと書かれており更にご機嫌が加速。
ジジババ御用達の効能に興味はないが美肌効果は見逃せない。
「(オホホ! あてくし、更に美しくなるざまぁす)」
と、マダムっていると女側の脱衣所の扉が開く。
現れたのは一糸纏わぬアイリーン・ハーン。
高校生とは思えぬ肢体を惜しげなく晒しているのはひとえに見て欲しい人間が居るから。
それでも少々顔が赤いのは照れもあるからだろう。
「……お、お待たせ」
「ん、ああ」
紫苑も意図的に頬を染めて目を逸らす。言うまでもなく純情少年アピールである。
ぶっちゃけ見ていてもどうとも思わないのだがガン見していれば変態だし、
興味無さそうに視線を逸らせば不能かと思われるしアイリーンの機嫌も損ねてしまうかもしれない。
正答は純情アピール以外には無いのだ。
「その……どう?」
浴槽の近くに立つアイリーンは湯船には入らずに紫苑にその身体を見せ付けている。
疵一つ無い真白い肌は雪のようで、触れることすら躊躇うほどに美しい。
それ以外にもバランスだって素晴らしい。
出るとこは出て、引っ込むところはしっかり引っ込んでいる。
これでもかというほどに女を感じさせる身体つきだ。
「(カッス、どうよ? 俺はどうでも良い)その……あの……」
『だから俺様に人間の感想を求めるなよ。っつーかもっとムキムキだと思ってたのにそうでもねえな』
「正直な感想、聞かせて?」
恥じらいを押し殺しながらもアイリーンは重ねて問いを投げる。
自分の身体が想い人にどう思われているのか知りたいのだ。
正直な感想が欲しい、でも褒めてくれるのならばもっと嬉しい。
白磁の肌に緊張からか汗が浮かび、更に色気を匂わせ始めたが……。
「(興味ねえことに答えるのが一番しんどいわ)……綺麗、だ」
蚊が鳴いたような小さい声、これもまた演技の一つである。
「手を(ふぅ……何で俺ばっかりがこんな目に……はぁ)」
「手……?」
紫苑に言われるがまま手を伸ばすアイリーン、彼はその手を取って自分の胸に押し当てる。
「俺の心臓、ドキドキしてるだろ?」
「うん……凄く、分かる」
「あんまりにもお前が綺麗過ぎて……正直、直視するのも辛い」
「……あ、ありがとう」
アイリーンはジーンと自分の胸が熱くなるのを感じていた。
褒めてもらえた、綺麗だって言ってくれた、何度も何度も紫苑の言葉がリフレインする。
幸せな気持ちを抱えたまま湯船に入り彼の隣へ。
「(掛 け 湯 し ろ よ)」
肌がピタリとくっつく超至近距離に別嬪さんが居てそれか。
まず出て来る感想がそれか、肉体的にはともかく精神的には絶対不能だ。
「~♪」
紫苑の肩に頭を預けて鼻歌なんか歌っているアイリーン。
それだけさっきの言葉が嬉しかったのか、あるいはこれから先のことを考えてか……。
「良い湯だなぁ……(あたしもっと綺麗になるわよ)」
そ の カ マ 口 調 を 止 め ろ。
「うん……ん?」
「どうした?」
「お腹。それ、どうしたの?」
アイリーンの手が紫苑の腹部に添えられる。
その手の下にあるのはかつて槍で腹を貫いた時に出来た傷だ。
パーティメンバーや紫苑と一緒に暮らしているアリスは知っているがアイリーンはこれが初めて。
ゆえに先ほどのご機嫌気分も何処へやら、とても険しい顔をしている。
「形からして……槍?」
「よく分かったな。ああ、夏に自分の腹をぶち抜いたんだ。理由は……まあ、聞かないでくれ」
折角良い気分で温泉に浸かっているのに雲母の話なんかしたら楽しめない。
何か深い事情があるように含ませてアイリーンからの追求を逃れる。
「ん、分かった」
「助かる……さぁて、身体洗うかねえ」
そう言って立ち上がると同時にアイリーンまで立ち上がる。
小首を傾げる紫苑だがぶっちゃけもう流れは読めていた。
「(背中流すってんだろ?)どうした?」
「私が、背中流す」
「(ほらな! 単細胞の馬鹿が考えてることなんざ俺にはまるっとお見通しなんだよ!)そ、そうか」
「任せて」
「分かった。頼むよ(嫌だなぁ……)」
背中の皮膚ごと摩り下ろされてしまえ。
二人はその後も浴場で(一方的に)いちゃつき、外に出る頃にはもう五時前になっていた。
「(ふふっふー♪ ゆーあーがーり卵肌~♪)」
部屋に戻った紫苑は窓の前に立ちフルーツ牛乳片手に上機嫌だった。
そんな彼の様子も少しはアイリーンにも伝わっていたのか、
「良かった」
と優しい笑顔を浮かべていた。
「紫苑」
椅子に座ってコーヒー牛乳を飲んでいたアイリーンだが、
瓶をテーブルに置くと真剣な表情で紫苑の名を呼ぶ。
「ん?」
「私の話、聞いて欲しい」
「……ああ」
振り向き、窓に背を預けたまま紫苑はアイリーンを(表面上)真面目な顔で見つめる。
彼女は一度静かに頷き、ゆっくりと、拙い言葉で思いの丈を語り出す。
「春に、憧れを超えるという選択肢を貰った」
「(今思えば、あそこでコイツに負けてれば俺は危険な目に遭うこともなかったんだよな……。
何で勝たなかったのかなこの女。ホントもう役立たずと言わざるを得ない!)」
一体何を食べて育てばここまで自分勝手な思考が出来るのか。
「そして、快い敗北も貰った。それから、好きになった」
寝ても覚めてもあなたの顔がチラつく。
生まれて初めての恋、一生に一度の恋、ドキドキしたり胸が苦しくなったり、
良いことばかりじゃないけどそれもまた彼女にとっては心地良いものだった。
「私の恋、私が目指す憧れの先、私は毎日毎日考え続けて来た。
そしてその答えがようやく出た。アイリーン・ハーンの真実の正答」
「……聞かせてくれ」
黄昏の赤に染まる部屋の中で告白は続いていく。
一世一代の大事な大事な告白、それを邪魔する権利は誰にもない。
「――――幸せになる。それが私の出した答え。
戦うことは止めない、でもそれだけで終わるつもりはない。
好きな人と結ばれて、長い時間を一緒に過したい。子供だって欲しい。
恋人になって妻になって母になって、何時かは祖母になる。
そうやって大好きな人と一緒に時間を重ねて、そうやって歳を取っていきたい。
そして何時の日か、大切な人に問いを投げる。私と一緒に居て幸せでしたか……って。
幸せだった、そう言ってくれた笑ってくれた時、初めて私は憧れを超えられるんだと思う」
アイリーンの言わんとしていることは紫苑にも伝わっていた。
クー・フーリンは悲しい最期を飾った、
だからこそ自分は戦士として生きながらも一人の女として幸せになる。
そうすることで憧れを超えるつもりなのだと完全に理解しているのだが……。
「(知ったこっちゃねえ)」
「そのためには、あなたの存在が何よりも大事。
京都のことを知った後で……とっても後悔した。護るって誓ったのに何も出来なくて」
あの日、アリスの前で毅然と誓いを立てたのに護ることが出来なかった。
その事実は身を引き裂かれるよりもアイリーンの心を苛んだ。
「だから、ここであなたに誓いたい」
立ち上がり、紫苑の前まで歩み寄りその場で片膝を突き、
彼の手を取ってその甲に一瞬だけ唇を落とす。
「――――誓い《ゲッシュ》をここに」
あの日と同じ、しかし目の前にはあの日居なかった護るべき大切な人が居る。
ジーンと熱くなる胸。アイリーンは歌うように誓いを口にしていく。
「アイリーン・ハーンは何があっても春風紫苑の味方で在り続ける。
寄り添い続けよう、例え世界の敵になったとしても。
どんな絶望的な戦いで、誰が彼を見捨てようとも、自分だけは見捨てない。
例え神が敵であろうとも私は槍を取ろう。槍が折れたらこの両の腕で薙ぎ払う。
腕がもげれば両の足で蹴り飛ばす、足が潰れれば噛み付いてやる。
死したのならば魂魄となって戦い続ける。誰のためでもない春風紫苑のために」
愛の誓いを立てるその顔は惚れ惚れするほどに美しい。
「――――私はあなたを愛している、誰よりも何よりも、この世界よりも」
陳腐な言葉、しかしその言葉の裏に潜む情熱は世界を焼き尽くすほどの熱量を持っていた。
誓いとは己と相手に立てるもの。この瞬間、アイリーン・ハーンの誓いは完全なものとなった。
『おーおー、情熱的な告白だねえ。だってのに微塵も心が動かされないのは流石だよ』
「(だってタイプじゃないもん)」
「紫苑……」
立ち上がったアイリーンが潤んだ瞳で紫苑にしなだれかかる。
彼女の身体が熱いのは湯上りだからというわけではないだろう。
「……ま、待てアイリーン」
ことここに至って拒否するという選択はない。
既に天魔と致してしまっている以上、拒否すれば角が立つ。
嫌でも我慢しなければいけないのだと紫苑は自分に言い聞かせている。
だが、
「その……もう少ししたら夕飯だし、な?」
一時間半ほどで十九時になる、そうすればこの部屋に夕飯が運ばれて来るのだ。
だから今は止めようと嫌なことを先延ばしにする紫苑だったが……。
「大丈夫、お風呂上がってから時間変更伝えておいた。OKだって」
普通ならばそんな特例は許されないかもしれない。
だが、ここに来て春風紫苑の名がものを言う――特例を認めてしまったのだ。
「(最悪だ……もう吐きそう……)」
「御飯なら――――運動してからの方が、良い」
そう言ってアイリーンは紫苑の首筋に強く吸い付いた。
他の女の痕跡を塗り潰すように激しく、妖しく、その肌を貪る。
愛してる愛してる愛してる! 言葉よりも雄弁な行為だった。
「(天井のシミを数えてる間に終わらねえかなぁ……)」
お 前 は 生 娘 か。




