チート女を堕とす冴えたやり方 三
春風紫苑が率いるパーティとアイリーン・ハーンが属するパーティの、いわばAクラス頂上決戦が行われるグラウンドでは困惑が巻き起こっていた。
見物人はAクラスだけでなく、勉強になるからと他のクラスや学年も参加しているのだが……。
誰一人として目の前で起こっていることの意味が理解で出来ていない。
「何だありゃ……? 野点、の準備?」
グラウンドの中心には赤い敷物と大きな赤い傘が設置されている。
それは俗に言う野点と呼ばれる野外で行う茶会のセットに見える。
しかし、それが何故今日グラウンドに?
「あ、おい! 来たぞ」
疑問が解消されぬままグラウンドの両端からそれぞれの陣営が現れる。
紫のシャツに黒いネクタイを結んだスーツ姿の紫苑と脇に控える四人。
彼らも正装に身を包んでおり、全身黒の集団は異様な迫力があった。
一方で反対側からは、
「あれ、一人しか居ないわ。他の四人はどうしたのかしら?」
これまたセクシーなドレスに身を包んだアイリーンがやって来た。
ドレスと言っても過剰なものではなく、動きやすさはありそうだ。
「それじゃ、僕らは準備してるから行ってらしゃい――――リーダー」
「ああ、行って来る(ううむ……こんなにもギャラリーが居るとはな。負けたらすっごい恥かくだろうなぁ……ああ、嫌だ嫌だ)」
四人と途中で離れ、一人グラウンドの中央に向かう。
表面上は何時もと変わらぬ鉄面皮だが内心ではかなり焦っていた。
チート女とサシで食事をすると言うのも怖いし、ルドルフが用意した正装は派手でマフィアみたいだしで気分は最悪。
「作法は、詳しくない」
「構わない。食事だ、気楽に行こうじゃないか」
二人は敷物の上で正座のまま向かい合う。
和風のセットと比べてミスマッチな二人だが共に美男美女、絵にはなっている。
もっとも紫苑の中身はそこらのホストとかDQNレベルなのだが。
いや、流石にそれはホストやDQNに失礼か。
「……」
「どうした?」
「……に、似合っている」
「? あ、ああ。スーツのことか?(単語で喋るな分かり難い! このコミュ障が!!)」
若干頬を赤らめながらの賛辞だったが紫苑のハートを揺らすことは出来なかったようだ。
「とても、凛々しい」
「そちらこそよく似合っている。綺麗だよ」
心にもないことを言うのは最早生理現象の域だった。
「て、照れる……」
「しかし示し合わせたわけでもないのにそちらも正装をして来てくれるとはな」
「礼を失するわけにはいかない」
大事な戦いに臨む以上礼を欠いては戦士の名折れだと彼女は言う。
だからこそわざわざドレスなんてものを着て来たのだ。
まあ、多少は着飾った自分を紫苑に見てもらいたいと言う乙女心もあったのだが。
「では、食事としようか」
「御馳走になる」
ペコリと頭を下げて感謝を伝えるアイリーンを見て紫苑は不安を覚える。
彼女自身は毒であれ何であれ自分のために、自分との戦いのためだけに用意してくれたことへの感謝を述べただけ。
だが礼を言われた方は何か対策があるのか? と邪推してしまうのだ。
「懐石?」
「ああ、とは言っても正規のそれとは些か以上に違うがな」
給仕の女性が運んで来た飯、汁、向付が二人の目の前に置かれる。
本来なら歓待すべき主人が持って来るのだがそこは目を瞑るべきだろう。
「箸は、使えるだろう? 十歳から日本に居るようだし」
「問題無い。では、いただきます」
「いただきます」
まずはご飯を軽くつまみ、すぐに汁を口にする。
「ッッ~~!!」
同じように手をつけた二人だが、違いは顕著だった。
紫苑は涼しい顔で食事を続けているが、アイリーンは突然吐血してしまった。
「味は如何か?(フハハ! この勝負、俺の勝ちだぁ!!)」
『おい、俺様何か不安になるから止めろよ』
皮肉で投げた質問だが相手には伝わっていないようで、
「美味、ありがとう」
アイリーンは微かな笑みを浮かべて血を拭っていた。
「きゃぁ! ち、血!? 何が起こってるのよ! 先生、止めなくて良いの!?」
驚かされたのは事情を知らない見物人だ。
戦いが始まるかと思いきや、いきなりグラウンドで御上品に食事を始めたのだから。
しかも片方がヤバイくらいの血を吐いたのだから驚くなと言う方が無理だろう。
「……ああ、成るほど。そう言うことかね」
当然のことながら担任であるヤクザは生徒のデータをキッチリ頭に叩き込んである。
ゆえにアイリーンがアイリッシュであることも承知してあった。
「食事、毒、彼女はそう言う信念を持っていたわけか。道理で強いわけだ」
断片的な材料からアイリーンの胸に宿るクランの猛犬への憧れを看破。
これは些か変則的だがクー・フーリンが辿った終わりへの道と似ているのだと気付く。
「か、感心してる場合じゃねえでしょ薬師寺先生!」
「構わない。それより君達、静かにしたまえ。食事の邪魔になるだろう」
チラリとルドルフらに視線をやり頬を緩める。
待機している彼らは皆、良い顔をしていた。
張り詰め過ぎず、かと言って緩過ぎず。ベストコンディションと言って良いだろう。
アイリーンが吐血したからと言って欠片も油断は無い。
むしろこれからが本番だと闘志を高めているようですらある。
「で、でも! こんなの……!」
「――――聞き分けの無い子は良くない。三度は言わん、静かにしたまえ」
静かな威圧によりグラウンドは静まり返った。
ヤクザを始めとした教師陣は興味深そうに二人の食事を見守っている。
どの顔にも感嘆の色が浮かんでおり、この戦いの運び方、アイリーンの信念、そのどちらにも感心しているようだ。
「未成年だが……ま、今日くらいは見逃してもらおう。学校で飲酒と言うのも乙だろう」
「然り、これもまた風情」
盃を軽く掲げ、二人は一気に酒を飲み干す。
飲み干し終えた後にアイリーンを襲ったのは強烈な痺れ、
舌先がもつれ言葉を発するのも困難なほどの痺れに瞳が揺れる。
「(……あれ? やばくね? 何でコイツぶっ倒れないわけ? 不安的中しちゃった?)」
その可能性は考慮していたものの、淡い希望に縋りつきたくなるのが小者の性。
震えてはいるものの未だに姿勢一つ崩さないアイリーンを見て不安が募る。
「い、何時か……」
「何時か、何だい?」
必死に言葉を発っそうとしているアイリーン、それを見て若干不安が薄れる。
効いていないわけではないのだと――――何とも単純な男である。
「これ程の一品ではないが、お気に入りを馳走する」
今出された高い酒ほどではないがお気に入りの林檎酒がある、
何時かそれを紫苑にご馳走したいと、純粋な好意を以ってアイリーンは伝えたのだが……
「(復讐宣言キターーーーーーーー!! やべえ、今日ここで殺さなきゃマズイぜ!?)」
『落ち着けよ』
当然のことながらこの男に伝わっているわけがない。
月9とかのトレンディドラマでもここまでは無いだろって言うくらいのすれ違いっぷりだ。
「フッ……楽しみにしているよ」
それでも見栄っ張りで意地っ張りで他人に良く見られたいと思うのが春風紫苑。
決して取り乱すことはせずに、ニヒルな笑みを浮かべている。
内心はいっぱいいっぱいなのにここまで取り繕えるのは賞賛に値すると言って良いだろう。
「祖国を案内するのも、楽しそう」
日本の伝統を味あわせてくれたのだから自分の国の素晴らしさも伝えたい。
つまりはそう言うことだが、
「(異国で土に還してやるってこと!?)」
『だから落ち着けよ』
もはやコイツについては言うまでもないだろう。
「湯葉?」
「ああ、湯葉だな。これはまた中々いける(ごめんね湯葉、ぶっちゃけお前のこと馬鹿にしてたよ)」
その後も煮物、焼物、預け鉢、吸物、八寸、湯と香の物、甘味と次々に平らげていくが……
「――――!!」
その度に毒が追加されアイリーンの心身を陵辱していく。
「これが、最後の茶だ」
「……いただき、ます」
茶器を傾け一気に飲み干す。
これで都合十の毒がアイリーンに付加されたわけだ。
「(いけるか……? 出来るならば、これで終わ――――)」
「ぉ」
立ち上がったアイリーンは足元すら覚束ないが、
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
闘志だけで言うならばかつてないほどに満ちていた。
置いてあった槍を手にするや紫苑の心臓目掛け神速の突きを見舞う――――
「いきなり玉を取らせるほど優しくはありませんよ」
「生憎と、我らの頭は後衛でな。畑違いなのよ、ここから先の歓待は我らが受け持つさ」
が、糸で編まれた槍と白銀の槍が交差してアイリーンの一撃を防ぐ。
臨戦体勢だった栞とルドルフは敵が動く前よりも飛び出していたのだ。
ゆえにこそ神速の突きは紫苑の心臓を貫くことはなかった。
「うぎぎぎぎぃ……!!」
「何と言う剛力ですか!? 鬼神もかくやですね……!」
「だがな、通しはせんよ! 我らを信じて身を張った紫苑の期待に応えるためにもなァ!!」
当然のことながら食事が終わった瞬間、真っ先に狙われるのは紫苑だ。
何せ一番近くに居るのだから狙わない方がおかしい。
そのリスクを飲んでアイリーンと向かい合って食事をする役目を担った紫苑の英断。
自分達が必ず防ぐと信じてくれているのならばそれに応えずしてどうして仲間と言えようか? 二人は燃えていた。
「(死ぬかと思った! 死ぬかと思った!! 死ぬかと思った!!!)」
『キャンキャンキャンキャンうるせえよ!?』
が、紫苑は当然のことながらそんなリスクに気付いていなかった。
そもそもアイリーンが動けるのも織り込み済みだったとは言え、それでも正直毒をねじ伏せて攻撃して来るとは思っていなかったのだ。
そこらの見通しの甘さが何とも紫苑らしいと言えるだろう。
「ハッハァ! 反応出来たのは二人だけじゃないんだぜぇええええええええええ!!」
槍を抑えている二人の肩に手をつけて空中で一回転し、そのままの勢いでアイリーンの頭上に踵を落とす天魔。
心底から血が滾っているらしくその瞳はギラギラと煌いている。
「(この隙に下がって、アレを使わにゃ! クソ、まさか毒でデッドエンドにならないとはな!)」
離れようと駆け出した瞬間、
「がぁああああああああああああ!!」
凄まじい雄たけびが大気を鳴動させる。
ちらりと振り返ってみればアイリーンが脳天に落とされた踵を引っ掴んで、そのまま片腕で振り回し天魔を地面に叩きつけているではないか。
轟音が響き渡り、地面にクレーターが形成され天魔は血反吐を撒き散らしている――何て出鱈目。
「(何だあのクリーチャー!?)」
怪物っぷりを目にした紫苑の足は更に速度を増し、最初にルドルフらが待機していた場所に辿り着く。
そこには巨大な魔方陣が描かれていた。
「……手間をかけたな」
「ええんよ。それじゃ、御願いな。うちは折りを見て回復に向かうから」
魔方陣は紫苑が食事をしている最中に麻衣が描いたものだった。
「――――彼は戦うことを好んだのだから、力は彼自身に宿るように」
この魔方陣は滅多に使われない手間のかかった強化魔法を使用するためのものだ。
ダンジョン内で敵をある地点で待ち伏せて迎撃する時くらいしか使わないし、手間隙もかかるから余り使われることはないが面倒な分、効果は段違い。
Cの中相当の紫苑の強化魔法でもAの下、相当の効果を叩き出すことが出来るのだ。
「死することを望まなかったのだから、死は彼を遠ざかるように」
媒介の槍を胸の前で横に掲げながら歌い上げる。
「死することを望まなかったのだから、死は彼を遠ざかるように!」
力強い詠唱、それは傍から見れば気合が入っているように見えるだろう。
まあ、当人の心境は必死過ぎて泣けるくらいなのだが。
「力を水のように腑へ、油のように骨髄へ染み通せ。纏いし力は汝が敵を屠る剣となるッ!!」
グルグルと片手で槍を回し穂先で天を突き、叫ぶ。
「多くは言わん――――勝利を掴めェ!!!!(勝て勝て勝て勝て! つかそいつ殺せぇ!!)」
それに呼応するように仲間達は雄たけびを上げる。
「ッッ……邪魔!!」
栞の槍が糸にばらけてアイリーンを拘束しようとするが、彼女はそれを槍の一薙ぎで無力化する。
「まあそう言うな! 同じ槍使いとして是非とも死合いたいのだよこちらはなァ!!」
次いで放たれたルドルフ脳天を穿つ一刺し、それは皮一枚の最小限の動きで回避されて逆に反撃を喰らってしまう。
「づぁ……!?」
心臓を狙ったそれを避けることが出来たのは強化の恩恵だろう、それでも完全には回避出来ずに左肩が穿たれてしまう。
噴き出す鮮血は熱く熱く、どうしようもなく滾っていた。
「フォローはうちや!」
しかし、すかさず接近していた麻衣がルドルフの身体を叩き回復させる。
勢いのままに走り抜け再び距離を取る様は見事と言う他無い。
「ヒャハハ、紫苑くんに首っ丈なのは分かるけど僕も無視しないでよ♪」
「……浅薄!」
背後の気配に振り返れば天魔が空中から襲撃をかけようとしていた。
身動きが出来ない空中から仕掛けるとは浅はかなり!
アイリーンはそう咎めながら後ろに振り向く勢いで槍を振るい、纏わりついていたルドルフに距離を取らせて迎撃体勢に移行する。
「浅薄かどうかは試してみなければ分かりませんよ?」
刹那、空中に幾つもの足場が形成される。
「糸は変幻自在、千変万化。さあ、醍醐栞の糸繰り、御堪能あそばせ」
天魔は幾つもの足場を蹴ってフェイントを使い、アイリーンの横っ面を蹴り飛ばす。
「……何て、ハイレベルな」
一連の攻防を見ていたギャラリーの一人がポツリと呟く。
とても学生レベルとは思えない戦闘は息をするのも忘れるほどに凄絶だった。
「とても綺麗な連携、あの子達一年生でしょ? 組んで間もないのに何て信頼関係なの」
「Aクラスと言うことは友達同士で組まされることはない。
面識も無い人間とよくもまあ、この短期間で揺るがぬ信頼関係を結んだものだ」
上級生らは後輩とは思えぬ後輩達に感嘆の溜息を漏らす。
「要となるのは彼、春風紫苑だな。どう見ても」
「ああ、あのやり取りを見ている限り相当な信を置かれているな」
「命を預けられるリーダーってわけね。ちょっと羨ましいわ」
「だが彼らも見事だが、相手のアイリーンって子も化け物よ」
「ですね。たった一人であの鬼の連携と渡り合っているのですから……それも毒に侵されたまま」
真のチートは誰だと言われたらそれはアイリーンだろう。
あり得ないくらいに強い、強過ぎてそれしか言葉が見つからないくらいだ。
「せ、先生。アイリーンさんはどうして食事を食べたんですか?
どうして他の四人はこの場に居ないんですか?
いや、そもそもこの戦いは定石なんてものを遥か遠くに放り投げています」
理外の範疇にあるこの戦いに問いを投げたのは紫苑らと同じAクラスの生徒だった。
同級生達のレベル差をまざまざと見せ付けられた彼女達は何処か悔しそうだ。
「やはり、良い刺激になったようだな。うむ、軽く説明をしてあげよう」
紫苑らの戦いが与えた刺激に頬を緩ませながらヤクザは講義を始める。
「まず、この場にアイリーン・ハーン、彼女以外が居ないのは事前に排除したからだろう」
「……排除?」
剣呑な言葉に質問をした生徒のみならず他の子らも眉を顰める。
「恐らくは二日前、個々に襲撃をかけて四人を戦闘不能にして拉致監禁。
そうすることで不確定要素を排除した。非道外道などと言う白けたことは言わないでくれよ」
三日前に紫苑らが身を以って伝えた"本気になれ"その言葉を忘れたわけじゃないだろう?
事情を知っている生徒らはヤクザの言葉に黙り込む。
「事前に私に連絡があった。戦いは既に始まっていると言う認識で構わないのか、とな。
今の状況を見れば意味は分かるだろう? そんなことを聞いて来たのは春風くんのみだよ」
つまるところ、意識の差で他の者らは既に遅れを取っていたのだと諭す。
「さて、次だ。どうして毒を喰らったかだったな? アイリーンさんの矜持を突いたのだよ。
綿密な情報収集を行い、春風くんは黄金を手に入れた。
アイリーン・ハーンと言う人間が持つ命を捨ててでも絶対に譲れない一線を看破した」
恐らくは間違っていないであろうクー・フーリン絡みの逸話を語る。
「強かにもほどがあるな。もし、彼女が拒否していれば……
私達の目には見えないし、その時は恐らくは気付けないだろう。
それでも春風紫苑らは瑣末な敗北と共に得難い勝利を手にしていただろう」
命を賭けるほどの矜持を捨てさせられた、それがどうして敗北ではないと言えるのか。
それは冒険者にとっての勝利ではないかもしれない。
しかし、一切の価値無しとは言えないだろう。
何せアイリーンほどの傑物の矜持を完全に圧し折ったことになるのだから。
だからと言って食事を受け入れたところで待っているのは猛毒のフルコース。
余りにもえげつなく、遊びが無い策に戦慄が広がっていく。
春風紫苑――――そこまでのやるのか、と。
「男子会わざればの言葉もあるが、土日で化けたと言うしかないだろう。
一時の仲間とは言え、その喪失が彼を傑物に変えて仲間達をも変えてしまった。
受け継いだあの槍にどんな想いを込めたのかは分からないが……それでも、見事なものだ」
過大評価も甚だしいのだが良く見られたい紫苑にとっては万々歳だろう。
まあ、そのせいで要らぬ面倒ごとも背負ってしまうかもしれないが。
「……靴紐の紫苑、これが彼の歩みなんですね」
紫苑は今、唇を真一文字に結び、じっと戦況を見守っている。
一見すれば何もやっていないように見えるし実際その通りなのだが、それで良いのだ。
彼はここに至るまでに総てをやり終えて仲間に託したのだから。
情報を集め、策を練り、人を動かし、真っ先に槍の餌食になりかねない場所で食事を取る。
どれも簡単なことではない。
だからこそ仲間達も春風紫苑の奮闘に応えるべく頑張っているのだ。
本来の力以上を発揮出来るのは彼に恥じない仲間で在りたいから。
とまあ――――観客達は皆、そのように思っている。
さて、当の本人はと言えば……。
「(もうやだ……か、帰りたい……と言うか三人で攻めて何でまだチンタラやってんだよ!?)」
心の中で悪態を吐いていた。
今、その胸の中は不安だけで染められているのだろう。
何せ死んでいてもおかしくない猛毒に侵されながらも三人を相手取っているのだから。
いや、むしろ若干アイリーン有利かもしれない。
そんな非常識な光景を見てうろたえないほど彼は強靭な精神をしていないのだ。
『……なあ紫苑、あの女マジで人間? 俺様、人間には見えないんだけど』
「(ですよねー! だってアレどう見ても人間の形した化け物だろ)」
糸で形成された刀の一撃を歯で受け止めているアイリーン。
出鱈目にもほどがある、リアルチートと言わざるを得ない。
ゲームバランスが狂っているのではなかろうか?
「はぁ……はぁ……おえ……私、は……憧れの、先へ……往く……」
目、鼻、耳、口、穴と言う穴から血を噴出させながらもその瞳から闘志は消えない。
アイリーンにとってこの戦いは特別な意味を持っているから。
愛すべき好敵手が整えた舞台であり、憧れの先へ辿り着くチャンスでもある。
負けたくない、負けたくない、勝ちたい、勝ちたい。
彼女は生まれて初めて心の底から勝利を望んだ。
ただでさえ強いアイリーンに心まで加わったのだ、今の状況はある意味必然かもしれない。
「はは、素敵だね。男なら惚れちゃうんじゃない? でもさぁ」
奇策を打つにしても腕一本捨てたところで通用しないだろう。
ならばどうする? どうすればこの怪物を少しでも弱められる?
戦闘の中で加速する思考、天魔は一つの答えに辿り着く。
「――――憧れの果てに辿り着くには紫苑くんと僕らを超えなきゃいけないんだぜ?」
天魔はニヤリと笑い――――手刀で自らの首を掻き切った。
激しい運動をしていて心臓の鼓動はマックス、当然血の勢いは凄まじく噴出した血がアイリーンの視界を潰す。
自傷ならば多少は驚くはずだと言う目論見は見事成功を収める。
「なんちゅう無茶を!?」
しかし動脈を掻き切っての目潰しなど正気の沙汰ではない。
麻衣はすぐさま天魔の身体にタッチし回復させる。
死闘の中で集中力が極限にまで高まっていたからこそ即座に対処出来た。
しかし、これがほんの少しでも遅れていたら死にはせずとも天魔のスペックは格段に落ちていただろう。
「しゃあけどこれはチャンスや!」
「待て麻衣!」
触れれば勝てる、焦りが生んだ短慮は麻衣にミスを犯させる。
「回復役はこれで終わり……!」
伸ばされた手を類稀なる直感で回避し、そのまま麻衣の頭を抑えて地面に叩きつける。
顔面がぶつけられた箇所を中心に巨大なひび割れが起こったところを見るに復帰は不可能だろう。
これで一人脱落、しかもやられたのは回復役だ。
「短期決戦も已む無しですね……! 私が動きを止めます!!」
糸を放つ栞だったが、視界を失ったことで第六感が研ぎ澄まされたアイリーンには通じなかった。
槍で糸を絡め取られ、勢いよき引き寄せられ――――
「こふっ……」
情け容赦の無いボディブロー。
爆弾でも爆発したのかと言わんばかりの轟音に細い身体が崩れ落ちる。
これで二人脱落、残るはルドルフと天魔の二人――――勝負は既に見えた。
「だが、最後の最後まで諦めはせん! 我が槍を見ろ!!」
逆境に陥ったことでルドルフの槍捌きは格段に上がっていた。
一合、二合、槍と槍がぶつかり合い空中に火花を散らす。
「ぜぇえええええええあぁあああああああ!!」
「……見事!」
ルドルフの一撃がアイリーンの横っ腹を抉る。
戦いが始まった頃とは比べ物にならない技量を見て、同じ槍使いの彼女は短くだが賛辞の言葉を漏らす。
「とどか、なんだか……いや、無念だ……」
どてっ腹を貫かれたまま槍を振り回され地面に叩きつけられたルドルフ。
心底悔しそうに意識を失い――――これで三人が脱落したことになる。
「何故、手を?」
何故ルドルフと二人がかりで来なかったのか、そう言う意図の質問だ。
天魔は白けること言うなよと言わんばかりに肩を竦める。
「勝つため。僅かながらでも身体を休め、一撃に賭けるんだよ。僕そう言うの好きでねえ」
その意図を察していたからこそ、ルドルフは何も言わなかったのだろう。
これが紫苑ならば間違いなく二人でかかるぞ! と言っていたはずだ。
「そんじゃまあ……ラストだ」
タタン、と軽く地面を蹴って接近。
スピードだけで言うならば天魔が上だ。
足で引っ掻き回してとっておきの一撃を決めるつもりなのだろう――――
「!」
そう、当たりをつけていたアイリーンはものの見事に予測を外す。
横にブレたかと思えば即座に軌道修正、正面からやって来たのだ。
確実に意識は正面以外に向いていたはずなのに……
「僕、嘘は得意なの♪」
赤黒い光を纏った蹴りがアイリーンの腹に突き刺さる。
ただでさえ消耗著しい彼女の身体は五体がバラバラになったような衝撃に耐えられるのか。
そんなことは考えるまでもない、
「――――ホント、強いよね君って」
耐えると決めているのだから耐えられないはずが無い。
無茶苦茶な根性論かもしれない、だが最後にものを言うのはそれなのだ。
「……後、一人」
最後の一撃を放ったことで精魂尽きた天魔が倒れ伏す。
これでもう、残っているのは紫苑一人のみ。
「(いやぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!)」
紫苑は負けた皆を心の中で罵る余裕すら無く、一瞬後に起こるであろう惨劇を想像して恐慌状態になっていた。
それでも表情が変わらないのだから悪魔の如き見栄っ張りである。
「春風、紫苑」
ゆらりと槍を手に近付くアイリーン。
幽鬼のような彼女を見ているとそれだけで意識が飛びそうになる。
「あなたの」
負け?
「ううん、あなた達の」
否、それは違う。
「――――勝ち」
すぐ傍まで近付いたアイリーンは槍を落とし、紫苑の身体にもたれかかる。
近付きたかった男の傍に来たことで緊張の糸が切れてしまった。
毒に蝕まれ、大小様々な傷を負いながらも戦い抜いた彼女にも限界が訪れたのだ。
「(うげぇ……だ、抱き締めちまった……)」
咄嗟に抱きとめてしまった紫苑は心底嫌そうに呻いていた。
確かに怖いのは分かるが女性相手に失礼過ぎだろう。
いや、女性云々よりも前に死力を尽くして戦った敵手に対して敬意の一つ二つは見せてみろ。
「憧れの先、行けなかった……」
か細い声、今にも意識を失ってしまいそうだ。
それでも尚――――伝えたいことがあるからこそ彼女は必死で意識を繋ぎとめていた。
「でも――――あなたに負けるなら、良い」
最後の力を振り絞り、紫苑の唇に自らの唇を重ねる。
ほんの一瞬で離れたが満足そうに笑ってアイリーンは意識を失った。
「(俺のファーストキスぅうううう! は、早くうがいしなきゃ!!)」
勝ったことで生まれた安堵、唇を奪われたことで生じた混乱。
紫苑の頭の中はカオスだった。
「春風、これをアイリーンに飲ませてやれ」
カオスを止めたのは勝負が終わったのを見届けてやって来たモジョだった。
モジョは小さな蒼い液体が入った小瓶を紫苑の手に握らせる。
「仲間達については安心しろ。既に治療の手配は済ませた。だから後はアイリーンだけだ」
「(え……こ、この女を助けろと? と言うか助かるの?)」
「意識が無いから口移しになるが……まあ、さっきのを見てる限り問題は無いだろう」
気を遣ってそそくさと去って行くモジョ。
心なしか笑っていたように見えたのは、二人が微笑ましかったからだろうか?
だが何にしろ言われた以上はやるしかない。
だって逆らって殺した場合の弁解が思いつかないから。
「(お、俺の……俺のセカンドキスまで……!)」
心で涙を流しながらも嫌々小瓶の中身を口に含み、アイリーンに飲ませる。
「(勝者は俺なのにどうしてこんな目に遭うのか……)」
これで本当に戦いは終わった。
キスで〆るのはお約束なので現実にしては綺麗に終わったと言えるだろう。
まあ――――紫苑の本音を除けば、だが。