お姉さんだけよ私の味方は! もう、そいつら殺しちゃって!!
一週間のリハビリを経てすぐにギルドからの指令が下った。
場所は関東。埼玉県は秩父にある城峯山付近にある孔が今回の目的地だ。
今回ダンジョンを探索するメンバーとしては天魔、栞、アイリーン、麻衣、アリスのJK五人組。
雲母、ルドルフ、ルークは非常時に備えてカマキリと共に付近の町で待機することになっている。
「……前、別のところでも思った」
孔の前に立ったアイリーンがポツリと漏らした。
「別というのは千丈ヶ嶽でしょうか?」
「そう。何か、これ……」
孔に対する感情を表現したいのだがアイリーンの語彙では中々出て来ない。
なので既に経験をしている天魔が助け舟を出すことに。
「郷愁、かい? 妙な懐かしさを感じるんじゃないかな」
「そう、それ」
コクコクと何度も頷く。
以前は非常事態でロクに観察も出来なかったが、
今回こうして落ち着いて立つとそれが強く感じられるのだ。
慣れっこである天魔、栞、麻衣はともかくアイリーンとアリスにとっては非常に不可思議な感覚だった。
「ここから生まれた?」
ひょっとして自分はここから生まれたのだろうか?
アイリーンがコテンと小首を傾げると即座にツッコミが入る。
「違うだろ。僕はちゃんと糖尿気味の母親と高血圧気味の父親から生産されてるよ」
製造元の健康状態がとっても心配である。
「お母さん糖尿気味でお父さん高血圧気味なん?」
「うん。母さんは僕と同じで甘いものが好きで父さんは塩っ辛いものが好きなんだよ」
そして我慢をすることも知らないらしい。
天魔も大概不摂生だが両親もそれに輪をかけて不摂生なようだ。
「ちなみに私の両親は世間的に見てド屑です。私が粛清しました」
粛清という言葉を使って良いのはデスラー総統と筆髭おじさんだけだ。
「お、おう……」
栞は冗談めかして言ってるが麻衣からすれば笑えない。
ちなみに天魔とアリス、そしてアイリーンは普通に笑っている。
「それでも栞お姉さんは愛されていたでしょう? 私なんて一度も愛されてないわ。
生まれなければ良かった! なんて言われたし。
まあ、そう言った両親はルークに殺させて人形になったけど」
ちなみに両親人形は既に処分済みである。
保険金もガッポリ入ったし少しは役に立ったというのがアリスの評価だ。
「困った、うちは普通」
ジョークのネタにもならない普通の両親を持つアイリーンが眉をハの字にする。
この空間にはボケが多過ぎる……麻衣は軽く眩暈を覚えた。
「いや、あの……笑えんジョークに乗っからんでええから……」
「ちなみに麻衣ちゃんとこはどうなのさ?」
「え? うち? うちは普通よ普通。お母さんもお父さんも優しいで」
「同じ」
「あ、うん……同じやね。ちゅーかもっと長文話してくれへんかなぁ……」
「ああ無理無理。コミュ能力が底辺だものアイリーンお姉さん」
一番アイリーンの言いたいことを察せるのは紫苑だろう。
アレは人の意を酌む能力に秀で過ぎているから。
「まあ、それはともかく入りましょうか。あ、でも今日は紫苑さんが居ないし……」
「大丈夫よ。忘れた? お兄さんが使ってる兎は私が作ったものなんだから」
言うやアリスがスカートの端を摘み上げる、
すると中から小さな兎の人形が零れ落ちてグングンとサイズが大きくなった。
「……そのスカートの中どうなってんの?」
「乙女にそんなことを聞くなんてマナー違反よ」
「いや、僕も女だし良いじゃん」
しゃがみ込んだ天魔がアリスのスカートを捲り上げる。
ナチュラルにやってるが同性でも普通にセクハラである。
もしこれが男だったらその時点で事案発生、おまわりさんこっちです! になるだろう。
「ちょっと何してるのよ!?」
「……うわぁ、君、こんなの穿いてるの? 藍色でこれ、透けて……面積も……うわぁ……」
ロリな見た目に似合わないアダルティーな下着をつけているアリスに天魔はドン引きだった。
尚、普通にスカートを捲くった天魔に麻衣とアリスはドン引きしている模様。
「ブラも要らないようなガキが背伸びするなよ」
立ち上がった天魔がアリスの肩を優しく叩く。
そしてそれは同時に彼女の逆鱗に触れてしまう。
「うっさいわね! ブラが要らないのは天魔お姉さんもじゃない!」
「はぁ!? 要るし! ブラ要るし! 君より大きいし!!」
人気が無くて本当に良かった……。
何時かのデパートのようなことにならず本当に良かった麻衣はしみじみと頷く。
「お二人共、ドングリの背比べ、五十歩百歩という言葉を知っていますか?」
おっと、ここで醍醐栞が二人の横っ面を殴りつけた!
「うるせえ痴女が」
「痴女なの?」
アイリーンの問いにアリスが答える。
「和服の下って基本何もつけないのよ。つまりノーブラノーパンで街を歩いたりするの。変態だわ」
蔑みの視線を向けるアリス、何処でそんな知識を得るのだろうか?
「つけますよちゃんと! しかもそれは勘違いですから!
良いですか? 昔の人だってちゃんと湯文字なんかをつけてましたから」
浴衣とか和装の下はノーガード、そんなものは幻想である。
下着という概念が生まれる前ならともかく生まれてからは栞が言うように昔の人もちゃんとつけていたのだ。
「へえ……クッソどうでも良い知識が増えちゃったよ」
「服飾の知識だとしても、人形には洋装着せるから参考にもならないわ」
「ここまで私を虚仮にした愚か者は姉以外では初めてですよ……!」
ギリギリと歯を軋らせる栞、その手には糸が煌いていた。
しかしペッタン娘二人はガンスルーである。
「ちなみにアイリーンはどんな下着なの?」
「灰色」
女同士だから羞恥心も無いのだろう。
アイリーンは軽くシャツのボタンを開けてブラを露出させる。
灰色の飾り気がまったく無いスポーツブラ、如何にも彼女らしいチョイスだ。
「地味ねえ……というかグレーってどうなの?」
「汗とか口にするのはちょっと……な染みとか目立たない?」
「はいはい! そこまでそこまで! 何時までも駄弁っとらんで早よう行こ!?」
「いや、まだ調査終わってないわよ」
「え?」
と、そこで麻衣は気付く。
兎の姿が見えないことに、アリスの片目が閉じられていることに。
そう、彼女は猥談をしつつもやるべきことはしっかりやっていたのだ。
「中はどう?」
「そうねえ……とっても長閑な光景だわ。女の子なら皆、好きそう」
「どんなダンジョン!?」
「空気中の成分に毒のようなものはなし、罠なんかも無さそうね」
「大丈夫そうですか?」
「とりあえずはね。とは言っても神便鬼毒酒のような例もあるわ。
何か引っ掛かるものがあれば即撤退、肝に銘じておきましょう」
全員が頷くのを確認してアリスを先頭に孔へ飛び込む。
一瞬の闇の後、彼女らの目の前に広がっていたのは――――花畑だった。
青みを帯びた紫色の花が見渡す限りに咲き誇っている。
「あー……こーれーはー……何だっけ、百合?」
「違います。というか百合という単語に妙に苛つくのは何故でしょうか?」
それは君のお姉さんが関係しているからではなかろうか?
「アサガオ」
「違います」
自信満々に主張したものの即座に斬り捨てられてアイリーンがシュンと項垂れてしまう。
確かにドヤ顔で告げた答えが間違っていたらそりゃ恥ずかしい。
「えーっと、栞ちゃんは分かるん?」
「これは桔梗ですよ桔梗――――まあ、私達の世界にあるものと同じならば、ですがね」
「キキョウ、ねえ……でも、これだけいっぱいあるのにあんまり匂いしないのね」
「香りの強い花ではありませんからね。しかし……」
「メルヘン」
「だねえ。確かに女の子が好きそうなとこだよ。僕は特に何も感じないけど」
麻衣以外の女子は普通に花を踏み潰して歩けるタイプだ。
花が潰れてしまっても申し訳なさを感じることすらないだろう。
まあ、麻衣も必要とあれば申し訳なく思いつつも踏み荒らせないことはないが。
もし紫苑ならばそんな彼女を(心の中で)口汚く罵っていただろう。
一人だけ良い子ぶりやがって、とかカマトトぶってんじゃねえよ、とか。
「お見舞い?」
「えーっと……ここのお花を紫苑さんのお見舞いに摘んでいく? ということでしょうか」
「その認識で間違いないと思うわよ。でもお花持ってくなら普通に花屋で買いなさい」
「流石にダンジョンに生えとるんはなぁ……」
「でも、お見舞いはともかくとして幾らか摘んでいった方が良いよね?」
ギルドに提出する品としてこの桔梗らしき花は持っていかねばならないだろう。
一応ダンジョンに存在するものなのだから。
「そうですね。まあ、普通の花っぽいですが一応は……」
数本の花を手折ってバッグの中に放り込む。
しかしこのダンジョンは見渡す限りの花畑だ。
ここには桔梗以外何も無いのではなかろうか?
そんな考えが頭をよぎってしまうほどに花以外には何も無い。
「これぐらいで良いですかね。さ、とりあえず進みましょうか」
「……何やこうやってあてもなく進むのって千丈ヶ嶽を思い出すなぁ」
「負けフラグ?」
「アイリーンちゃん、君も結構言うよね」
そうして五人はとりあえず前へ前へと歩き出す。
勿論、千丈ヶ嶽のこともあるから以前のように警戒を怠る気は無い。
「ふと、思ったんだけどさ。何で公表しないんだろうね」
「何を公表するん?」
「こういう系統のダンジョンのことさ。京都の一件もあったし、頑なに隠す意味あるのかなって」
「確か公表しない理由は甘い蜜に誘われる愚か者が出ないように……でしたっけ?」
このダンジョンで得られるものはかなりの一品だ。
しかし、それに釣られてほいほいと入っていけばあっさり殺られてしまう。
冒険者というのは元々ハイリスクハイリターンを好む人種が多く、
そういった者らが無茶をして死なないようにするための秘匿――と栞らは聞いている。
「どうにも腑に落ちないわね」
京都の一件でこの系統のダンジョンに関係するモンスターの恐ろしさは分かったはずだ。
何せ先の鬼に関して言えば世界で二人しか相手をすることが出来なかったのだから。
そんなモンスターが出て来るような場所、
幾らハイリスクハイリターンを好む人種といえども躊躇うはずだ。
だというのにギルドは頑なに情報を明かしていない。
「胡散臭い」
「やねえ……そりゃ鎌田さんみたいにええ人もおるけど……」
「全部が全部良い人じゃないのはしょうがないさ。組織ってのは何処かしら腐ってるもんだ」
特に深く議論するつもりもないらしく、この話題はすぐに終わった。
「なあ、アリスちゃんって紫苑くんと一緒に住んでるわけやん?」
「ええ、他のお姉さん達と違って何時も一緒よ」
天魔、栞、アイリーンのアリスに対するヘイトが燃え上がった。
恋する乙女的には想い人と寝食を共にする彼女が憎くてしょうがない。
それでも紫苑の手前、表立って追い出せなどとは言わなかったが、
代わりに天魔や栞などは家に来ないか? などと幾度か紫苑を誘っていたりもする。
彼からすれば誰と住むのも平等に嫌なのだが、
いざという時はストッパーになり得るルークが居る現状が一番マシだと考えている。
ゆえに二人は連敗続き、アリスを憎く思うのも仕方ない。
「紫苑くんはいっつも家で何しとるん?」
「何って……家に帰って来たら手洗いうがいして夕飯までは課題をしてたり読書をしてるわ。
お風呂上りは私の髪を乾かしてくれてぇ、寝る時間になるまで二人でお喋りをするの」
「……羨ましい」
指を咥えたアイリーンがじーっとアリスを見つめている――精神年齢幾つだよ。
「そうでしょそうでしょ? 毎日一緒にお風呂に入って、一緒のお布団で眠るのよ。
お姉さん達には出来ないことでしょ? 羨ましい? 羨ましい? でもぜーったい代わってあげない」
べーっと舌を出すアリス、幼稚な挑発だが効果は抜群だ。
三人の額には今にもはちきれんばかりに青筋が浮かんでいる。
「……調子に乗ってるけどさぁクソガキ。君、気付いてないの?」
「何が?」
「一緒に風呂入って一緒に寝る、なのに今を以ってしても何かあるわけじゃなし。
つまり――――女として見られてないってことだよ。ま、見た目ガキだからねえ」
紫苑にロリのケはねえから一生テメェは妹みたいなポジションだバーカ!
天魔の言いたいことを要約するとそんな感じだ。
「……負け犬の戯言ね」
「じゃあ聞くけどさ、一度でも君に男の生理反応見せたことあんの?
いや、それだけじゃない。照れたりとかしてる? してないんじゃない?
だって子供としか思ってないだろうしさぁ。ねえ、ねえ、ねえ、どうなの?」
「ち、ちちち違うもん! 紫苑お兄さんはスタイルとかで人を選ばないもん!」
怒涛の煽りである。
紫苑と風呂に入る時、アリスは何処も隠しはしない。
しかし言われてみれば彼は目を逸らすことも顔を赤らめることも……。
「いやいや、それにも限度がありますよ。例えば私と天魔さんなら紫苑さんも平等に見るでしょう」
「アイリーンちゃんもそうだよね」
「アリスはレースにエントリーすることすら出来ない。残念、来世に期待」
相手を蹴落とすしか考えていないが、時として手を組むこともある。
彼女らは一体何処の群雄なのだろうか?
「こんな時だけ微妙に長いこと喋るんじゃないわよ!」
「まあでもリアルにコレに欲情したら社会的にマズイよね」
「だってどう見ても小学生ですし」
「犯罪」
溺れる人間に手を差し伸べるどころか、
棒を持って本気で殴殺しようとするのが恋する乙女クオリティーだ。
ここぞとばかりに責められるアリスを見て不憫に思った麻衣がフォローに入る。
「ま、まあでも……本気で好きになれば小学生に見えようとも関係ないんちゃう?
ほら、紫苑くんって頑固で一途な感じやし。同じ条件やと思うけどなぁ」
「麻衣お姉さん……お姉さんだけよ私の味方は! もう、そいつら殺しちゃって!!」
「殺してって……うちはバリバリの後――――ってどしたん?」
四人が急に立ち止まったことで軽くつんのめってしまう。
小首を傾げつつ四人の視線の先を辿ると……。
「人、なわけないよね」
麻衣の視力ではぼんやりとしか見えないが天魔らにはハッキリと見えていた。
突き出した岩に腰掛ける異形の姿を。
そいつはじーっと自分達の方を見ている。
「大まかなシルエットだけならともかく、細部は人間じゃないわ」
全体的な体格として身長はルークより少々高く、
筋肉のつきは少し劣るもののそれでも貧相だとは思えない。
まあ、生物染みた鎧を着けているので正確には分からないが。
さて、今挙げた特徴だけなら人間のようにも思えるが、まず肌の色がおかしい。
鉄色の肌をしているのだ、それに加えて左眼――右眼は普通だが左眼が二つ存在する。
畸形の人間という可能性もあるが、
それなりに離れたこの距離からでも感じる圧迫感は人のそれではない。
「敵意は感じない」
「ええ、こちらを見てはいますが戦意はまるで感じられませんね」
「物珍しいものを見た――って感じの目だよあれは」
「うちはよう見えへんけど……どないするん?」
「進むしかないでしょ。今のところ変わったものはアレしか無いんだし」
「麻衣さん、私達の後ろを離れないでくださいね?」
「わ、分かった!」
徒歩でゆるりと距離を詰める五人は、徐々に息苦しさを感じていた。
それはガスとかそういうものではなく、異形が放つ存在感のせいである。
「――――何ぞ?」
低い低い声で問いを投げる異形、やはり敵意は感じられない。
何ぞ? 酷く曖昧な問いだ。
アリスや天魔、栞がどう答えたものかと思案していた矢先、
「薬とかそういうのを探しに来た」
アイリーンが馬鹿正直に自分達の目的を告げてしまった。
「……ちょっとアイリーンお姉さん?」
「隠す理由が無い」
それもまた正論だ。
そう言い切られてしまえばアリスらも反論がし辛い。
「薬、ある?」
「ク……フフ、見ての通りここには花しかない。強いて言えば余ぐらいしかおらんよ」
異形は驚くほどに友好的だった。
この中で一番こういう類のモンスターと接して来たアリスとアイリーン以外の三人からすれば驚きは少ない。
紫苑の命を弄び命懸けの遊びを提案したにしても三つ目は約束を守ったし、
天狗にしても挑まねば恐らくは戦いにならなかったのは予想に難くないからだ。
「しかし歳若い娘がこんなところまで薬を求めて……男か?」
「そう、凄い」
「ん? 余は何か凄いことを言ったか?」
正確には凄い、よく分かったね!
とアイリーンは言いたいのだが生憎と異形には伝わらなかったようだ。
「まあよい。ふむ、男……男か。
見たところそなたら中々の傑物のようだが……そんなそなたらが惚れる男か」
少しばかり興味を引かれる、そう言って異形はカラカラと笑った。
強過ぎる存在感は微塵も薄れていないが、それでもやけにフレンドリーな化け物である。
「少しばかり気になる。無聊の慰めとして、聞かされてくれんか?」
「素敵な人」
「……」
げんなりしたような異形の空気、モンスターだってコミュ障は苦手なのだ。
さて、それはともかくこれは一つの好機でもある。
少なくともアリスはそう考えた。
これだけ友好的ならば彼らの正体や、
このダンジョンについての情報が得られるかもしれない。
ゆえにここは会話を繋ぐべきだと彼女は判断した。
「その口下手女は気にしなくて良いわよ。
私達の好きな人――春風紫苑、紫苑お兄さんって言うんだけどね?
その人はまず優しいの。ああ、勘違いしないでよ?
この優しいって言うのは他に褒めるところが無い場合に使う優しいとは別だから。
本当に本当に優しいの。どんなところが? 気になる? 気になる?
じゃあ話してあげる! 盛大に惚気てあげるからよーく聞きなさい」
アリスの態度で栞と天魔も何を考えているのか察したようで、
二人もそれに乗って惚気話を始めることに。
好きな人のことを語れ、そう言われれば幾らでも語れるのが乙女である。
三人は二十分ほど語り続け、頃合を見計らって問いを投げようと思ったのだが……。
「……」
異形はどういうわけか顎に手を当てて黙り込んでしまっている。
別に惚気話で気分を害した――というわけではなさそうだ。
実際、話をしている最中だってほんのり笑顔すら浮かべていたのだから。
ではこの沈黙の理由は?
「――――右手にカガチの彫り物」
その言葉の意味に気付いたのは栞だけだった。
彼女は一瞬で警戒レベルをマックスに引き上げる。
「どうしたのさ?」
「……カガチ、というのは蛇の別名ですよ」
そして彫り物、というのは刺青のことだ。
右手に蛇のタトゥーがある人間、彼女らが共通して思い浮かべたのは当然のことながら春風紫苑。
「得物は槍、随分と不器用な男で……ああ、そなたらは彼の者に心を救われたのか」
紫苑だ、異形が口にしているのは間違いなく紫苑のことだ。
性格や振る舞い、容姿などは告げたが、
蛇のタトゥーや武器などについては告げていないはずなのに何故知っている?
「背反に苦しむ性を」
天魔に向けて一言。
「心地良い敗北を」
アイリーンに向けて一言。
「愛されぬ己に愛を」
アリスに向けて一言。
「心を預けられる正しさを」
栞に向けて一言。
言うまでもないが初対面のモンスター相手に詳しく話した覚えは無い。
ゆえに今告げたような言葉が出て来るはずがないのに……。
「……心を読んだのですか?」
「そのようなこと、出来るわけがなかろうに」
カラカラと笑い飛ばす異形、では今のは一体何なのだ?
「それだけそなたらが強く、強く、強く想っておるということよ。
ここはそういうものが見え易い。ああしかし……そうか、成るほど……。
惰性の中におったが……その一色となるのも悪くはない、か」
瞬間、大地を揺るがす戦意が異形の裡から放たれた。
何故だ? 意味が分からない、何故いきなり戦う気になった?
混乱しつつも四人は戦闘態勢に移行し、その背に麻衣を庇う。
「一対一、全員、どれでも構わん。さあ、来るが良い。
余は薬などはやれんが、そなたらの想い人の役に立つものはくれてやれるぞ」
まず第一に四人は敵と己のみの戦力差を推し量った。
天魔、一人では敵わない。
栞、一人では敵わない。
アリス、一人では敵わない。あの力を使えばどうなるかは不明。
アイリーン、明確に敵わないとは言えない。
「……さぁて、どうしたものかしら」
どうすれば全員が全員、全力を発揮出来るか。
そう考えたところでアリスはふと、あることを思い出した。
何時だったか紫苑にどうやってアイリーンを倒したのか聞いたことがあったのだ。
"へえ、毒ねえ……成るほど"
"ああ、だが今思えばあれは少しばかり失敗だったかなという気がしないでもない"
"どういうこと?"
"毒自体は良い。問題は決戦に至るまでに積み間違えたかもしれんってことさ。
まあ、あの時はアイリーンの実力というものをまるで理解していなかったから仕方ないんだがな"
"ねえねえ、詳しき聞きたいわ"
"闇討ちで彼女のパーティの四人を排除した――――が、それは間違いだった。
良いか? アイリーンは強い、強過ぎるほどに強い。個としてずば抜け過ぎているんだ"
"……まあ、それは分かるわ"
"そこがウィークポイントになりかねないってことだ。
個としての能力が極まり過ぎているせいで連携となると、どうしても鈍るんだよ。
他者に合わせられる技量はある、しかしそれは自分の力をセーブしなきゃいけない"
"つまり四人を闇討ちせずに足枷として利用すべきだったと?"
"その方が勝率は高かったかもしれん。ま、今となって意味の無い仮定だがな"
"ちなみに紫苑お兄さんならそんなアイリーンお姉さんをどう運用する?"
"そう、だなぁ……他の前衛の成長を蔑ろにしてしまうだろうが――――"
アリスは小さく微笑む。
アイリーンをどう活用するか、その策を思いついたのだ。
「全員で行くわ。麻衣お姉さんは何時でも回復出来るよう準備をしておいて。
天魔お姉さん、栞お姉さん、私達は回復の間の繋ぎよ」
天魔、栞、麻衣も紫苑からアイリーンについて似たようなことを聞いたことがあるので、
アリスが何を考えているかは即座に理解し、頷きを返した。
「了解、ちょっと情けないけどそれが最善だよね」
「しかりと役目を果たしましょう」
「うちは全力で回復させるだけやから、まあ楽な役目やね」
そしてまた、戦闘に関する理解だけは早いアイリーンもフォーメーションを理解した。
確かにそれが最善だろう。
何せ彼女は猛毒状態でも一人で紫苑パーティの前衛三人を叩き潰せるのだ。
しかしその力も連携の中ではどうしたって殺されてしまう。
であればまずアイリーンを矢面に立たせ、
彼女が傷を負えば控えている三人が回復の時間稼ぎのために前へ出た方が良い。
そうやって入れ替えながら戦うのが最適解と言えよう。
「変わった布陣よな……が、それが一番なのだろうな」
「よろしく」
「ああ、よろしく頼む」
表情は乏しいままだが、アイリーンは今やる気に満ち溢れていた。
異形の言葉通りならば勝つことで紫苑の役に立つものが貰えるのだ。
具体的にどういうことなのかは分からない。
しかし役に立つというからには想い人の一助となることは間違いないのだろう。
ああ、ここで奮わねば恋する乙女失格だ。
「じゃあ、行――――!」
最初の一歩目を踏み出したその時だった。
出鼻を挫くように一足で距離を潰した異形がアイリーンの顔を鷲掴んで地面に叩き付ける。
「ッッ……!?」
衝撃が背面から前面に突き抜け、一瞬息が止ってしまう。
桔梗の花弁が舞い上がる中、アイリーンはじっと敵の顔を見つめていた。
初めてだ、初めての経験だ。
個として自分より強い存在と出会ったのは初めての経験だ。
こうも見事に機先を制されるとは思わなかった。
「ハッ!!」
仰向けのまま蹴りを放つと異形はあっさり手を離して飛び退いた。
槍の間合いだ、これを逃すわけにはいかない。
即座に立ち上がって全力の突きを見舞うが……。
「見事見事、ようやるわ」
何処からか取り出した五尺ほどの反りのある太刀。
その柄でアイリーンの突きは止められていた。
速度が完全に乗る寸前で潰しにかかったのだ。
神業というしかない。彼我の間には隔絶した技量がある。
否、技量だけではない。単純な身体能力でも凌駕しているだろう。
完全に届かないというわけでもないが、劣っているのは間違い無い。
「アイリーンさん、加勢は?」
「要らない。丁度良い」
片腕で太刀を無造作に振るっているとしか思えないのに、
その一撃一撃が槍を通してアイリーンの肉体に響き渡る。
少しでも気を抜けばバッサリと殺られてしまう。
極限の緊張感の中でも、彼女は冷静だった。
冷静に冷静に、狂おうとしていた。
丁度良い――――正にその通りだ、アリスの言っていたものを試すならばここしかない。
「超える」
強く想うことはそれ、憧れを超える。
どうして? 憧れを超えることを教えてくれた人が居てその人に恋をしたから。
出来るのか? やらねばならない、誓いを立てたのだ。
何のために? 愛のためだ、それ以外に何がある。
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好きあなた以外に何も見えない――――ここに愛を示そう。
満天下に謳い上げるのだ、己の愛を、高らかに!
「うぅぅううう……!!」
異変はすぐに起きた。アリスの見立て通り、アイリーンもあの領域へと踏み込めたのだ。
その蒼い髪の根元が黒に染まり、先端に近付くに連れて真紅に染まってゆく。
ポタポタと髪の先から滴っているのは血だろうか?
口元からは頬までジグザグに伸びた黄色い光のライン。
口が裂けたようにも見えるそれは、何処か獣のそれに似ていた。
「がぁあああああああああああああああああああああ!!!!」
更に緑・赤・青、三色のラインが頬に奔る。
こんな風に容姿まで変わると思っていなかった面々は驚きからか何も言えずにいた。
「フンッ……!」
力任せに異形の攻撃を打ち払う。
受けるだけで精一杯だったほんの一瞬前までとは何もかもが変わっている。
異形は手に響く心地良い痺れを感じ頬を緩める。
「ここからが本番、か。良いぞ娘、心行くまで死合おうじゃないか」
「――――上等」
さあ、仕切り直しだ。




