漲って来た! 不幸な他人を見ていると元気が出るなぁ!!
床に座り込んでスポーツドリンクを一気飲みする紫苑。
五臓六腑に染み渡るそれは150円とは思えないほどに美味い。
未だにペットボトルを持つことすら億劫だが、それでも身体は随分と癒された。
「もう大丈夫なの?」
心配そうにこちらを見ている雲母に軽く手を振って大丈夫だと告げ、居住まいを正す。
疲れている時くらいだらけても文句は言われないだろう、
だが敢えてこう言う時にでもしっかりするからこそ性格と言うものを印象付けられる。
その行動の総ては計算づく、考え過ぎて知恵熱が出ないのか不思議でしょうがない。
「では、これまでに分かったことを話し合おうか。これ、資料ね」
カマキリから手渡された資料には神便鬼毒酒の特性がこと細かに列挙されている。
神便鬼毒酒は例のダンジョンで採取されたものゆえ、最優先で研究が進められているのだ。
勿論紫苑もその助力をしており、その貢献が認められている、
だからこそ多額の資金が支払われているのだ――――まあ、実情はモルモットだが。
・冒険者を抗い難いほどに惹き付ける(例外は今のところ二名)。
・正確な量については不明だが摂取するだけで動くのも困難なほどに弱ってしまう。
・香りだけでも軽い体調不良を起こす例も報告されている。
・最初に摂取した四人の学生は一週間経った今も完全回復ならず、今後の経過を要観察。
・治療のためにアムリタを飲ますことは逆効果(上記の四人が実例)。
・成分上はただの酒精でしかないので、見えない力が働いていると推察出来る。
・尚、弱体化効果は冒険者のみならずモンスターにも有効な模様。
・ただし、使用する側も取り扱いには要注意で己を律する強い心が無いものの使用は推奨出来ない。
・一般人には例の甘い香りも妙な誘惑も通じない、摂取しても問題無し。
とまあ、つらつらと書かれていることに目を通していると、
一つだけ気になる項目があった――――例外の二名は誰だ?
「この例外、俺以外にも出たんですか?(おいおい、俺の希少性が薄れるだろうがよ……クソ)」
自分特別! 他人普通! 常にそうであれと願っているのが紫苑だ。
ゆえに認められない、自分以外が神便鬼毒酒に耐えられるなんて認められない。
これが一般人ならば良い、だが冒険者は駄目だ。
世界でたった一人が二人になることを決して赦すことが出来ない。
「ん? ああ……」
少し言い難そうなカマキリを見て大体の当たりをつける。
「俺達と同じような連中ですか?」
選別を超えたパーティ間に横の繋がりは無い。
ダンジョンで得た成果やデータなどは共有されるが、
冒険者個人個人の情報などについては統括しているギルドの人間しか知らない。
ゆえに言い難そうにしているのは個人情報を明かせないからだと予想をつけたのだ。
何故選別を超えた人間だと断定しているのか、それは単純に情報開示の面から推察しただけ。
神便鬼毒酒について知らされている人間はそう多くない。
ギルドの人間ならばカマキリが言い淀むこともなく、消去法で選別を超えた人間となるのだ。
「うん、だから深くは聞かないでくれると助かるよ」
「分かりました」
「? 何で横の繋がりが無いのかしら?」
イマイチそこら辺が理解出来ない雲母がわざわざ手を挙げて質問する。
「ビジネスライクな人間が多かったり、
俺達のような学生相手と馴れ合う気は無いって意思表示、
あるいは他人に自分の情報を知られることを嫌うような性質か……まあ大体そんなとこでしょう」
「でも、仲良くした方が良くないかしら?」
逆鬼雲母と言う人間は大らかで、本質的に善人だ。
愛が深過ぎることを除けば実に真っ当だと言えよう。
だからこそくだらないしがらみやプライドが理解出来ない。
良いことなら素直にそれをすれば良い、ある種子供のような感性とも言えるだろう。
「ええ、俺もそう思いますがね」
嘘だ、本当は欠片もそんなこと思っていない。
口では千でも万でも奇麗事を並べられるが一つ足りとも信じてはいないのだ。
ゆえに雲母の善性が疎ましくてしょうがない。
「難しいわねえ……」
困った顔で笑いながら自然に紫苑を抱き寄せる雲母。
息子認定OKを出されていることもあり、遠慮なくベタベタして来るのだ。
それがまた奴のストレスを加速させるのだが、勿論強くは言えない。
精々が「恥ずかしいよ……」ぐらいだ。
「(UZEEEEEEEEEEEE!
俺がもしブラックホールを生み出せたのならば真っ先にこのババアを叩き込むぐらいウザイわ!)」
叩き込める距離にブラックホールがあるならば紫苑も危険である。
というかブラックホールを生み出すという発想が子供のそれだ。
「それで鎌田さん、紫苑ちゃんと……そのもう一人の方に共通点とかはあるのかしら?」
雲母が問いを投げるとカマキリはますます困ったような顔になり、溜息を吐く。
どうやら共通点が見出せずに居るらしい。
「性別から何から何まで共通項が……ね、無いんだよ」
「ちなみにその方は俺と同じように幻術魔法が使えるようになったりは?」
「それも無い。その人の場合は本当に何の効果も齎さないってだけなんだ」
「(つまり特別なのは俺だけなんですねヤッター!!)それはまた……」
重要なのはそこらしい。
辛うじて自分の希少性が保たれたこともあり、紫苑のご機嫌ゲージは急上昇である。
「この研究に携わってる職員も首を傾げてるよ。まったく共通点が見出せないんだもん」
紫苑とそのもう一人も他の冒険者と同じように弱っていたら良かった。
そうすれば例外が生まれずに済んだ。
例外が生まれてしまうとそれを探求しないわけにはいかない。
だがその取っ掛かりが見えないのが現状だ。
「ですが分かってる部分だけでも役に立つ部分もありますし、悲観することはないでしょう」
モンスターの弱体化を狙える、それは十分に役立つ部分だろう。
単純にぶっかけるだけでも良いと言うのが便利極まりない。
「そうねえ、刀身を濡らしただけであの効果だもの」
最初に敵を弱体化させたのは誰あろう雲母だ。
咄嗟の機転で湖の酒を使って刀身を濡らし隻腕の鬼を切り裂き鬼を弱体化させた。
効果は劇的と言っても良いだろう。
何せ軽く切り裂いただけで動くこともままならなくなったのだから。
「僕は実際に戦ったことはないけれど、それでも便利なのは確かでしょうね」
「扱いを間違えなければ生存率は随分上がると思うわ」
酒にあてられて使用者が駄目になってしまえば元も子もない。
状況を悪化させるだけだ、
そう言う意味では普及させる場合に使用制限などを設けるべきだろう。
「その扱いの基準を見極め、設定するのは鎌田さん達の仕事ですからね」
「ああ、しっかりやるつもりだよ。さて、次は君についてだな」
話題は神便鬼毒酒と紫苑を組み合わせた時の反応に移り変わる。
同時に手元の資料を見る視線をつい、っと下がっていく。
・これはある特定人物にのみ現れる事象である。
・その者は神便鬼毒酒が放つある種の魅了を感じない。
・その者は神便鬼毒酒を摂取すると適正外の魔法を異常な域で発動させることが出来る。
・適正外で使える魔法は幻術のみで、その他に関しては特に異常は無し。
四つ目の項目に関して紫苑は不満を抱いている。
どうせならば強化と幻術以外の魔法も使えるようになれば良いのに、と。
破格の幻術魔法を使えると言うのに何とも欲深な男である。
・また、適正である強化魔法についても変化は無し。
・能力が跳ね上がることも、その逆に下がることなども無い模様。
・幻術魔法を使うために必要な最低摂取量は約250ml。
・ある種の免疫が出来てこの先増えるようになるか、要観察。
・幻術魔法を使えるようになるのは摂取から約三十分。
・三十分を過ぎれば動くことも出来ない疲労に襲われる。
・疲労の度合いは重いようだが、それでも神便鬼毒酒で弱体化した人間ほどではない模様。
・疲労の回復は動ける程度ならば三十分ほど、完全回復ならば二時間ほど。
・尚、リミットにも例外あり。魔力を消費し尽くした場合は三十分と保たず疲労に倒れる。
・魔力生成器官に働きかけている可能性が見られ、観察してみたが異常は無し。
・血液、髄液、精液、毛髪、件の冒険者からそれらを採取し調べてみたが異常は無し。
・特段人と違う部分は見受けられず、特異な体質では無いらしい。ちなみに健康体だった。
・その他、幻術魔法を使う別の冒険者を被験者に選んでみたが通常の冒険者と同じく弱体化するのみ。
ずらりと並ぶ項目、しかし特別神便鬼毒酒を解明するのに役立つ情報は無い。
余談ではあるが紫苑は陰で研究者を能無し、役立たずと罵っていたりする。
まあ、積極的に協力して色々調べさせてあげているのに、
結局何も分かりませんとしか返って来ないのだから苛立ちも理解出来なくはないが。
「(はぁ……これで俺の魔力が麻衣と同じくらいだったら無敵艦隊紫苑が出来上がるのに……)」
一人なのに艦隊とはこれ如何に?
何にしろそれは無いものねだりだ、無いものは無い、
そうすっぱり諦められずに未練がましく欲してしまうのが紫苑の悪癖である。
「ちょっと良いかい?」
「ええ、何です?」
「この項目なんだが……具体的にどう言うことかな?」
"被験者曰く、神便鬼毒酒を摂取して効果を実感する際、何かの均衡が崩れているらしい。
また、制限時間が過ぎると襲って来る疲労はその揺り返しだとも――あくまで被験者の感覚である"。
カマキリが指差した項目にはそう書かれている。
「上手く説明出来ないんですよ。
一応、感じたことをそのまま報告はしましたが……
具体的にどんな異変が起きているかは分からない。あくまで俺の感覚でしかないので真偽も不明」
少なくとも効果が現れる瞬間を観測してみても身体に異常は見られなかった。
であればただの気のせいだと切って捨てるべきなのだろうが、
それでも紫苑は唯一おかしな反応を示す人間だ、どんな細かいことでも放置するわけにはいかない。
「でも、ちょっと……ううん、かなり気になるわね。
均衡が崩れる、揺り返しってことは……不自然な状態になっているってことでしょう?」
その表情は暗く、雲母は紫苑の身体を案じているのだろう。
彼からすれば余計なお世話極まりない! って具合かもしれないが。
「かもしれませんね。ですが……特に変化があるわけでもないんです」
実験終了後にバイタルデータを取っているが、何の異常も無し。
何時もと変わらず健康体、このまま規則正しい生活を続けましょうねってな感じだ。
「肉体的に異常は無い、ならば心の方はどうなんだい?」
見えない部分、感覚的なもの、であれば心の異常と言う線も考えられる。
だからこその質問だったのだが、紫苑からすれば嘲笑ものだ。
「(アホかコイツ)だとしても、それに気付くのならば俺じゃなくて周りの人間でしょう?」
心の異変と言うのは本人には気付き難いものだ。
ゆえにそれが分かるとすれば紫苑に普段から接している人間だけ。
そしてその上で言わせてもらうならば、やはり異常無し。
裏側では全力で屑っているし、表側では全力で詐欺っている。
「そうねえ……でも、紫苑ちゃんを見てても特に変わった様子は見えないわ」
その後もああでもないこうでもないと三人で話し合い、
検討に値するであろう仮説だけを抽出して別のノートに書き連ねていく。
ちなみにこのノートは後で研究者に提出するもので、
書記役のカマキリは丁寧に丁寧に字を綴っている。
「鎌田さーん!」
と、一段落したところで女性職員が部屋に入って来る。
それはカマキリの同僚で、手には一冊のファイルが握られていた。
「何かあったのかい?」
平泉での一件以降柔らかくなったカマキリはどうやら女性にも人気があるらしい。
女性職員は少し頬を赤らめながら手元のファイルを差し出す。
「これ、前に頼まれてたものです。
一週間くらい経つのに取りに来ないから届けに来ちゃいました」
「一週間……? ! ああ、そうだった。すっかり忘れていたよ。すまない、ありがとう」
「いえいえ。それより、今度一緒に食事でも……」
もじもじと照れ臭そうに切り出した女性職員だったが……。
「うん、そうだね。今度僕の奢りで大阪の職員でパーッと騒ごうじゃないか」
無 常 の 判 定 で あ る。
真面目一徹で紫苑のように他者の心の機微に聡いわけでもないカマキリは、
ふっつーに勘違いをしていた、それこそ鈍感系主人公のように。
「(ファーwww)」
カマキリのあんまりな言葉に消沈する女性職員。
紫苑はその顔を見ているだけで疲れが吹っ飛ぶような気分を味わっていた。
「そ、そうですね……じゃあ、私はこれで……」
「(漲って来た! 不幸な他人を見ていると元気が出るなぁ!!)」
とぼとぼと帰っていく女性職員の小さな背中がやけに印象的だった。
「鎌田さん、ちょっとどうかと思うわよ」
雲母の声はとっても冷たかった。
自身の経験もあり、女性の心を踏み躙るような男は大嫌いなのだ。
「え? え? ぼ、僕何かしたかい? むしろ、頑張ってる人を労って……」
おどおどと視線を彷徨わせるカマキリを見て、
何を言っても無駄だと悟った雲母は深い深い溜息を吐いた。
「(何か御飯が食べたくなって来た。不幸をおかずに!)鎌田さん、それは?」
「ん? ああ。以前逆鬼さんに頼まれていたものでね」
雲母が頼んでいた例の調書だ。
手配したすぐ後に紫苑からの救助要請があったことで、
カマキリも頼んだ本人もすっかり忘れていたが雲母もようやく思い出したらしい。
「ありがとう、確かに受け取ったわ」
「何なんですかそれ?」
「私がインドのギルドで受けた事情聴取の調書よ」
「(事情聴取って……犯罪者みたいだな――ってかコイツ犯罪者だよ)」
誘拐と監禁、紫苑が被害届けを出せば速攻でしょっ引かれるだろう。
まあその彼も窃盗と言うチンケな罪を犯していたりする。
とは言っても被害者は既に死んでいるので被害届けを出すことは出来ないのだが。
尚、盗んだ本人は盗んだ事実すらすっかり忘れてしまっている模様。
「雲母さん、一体何だってそんなものを?」
「え? あー……えーっと……」
途端にキョドり始めた雲母、彼女は上手に嘘を吐けないタイプなのだ。
ゆえに誤魔化しのカバーストーリーなんて咄嗟に出せるはずもない。
アレクのことを話せば話は早いのだが何も分かっていない現状では不安を煽るだけ。
雲母としてもそれだけは避けたい。
「そ、そのぅ……今日はもう終わりよね? ちょっと出て来るわ!」
選んだのは逃げの一手、
怪しんでくれと言っているようなものだが雲母にとってはこれが精一杯。
誰もが紫苑のように即興でクオリティーの高い嘘を吐けるわけではないのだ。
「あー……」
紫苑とカマキリは顔を困ったような顔を見合わせる。
どちらからともなく溜息が出た。
「うん、とりあえず今日はこれで終わり。春風くんもお疲れ、もう帰って良いよ」
「ええ。では、失礼します」
部屋の隅に置いていた鞄を拾い上げて施設を出る。
時刻は午後三時半、このまま市内をぶらつくのも良いかもしれない。
そう考えたところでポケットに入れていた携帯が震える。
確認してみればメール、差出人はアイリーンだった。
「(学校に来てください……? おいおい、俺を呼びつけるたぁ良い度胸じゃねえか)」
『無視か?』
「(それは風聞が悪いからしゃあなしに行ってやるよ)」
呼び出されたので市内をぶらつけず無駄金を使わずに済んだ。
そう割り切った方が精神衛生上良い、紫苑は気持ちを切り替えて駅へと向かった。
微妙に混み始めているせいで駅構内はどうにも息苦しい。
辟易しつつも電車を乗り継いで学校へと戻った紫苑。
呼び出された屋上に向かうと……。
「すまない、待たせたか?」
「気にしてない」
傍目には何時も通り表情が乏しいように見えるが、
紫苑の目にはアイリーンが心なしか緊張しているように見えた。
まあ、だからと言って何か気を遣うつもりもないのだが。
「それで、俺に何か用か?」
「……こ、これ!」
神速を以って突き出されたのは――――綺麗な包装がされている小箱だった。
誕生日プレゼントのようなそれだが、生憎と紫苑の誕生日は今日ではない。
「? 開けても良いか?(金目のものじゃねえな。匂いがしねえ)」
金の匂いを嗅ぎ付けるとは犬よりも凄い、凄いけど最低だ。
「う、うん」
胸に手を当てたままじーっと紫苑を見つめるアイリーン。
その顔は緊張と照れで赤らんでいるが、勿論ガンスルーである。
「これは……手袋?
(ほらな、やっぱ金目のものじゃなかった。どうせなら宝石とか寄越せよ、質に入れるからさ)」
箱の中から出て来たのは薄手の黒い皮手袋だった。
手の甲には綺麗な銀糸で刺繍が施されているのだが、その形状が少しおかしい。
「何だこの刺繍、矢印の上みたいな……何かで……ルーン、だったか?」
「テイワズ」
前提知識が無い人間にいきなりテイワズと言っても何が何だか分からないだろう。
幸いにして紫苑はある程度知っていたから良かったが……。
テイワズと言うのは"↑"こんな形のルーン文字で、戦士の剣を模している。
揺るがぬ強い意思と勇気でどんな強敵との戦いでも勝利を得る、意味としてはそんな感じだ。
つまるところ紫苑には何一つ備わっていないものである。
「勝利とかそんな意味を持つんだったか?」
「そう。軍神ティールのルーン――――あなたに、ピッタリ」
はにかみながらそう告げるアイリーンだが、紫苑からすれば意味が分からない。
何だってこんなものを急に渡されたのか見当がつかないのだ。
「魔力を込めれば簡易障壁を張ることも出来る、いざと言う時、使って」
「ああ……それはありがたいんだが……しかし、何で急に?」
「あの、その、私、ずっと考えていた」
拙い言葉で、それでも大事なことだからと一生懸命に伝えようとしている。
この健気な少女が戦いとなると鬼神もかくやと言うのだから世の中は分からないものだ。
「(自分の愚かさをか?)」
だとしたら紫苑も自分の愚劣さについて寝る間も惜しんで考えてみるべきだ。
一日二日で終わることはないだろうが、一度くらいはやった方が良い。
「四月、紫苑に、完敗した」
改めて口にするだけで胸が熱くなっていく。
大事な大事な記憶、思い出、色褪せない刹那。
戦う者として悔しさが無いわけじゃない、それ以上の歓喜があるだけだ。
「俺に、じゃないよ。俺は大したことをしていない、実際に身体を張ってくれたのは他の皆だ。
(なのでもしも怨みを持っているのならばそちらにどうぞ。俺には迷惑かけるな)」
自分が惚れられていると理解していても尚、
未だに四月の件で怨まれているかも? と思ってしまうのは肝が小さいからだ。
「それも含めて、あなたの力。紫苑は、ただ強いだけの人じゃない。
私なんかより、ずっと……弱い、けど強い。個としてじゃなく、皆を率いて強くする」
ならばやはりあの勝利は紫苑の勝利だろう。
少なくともアイリーンの認識ではそうなのだ、そしてそれは決して揺らぐことがない。
「(お前より弱いだと!? お前負けたじゃねえか調子ぶっこくなやカスが!!)」
『え、俺様?』
「(カス違いだ黙ってろカッス!!)」
つい最近助けてもらったばかりなのにこの態度。
受けた恩は忘れても受けた仇だけは死ぬまで忘れない――ナチュラルボーン屑だ。
「尊敬してる、一人の人間として。大好き、一人の男の人として」
不器用な彼女なりの精一杯の告白だった。
紫苑はやっぱり困ったような顔をするだけ、それはアイリーンにも分かっていた。
「無理に、答えなくて良い。紫苑は、好きが大きい人」
だから恋愛的な意味でたった一人の誰かを好きになると言うのが分からない。
アイリーンは他の女子と同じようにそう理解している。
ゆえにここで無理に返事を貰うつもりは無い。
あくまで想いを伝えるだけで良いのだ。
「だから、その、ずっと考えてた。あの戦いの後からずっと……。
少しでも、気持ちを形にしたくて。それで、その、プレゼント!」
「(ハッ……どーでも良い話ですこと)アイリーン……」
嬉しいような、くすぐったいような、紫苑はそんな照れ臭そうな顔をしている。
それを見ているアイリーンも釣られて笑顔に。
「その、何だ……どうしよう、凄く、嬉しいよ。ありがとう。
お前の評価は過分に過ぎると思うが……うん、それでも嬉しい。
だからこそ、その期待に応えられるようにこれからも頑張りたいと思う。
この手袋、大事に使わせてもらう――――本当にありがとう」
アイリーンの手を握り、真っ直ぐその瞳を見つめたまま感謝の言葉を口にする。
それだけで彼女の乙女心はオーバーヒート寸前。
勿論紫苑はこれを狙ってやっている。
「う、うん……ど、どういたしまして……」
不器用な彼女のめいっぱいの笑顔。
傍から見ているとマジで青春やっているようにしか見えない。
「じゃ、じゃあ……その、私、帰る!」
恥ずかしさが限界に達したらしく、屋上を飛び出して行くアイリーン。
いや、これは比喩でも何でもない。
屋上の手すりを乗り越えて校庭まで飛んだのだ。
彼女は苦もなく校庭に着地するとそのまま全速力で学校を出て行ってしまった。
「(アイツ上履きのまんまだよな。アホじゃねえの?)」
呆れたように校庭を見つめていた紫苑だが、よくよく考えなくても、もうここに用は無い。
貰ったプレゼントを鞄に突っ込み、今度こそ家路に着く。
家に帰れば金髪ロリが待っている――そう思うと足が鉛のように重くなる。
とは言え幾ら足が重くとも歩みを止めない限りは家に着いてしまう。
ホームなのにアウェイな気分を味わいつつ紫苑は扉を開ける。
「ただいま帰ったぞ」
「おかりなさい紫苑お兄さん!」
飛び込んで来たアリスを受け止めつつ荷物を置き、ソファーに座り込む。
神便鬼毒酒の副作用とも言える疲労はもう抜けているはずなのにどうにもしんどい。
普段ならすぐに制服から着替えるのだが、それすら億劫だった。
「お疲れ?」
心配そうに自分を見上げるアリスに苦笑を一つ。
そして大丈夫だよと伝えるようにポンポンと頭を撫でる。
「ん~♪」
と、しばしの間気持ち良さそうにしていたアリスだが何かを思い出したように紫苑から離れる。
「ちょっと待ってて!」
「? ああ」
とてとてとリビングの扉から隣家に入って行ったアリスは、
アイリーンの時と同じように綺麗な包装が施された箱を手に戻って来た。
「これ、紫苑お兄さんにプレゼント。電車でお話したでしょう?
私が悩んで悩んで悩み抜いて選んだものが欲しいって。それがこれ、開けてみて」
「……分かった(若干金の匂いがするな)」
と、期待しつつ中を開けてみると中には指輪とチェーンが収められていた。
指輪には見つめているだけで心に癒しを与えてくれる美しい翠色の宝石が嵌め込まれている。
眩く光るそれはダイヤモンドよりも上なのでは? そう思ってしまうほどだ。
「指輪、か?」
「うん。宝石のカッティングから土台、そしてチェーンも自分で作ったのよ?
随分と時間がかかっちゃったけど……ようやく完成したの」
宝石にも負けぬ眩い笑顔のアリス、そこには一転の曇りも無い。
愛する人のために頑張った成果を心底から誇っているのだ。
「それはスフェーン、和名は楔石って言って本来は指輪にするのには向かないの。
でも、まあそこらは色々と仕掛けを施してあるから石が傷付くことはない。
ちょっと苦労したけど……うん、それに見合う出来だと思ってるわ」
そこまで言ってアリスは自分の左手を見せ付ける。
その薬指にはサイズこそ違うが、
紫苑に贈ったそれとまったく同じデザインの指輪が嵌められていた。
「紫苑お兄さんにもいずれは私と同じ場所に嵌めて欲しいけど……ふふ、今は良いわ♪」
余り急かして紫苑を困らせるのは本意では無い。
ゆえにアリスはちょっとしたアピールだけに留めた。
「でも、何時も身に着けていて欲しいの」
「ああ……だからチェーンも、か(質に売り飛ばせねえし邪魔なだけだよなぁ……)」
女の子がガチで手作りの指輪をプレゼントしてくれるなど普通は男冥利に尽きるだろう。
だが男の風上にも置けないこの男的には想いよりも金銭的価値の方が重要だった。
「うん」
「そうか……じゃあ、着けてくれるか?」
これはアイリーンにもやった、ちょっとしたリップサービスだ。
しかしそれを知らぬアリスは更に顔を輝かせて紫苑の提案を快諾する。
「じっとしててね」
真正面から抱きつくように両手を回してチェーンをかけ、そっと離れる。
紫苑の胸元で輝く指輪を見ているだけで、アリスはどうしようもなく嬉しかった。
「似合うか?」
「ええ、とっても! 素敵よ、紫苑お兄さん。お兄さんは気に入ってくれた?」
「ああ、とっても。悩んで悩んで、それから苦労してこれを作ってくれたんだ。
アリスのその気持ち、それが何にも勝る宝石だと俺は思う。本当にありがとう」
真摯な感謝、心から喜んでくれている。
この顔を見れただけで苦労なんて帳消し、むしろお釣りが来るくらいだ。
「ねえ紫苑お兄さん、スフェーンの宝石言葉を知っている?」
どうしてスフェーンなんて宝石を選んだのか。
それは宝石言葉にあった。そこにアリスの想いが込められているのだ。
「? いや、知らないな」
「――――永久不変」
この愛は永久の時間にも流されない。
この愛は不変のまま在り続ける。
嗚呼、何て少女趣味――――だがそれの何が悪い?
少女趣味、大いに結構。
変に衒うでも擦り切れるでもなく、純に想い続けることこそ何よりも尊いのだ。
そこらの諦めてしまうような女と一緒にするな。
自分の愛は永久不変、決して何にも侵されぬのだ。
この指輪にはそんな想いが有りっ丈込められている。
「私の歩いて来た世界は……紫苑お兄さんに出会うまでの世界は酷かったわ。
暗くて、寒くて、寂しくて、脆くて、価値なんて何にも見えない、総てが泡沫。
その中を揺蕩う私、けれども紫苑お兄さんに出会って総てが変わった」
確かな価値を見出せたのだ。
愛と言う名の、どんな宝石にも勝る眩いものを知った。
「不滅と言うのは確かにあるんだって今ならば心の底から信じられる。
例え私の身体が滅びたって、この想いは決して消えはしない。
紫苑お兄さんを愛する気持ち、それが私、アリス・ミラーのたった一つの真実だから」
触れるだけの優しい口付けを一つ。
「ふふ、紫苑お兄さん――――これからもよろしくね♪」
少女と女が入り混じった笑み、これは夢か現か。
本当に不思議の国に迷い込んでしまったようだ。
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ(つーか、この指輪……初任給使って作ったんだよな?)」
給料三ヶ月分の指輪なんて目じゃない重さである。




