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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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72/204

嘘から出た真 弐

「(空気読めよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!

お前ら俺が折角大願成就させようって時に普通来るか!? 来ねえよなぁ!!

つーかあれか、やっぱ罠か!? この湖罠だったんじゃねえか最悪だなもう!

引っ掛かる馬鹿も最悪だし引っ掛けようとする奴も最悪だ!

って言うか言わせてもらうならさ、罠とかに掛けようって言うその性根がもう最悪!

我と彼の間にある信頼を裏切るような行為をどうしてそう平気でするのかあたし分かんない!)」


 相手モンスターじゃんとか言ってはいけないし、

そう言うあなただって誰とも信頼(双方向)を築いていませんよね? なんて言ってはいけない。

 更に付け加えるならば仲間を見捨てて自分の未来掴もうとしている奴は、

モンスターよりも最悪な畜生に劣る行為だ――――などとも言ってはいけない。


『ところでさぁ……アイツら、何で襲って来ねえんだろ?』

「(え……?)」


 カス蛇の言葉で若干頭が冷えた紫苑は、包囲網を敷いている鬼達に視線を向ける。

 確かに彼らはこちらをじっと見ているだけで近付こうとしない。

 此方に敵意が無い? いいや違う、確かな敵意を感じる。

 であれば何か襲って来ない事情があると考えた方が良いだろう。

 ではその事情とは何か、紫苑はドドメ色の脳細胞をフル活性化させて答えを探す。


「(――――おかしいな)」


 鬼達は包囲網を敷いている、敷いてはいるが疑問がある。

 気付かれずに包囲網を敷くと言うのなら、今の距離でも問題無い。

 だが次だ。こうして気付かれた以上は網を狭めるべきだろう。

 何故彼らは最初の位置から動こうとしない?

 大天使イケメン(自己申告)とドザエモン(未来予想図)四人なんて赤子の手を捻るより容易く殺せるはずだ。

 ゆえに、そこまで考えれば答えは容易く導き出せる。


「(この湖は奴らにとっても毒……ってわけか)」


 そう考えのが目下、一番正しいはずだ。

 だが罠に掛けておいて捕らえた獲物を食べられないなんて狩人としては片手落ち。

 であればこの状況も鬼達にとっては少しばかりの予想外と言うわけか。


「(湖に入るとは思わなかった……?

ああいや違うな、惹かれるって習性を利用してんならその可能性も十分ある。

思い出せ、思い出せ、何か、何かあったはずだ――――ってアムリタか!)」


 よくよく考えればアムリタを飲ませる前はかなりヤバかったが動けないほどではなかった。

 普通ならあそこで自身の身体の異常に気付き、原因であろう湖から出るはずだ。

 そこに鬼が来てデッドエンド――――と言うのが鬼達の描く絵だったのではないか。


「(チッ……飲ませる手伝いをするにしても、先に陸へ上げてからのが良かったな。

そうすれば奴らは喰われて俺は万々歳ってなもんよ!!)」


 おめでたい思考回路である。

 自分の言っていることの粗にまるで気付いていない。

 陸へ上がっていれば紫苑だって鬼の餌食になるし、

酒の湖が弱点だとも今だからこそ気付けたことであって、湖に逃げることなぞ思いつかないだろうに。


『しかしすげえなぁ……この数。百や二百じゃきかんだろ』

「(大江の山に来てみれば~♪ ってか? 冗談じゃねえ)」


 言いながらも観察を止めない紫苑。

 どれも同じような鬼にしか見えないが、前方に一匹だけおかしなのが存在する。

 見た目もそうだが――――空気が違う。


「(あの隻腕の鬼を暫定リーダーとして……んで、他にも……)」


 隻腕の鬼の背後に控えている鬼の中でも四匹ほど格が違うように見えるのが居る。

 他は全部雑魚鬼、要となるのはあの五匹だろう。

 一番強そうなのが隻腕の鬼だが、リーダーかと言われれば少しだけ腑に落ちない、ゆえに暫定。

 それが紫苑の見立てだが、

仮に真実だとしても彼にこの包囲を抜け出す術は無いので分かっても意味の無いことだ。

 その他のですら通常のダンジョンで出くわす鬼とは格が違うのが分かる。

 普通のダンジョンで出て来るモンスターすら殺しきれない紫苑に包囲する敵をどうにかする術は無い。


『で、どうするのよ紫苑。このままふやけるまで酒の湖に浸かっとくのか?』

「(奴らを馬鹿にする意味で楽しく泳いでやるのも一つの手だがな)」


 そんな冗談を飛ばしつつ、自分が生き残るための道を模索する。

 他人が、世界がどうなったって良い、自分だけは生き残りたい!

 死ぬにしても最高の最後を飾り付けられるような状態じゃなきゃ嫌だ!

 そんな薄汚い想念が頭の回転を更に加速させる。


『ん、どうしたんだ?』


 湖の岸までそっと近付く――勿論何時でも後ろに戻れるようにはしてある。

 紫苑が湖に身体を浸したまま地面を叩くとボコ! っと土が隆起して兎が出現した。

 そう、今の今まで待機状態だった偵察兎だ。


「(さて、どうなるかな……)」


 紫苑はバッグから取り出した携帯を兎に持たせて再び土の中に潜らせる。

 だが、潜らせた状態で待機させたままだ。行動を起こすのはちゃんと考えてから。


『どうするのよ?』

「(兎を操って外まで行かせて俺らの現状を書いたメールを送らせる。

文章は既に打ち込んであるし電波さえ届けば後はワンプッシュで送信出来るようになってる)」


 そう、紫苑は救助を呼ばせるつもりなのだ。

 しかし不安要素も多分に含んでいるのがこの作戦。

 まず第一に兎と自分が何処まで離れられるのかが分からない。

 大抵は近場の偵察をさせていたため、物理的な距離が分からないのだ。


「(あのクソガキのマニュアルにもそこらは書いてなかったからなぁ……)」

『でも成功すりゃ最高じゃん!』

「(いやな、もう一つあるんだよ。奴らが兎の存在に気付いてる)」


 携帯を渡した時に確信したことだ。

 いきなり兎が現れて人間が意味の分からないことをした。

 となると少しくらいは反応しても良いだろう。

 だが、鬼達はまるで揺らいでいなかった。

 となると最初から土中に居る兎の存在に気付いていたと考える方が自然だ。


「(土ん中を進ませて外に向かわせるにしても……気付いてるからな。

ただ、網の内側に居たから放置してただけで、出ようとすれば邪魔するはずだ)」


 それが第二の不安要素。

 鬼達の包囲網を抜け出せる確率が低いのだ。


『爆弾か何かで動揺させて一気に駆け抜けさせるってのはどうだ?』

「(ノー、十中八九無理だ。まず第一にあの五匹は絶対に揺らがないだろう。

他の鬼も五匹が居なけりゃ効いていた可能性があるが……五匹が居るうちは無理だ)」

『何でよ?』

「(あくまで主観なんだが、連中徹底的な縦社会らしい。

絶対なる頂点――ってほどでもないが、思考を放棄して強い鬼に唯々諾々と従ってるように見える。

だから揺らがない、だって頭が揺らげと言ってないんだもん)」


 ならば爆弾を幾ら放り投げたところで意味があるとは思えない。


『成るほどなぁ……手詰まりか?』

「(どうかな……試せる手だけは試してみようとは思ってる。

爆弾も一応やってみるが、それよりも低い確率の手から打とう)」

『一番低いのは何だ?』

「(幻術魔法で連中の気ぃ逸らせねえか試してみる)」

『あれ? お前ってショッボイ強化魔法しか使えないんじゃねえの?』

「(ショボイ言うな!!)」


 しかし実際ショボイのでしょうがない。


「(確かに適正外の魔法使おうってなりゃ効果は低いだろうよ。

炎の魔法を使おうと思えばマッチ並、回復魔法を使えば擦り傷をちょっと浅く出来るくらいだ。

麻衣だって回復魔法こそずば抜けてるが強化なら馬鹿魔力にものを言わせても俺よりちょっと下くらいだろう)」


 前衛は至って単純だ、何せ肉体のスペックでハッキリ分かるしそこから先は無いのだから。

 だが後衛と言うのはほんの少し手間がかかる。

 まず後衛の条件を満たす魔力量、その上でどの魔法に適正があるかを調べねばならない。

 紫苑の場合はそれが強化魔法と言うだけで、別の魔法が使えないと言うわけではないのだ。

 まあ、使う意味が無いので似たようなものではあるのだが。

 何せ魔力を消費してマッチレベルの火を付けるならライターの方がマシなのだから。


『あ、それでもお前よりちょっと下なんだな。才能がある奴はやっぱちげえな』

「(るっせえ! それでも魔力量にものを言わせなきゃ無理なんだからな!?

燃費って面じゃ俺が使う方がよっぽど良いの! だから俺のが凄いの!)」


 いや、その理屈はおかしい。


「(んぐ……!)」


 必死こいて反論していると、心臓が脈打ち、

奥 底 に あ る 見 え な い 均 衡 が 崩 れ た――そんな気がした。

 一瞬あの酒の毒か? とも思った紫苑だがどうやら違うらしい。

 顔色はむしろ良くなっているし、活力が溢れて来るのだ。


『ど、どうした?』

「(いや、何か……こう、身体の奥の奥から力が満ち溢れてるような……)」


 無論、強化魔法を自分にかけた覚えは無い。

 よしんばかけていたとしてもこれは強化魔法によるものではないだろう。

 あれは単純に身体能力を跳ね上げさせることしか出来ず、

顔色が良くなったり身体の内側から活力が沸いて来るようなこともない。


「(何かこう、妙に自信とかも沸いて来た! あれ? 俺ってすげえんじゃね!?)」


 これだけ聞けば何時もの紫苑らしい増長と言えるかもしれない。

 が、流石の彼も生きるか死ぬかの瀬戸際で増長することはない。

 あくまで危機が起こっていない状態でしか増長は出来ないのだ。

 いや、それはそれでどうかと思うが。


『……なあ』


 何かに気付いたらしいカス蛇が微妙な声色で語りかける。


「(あん?)」

『お前にとってこの酒って――――毒 じ ゃ な く て 薬 な ん じ ゃ ね え の ?』


 だからこそ一人だけ平気で、尚且つ調子が良くなったのだろう。

 今になって効果が現れたのは単純に飲んだ量が少なかったからかもしれない。

 まあ、飲んでテンション上げるとか危ない薬のようにも思えるが。


「(そう……なのかな?)」


 だとしたらもう少し飲んでみるのも良いかもしれない。

 が、やはり四人の姿を見ているので不安があるのも事実だ。


『じゃなきゃ色々おかしいだろ。甘い匂いを感じなかったのもとかさ。

あれはアイツらの罠だろ? 獲物を捕らえるためのよー。

それがお前には効かなかったってことは罠として機能してねえってわけだろ』

「(言われてみればそんな気もして来たな……)」


 蛇に唆されるままに紫苑は湖に潜ってめいっぱいの酒を臓腑に染み渡らせた。

 途端、さっきまでのとは比べ物にならない活力と自信が満ち溢れて来る。


「(カッス、俺は美しいか!? 大丈夫、言わなくても知ってる! 俺絶世のイケメン!)」


 どうやら違う方向の自信も溢れて来たようだ。

 このまま決壊してどうにかなってしまえば良いのに。


『やべえ、やっぱヤバかったかもしれない』


 脱法ハーブを吸った人間と同じようなテンションの上がり方だ。

 これは何だかよろしくない――――だってとってもウザイんだもん。


『ちなみに、肉体が強化されたとかそんな感じは?』

「(うん、特にねえや。これ飲んで超人にパワーアップ!

とか出来るかと思ったがそんなことはなかったぜ! でも俺は大変気分が良いぞ!)」

『ああそう……じゃあとっととやれよ』

「(無粋な奴だ……まあ良い)」


 とりあえずは一番確率の低い幻術魔法からだ。

 確実に兎を逃すためには視界に入る鬼全員を術中に嵌めねばならないのだが……。


「(全魔力消費しても……全員にかけることも出来なさそうだ……)」


 百か、二百か、視界に映るものだけでもそれぐらいの数は優に超えている。

 全員に幻術魔法を浸透させることも出来そうにない。

 よしんばかけられても適正外であるため、良くて余所見をさせられるかも程度だろう。


『それって無駄じゃね? 魔力消費するだけだし』

「(つっても今の俺が魔力あったところで意味ねえしなぁ……)」


 強化をする相手が居ないのだ。

 精々自分にかけることぐらいだが……かけたところで鬼を突っ切れるとは思えない。

 だったら在庫処分ではないが、一応やってみるのも悪くはない。

 魔力を消費し切れば疲労はするだろうが、現状特にやることもないので問題は無い。

 少なくともこの湖の中はセーフゾーンなのだ。

 疲れてもこの中でゆっくり休めば良いだろう。


「(つーわけでやるぞ!)」


 槍を強く握り締めて裡から魔力を振り絞る。


「――――未来は途切れ、現在は消失し、過去は崩れ去る」


 期待なんて欠片もしていないまま呪文を謳い上げて、

幻術魔法を発動した瞬間――――予想外の事態が巻き起こった。


『おい! 効いてるんじゃねえか!? 今なら兎どころかお前も逃げられるんじゃねえ!?』


 視界に入る総ての鬼達が互いに殴り合いを始めたのだ。

 それはあの五匹についても例外ではない。

 鬼らの瞳には正気が宿っていないように見える、これは幻術魔法が成功した証では?

 カス蛇は弾んだ声で紫苑に語りかけるが……。


「(……!)」


 予想外の事態そのニ、紫苑の消耗が激し過ぎたこと。

 魔力を総て消費するのは初めてではない。

 だが、かつてここまで消耗したことはなかった。

 辛うじて水面に浮くことは出来るが指一本動かすのも億劫だ。

 こんな状態で逃げるなんて出来ようはずもない。


「(な、何だこれ……)」


 先ほど崩れた均衡が正しい形に戻り、その揺り返しが襲って来たような……。

 そんな何とも言えない感覚。


「(け、けど頭はまだ動く……! 行け、兎ぃ!!)」


 紫苑の思念を受け取った兎は勢い良く土中を走り出した。

 駆ける、駆ける、駆け抜ける。

 兎は鬼達の包囲網を潜り抜けて走り続ける。

 命令を送ることしか出来ず、動けない紫苑にとってこの兎だけが最後の希望なのだ。

 そうして掘り進んだ穴を逆走し続けて十数分、ようやく外の世界に繋がる出口まで辿り着く。

 紫苑はそのまま兎を外の世界に出させ、リンクした視界で携帯を覗き込む。

 電波は良好、細かな操作は難しいが彼もそこらは分かっている。

 だからこそワンプッシュでメールが送れる状態にしてあるのだ。

 兎はその前足で送信ボタンをプッシュ――――これで仕事は完了だ。

 さて、視点を変えて少し時間を戻そう。

 紫苑らが霧中を進んでいる頃、担当の大人二人は……。


「あ、駄目。やっぱり駄目だわ。私は致命的に勉強に向いていない」


 麓にある町の宿で勉強をする雲母、教師役は無論のことカマキリだ。

 何故彼女が勉強をしているのかと言うと単純に暇だかと言うのと、

こうやって社会に再び出た以上は勉強が必要だと思ったからである。


「まあ、確かに知識と言うのは積み重ねていくものですからね」


 触りだけではあるが、雲母の経歴については聞いてみた。

 彼女が中学を中退した理由もそれで知ったので不勉強を攻める気にはなれない。

 なので教え子の不出来さに困ったような顔をするだけに留まっている。

 と言うかカマキリ的には雲母の経歴を聞かなきゃ良かったとすら思っている。

 端的に言って重過ぎるのだ。

 こう言う手合いを受け止めきれるのは紫苑のように一切の情を抱かないか、

あるいは心底から雲母を愛することの出来る人間のみ。

 カマキリにはそのどちらの素養も無い。


「いきなり必要な知識を頭に入れるんじゃなくて、

それを理解するために必要な土台作りから始めた方が良いかもしれません」

「となると……中学校くらいからかしら?」

「ですね。けどまあ、焦らずにやれば良いと思いますよ」


 これが紫苑ならば腹の中でたいそう雲母のことを馬鹿にしていただろう。

 こうやって同情交じりとは言え真面目に付き合うカマキリは根っからの善人だ。


「とりあえずここまでにしておきましょう。これ以上は身が入らないでしょう?」


 時間があって暇、とは言え雲母が紫苑ら――と言うより紫苑を心配しているのは一目瞭然。

 なのでカマキリは授業をここで打ち切ることにした。


「……やはり、先達としては心配ですか?」

「そうねえ……ええ、心配だわ。私が行ったところとはまた少し違うのでしょうけど……」


 ただでさえ強力無比なのに知性を備えているのだ、堪ったものではない。

 あの阿修羅は地力も技量も何もかもが違い過ぎた。

 他のダンジョンの資料を見る限りでは、

あそこまで危険なのは出ていないようだが、これから先も出ないとは限らない。

 そしてそれに出くわすのが紫苑だとしたら?

 想像するだけで雲母の心は一気に不安で塗り潰されてしまう。

 彼女にとって今でもあのダンジョンはトラウマなのだ。


「あ、そうだ。鎌田さん、私が向こうのギルドで事情聴取を受けたのは知っているわよね?」

「? ええ。だからこそあのダンジョンの存在が明るみになったわけですし……」


 カマキリ自身もこの仕事に携わることが決まった時、調書の写しに目を通したことがある。

 だがそれが一体どうしたと言うのだろうか?


「それって、私が閲覧することも出来るかしら?」

「そりゃ出来ますけど……」


 内容は雲母が語ったことをまとめているだけだ。

 なので本人は覚えていて当然、と考えたところでカマキリは苦い顔をする。

 調書の備考欄にこう書いてあったのだ。

 "逆鬼雲母氏は心神喪失状態であった"――――と。

 あの内容は根気強く心のケアをしながら聞き出したものだが本人が覚えているとは思えない。


「そう、なら戻ってからで良いから見せてもらえない?」


 "あなたはそれをあのダンジョンで聞いたはずだ"――と言うアレクの言葉を確かめるためだ。

 もしかしたら何か手がかりが残っているかもしれない。

 記憶は未だに曖昧だが、聴取の際に自分は何か言っていた可能性もある。

 となれば調書にだってそれが記載されているかもしれないと思いついたゆえの御願いだ。


「分かりました」


 どうしてそんなものを見たがるのかはカマキリには分からない。

 それでも真剣な顔で頼んでいる人間を無下に扱えるほど彼は腐った男ではないのだ。

 雲母の願いを快諾し、メールで手続きを行おうとした矢先だった。


「ん?」


 カマキリの携帯にメールが届く。しかも紫苑から。

 不審に思いながら中をあらため――――絶句する。

 霧に覆われ視界もロクに利かないダンジョンで、

甘い香り罠に誘われて仲間四人が罠の要である酒の湖に引き寄せられた。

 そこの酒を摂取した四人は行動不能に、アムリタを飲ませたが効果は無し。

 それどころか完全に意識を失ってしまった。

 タブレットを飲ませて酸素を確保させているため生存に問題は無いが、

湖を包囲するように数百の鬼が居るためセーフポイントである湖から出られない。

 鬼達はどうやら湖の酒が苦手なようで踏み込んでは来れないが、それも確実とは断言出来ない。

 現状動けるのは自分だけで可能ならば救援を求む。

 こと細かに書かれた状況から察するに直ちに命の危機があるとは思えないが……。


「逆鬼さん、ヤバイことになった」


 もう一人の担当である雲母に携帯を見せると、一瞬で彼女の顔色が変わった。

 そのまま飛び出そうとする雲母だったが……。


「待ってください! 逆鬼さん一人では確実に救助出来ないかもしれません!

あなたを一人で行かせることで彼らの生存確率を下げるわけにはいかない。

あなたは戦力なんです、貴重な戦力なんです。だからどうか軽率な行動は慎んでください」


 以前ならまだしも今の雲母は理を以って説けば分かってくれる。

 彼女は青褪めた顔のまま足を止めて、静かに頷く。


「どうする……どうする、どうする……」


 カマキリは必死に頭を回転させる。

 現状、すぐに動かせる人間は雲母だけだ。

 例のダンジョンに入れる資格がある冒険者は少ない上に、大阪には居ない。

 各地に散っているのだ。それを集めようとすればかなりの時間がかかる。

 だが、救助と言うのは迅速に行わなければいけない。

 であれば――――カマキリの脳裏に一つの閃きが走る。


「……居た、すぐに動かせる人間が! 

逆鬼さん、ちょっとここで待っていてください。僕は戦力を用意して来ますので!!」


 部屋を飛び出したカマキリ、

残された雲母の胸には焼けた鉛のように重く熱い不安だけが満ちていた。

 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてみてもまるで安心出来ない。

 怖い、怖い、ひたすらに怖い。

 直ちに命の危機はなさそうだと書いていても、あのダンジョンに限っては何が起きても不思議ではない。

 もしかしたら今この瞬間にもセーフゾーンがセーフゾーンでなくなっているかも。

 最悪の想像が脳裏をよぎる度に吐き出しそうになる。

 今すぐにでも飛び出したい、だがカマキリの言葉は正しい。

 自分の軽挙妄動で紫苑の命を失わせるなんて耐えられない。


「御願い……御願い、生きていて……御願いよ……。

お母さんが行くまで、どうか無事でいて……!

そしたら、絶対に助けるから……お母さんがあなたのことを護るから……!」


 胸の前で両の手を合わせて祈りを捧げる。

 だがそれは神への祈りではない。

 逆鬼雲母は神の存在を信じていないわけではないが、祈りを捧げる対象としては見ていない。

 何せ自分が神様に愛されていないことは痛いほどに分かっているから。

 そんな相手に頭を垂れて祈ったところで何もしてくれるわけがない。

 だからこの祈りを捧げる相手は――――紫苑、なのだろう、敢えて言うならば。


「紫苑ちゃん……あなたさえ無事で居てくれるなら……!」


 ポタポタと涙が零れる。

 紫苑が生きて帰って来たら、もうこんなダンジョンに向かうのは止めようと提案してみよう。

 ああでも、止められるだろうか?

 止められないならば彼の近くに居る子供達をもっと強くするために鍛えよう。

 バラバラになった思考を続けていると、気付けば一時間が過ぎていた。

 焦れた雲母が外に出ようとしたその時、


「お待たせしました! 雲母さん、これを!!」


 部屋に戻って来たカマキリが腰に着けるタイプのバッグを投げて寄越す。

 現役時代に着けていたものと多少デザインは変わっているが冒険者がよく使うそれだ。


「中に入っているのは基本的には春風くんらのと同じものです。

中身のリストはこれ、目を通して中身を把握ください」

「――――把握したわ」


 十秒ほど目を通しただけだが、それで中身は総て把握出来た。


「ならば今すぐにでも向かってもらえますか?」

「ええ、分かったわ。でも……」


 人員は調達出来たのか? 不安げに揺れる雲母の瞳。

 カマキリは厳しい顔のまま頷いた。


「三人は集められました。通常のパーティと比べると一人足りませんが……」

「十分よ、ありがとう」

「仕事ですから。指揮権はあなたに預けます、彼女らにもそれは伝えました。

そして春風くんの現状もこと細かに、今は下で待っていますのですぐにでも動けます」

「分かったわ」


 雲母が宿の入り口に飛び出すと、そこには三人の少年少女が居た。

 空と海の中間ぐらいの蒼い髪と兎のように紅い瞳を持つ少女――アイリーン。

 御伽噺から飛び出して来たような金髪の少女――アリス。

 そしてそのお供である巨漢の少年ルーク。

 前二人はスカウトをしたこともあり、救助に向かう資格は十分に備えていると言えるだろう。


「紫苑お兄さんを助けるためだもの、我慢して共同戦線張ってあげるわ雲母お姉さん」

「アリスちゃん……ええ、よろしく御願いするわ。あなた達もね?」

「アイリーン、よろしく」

「自分はルークだ」

「アイリーンちゃんにルークちゃんね――――行きましょう」


 全速力で駆け出す四人。

 山を登って孔がある場所へは僅か数分で辿り着いた。

 孔の前には一匹の兎が佇んでおり、アリスはそっと兎を抱き上げる。


「……良かった。紫苑お兄さんはまだ生きてる、怪我とかも無いみたいだわ」

「どうして?」

「簡単なことよアイリーンお姉さん。これは私が造った人形なのよ。

紫苑お兄さんがリンクを繋げている間はバイタルデータなんかもチェック出来るの」


 言いながらアリスは兎の瞳を覗き込む。

 兎の瞳越しに自分の姿を紫苑に知らせているのだ。

 安心して、すぐに行くから……と。


「そう……安心したわ。でも、急いで行きましょう。

けど、入る前に確認。甘い香りに要注意よ?

ガスマスクをしていても意味は無いみたいだから気を付けてね」


 アイリーンの言葉に頷いて四人は孔の中へと飛び込む。

 中は事前情報通りに霧が満ちており、例の匂いも充満していた。


「甘い」

「……成るほど、これは確かに効くわね。

でも事前情報で危ないと分かっているし、集中していれば何とか耐えられるわ。お姉さん達は?」


 だが、逆に言えば知らなければ引っかかっていた可能性が高いと言うことだ。

 初見殺し――――アリスはこの罠をそう評価した。


「鼻につくけど大丈夫よ。ルークちゃんは?」

「……結構キツイが戦闘行動に支障は無いだろう」


 さあ、問題はここからだ。


「どうやって行く?」


 そう、紫苑の下にどうやって向かうかだ。

 闇雲に走ったところで辿り着けるとは思えない。

 この甘い匂いを辿るにしても香りがキツ過ぎて方向を掴めそうにない。


「大丈夫、この子が居るわ」


 アリスはが抱き締めていた兎をそっと地面に下ろすと、

兎は近くにあった小さな孔に潜り込んでしまった。


「土中に居るこの子の気配を辿って行けば辿り着けるわ」


 紫苑の命令を受けているこの兎がナビになるのだ。

 兎を追って疾走しつつ、道すがら四人は軽く作戦を立てる。

 五人を全員抱えて撤退するか、敵を殲滅してからダンジョンを出るか。

 前者は論外だ。安全性を確保するためにもせめて包囲網は打ち崩すべきだ。

 となるとファーストアタックが肝要。

 敵を視界に収めた瞬間、四人は背後から包囲網に強烈な穴を穿った。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおらぁああああああああああ!!」


 ルークの豪腕が唸り鬼どもが砕け散る。


「死ね」


 アイリーンの槍が鬼どもをまとめて薙ぎ払う。


「お前達は串刺しの刑よ!!」


 アリスが宙にばら撒いたトランプが巨大な刃となって降り注ぎ鬼の頭蓋から股間までを貫く。


「紫苑ちゃん、助けに来たわよ!!」


 雲母の刃が煌くと鬼どもの身体がバラバラと崩れ落ちる。

 この電光石火の速攻によって数十もの鬼がその命を散らした。

 ファーストアタックは完全に成功と言えよう。


「(おせーよ! とっと来いやボケェ!!)……すまない、ありがとう」


 そ れ が 助 け ら れ る 側 の 態 度 か。

 紫苑は湖に身を浸からせたまま、表面上は申し訳無さそうな顔で感謝を告げる。


「いや良い、自分達は随分世話になってるからな」

「もう大丈夫」

「紫苑お兄さん、コイツらを片付けるからちょっと待っててね?」

「紫苑ちゃんはそこで安心して見ててちょうだい」


 鬼達は突然の闖入者に対して警戒しているのかすぐには襲って来ない。

 だが、直に戦端は開かれるだろう。


「私が隻腕の鬼を獲るわ。アイリーンちゃんとアリスちゃんは残りの四匹を御願い。

ルークちゃんは他の雑魚を蹴散らしてもらって良いかしら?」


 全員が頷き、これまで以上に闘志を滾らせる。


「殺す」

「このカス共、よくも紫苑お兄さんに……! 全員まとめて地獄に堕ちなさい!!」


 いいえ、鬼さん達はまだ紫苑に何もしていません。


『え? 俺様のこと?』

「(そ り ゃ カ ス 違 い だ よ)」


 馬鹿二人を他所に激戦の火蓋が切って落とされた。

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