調子に乗った結果がこれだよ! 終
「――――戻って来たか」
紫苑達がようやっと孔の外に出ると、カマキリが孔の付近で佇んでいた。
大阪で報告を待っているはずの彼が何故?
一同のそんな疑問が顔に出ていたのだろう。
「有給を取って来た。辞めることになれば無駄になってしまうからな。
僕も一日くらいは使ってみても良いと思ったのさ」
ニッコリと笑うカマキリの顔は晴れやかだった。
これまでの棘が取れていると言うべきだろうか?
「(有給って事前申請必要だろうが。しっかりしろ社会人)」
ぐうの音も出ない正論である。
「聖くんだったな? 君達の担当が待っている。
車を待たせてあるからそれで戻ると良い。詳しいことはそっちで話してくれ」
「分かりました」
聖人は二人を背負ったまま、紫苑らに向けて軽く頭を下げる。
「このお礼は後日、改めてさせて頂きます」
本当に律儀な男だ。
彼はもう一度頭を下げて、車の方へと向かって行った。
残されたのは紫苑らとカマキリのみ。
「報告は……道中で聞かせてもらうよ。
僕らも車を待たせてある……が、ルドルフくんは大丈夫か? 救急車を呼んだ方が良いかな?」
「(何だコイツ……いきなり綺麗になりやがって……おい、昔のお前は何処行った!?)
怪我は麻衣が治したから大丈夫。ただ、体力の消耗が激しい……しばらくは寝かせてやってくれ」
「分かった。どうせ宿に直行するつもりだったからね。さ、行こう」
カマキリの促しに従ってワゴンに乗り込む五人。
ルドルフを寝かせた紫苑は、改めてカマキリに語りかける。
「まず最初に、俺達が聖さん達を見つけた時には既に他二人は亡くなっていたようです」
「生存者は彼を含めて三人……か。遺品は?」
「あのダンジョンの中、燃えてるんだ。死体も遺品も全部焼けちゃったらしいよ」
「成るほど……だが良い。それでも三人は戻って来たんだからね。どんな状況だった?」
紫苑らがダンジョン内でのことを口頭で語ってカマキリがそれを元に情報をまとめていく。
報告は宿屋に着く少し前に終了した。この後はフリーになるとのことだ。
「う、むぅ……んん? ここは、何処だ?」
停車した時の揺れでルドルフが目を覚ます。
状況を把握出来ていないらしくキョロキョロと辺りを見渡している。
「宿の駐車場だよ。俺達は戻って来たんだ」
「……ああ、そう言えばそうか。うむ、そうかそうか。我らは、勝ったのだな」
今になってようやく勝利の実感が沸いて来たらしく、何度も何度も頷いている。
「話は聞いているよ。君が大殊勲だったそうだな」
「煽てるな鎌田よ。これは私一人の勝利ではない」
紫苑が、天魔が、栞が、麻衣が、皆が確かな重みとなって己を支えてくれた。
もしそれがなければきっと倒れていただろう。
であれば己一人の勝利だと誇るのは厚顔にもほどがあるとルドルフは笑った。
「(か、カッコつけ野郎め……!!)」
カッコつけるためだけに死のうとしていたこの男にそれを言う資格は無い。
「成るほどな……うん、やはり良いな。君達は」
「フッ……っと、そうだった。鎌田よ、ギルドお抱えの腕の良い鍛冶を紹介してくれんか?」
「ああ、例の太刀と薙刀を使って槍を誂えるんだったな。分かった、任せてくれ」
「すまんな」
「いや良い。だが、鎌田ではなく鎌田さんと呼べ。一応僕は年上だぞ」
その言葉は刺々しいものではなく、何処か冗談じみていた。
鎌田桐緒と言う人間が丸くなった証拠だ。
「それじゃ、今日はもうゆっくり休んでくれ」
「つっても僕らは疲れてないんだけどねー」
「一番心身を酷使したのはルドルフだからな」
「いや、それを言うなら三人娘も……い、いや何でもない」
セクハラ的な意味で精神的苦痛を受けたのでは?
ルドルフはそう言いたかったのだろうが女三人に睨まれて口を噤む。
「で、では私は部屋で休ませてもらう! 食事は起きてからで!」
そそくさと逃げるように去って行くその背はとても小さかった。
鬼神との戦いに赴く時はあれほど勇ましかったのに……。
「うちらはどうしよっか?」
「このまま部屋に戻ってお昼寝ってのも良いけど……」
「紫苑さんはどうされるので?」
「俺? 俺は――――」
やることもないので部屋で昼寝する、そう言いかけたところでカマキリの視線に気付く。
「少しばかり用事が残っているらしい。皆は先に戻っていてくれ」
三人娘も察しが悪いわけではない。
何ごとかを問うこともなく宿の中へ入って行った。
「……改めて思った」
「何だ?」
「命を懸けて戦っている、君はそう言った。君も彼らも、皆命を懸けて戦っている」
噛み締めるように一言一言を口にするカマキリ。
紫苑らの生き様に感銘を受けているのだろう。
「(何だよ急に気持ち悪い……)」
「それは――――何て素敵なことなんだろうね」
照れ臭そうに笑うその顔は、まるで子供のようだった。
「(おいカッス!)」
『何だシッオ!』
「(誰がシッオだ調子乗るなよテメェ)」
『……お前ってさぁ……ホントもうさぁ……で? 何よ?』
「(カマキリ野郎が本格的に気持ち悪い件についてだな)」
『興味ねえ。つか、東北来たんなら青森行こうぜ青森!』
「(林檎的な意味でか? お前の喜ぶことなんかしてやんねえ! クソして寝ろ!)」
『クソ垂れることも出来ねえよバーカ!!』
何て幼稚な罵倒合戦なのだろう。
「僕は、何て言うか……うん、君達が羨ましいよ」
「(しゃあねえな……ちょっとイケメンタイム発動するか)」
イケメンタイムと言うのがあるとしても、それは決して自己申告するものではない。
「少し、勘違いしているな。命を懸けるって言うのは別に戦場に立つことじゃない。
途方も無い強敵と相対して生き残るために全霊を尽くす……うん、それも間違いではない。
けどな、それだけじゃないんだ。ようは本気で生きてるかってことだ」
「本気で、生きている?」
「そう。どんな小さなことだって良い。弁護士になりたくて、そのために本気で勉強している。
プロ野球選手になりたくて、本気で練習に励んでいる……それもまた、命を懸けると言うことだ」
命とは己そのものだ。
己を本気でまっとうしているのならば、それは命を懸けていると言うことに他ならない。
「善悪はあれども、そこに貴賎は無い。その道を否定されることだってあるだろう。
でも、本気でやっているのならば……それは命を懸けてるってことだ。
一概に否定したくないし、否定されたくもない。だから俺はあの爺さんに怒ったんだ」
保身のために怒っただけだろうが。
「俺は後先考えない若造だからな。我慢が出来なかった……情け無いことにな。
本気で俺を否定するって言うのなら、良い気分はしないが俺も正面からぶつかるさ。
だが、アイツは違う。言葉に重みを乗せることもなく、何も考えずに俺を罵っていた。
一時のほんの小さな満足感のためだけに、な。
だから俺は命を懸けて向かい合えと言ったんだが……結果はあの通りだ」
立場を振りかざして逃げた、つまりそれは本気で生きていないと言うことに他ならない。
紫苑を嫌悪し嫉妬しているのならば本気で排除しにかかって来るべきなのだ。
しかし藤堂は逃げた、逃げた以上言い訳は赦されない。
所詮はそこまでの小さな男でしかなかった。
「なあ鎌田さん。滋賀でのやり取りを覚えてるか? 本物どうこうあってあれだ」
「ああ。君は、呆れたと言ったな。今ならほんの少しだけ、分かる気がする。聞かせてくれるか?」
その真意を――――カマキリの瞳は何処までも真摯だった。
「俺達は……人間だ。神仏や魑魅魍魎の類でもない。不完全な、人間だ。
不完全で不確かで、測る物差しはあれども絶対じゃない。
これが絵画のように簡単に真贋を見極められるってんならまだ良いがな。
だが、人間って奴はそう単純なものじゃない。本物か偽物かなんて分からないんだ」
"本物の冒険者でもないタダのガキなんだからね"――滋賀でカマキリはそう言った。
だが、本物の基準とは何だ? 明確に判断出来るものなのか?
学校を卒業して冒険者家業を始めれば本物になるのか?
なら、学生より劣るような本職の冒険者は偽物なのか?
無いのだ、絶対の物差しが。真贋を測れるだけの物差しが存在していないのだ。
「だけど、本物で在ろうと努力することは出来る。
明確な基準が無くて、雲を掴むような話だ。
でも、そこで腐らず曲がらずに努力を続けることが出来る人間ってのは……尊いものだと思う」
「本物で在ろうと努力する……」
「ま、あくまで俺の持論だ。そう深く考えなくても良いさ(俺そろそろ釈迦並じゃね?)」
釈迦の説法とお前のイケメンタイム(偽)を一緒にするな。
「いや、タメになった……僕は、日々一生懸命生きてるつもりだった。
けど、違うな。ただ漫然と生きていたんだ。
君みたいに深く己を、生きると言うことを見つめたことなんてなかった」
「ならこれから見つめれば良い――――ま、どうなるかは分からんがな。俺もお前も」
「……はは、締まらないな。でもまあ、確かにそうだね。あの爺のことだからなぁ」
謝罪の約束を反故にする可能性もある。
いや、それどころか紫苑を排除してただの学生に戻す可能性だってあるだろう。
まあ、それは彼にとって願ったり叶ったりなのだが。
「俺はまだ学生だから良いが……鎌田さんは、な」
「その時はその時さ。辞めさせられたのなら次の就職先を見つけるよ。
何、心配は要らない。本気でやれば……うん、きっと今より楽しいだろう。
ま、理想はギルドで頑張ることなんだけどな」
言葉通り、カマキリに悲壮感はなかった。
どんな結果になるにせよこれからの人生はきっと違うものになる。
希望と不安が綯い交ぜになった何とも言えない興奮が彼の裡を満たしていた。
「良い気分だ……冒険者ってのは、こう言うものなんだろうな」
「鎌田さんは……直接ギルドの職員に?」
「うん。現場からの叩き上げってわけじゃない。一応、素養はあるんだけどね」
カマキリの左手がパチパチと帯電している。
適正は後衛で、攻撃魔法の使い手なのだろう。
「そっちで喰っていこうとは思わなかったのか?」
「小さい頃はそれも考えたけど、ギルドの職員に憧れていたんだよ。
と言うよりは……父さん、かな? 僕の父はギルドの職員だった」
父の背中に憧れて……何ともありがちだ。
しかし、ありがちだからと言って否定するのは違うだろう。
「でもそうだな。うん、どうせなら冒険者やってみるのも良いかもしれない。
この国じゃあの爺が生きてる限りは無理だけど……アメリカ辺りならやれるだろう」
「フッ……再就職先の候補が見つかって何よりだ(知るか馬鹿。テメェの自分語りに付き合う気はねえよ)」
何時の間にかイケメンタイム(偽)は終了していたようだ。
「――――再就職なぞ考えんでもよろしいですよ」
しわがれた声、それは紫苑のものでもカマキリのものでもない。
二人が同時に駐車場の入り口に視線をやると、小柄な老人が佇んでいた。
「(誰だこの爺? いや、どっかで見たこと……あ)」
ニコニコと笑っている如何にも好々爺と言った感じの老人。
その顔には見覚えがあった。
まさかと思って隣に居るカマキリを見やると、予想通りに大口を開けて唖然としている。
「あ、あ、あ、ああ……」
「(うわ……やっぱりだ。寛野厳――――通称寛厳、日本支部の親玉じゃねえか!)」
ギルド日本支部を束ねる長、それが目の前に居る老人の正体だった。
だがしかし、何故岩手に居て自分達の前に現れたのか。
「し、支部長……な、何故こんなところへ?」
「はいはい。落ち着いてくだされ」
同じ立場ある老人だと言うのに寛厳は藤堂と違ってえらく腰が低い。
紫苑がすぐに思い出せなかったのもそこに原因がある。
たまに会見などを開くにしても寛厳は余り前に出ないのだ。
そのせいでどうにも印象に残り難いのである。
「い、いや落ち着くも何も……」
カマキリはあたふたとしているがそれも当然だ。
選別を超えたパーティの担当をしているとは言え彼はまだ若いし、
報告をするにしても直属の上司にしかしていない。
なので当然のことながらトップの人間と間近で会話した経験など皆無。
直接見たのだって入社式の時に遠目で見たくらい。
そんな人物が目の前に居る。それでどうして落ち着くことが出来ようか。
「何やら驚かせてしまいましたな。あ、そうだ。飴なんぞどうです? これ、落ち着きますよ」
差し出されたのは水玉の包装が可愛いソーダ飴だった。
カマキリはブンブンと手を振って遠慮するが、寛厳は少し寂しそうだ。
「春風さんでしたかな? 如何です?」
「頂きましょう(威圧感もクソもねえなこの爺)」
「はいどうぞ」
ソーダ飴を受け取った紫苑は包装を外して飴を口に放り込む。
用済みとなった包装はしっかり胸ポケットに収納。ポイ捨て、駄目、絶対!
「(しかしこのしょぼくれた爺、一体何だってこんなとこにいやがんだ?)」
「美味しいですかな?」
「ええ。シュワーっとして頭が冴え渡ります」
「それは良かった。私もここの会社のソーダ飴が大好きでしてね」
「(テメェの趣味趣向なんざ知らんわ)」
平然と飴を舐めている紫苑だが、カマキリの方はもうワケが分からなかった。
何だって支部長がここに来て、あまつさえ飴を差し出しているのだろう?
半ば放心状態となってしまったとしても責められはしない。
「さて……とりあえず春風さん、着替えて来た方がよろしいのでは? そのままでは暑いでしょう」
「え? ああ……お気遣いありがとうございます」
火鼠の外套こそ纏っていないものの、今の紫苑は割りと厚着だ。
ガッチリ制服を着込んでその下に特別素材のインナーを着ている。
岩手は多少涼しいのでマシだが、それでも暑くないわけではない。
「私らは宿のロビーで待っていますので、どうぞお部屋で着替えて来てくださいな」
「分かりました。
(やっぱ何か用あんのかよ面倒くせえなぁオイ! 爺のために使う時間はねえんだよファック!)」
少しは敬老精神を養うべきだ。
『私服も持って来たんだな』
「(ったりめえだろ。トランク取りに行った時に何着か持って来た)」
部屋に戻った紫苑は制服とインナーを脱ぎ捨てる。
右太股に大きく描かれたハルジオンの花が特徴的な黒のハーフパンツ、
そして白のシャツを羽織ってこれで準備は完了。
無難な夏服だが紫苑らしいと言えば紫苑らしいだろう。
「(よし、じゃあ戻るか……心底面倒だがな)」
『おう――つっても俺様お前から離れられないんで強制同行だがな!』
紫苑がロビーに足を運ぶとカマキリがほっとしたような顔をしていた。
支部長と二人きりと言うのは中々に厳しいだろう。
「お疲れのところ申し訳ありませんね」
「いえ、良いですよ。して、支部長さんが……何の御用で?」
「はいはい。説明はアレの前で致しましょう。着いて来てくださいな」
言われるがままに紫苑とカマキリは寛厳の背を追う。
やって来たのは宴会などに使う大広間だった。
そしてその中央には、
「こ、これは一体……?」
「(ワロタwww)」
白装束に身を包んで顔を青褪めさせている藤堂の姿があった。
彼の目の前に置かれているのは短刀――――つまりはそう言うことだろう。
「(おいおいおい! 見たかよカッス! アイツ切腹させられるみてえだぜ!!)」
カス蛇に語りかける紫苑の声はとても明るい。
自分が以外の他人がどうなろうと知ったことではないのだ。
『でもよぉ、アイツ死んじまって良いんか?』
カス蛇の指摘だが大爆笑中の紫苑にはまるで届いていない。
こうやって目先のことに夢中になってしまうのが彼の悪い癖だ。
「し、支部長、これはどう言うこと……なんでしょうか?」
「どう言うも何も見たままですよ。ええはい。
藤堂さん、彼から話を聞きましてね。吹聴していたのですよ、馬鹿な小僧と勝負をしたと」
「(野郎……! 言い触らしてやがったのか……!!)」
「私の耳にも入りましてね。それで、急遽東京から大阪に飛んで彼を連れて岩手に来たのです」
切腹を命じているのは間違いなく寛厳だろう。
しかしどうだ? 彼の老人は今もその笑みを絶やしていない。
そのことにカマキリは薄ら寒さを感じていた。
「春風さん、彼は命を懸けました。そして勝利を掴んで帰還しました。
だと言うのに藤堂さんはどうでしょう?
中身の無い薄っぺらい言葉で命を懸けている人間を罵っただけ。
鎌田さんの言う勝負には乗ったでしょう。ですが、勝ったところで謝罪をする気すらなかった。
テキトーに頭を下げて終わり――とすら思っていませんでしたよ」
紫苑もそこに関しては予想していた。
この手の人間が素直に謝罪するなどあり得ないのだ。
「勝ったところで難癖をつけて春風さんを排除する気でした」
「(願 っ た り 叶 っ た り じ ゃ ね え か)」
「立場の違いはありましょう。ですが、どうですかね? 私はちょっと良くないと思います。
命を懸けて対峙している人間が居るならば、自分も命を懸けるべきでしょう」
それすら出来ない人間がギルドに居たところでものの役に立たない。
寛厳は穏やかな顔で藤堂を罵る。
声を荒げていたのならばまた抱く印象も違っただろう。
しかし、寛厳はまるで波が無い。凪の海が如き穏やかさで淡々と藤堂を非難している。
そこがまた恐ろしい。
「春風さん、あなたは正しい。
マナー違反ですが、先ほどのあなたと鎌田さんの会話を聞かせて頂きました。
本当の意味で命を懸けることの意味を承知しているようで感心しましたよ。
単純に危ない場所で戦っているから命を懸けていると言うことにはならない。
本気で生きている、それ自体が命を懸けると言うこと……ええ、私もそう思います」
まあ、見栄を護るためなら死ぬことも辞さないのだから本気で生きて……いるのか?
「その齢で何ともまあ……その卓見の根源を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「(根源もクソもその場で思いついたことをテキトーに言ってるだけだよバーカ)」
とは言え、ここで答えられないのはみっともない。
紫苑は保身回路をフル回転させてそれらしい理由を作り出す。
「冬に、祖父を亡くしました」
胸の中にある宝石をそっと覗くように胸に手を当てる。
それは偽物で今仕立てあげられたものだと言うのに本物の輝きを放っていた。
「亡くなる少し前に、俺も大阪から戻って……祖父の傍に居ました。
あれだけ大きな背中をしていた祖父が、とても小さく見えて……泣きそうだった。
でも、祖父は何時もと変わらぬ態度で俺に接してくれてたんです」
これは本当だ。
管に繋がれて痩せ細っていた紫苑の祖父だったが孫に心配はかけまいと気丈に振舞っていた。
もっとも、紫苑はそれを見抜いた上で鼻で笑っていたが。
「そんなある日……死期を、悟ったのかもしれませんね。家に戻りたいと言ったんです。
病院の先生も分かっていたのか……一時帰宅を許してくれました。
祖父は家に着いて俺と二人きりになるや、繋がっていた管を全部引っこ抜いてこう言ったんです」
"飯にしようか"、と。それもまた本当。
造り上げられる虚構の真実はまだ先だ。そこまでは事実のみで塗り固めねばならない。
「それで俺達は何時も通りの生活を送りました。それで夜、眠る前に話をしたんです。
……これから先も一生、忘れられないでしょう。肌を刺す夜気、寒空に凛々しく輝く太陰。
縁側で祖父は月を眺めていました。その顔は本当に穏やかで……俺はやるせなかった」
あれだけかくしゃくとしていた祖父の小さな背中。
この人は今、死に向かっているんだ……そう考えたら、涙が溢れそうだった。
「俺は無言の時間に耐えられなくて、
死に対する憤りを抑えられなくて……祖父に問いました。
死ぬのが怖くないのか? もっとやりたいことはないのか? 俺は多分、泣いていたんだと思います」
困った子供だ、と苦笑する紫苑だが無論嘘である。
縁側で二人揃って月を眺めてはいたが、特に会話らしい会話はしていない。
と言うより今になって思うと縁側で月を眺め始めた辺りで祖父は死んでいたようにも見える。
確かめる術は無いが、多分そうなんだろうと紫苑は思っている。
そして別段そこに感想やら感慨は無い。
「お祖父さんは、春風さんに何と?」
「最初は困ったように笑っていました。でも、ぽつぽつと俺に最後の教えを授けてくれたんです」
その生をまっとうしようとしている先達として、
これから先長い道を往くであろう可愛い孫のために何かを遺そうとしたのだ。
話を聞いている寛厳やカマキリはそう思った。
紫 苑 の 術 中 で あ る。
「"紫苑、お前が成人し……嫁を娶るまで生きられないのは申し訳なく思う"」
祖父の言葉をなぞる――――ようなフリでしかない。
「"でもな、わしは後悔はしとらんよ。
お前に対する申し訳なさはあれども死に対しては恐れも後悔も無い"」
ほんの少し瞳を潤ませるのがポイントだ。
泣きそうだけど必死に耐えている、そんな風に見せるためには必須の小細工である。
「"何時、どうやって死が来るかは分からん。だから精一杯日々を生きるのよ。
小さなことでも真面目に丁寧に本気で取り組み今日を過す。それが大事なのだ。
先に逝ったお前の父さんと母さんもそうだ。あの子らも真面目な子達だった。
幼いお前を残して去ることに申し訳なさはあっただろう、だが決して後悔はしなかったはずだ"」
後悔とは己のした失敗を悔やむことだ。
「"日々を一生懸命生きとった。だから、穏やかな顔をしておっただろう?
我が子に見せる最期の顔が、後悔に塗れたものだと……お前が悲しむし、恐れる。
何時か来る死に対して意味の無い恐怖を抱かせてしまう。それが分かっとったのだ。
言葉にせずとも、伝えたかった。親として最後の教えを伝えたかった。
だからお前さんの父さん母さんは安らかな顔をしとったんだよ"」
無論、そんな事実はありません。
本当のことだけを抽出するなら確かに両親の遺体は穏やかな顔をしていた。
しかしそれは医者側の配慮だろうと紫苑は考えている。
何て嫌な子供だろうか……。
「"突然やって来る死も穏やかに迎え入れることが出来ると教えたかったのだ。
無論、人生思うようにならんことばかりで真に満たされることは無いだろうよ。
でもな、それで良いのだ。大事なのはどう生きたかよ。
誰にも恥じぬよう懸命に生きたのなら後悔も恐れも生まれん。
他者から見れば大それたこともしとらんちっぽけな人生だろうよ。だがな、わしは懸命に生きた。
胸を張って終われる。泣いて生まれて来たが、これで笑って逝ける"」
泣いて生まれて来たのだから――駐車場で聞いた言葉だ。
あれは紫苑が彼の祖父から受け取った言葉だったのだとカマキリは気付いた。
「"だから紫苑、お前も懸命に生きなさい。そして――――幸せになれ"」
目に溜まった偽りの涙を拭って、微笑を作る紫苑。
絵にはなっているが内心を知れば吐き気を催しそうになる。
「そう言って祖父は息を引き取りました。
支部長さん、卓見だと言うのならそれは俺じゃなく祖父ですよ。
だって祖父が教えてくれたことだから。生きるとはどう言うことなのか……って」
さて、何故紫苑がこんな作り話をしたかについて語ろう。
根本的な理由は無論、見栄を張るためだ。
だが何故祖父を引き合いに出して即興でこんな物語を書き上げて演じ切ったのだろう?
勿論意味はある。意味もなく祖父を使ったわけではないのだ。
端的に言うなら――――更なる説得力を持たせるためである。
年齢に不釣合いな死生観やら信念、紫苑は見事それに説得力を与えている。
だが、彼に言わせるならそれだけでは不十分。
ゆえに老人の教えであると語ることでより強固にするのだ。
長い時間を生きた人間の言葉ならば重みは十分だと知っているから。
「("本気で生きている、それ自体が命を懸けると言うこと……ええ、私もそう思います"
寛厳の爺もそう言ってたしな。
同じ考えなら若造の俺より同じ爺の教えだって思った方が気分良いだろうしな。
やれやれ……俺は気配り上手だなぁ……。ホント、俺ってば素敵な男ね!)」
小 賢 し い と か 言 う レ ベ ル で は な い。
「……素晴らしいお祖父さんだったのですね」
「はい、俺の自慢の祖父です。
(立ってるものは親でも使え、死んでても使えそうなら使え……真理やな!)」
故人を嘘に付き合わせたが申し訳ないなんて欠片も思っていない。
むしろ、死後評価が上がったんだから感謝しろと思っているくらいだ。
このどうしようもなさこそが春風紫苑が春風紫苑たる所以である。
「そして今、祖父の言葉を振り返って……こうも思いました。
懸命に生きる――――今からでも、間に合うんじゃないかって」
「それは……よろしいのですか?」
紫苑の言葉は藤堂を赦すと言うことに他ならない。
あれだけ言われてそれで良いのか? 寛厳はその確認をしているのだ。
「(殺人教唆になったら嫌だもん)ええ、構いません」
この嫌に地に足着いた考えがムカツク。
「分かりました。当人がそう言うのであればこれ以上は無粋でしょう」
ですが、と前置きして寛厳は藤堂を見る。
「藤堂さん、職を辞しなさい。それが礼儀と言うものです」
「……わ、分かりました」
命は助かったが地位を失うことになった。
藤堂の顔は苦渋に塗れている。
紫苑はそれを見ているだけで丼飯が六杯はペロリと平らげられそうだと心の中で哂う。
「(フハハハハハ! ざまぁ見さらせクソ爺! 良い顔だ! もう最高!!)」
『喜んでるとこ悪いんだけどさぁ……聞いて良い?』
「(あん? テメェは何時もそうやって水を差すな! 空気読め空気!)」
『だから悪いつったじゃん』
「(チッ……で、何だよ?)」
『こんだけ良い感じのこと言って評価上げて、んでこの爺地位失ったわけじゃん?』
「(それがどうしたってんだ)」
『さっきも言ったけどさぁ。お前の"あたし、普通の学生に戻ります!"作戦失敗なんじゃねえの?』
寛厳の紫苑への評価は今回のことで間違いなく高いものになった。
そんな人間がそう簡単に辞められるだろうか?
むしろ以前よりも辞めにくい状況になったと言わざるを得ない。
「(あ゛)」
カス蛇の指摘に紫苑の思考が完全停止する。
紫苑、痛恨のミス……!
この見通しの甘さが何時だってその足を引っ張る。
「(や、やっちまったぁ……)」
調 子 に 乗 っ た 結 果 が こ れ で あ る。




