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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ねて引き返せなくなる第一部

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50/204

良いクレンジングオイル使ってこのメイク落とさなきゃならねえんだ

 そいつが登場した瞬間、誰もが息を呑んだ。

 リオのカーニバルに出て来るような衣装を纏った者、

着ぐるみ、チャイナ、スクール水着、多種多様の仮装をして踊っていた。

 時に引き、時に笑い、どれも見応えがあるダンスだったが……そいつは只管に妖しい。

 露出の多さではカーニバルや水着などに比べれば小さい。

 それでも、色気と言う面では格段に上。

 不本意な格好なのだろう、そのせいで表情は何処か物憂げだ。


「うわ……エッロ……」

「あれ、女の子……? でも、居たっけ?」


 そいつ――――春風紫苑は目論見通りに視線を集めていた。

 表面上は不本意であると憂いの表情を浮かべているのは、

その顔が衣装と化粧にマッチしているのを分かっているからだ。

 計算され尽くした立ち振る舞いは、モデルのそれ顔負けである。


「(さあ、もっと俺を讃えるが良い!!)」


 流れる音楽に合わせて、誰よりも気合を入れて踊る紫苑。

 ゆらゆらと揺れる袖口から除く蛇のタトゥー、これは偶然ではない。

 今の出で立ちに蛇のタトゥーがマッチするのを理解しているから見せているのだ。

 加えて、タトゥーを見せることで自分が誰かをアピールしてもいる。


「あれって、春風かよ? へえ……女装したらあんな感じになるのな」

「色っぽいな……あんま表情変わらない奴でどうかと思ってたけど、これは結構クるわ」


 自分を褒める声を耳聡く拾う紫苑。

 今にも小躍りしたい気分――――ってか踊ってる。


「ルドルフくんもカッコ良いし……やば、何か妖しい雰囲気じゃない?」

「(そ う 言 う 方 面 の 感 想 は 止 め ろ)」


 反論する紫苑だが、踊りに集中しろと言いたくなる。


「(ん?)」


 ふと、衆目の中に黒姫百合の姿を見つける。

 ポーっと顔を赤らめて紫苑を見つめる彼女は……。


「(っしゃあ! 百合にも受けてる受けてる!!)」


 誰よりも好感度を稼ぎたい相手である百合から好感触を得られた。

 紫苑のやる気は更に加速する。

 いやまあ、女装で好感度を稼ぐ男とか正直どうかと思うが。


「投げるぞ紫苑」

「了解」


 その後も全員がやる気満々でダンスを続けて、万雷の拍手を受け取った一年Aクラス。

 目を引く紫苑もだが、その他の面々も良い具合に目立っていたのだ。

 バトラー姿の栞やミニの浴衣を纏ったアリスなどは紫苑に負けず劣らず視線を集めていた。


「(クッ……俺にかかれば他の奴らは全員モブになると思ってたのに……!)」


 栞とアリスにジェラシーを燃やしつつも、登場門へと急ぐ紫苑。

 この後すぐに借り物競争なのだ。着替える時間は無い。

 まあ、当人からすれば目立ちタイムが継続するので万々歳である。

 勿論、それでも表面上は恥ずかしそうだったり不本意そうに見えるように装ってはいるが。


「あ、あの……春風、さんですよね?」


 登場門へ行くと同じく借り物競争に参加するであろう百合に声をかけられる。

 おどおどとしているその姿が今日も紫苑の自尊心を満たしてくれた。


「ああ、俺だ。声を聞けば分かるだろ?」

「あう……そ、そうですね。あの、その……す、素敵です」

「(知 っ て る)……そうか。不本意ではあるが、褒められているのだからありがたく受け取ろう」

「ご、ごめんなさい!」


 女装なんかさせられて気分が良いわけがない。

 百合はすぐさま謝罪を口にするが、別に不愉快でも何でもなかった。

 今日この場で誰よりも女装を楽しんでいるのは紫苑なのだから。


「いや良い。それより……写真、撮りたいのか?」


 後ろ手に携帯を握っているのを目敏く発見する。

 本音を言うならば撮って! 私を撮って! な紫苑だがそれはプライドが赦さない。

 あくまでしゃーなしだからこれ! な感じでないとダメなのだ。

 何とも面倒な男である。


「はぃ……でも、その……ご、ご不快なら申し訳ないですし」


 身体を丸めてしまった百合。普通の人なら苛つくか申し訳なさを感じてしまうだろう。

 だがそこは天下無双の小物。だがそれが良い! ってな具合だ。


「別に構わない。旅の恥はと言うわけではないが……。

まあ、この先こんな経験がまたあるとは限らないだろう? 記念程度に撮るのも悪くない。

アドレスは教えているだろう? 後で送ってくれるなら構わないぞ」

「ほ、ほんとですか!?」

「ああ……だが、一人じゃ恥ずかしいし、一緒に映ってくれないか?」

「こ、光栄です!」


 上気した顔を何度も頷かせる百合に表面上は苦笑を返しつつ、

紫苑は近場に居た生徒に携帯を渡してツーショット写真を撮ってもらう。


「それじゃあ……その、後でまた送っておきますね」


 携帯を大事そうに抱えて百合がはにかむ。

 紫苑がそれに頷いたところで会場内にアナウンスが流れ始める。


"えーこの借り物競争は皆さんが想像するそれと殆ど変わらないでしょう"


 殆ど、とはどう言うことだろうか?

 一年生である紫苑や百合は当然として、見れば二年生や三年生も首を傾げている。


"今年から少々ルールが変わりまして、運の要素を強めました。

封筒の中に入っているピンクのカード、それをラブカードと呼称します"


 だからどうしたと言うのか。

 ラブカードなどと言う微妙なセンスを披露されたところでどうしようもない。


"それを引き、借りて来るものを持って来ればその時点で一位になります。

例え何番目にゴールしようとも、一位です。ただ、幾らかの条件があります。

借りて来たものを係員に見せる際に、引いた本人がカードの内容をマイクの前で読み上げねばなりません。

リタイアも可能ですが、その場合もマイクの前で読み上げて頂きます。

私はこのカードに書かれている×××を借りて来られませんでした、と"


 周りのざわめきを聞くに、このルールは今年からのものらしい。

 創意工夫で競技者を飽きさせないようにする、その試みの一つなのだろう。


"それでは第一走者の皆さん、スタートラインに立ってください!"


 指示に従って紫苑はスタートラインに着く。

 クラウチングスタートでもすればカッコはつくのだろうが、この格好ではそれも変だ。

 突っ立っているのが一番楽で目立てる。

 紫苑はこの勝負に勝とうとは思っていない。

 目立つことのみを考えている。


「(借り物競争とか……そう言えば、何時以来かなぁ……)」


 ぼんやりとしていると、ピストルの音が鳴り響いた。

 ヨーイドン! で駆け出した他の走者に遅れて紫苑もスタートを切る。

 百メートルほど先に置いてあった箱に手を突っ込み、一枚の封筒を取り出す。

 ガサゴソと中身を開けると……。


「……キスしたことのある異性を連れて来い、居なければキスをしたいと思う異性……?」


 ピンク色のカードにはそう書かれていた。

 ダラダラと流れ落ちる冷や汗、今すぐにでもリタイアしたい。

 だが、リタイアしても読み上げねばならない。

 そして、読み上げたのならば自己主張の強い女達は名乗り挙げるだろう。

 "自分が居る"、と。


「(ば、馬鹿じゃねえの!? 何でこんなん混ぜてんだよ悪ノリの類だろこれ!

つか、こんなん面白いと思ってるわけ? 面白くねえんだよ低俗だわクソが!!!)」


 罵倒を放つ紫苑だが、

客観的な立場で見ていれば彼もきっと楽しんでいたはずだ。

 となると、低俗なのは紫苑も同じなのだが奴の得意技は棚上げなので関係は無い。


「(どっちにしろバレるなら……勝てる方が良いけど……嗚呼、気が進まねえ……)」


 ただただ女装の自分を見せ付けたかった。

 なのにどうしてこんなことになってしまうのか。

 悲観に暮れる紫苑だがこれも日頃の行いと言うやつだ。まあ、本人は認めないだろうが。


「あら、どうかしましたか紫苑さん?」

「何か貸して欲しいの?」

「私に用意出来るものなら用意するわよ?」


 一年Aクラスの席にやって来た紫苑。

 未だに仮装状態なのは、彼の競技を見たかったからだろう。


「(誰か一人だけ連れて行けば角が立つ……となると、全員か)

アイリーン、アリス、天魔――――ちょっと着いて来てくれ」

「……私も?」


 他二人と自分の共通点が分からない。

 アイリーンはキョトンとした顔をしている。だが、それは他の三人も同じ。


「いやまあ、着いて来いと言うのなら地獄の果てまでお供するけどさぁ……」


 ゴシックパンク装備の天魔がさらりと重いことを口にする。

 紫苑はもうそれだけで吐きそうになったが、良いから良いからと女達を促す。


「一体何がお題だったの?」

「……どうせ読み上げることになるからしばし待て」

「徒歩?」


 徒歩で行って良いのか? 既に何人かはゴールしているけど?

 相変わらずアイリーンは言葉が足りていないが、紫苑には分かっていた。


「連れて行った時点で勝ちだ」

「あ、じゃあアナウンスで言ってたラブカードって言うのかしら?」

「……ああ」


 紫苑はとっても気が重かった。

 どちらの選択肢を選ぶにしろ三人の女と不本意なキスをしたことが衆目に晒されるのだ。

 不埒な男と思われたらどうしよう? そう考えると頭が痛くなる。


「はい、では確認を……ってこれ、ラブカードですね。マイクどうぞ!」


 係員はニヤニヤしながらマイクを渡して来た。

 今の紫苑の状態は最悪だ。

 女装状態でキス経験を暴露するとか何の罰ゲームだ。

 これが女装オンリーなら良かったが、暴露が加わるともう形容し難い状態になってしまう。


「……キスしたことのある異性を連れて来い、あるいはキスしたいと言う異性でも可」


 重く沈んだ声が会場に響き渡り、ざわめきが巻き起こる。


「そ、それではあなたはこの三人の女性とキスがしたいので!?」


 若干興奮気味に捲くし立てる係員、

それは関係の無い第三者にとっても気になるところだった。

 だが、連れて来られた女達は違う。


「……一体、何処でしていたのやら……この泥棒猫め」


 ヤンキーも真っ青なメンチを切る天魔。

 だが、他の女達も負けていない。


「あらあら、随分な言い草ね天魔お姉さん。どうせ無理矢理奪ったんでしょ?」


 それは君も同じではなかろうか?

 瞳孔をガン開きにして自分以外の二人を睨み付けるアリスはちょっとしたホラーだ。


「……酷い」


 これは自分以外とキスをした紫苑を非難する酷い、ではない。

 無理矢理彼の唇を奪ったであろう他二人を非難する酷い、だ。

 しかし、それを言うならやっぱりコイツも無理矢理唇を奪っている。

 そもそもシチュエーション的に一番キツイのはアイリーンだろう。

 目、鼻、口、耳からダラダラ血を垂れ流す女とキスするなんてサイコ過ぎる。


「(あ、日本人形(呪)が超こええ……)」


 唯一キスをしていない栞が怨念を込めて天魔達を睨んでいる。

 視線で人が殺せるのなら一回殺して更にもう一回、

も一つオマケで殺してポイント加算によりもう一殺出来そうなくらいだ。


「どうなんでしょう? 答えて頂けないとリタイア扱いになりますが?」

「(なりますが? じゃねえよ死ね!)……キスしたい、じゃありません。キス、しました」


 と言うかされました、と紫苑が口にすると会場が爆ぜた。

 三人共に種類の違う美少女であり、男達からすれば羨ましいことこの上ない。

 女子は真面目だと思っていた紫苑が三人の女とキスするような関係だったことにショックを受けていたり、

逆にそこが良い! などと好き勝手に盛り上がっている。


「こ、この三人と!? お、お付き合いしていると言うことでしょうか!?」

「ちょっと係りのお姉さん、それは違うわよ。

私はそう言う関係になる予定だけど他二人は無理矢理紫苑お兄さんにキスしただけだから」

「それはこっちの台詞だ。ロリ強●魔」

「違う。それは違う。間違っているのは他二人」


 係員から引っ手繰ったマイクでそれぞれの主張を始める三人。

 紫苑は心底困ったような顔で立ち尽くしているが……。


「(流れ変わったぁああああああああああああああああああああああああああ!!

よしよしよしよし! この馬鹿共が馬鹿を晒してるおかげで俺の評価変わった!

強引に迫られて奪われたんだろうな……的な空気に変わっている!!)」


 内心では大歓喜だった。

 困った顔をしているのは強引に奪われたと言う衆目の考えを補強するためだ。

 何ともまあ、計算高い男である。


『すげえなお前。空気の流れに敏感過ぎるわ敏感肌か』

「(そうだ。だから良いクレンジングオイル使ってこのメイク落とさなきゃならねえんだ)」


 ちなみに、ではあるが……この会場にはもう一人紫苑とキスをした人間が居る。

 彼はそれを知らないし、今も視線を向けていないが確かに存在するのだ。

 黒姫百合――――旧名醍醐紗織さんである。

 インパクトで言うならアイリーンのそれと匹敵するぐらいだ。

 何せ焼身自殺をする前の口付けなのだから。

 で、その彼女だが……それはもう満面に憎悪を浮かべて三人娘を睨み付けていた。

 視線で人が殺せるのなら一回殺して更にもう一回、も一つオマケで殺してポイント加算によりもう一殺、

加えて御客様感謝デーで更に一殺した後で特に理由もなくもう一殺出来そうなくらいだ。

 本当に良く似た姉妹である。


「……え、えーっと! 条件は満たされましたのであなたが一位になりまーす!!」


 ヤンキーみたいな女三人を無視して係員がそう締めくくり、一位の旗を手渡す。

 とりあえずこの場は押し流すのが一番と判断したのだが……。


「し、栞?」


 こともあろうにAクラス席から栞が躍り出て来たのだ。

 クルリと宙で一回転して紫苑のまん前に着地すると……。


「ん……」


 何の逡巡もなく紫苑の唇に己が唇を重ねた。

 桜色に染まった頬は羞恥ゆえ、だが羞恥を超える愛が彼女を突き動かしている。

 なればそれをどうして止めることが出来ようか?


「(ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!)」


 毎度の如く嫌悪剥き出しの紫苑はともかくとして、二人以外の人間は皆、呆気に取られていた。

 何とも、何とも耽美な光景だ。

 男装した女と女装した男が接吻をしている……何処か不道徳的なのに何故か目が離せない。

 そう言うアンビバレントな感情が皆の動きを縛っているのだ。

 さてはて、この光景をどう例えたものか。

 強いて言うなら真面目な執事が悪い遊女に熱を入れている――か?

 紫苑の人間性を鑑みるにそれは間違えていないだろう。


「これで――――四人になりましたね」


 花の蕾のような唇を綻ばせる。付着した紫のルージュが何とも艶かしい。


「ふふ♪」


 とりあえず、とりあえずは納得が出来た。

 少なくとも他三人の女に劣っている状態ではなくなった。

 栞は朗らかに笑っているが、目の前で好いた男の唇を奪われた女達が笑えるわけがない。


「おい、何やってんだお前」


 二人の間に割って入った天魔は、栞の額に自分の額を押し当てる。

 グリグリと抉るように睨み付けるその姿は一種の伝統芸能だ。


「慎みがどうとか言っていた癖に、とんだ恥知らずだわね栞お姉さん」


 そう言えば、確かに栞はそんなことを言っていた。

 今の彼女の行動に慎みがあったとは口が裂けても言えないだろう。


「最低」

「あらあら、理性を超えるのが愛ではなくって?」


 まるで反省していない……栞はドン引きものの嘲笑を浮かべている。

 あっさりと自分の言葉を覆した挙句の開き直り、ここまで来ると拍手を送りたいくらいだ。


「もう良い――――ちょっとツラぁ貸せよお前ら」


 誰も言葉で返事はしなかった。

 それでも全員の顔には確かに浮かんでいる――――上等と言う文字が。

 素早くこの場を離脱して行った女四人に誰も何も言えなかった。


「え、えーっと……あーっと……い、一位おめでとうございまぁす!」


 ようやく復帰した係員が口に出来たのはそんな寒々しい言葉だった。


「……どうも(まあ、キスされたのは最悪だったが……これで分かったろ、無理矢理だって)」


 だったら何も問題は無い。

 複雑な表情を作りながら紫苑はこの場を離れる。


「(さぁて……少々惜しいが、そろそろ元の格好に戻るか……)」


 個人で出場する競技はもう無い。

 出る必要があるのは全体競技の合戦のみだ。

 紫苑は心底惜しかったが、着替えをするために渋々教室へと足を向けた。

 今頃醜い争いを繰り広げているであろう女達に対する興味は欠片も無い。


「ん……これ、一人で脱ぐには少々手間だな……」


 四苦八苦しながらもどうにか衣装を脱ぎ捨てて元のジャージ姿に戻る。

 ポケットに入れていた携帯を見れば着信が一件。


「(ほう……もう送っているとは、中々気が利くじゃないか)」


 着信の主は百合で、中身は先ほど取った写真だ。

 紫苑は画像を開いて厳重にそれを保存してから、じっくりと観賞を始める。


「(素晴らしいな……どうよカス蛇?)」


 自信満々に問いかける紫苑だが……。


『お前忘れてない? 俺様――――蛇だぜ』


 人間なんてどれも同じようにしか見えないとカス蛇は言う。

 何時か何処かで言ったような物言いだが、紫苑がそんなものを覚えているわけがない。


「(そこで空気を読んで褒めないからお前はカスなんだよ)」

『名付けたテメェじゃねえか! つーか空気読んで褒められて嬉しいのかよ!?』

「(嬉しいに決まってるだろうが!!)」


 馬鹿なやり取りをしながら席へと戻ると、

近くに居た生徒達は皆、同情混じりの視線を紫苑に向けていた。


「(ククク……あの馬鹿共も偶には役に立つじゃないか)」


 そもそも平地に乱を起こしたのはあの娘達なのを忘れていまいか?


「うぃー、お疲れさん。お前もついてねえよなぁ色々と」


 気遣わしげなハゲに苦笑を返す。

 言葉にしなくてもそれだけで相手は勝手に察してくれるものなのだ。

 紫苑はそこら辺をよーく分かっている。

 他者の心の動きを誰かに学ぶでもなく自然と熟知している……何とも恐ろしい男だ。


「だが、卿が一位を取れたのは大きいぞ。大活躍ではないか」

「それでも借り物競争だからな。そこまでの点にはならんだろう」


 ぼんやりと空を仰ぐ。

 意識を手放してしまえば、呼吸も忘れてあの蒼穹に溺れてしまいそうだ。

 紫苑はそんなことを考えている――――自分が大好きでしょうがない。


「(あー……俺もうこのまま詩人で食ってこうかな)」

『んなセンスねえだろうがよ。大人しく堅実に生きろよ』

「(んなこと言ってもさぁ……堅実に生きているつもりでも気付けばこんなんだぜ俺?)」


 それは自分が招いたもので、被害者面を出来るものではない。


「(何もしなくても金と名声が欲しい……お前は良いよなぁ……俺の腕にくっついてるだけだし)」

『まあな』

「(不本意、だとか思わんのか?)」

『どうだろうな? 楽なのは楽だし。それに……』

「(それに?)」

『中々どうして、お前を見ているのは楽しい』

「(俺が苦しみながら一生懸命生きてる姿を見て楽しむとか最低だな)」


 そう言う紫苑も他者の生き様を哂っているのでお相子だろう。


『いやいや、真面目な話……お前、すげえと思うぞ』

「(うん、知ってる。だからもっと褒めて)」

『すげえ! 何だかとっても褒める気が失せて来たぜ!』


 蛇にすら呆れられる霊長類(笑)。


『そう言う過信や見通しの甘さやら欠点も含めてお前は人間だ。

誰よりも深くお前は人間をやっている。自分も他人も平気で偽るし欺く。

だがな、それはお前だけか? 誰だってやってるこった。

けど、お前はその誰もが何となくやっていることを本気でやっている。

だからこそ輝く。だからこそ面白い。もし、ボタンが一つかけ違っていたら……』


 声のトーンが何時もと違う。カス蛇は真面目に語っているようだ。

 しかし、紫苑はテキトーに聞き流している。

 分かり易い褒め言葉なら耳に入るが、暑くてダルイ時に長話など聞きたくはないのだ。


『人を狂わせるようなその生き方で、政治家にでもなっていたんじゃねえか?

ゆっくりと時間をかけてお前の虚像を他者の心に焼き付けて……な』

「(アイスコーヒー飲みてえ……)」

『褒めろって言ったから褒めてんのに何だその態度!? 謝罪と賠償の林檎を要求する!!』

「(やっすい爬虫類やでぇ……)」


 そうして時間は流れてゆく。

 特にトラブルもなく競技は順調に進み、〆である合戦を終える頃には午後七時になっていた。

 後はキャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスを終えるだけだ。

 まあ、ダンス自体は強制参加ではないので眺めているだけでも良いのだが。


「(ふぅ……あっこに居たらダンスに誘われるからな)」


 紫苑は合戦が終わってすぐにコソコソと会場を抜け出した。

 今は、会場から少し離れた場所にある人気の無い場所に立っている。

 資材置き場か何かだろう、

多少ごちゃごちゃしているが腰をかけられるようなものがあるのはありがたい。


「――――あ、見つけました!」

「!」


 耳に届いた声に振り向けば、そこには百合が立っていた。

 息を切らしているところを見るに、かなり探したのだろう。


「どうした?」

「はい。春風さんと踊りたくて……良いですか?」


 恥ずかしそうに笑う百合だが……。


「……その前に、一つ質問良いか?」

「はい。何でしょう?」

「――――お 前 誰 だ ?」


 意味の分からない質問だろう。

 百合も何を言っているのか分からないと不思議そうな顔をしている。

 だが、欺けない。本物の嘘吐きを舐めてはいけない。


「見た目だけ取り繕えば良いってもんじゃない。俺は黒姫を知っている。

彼女なら探して探して、見つけたとしても結局声をかけられないだろう。

声をかけられたとしても"春風さんと踊りたくて……良いですか?" なんて言わない」


 携帯の写真を撮る時だって自ら言い出せなかった。

 察してくれなければ本心を明かせない、それが黒姫百合なのだ。


「ハ――――勉強不足だったな。どうにも、無様なもんだ」


 声色がガラリと変わる。

 女であることに間違いはなさそうだが、百合のそれではない。


「(何だコイツ……背中がぞくぞくする……)無様? 本気で騙すって気がなかったように見えるがな」


 偽ろうとはしていた、だが何が何でもバレないようにと言う気概がなかった。

 ゆえに、真性の嘘吐きである紫苑に違和感を掴まれてしまったのだ。


「そうかい? まあ、どうにもな……。

私は生きる意味そのものとも言える事柄以外には全力を出せないようだ」


 彼女の名は葛西二葉、醍醐紗織の友人である。

 紫苑と話をしたいがために、こうやって友人に成りすましているのだ。

 カニは痛感した。

 友人のように自分を完全に葬るぐらいに偽らねば目の前の男は騙せない……と。

 そう言う意味で友人である百合は恐ろしいくらいの嘘吐きだと内心で賞賛を送る。


「……黒姫は、無事なのか?(俺の天使に何かあったら殺すぞテメェ)」


 ※殺せません。


「大丈夫、ちょっと眠ってもらってるだけだ。人一人殺すってのは色々面倒だからな」

「(あ……これやっぱりアカン奴やでぇ……でも黒姫、アイツ幸薄いなぁ!

紗織の時にも拉致監禁され、今回もこんなヤバイ奴に眠らされるとか……超受ける!

やっぱアイツは俺の天使だ。こんなにも心を穏やかにしてくれるんだもん)」


 徹底的に腐っていやがる……。


「何故、俺に近付く?」

「んー……まあ、踊りながら話そうか。音楽は辛うじて聞こえてるしな」


 二人きりのフォークダンスが始まる。


「(表情を崩すな、鼓動一つ乱すな。コイツに弱みは見せるな)意外と踊れるじゃないか」

「そっちもな。いや何、こんなのは初めてだが……中々悪くない」

「それは重畳。で? お前は何故俺に会いに来た?」

「うん、それよ。実はな――――私にも分からんのだ」


 これは嘘ではない。

 全感覚が研ぎ澄まされている紫苑の前にあらゆる虚飾は意味を成さない。


「そうだな、元々興味はあったんだ。一度殺し損ねてからは、な。

ありゃ仲間が傍に居たから偶発的に助かったようなもんだが……。

その後、どうにも私に気付いていた節がある。

実際、大阪ドームでお前が担任の教師と話しているのを聞いて確信に至った」


 あくまで無表情のまま、紫苑は焦っていた。

 会話から察するに目の前の黒姫百合(偽)こそが顔の見えない暗殺者なのだ。

 それを前にして焦るなと言う方が無理だろう。

 とは言っても、それを総て押し殺しているので相手には伝わらないだろうが。


「盗聴、されていたか」

「ああ。とは言っても……ありゃ偶然だ。

前に別件であそこに仕掛けたのを回収し忘れていてな」


 だからヤクザとの会話が聞こえたのは偶然だった、カニはそう断言する。

 そしてそれは嘘ではない。


「ちなみに、だが……。

電気系統にトラブルを起こして電気屋行くように仕向けてトラックを嗾けたが、

お前の家にそれ以上何かはやっていない。盗聴器なんかも仕掛けていない」


 これも嘘ではない。紫苑は的確に真実を見抜いていた。


「トラックで終わると思っていたか?」

「ああ、その通りだ。だが、お前は生き延びた」


 多分、その辺りで妙な気分になってしまったのだ。

 だからこそ、カニは自分でも不可解な行動に出ている。


「アリス・ミラーは既に壊れていた。

アリスがお前を狩る為の狩場に選んだペンションに仕掛けていた盗聴器で壊れる瞬間を聴いた。

だから、どんな終わり方であれ壊したお前が勝つのは分かっていた」

「だが――――お前はトラック以降俺に何もしていない」

「そうだ。不可解だろう? アリス・ミラーに勝利すれば次は私と戦うはずなのに」


 それなのに、カニは特別何もしなかった。

 それが分からない。本人にすら分かっていない。


「だが、俺から言わせればそんなものは小さな違和感でしかない。

もっと大きな違和感が俺とお前の間に横たわっているはずだ」

「ほう……分かるかね」

「分かるさ。お前は白黒キッチリつけたがるタイプだ。

そしてそれは第三者が決めるものではなく、自分で決めるもの」


 だからこそおかしい。


「何 故 お 前 は 勝 負 が 流 れ た こ と を 受 け 入 れ た ?」


 アリスとの勝負が終わった段階で既に選別のための戦いは終わっていた。

 しかしそれはあくまでギルド側の都合で、カニの都合ではない。

 彼女は紫苑が言ったように白黒キッチリつけたがるタイプだ。

 そして白か黒かを決めるのはカニ自身であり、ギルドの都合で止める理由にはならない。


「俺がトラックから生き残った時点で、トリガーは引かれていたんだ」


 であれば勝敗が着くまで戦いは終わりにはならない。


「その通り。私ならばどうするかと考えれば、闇討ちでも何でもしてお前に敗北を贈っていたはずだ」

「しかしそうはしなかった」

「ああ。そこが分からない。何だって私は勝負がうやむやになる結末を良しとした?」


 その選択肢は間違いでなかった、カニは今でもそう考えている。

 しかし、その理由が分からないのだ。


「こうして直に語り合えば、何かが分かると思ったんだが……なあ、お前はどうだ?」


 自分の行動に理屈をつけてくれないか? カニの瞳はそう語っていた。

 だが、生憎と紫苑にも分からない。

 大阪ドームで中止を聞かされた際には戦わなくてラッキー! そう思っていた。

 しかし、こうして直に言葉を交わして人となりに触れることで意味が分からなくなった。

 今の段階までで導き出した人物評は恐らく正しい。

 だからこそ、何故戦いを止めてしまったのかが理解出来ない。


「……俺にも分からない(と言うか俺から興味を失くしてそのまま何処かへ消えてくれ)」

「そう、か。それなら収穫はフォークダンスだけってわけだ」

「それで良いのか?」

「ああ。こう言うのは初めてだと言ったろ? 面白い経験になった」


 音楽は終わり、ダンスは終わった。

 それでも二人は手を繋いだまま……。


「……(やべえ、吐きそう)」


 自然と、距離が詰まってゆく――と言うよりカニが顔を近づけているのだ。


「……フッ」


 息も忘れて見つめ合っていたが、夢中のその手前でカニは距離を取る。

 微かに触れていた吐息の生温さだけがやけに存在感を放っていた。


「私はもう行こう。ま、縁があればまた会おうじゃないか」


 絡み合っていた指を解いて、カニは闇の中へ消えて行った。

 紫苑は彼女が去った方向を見つめたまま動かずに居る。


「(フッ――――怖くて足が竦んじゃったぜ)」


 訂正。動かず、ではなく動けなかったようだ。

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