天使は居た、図書室に居た!!
放課後、朱に染まった屋上で紫苑は一人、黄昏ていた。
「(――――すげえ絵になってるぜ俺)」
いや、黄昏てはいなかったようだ。
胡坐を掻いてぼんやりと空を眺めていただけ。
『よう、繋げなくて良かったのかよその左腕?』
一見すれば何の変哲もない紫苑の左腕だが、それは義肢だ。
うっすらとではあるが繋ぎ目が見える。
一応あの後、腕を回収したのだが……。
「(良いんだよ。栞のクソ馬鹿に罪悪感を抱かせるためならな。
そりゃ普通の腕よりこっちが劣るってんなら嫌だけどさぁ。
あのクソガキ、言うだけはある。普通の腕と同じにしか思えねえ)」
一旦料亭で全員と合流した後、紫苑は腕を拾って帰宅した。
その際にアリスがかなり取り乱したがそこは割愛しよう。
最初は普通に繋げようか? と提案したのだが、
"未熟の証、罪の証、本物の腕は戒めとして飾っておくさ"
なーんてカッコつけて断った。
結果、アリスが義肢を造る運びとなったのだ。
製作には四日ほどかかり、その間は隻腕で過していたが、やはり腕は二本ある方が良い。
ちなみに本物の左腕は防腐処理やらをしっかりした上でリビングに飾られている。
紫苑はそれを見る度にメラメラと姉妹へのヘイトを燃やしているが、それはどうでも良いことか。
「(しかし馬鹿だよなあの女も)」
『醍醐紗織か?』
「(ああ。意味の分からない妄言吐いての焼身自殺だぜ? 失笑もんだよ。
何でアイツみたいな疫病神が死んだからって俺の心に疵が出来るんだっつの。
死んでくれて万々歳。嬉しくて嬉しくてしょうがないね俺ぁ。
後は栞も死んでくれたら万々歳だったんだがな……あの厄ネタ姉妹は生きてちゃいけねえ存在だ)」
好きなあの人の心に消えない疵を。
そんな意図を込めての自決ショーだったわけだが、言うまでもなく紗織の目論みは外れていた。
まあ、彼女自身は成功を疑っていないわけだが。
「(……あれ? ちょっと待て)」
『あん? どうしたよ』
やけに真剣味を帯びた声色。
何か大事なことに気付いたのか? カス蛇は好奇の色を滲ませた声で尋ねる。
紫苑の洞察力には目を見張るものがあるのは、誰よりも知っている。
何せ四六時中ずっと一緒に居るのだから。
「(俺、あの馬鹿女のために金使ったってことだよな)」
『――――は?』
「(黒姫百合を装ってたアイツとのデートで俺、飯奢ったんだよなぁ……!!)」
三千円にも満たない金額じゃねえか。みみっちいこと言うなよ。
「(何か一方的に損しただけだな今回……いや、毎回こんなもんか。
思えば俺って一度でも望み通りの結果を掴んだことあったっけ?
心の底から幸せになりたいと誰よりも頑張ってるのに神様は残酷だ。
"神様が居るならどうして自分だけ愛してくれないのか"
あの女はそう言ってたが、そりゃ俺の台詞だよ。嗚呼、俺って世界一不幸な美少年だ!)」
『……ああ、そう』
無駄な時間を過した、
そんな思いがありありと感じられる溜息を吐いてカス蛇は眠りに入る。
急激にアホらしくなって来たのだ。
「あ! 紫苑お兄さん見ーつけた!」
「ここに居たんだね」
黄昏る俺カッケー! を味わっていた紫苑の下に招かれざる客がやって来る。
アリスと天魔だ。いやまあ、屋上は公共の場なので招くもクソもないのだが。
「腕の調子はどう? 私、頑張って造ったのよ? 結構良い感じだと思うけど」
胡坐の上に乗っかり向かい合って来たアリスがとても鬱陶しかった。
が、それをおくびにも出さず紫苑は彼女の頭を撫でる。
「ああ。本物の腕と何ら変わらないよ。おかげで不便な生活を送らずに済んだ。
(毎度思うんだがコイツは馴れ馴れしいんだよ。俺の膝に座るとか舐めてんの?)」
感謝の言葉を聞き、パーっと顔を輝かせるアリス。
そして、喜びを力いっぱい表現するようにグリグリと顔を紫苑の胸板に擦り付け始めた。
幼い感情表現だが、彼女はとても素直だ。
好きな人に褒められて嬉しくないわけないじゃない! と言わんばかりだ。
そのせいで天魔のアリスを見る目が絶対零度のそれになっているのだが……。
「でも気を付けた方が良いよ紫苑くん。盗聴器とか仕掛けられてるかも」
「まさか(既に調べたよ。コッソリな)」
調べたのかよ。
そう思うかもしれないが、紫苑はアリスをまったく信用していない。
あくまでコッソリと自然に義肢の調査は終えている。
「そうよ。失礼な女ね。それに加えて役立たず」
「……ほう」
「(醜い女の争い始めやがった!)」
自分に危害が来ないのは分かっている、だって惚れられているから。
紫苑はスッカリ観戦ムードである。
醜い性を露出させた人間を見るのが好きで好きでしょうがないのだ。
「だってそうじゃない。あなたや他の役立たずがしっかりしていれば
紫苑お兄さんはあの腐れ女に腕を斬られることもなかったしぃ?
腐れ女の姉に拉致されることもなかった。それで辛い思いをする必要も無かったじゃない。
一体何をやっているのかしらね? 前々から思ってたけど、
あなた達って紫苑お兄さんにおんぶにだっこじゃない」
呼ばれてないのに居合わせろとは無茶な話である。
そしておんぶにだっことは言うが、それは紫苑の方だ。
優秀な能力を持つ人間に寄生して自分の名声を高めているのだから。
寄生虫はどっちかと言えば間違いなくコイツだ。
「それに天魔お姉さんって何が出来るのよ? 私なんて義肢だって造れるんだから!」
死体人形弄りで身に着けた余技である。
アリスは死体を弄ったりルークの身体を改造したりで人体についての造詣も深い。
加えて手先の器用さも郡を抜いている、腕を完全に繋げることだって出来ただろう。
「今だって褒めてもらったし~♪」
「腕造ったり何だりは慰謝料だろ慰謝料。さんざっぱら迷惑かけたんだからねえ。
五月のあれ、もう忘れたの? 首筋と背中の傷、結構深かったよねえ。
僕らならともかく紫苑くんの身体じゃ下手をすれば……ってこともあったんじゃない?
君が退くタイミングが遅くて手当てが遅れてたら……って考えたことある?」
得意満面だったアリスの顔が歪む。
結果論では総て丸く収まったし、他のことならそれで済ませることも出来る。
けど、紫苑が絡んでいる事柄ではそうもいかない。
「駄々捏ねたせいで紫苑くん、お腹にも傷負ったよね」
「う……」
大阪ドームでのアレだろうがぶっちゃけアレは自業自得だ。
アリスを綺麗に殺すための演出としてやっただけだから彼女が負い目を感じる必要は無い。
「で、僕に何が出来るって? 分からないよ。
好きな人のために何が出来るか、何をすれば喜んでもらえるか。
何時も何時も考えてる。だって、紫苑くん優しいんだもん。
些細なことでも"ありがとう"って言ってくれるし……」
若干拗ねたような顔で天魔は紫苑を見つめる。
"ありがとう"、"ごめんなさい"、"いただきます"、"ごちそうさま"、彼はその言葉を怠らない。
心からの言葉ではないし、地味だがそう言うところからコツコツ体面を気にしているのだ。
「まあ、それは同感かも。日本人らしいって言うのかしら?」
「(おい、何殴り合い止めてんだよ。やらねえんなら消えろっての)」
紫苑は大きく咳払いをする。
表向きのメッセージとしては恥ずかしいから止めてくれ、だ。
そう伝わるためにわざと顔を赤くしているのだから筋金入りである。
裏に込められたのは"失せろ"、これだ。
「アハ♪ 照れてる紫苑お兄さん可愛い!」
「(当たり前だ! 俺はカッコ良いし可愛い完璧な男なんだよ!)」
男で可愛いと呼ばれて嬉しいんか。
「それより、天魔。栞からの連絡は? やっぱり、女の子同士だし……どうだ?」
紗織が自決してから四日、あの夜に別れて以来栞は学校に来ていない。
午後の実習では四人でやるか、
アリスやルークに手伝ってもらっている――と言うか自主的に彼女らが手伝っている。
現状では特に困ったこともないのだが……。
「(消えてくれるなら消えてくれるでありがたいけどさ。
慰謝料貰ってねえし、辞めるんなら退学届け出せよ馬鹿野郎が。
それなら新しい人間を入れるようヤクザに頼めるしさー)」
紫苑的には赦せないらしい。
「……栞ちゃん、ね」
紫苑の隣に腰を下ろした天魔は苦い顔を天を仰ぐ。
ことの顛末は彼女や他の面子も知っている。
だから、どうすれば良いか分からないのだ。
悲しい姉妹のすれ違い、その果ての殺し合い……余人が踏み入って良い領域ではない。
「駄目。僕も麻衣ちゃんも何度か連絡してみたけど通じないよ」
「……そうか。俺も俺で考える時間が欲しかったから、
栞にまで気が回らなかったが……そうだ、屋敷の方はどうなんだ?」
「そっちも駄目。多忙のため、だって取り次いでくれない」
それを額面通りに受け取れるほど天魔も単純じゃない。
「正直、難しいよね。ぶっちゃけ元凶既に死んでるし」
「姉妹の両親か……どうにもやりきれないな」
紫苑からすれば栞が生きているのは残念だが、
紗織は死んだと思っているので最低限の満足は出来ている。
「と言うか、私には分からないのよね」
アリスが今回の件を聞いて抱いた感想がそれだった。
紫苑の手前、今の今まで黙っていたがもう落ち着いてる頃だと判断し自分の意見を口にした。
「親を殺したからって何だって言うの?」
流石、双子の兄貴の墓を荒らした上に両親まで殺害した人間は言うことが違う。
更に言うならアリスは表に出ていないだけで何人死んでいることやら……。
「自分の嫌なことしてくるんでしょ? その人殺したからって気にすることないじゃない」
今回の事件の中で、両親の存在は大きい。
どちらかが、あるいはどちらもが両親への愛を捨てていれば苦しむ必要はなかった。
「私だって酷いパパとママを殺したけど何とも思わないわよ?」
「……そりゃ君はね。けど、栞ちゃんにもそのお姉さんにもあったのさ」
「両親への愛が、な。栞にとっては真実を知るまでは純粋に優しい両親だった。
紗織にとっては苦しみを与える存在だったけど、それだけじゃなかった」
だからこそ拗れた。
"もしも"を語るならば両親が殺された時点で紗織が解放された!
と素知らぬ顔で栞を慰めていれば丸く収まっていたかもしれない。
両親を殺され激昂し、殺し合いを始めたからこそ彼女の友だった香織も死んだのだから。
「むぅ……難しいわね」
両親への愛、姉への愛、どちらも理解が出来ない。
「そうだな……俺がアリスに酷いことしたとしよう。
それこそ苦しくて苦しくてしょうがない仕打ちだ。
余りにもむかつくから発作的に殺してしまったとしよう。そこで割り切れるか?」
お前は別にアリスを愛してないだろ。
「お兄さんはそんなことしないもん! アリスだってそんなことしないわ!」
そんな度胸無いもん!
「でもまあ、仮定するとしたら……確かにそうね。割り切れないと思う。
どうかな? 多分、お兄さんを殺して私も死ぬ……かな? うん、死ぬわ絶対」
平坦な声であなたを殺して私も死ぬと言われた紫苑は、
アリスにだけは表向きだけでも優しくしようと改めて誓いを確かなものにした。
「ああそうだ! そうよ、好きなら栞お姉さん達も殺してから後を追えば良かったのよ!」
それが正解だ! とばかりに笑うアリスだが、それはそれでおかしいだろ。
愛していたとしても何でクソみたいな両親の後を追わなければならないのか。
「君さ、馬鹿だろ?」
「は? 何言ってるのよ。一番スッキリするじゃない。
それなら紫苑お兄さんがこんな目に遭わなかったし」
「(確かにその通りだ。一家心中が一番正しい答えじゃねえか)」
珍しいことに紫苑はアリスに同意を示した。勿論口に出す度胸は無い。
「大体、天魔お姉さんはむかつかないの?
馬鹿な姉妹のせいで紫苑お兄さんが傷付いて! それでよく好きって言えるもんだわ!」
「怒ってないわけないだろうが! 腹の底からムカつくよあの馬鹿姉妹!」
「じゃあ正直に言いなさいよ。良い子ぶって……さいってー」
「……ふ、フフフ。とことん君とは合わないね――――アリスぅ!!」
紫苑の膝に座るアリスの頭を鷲掴み――――ぶん投げる。
確かに冒険者だから屋上から落とされたぐらいでは死なないけど。
これが普通の学校で普通の人間なら殺人事件である。
「いい加減、決着着けてやる……!」
天魔もまたアリスを追って屋上から飛び降りてしまい、紫苑は一人ぼっちになってしまった。
「(どうすっかなぁ……)」
このまま帰るか、天魔VSアリスを観戦するか。
候補は幾らかあるが、どれもピンと来ない。
今の紫苑は完全に気が抜けていた。初めて良いと思った女性がアレだったからだ。
「(ん? あ、そう言えば……)」
紗織のことを思い出していると、最後の言葉を思い出す。
"私が成りすましていた黒姫百合さんのこと、気にかけてあげてくださいね"。
そうだ、紗織は確かにそう言っていた。
腕のこととかがあったので今の今まで忘れていたが、それがあった!
ムクムクと紫苑のテンションが上昇し始める。
「(マイエンジェルはまだ生きているんだ!)」
紗 織 の 目 論 見 通 り で あ る。
そうと決まれば図書室に向かってみようと立ち上がる紫苑だったが、
「――――こんにちは、紫苑さん」
屋上に入って来た栞によって足を止められてしまう。
彼女は基本的に制服だったが、今日は出席してなかったからか、和服姿だ。
「栞、か?(邪魔すんじゃねえよクソが!!」
「はい、栞です」
フワフワとした笑顔に以前のような嘘臭さは無い。
気絶していたり何だりで栞の変貌を知らない紫苑はそれに違和感を覚える。
「もう、大丈夫なのか?(ホントもうさ、空気読めよ。俺が今どんな気持ちだったか分かる?)」
分かるわけねえだろ。
言葉にしてないし、普段から見栄を張っているせいで真実が見えないのに何て図々しいんだ。
さて、空気を読めないと言われた件の栞だが……。
「別に体調不良と言うわけではありませんから。本当に少し忙しかっただけで」
ニコニコ笑顔をまったく崩さない。
六月だと言うのにどうしてかこんなにも身体が冷えるのだ。
紫苑は首を傾げつつも社交辞令の会話を続ける。
「……その、紗織のことは……辛かっただろう? 俺も、お前も、アイツを……」
悔やんでいますぅううううううう! アピールをしているが栞は平然としていた。
「姉様ですか? ふふ、気にしないでください。死んで当然の人ですし。
紫苑さんが心を痛めることもありませんよ。ああ、心配してくださったんですね?
姉様のことで私が心を痛めていると……ですが、本当に大丈夫ですよ。
だって悪いのは姉様ですもの。悪い悪い姉様が勝手に死んだだけ。
手間がかからずむしろ幸運と言えるでしょう。だから気にしないでください。
忘れてください、姉様のこと。姉様のような人間を胸の裡に留める必要はありません。
だってそうでしょう? あんな正道を外れ過ぎた人間に価値は無いです。
優しく正しい紫苑さんを利用しようとしたあんなアバズレのために心を砕く必要性は皆無」
しつこいくらいに姉の存在を消そうとしている栞。
それは忌まわしい記憶だからと言う理由ではない。自分のためだ。
紫苑の胸の裡に愚かな姉が居ることも赦せないし、
そのせいで自分の想いが遂げられないことも腹が立つ。
だからこそ、何が何でも消したいのだ――――醍醐紗織と言う存在を。
紫苑から真実を聞かされているが、今の栞にとっては関係ない。
どんな事情があってあんなことしたのか、どれほど怨みを抱いていたのか。
両親を殺させたことも何もかも――――どうでも良い。
栞にとっては既に意味も価値も存在していないのだ。
大事なのは紫苑、紫苑以外は森羅万象遍く総て、塵屑だ。
「(……か、カス蛇くん?)」
『お、おう……』
「(コイツ――――何かおかしくなってね?)」
はい、おかしくなってます。
今更ながらに栞の変貌を知った紫苑はマジでビビっていた。
しかしそれも無理からぬこと。
こんなジャパニーズホラー女を前にして平然としていられる方がおかしい。
「(おいおいおいおいおいおぉおおい! え? 何これ?
俺こんな女に慰謝料請求しなきゃいけないの? 無理無理、怖いもん。
いや、今でもガチでむかつくけど何だこれ? え? 何があったの?
ちょっと待ってよ。男子三日会わざればは分かるけど女子も? 女子もそうなの?)」
駆け巡る疑問。今の紫苑の胸中を埋め尽くす疑問符は中々消えそうにない。
「……じゃあ、何故休んでいたんだ?(こんなこと聞いてる場合じゃねえだろ!)」
だからと言って何を聞くべきかは分からない。
それでも黙っていると気が狂ってしまいそうだから、
ついつい意味の無い疑問を投げてしまった。
「ああ、それですか。ちょっとした些事ですよ些事。覚えていますか? 私の縁談相手」
「あ、ああ……(あのボンボンな。幸せな未来があったろうに……ザマァwww)」
目の前の栞に恐怖しながらも紗織に殺された少年を哂う……器用な男である。
だが、今にして思えばあの少年は本当に不憫だ。
家柄に恵まれ、好いた相手と結ばれるかもしれなかった。
なのに、この男に栞を奪われて、挙句惚れていた女の姉に殺される。
紫苑はさっき自分を世界一不幸な美少年だ! と言っていたが失笑ものだ。
本当に不幸なのはあの少年である。
「姉様が襲撃して来た件は表向き、強盗殺人として処理しましたが……。
それはそれで問題が出て来たのです。相手方の家が抗議して来ましてね?
冒険者である私が居ながらどう言うことだ! っと……本当に鬱陶しい」
笑顔で吐き捨てるその姿に紫苑の恐怖が加速する。
もう速度超過で違反切符を切られても不思議ではないくらいだ。
「一人息子だったようで、随分お怒りみたいです……知ったことではないですが。
私のことを好いていたようですが、
あのように意志薄弱で力で脅されたらあっさりと正道を外れそうな軟弱者……好みではありません」
それはひょっとして紫苑のことでしょうか?
違う点と言えば栞のことを好いていないと言うことだけだ。
「おや、話がずれましたね。
その馬鹿息子のことでお怒りな方達が、色々と圧力をかけて来たのです。
お互い商いにも手を出していますからね。だからそれを潰すのに忙しかったんです。
あ、御安心ください。姉様の時の反省を活かしてちゃーんと潰しましたから。
流石に歴史だけは長い家だけあって、中々しぶとかったですがね。
でも大丈夫です。花も根もしっかり駆除して塩を撒いておきましたから。
さてはて、今頃どうなっているやら?
遠洋での仕事が耐えられるとも思いませんし……一族郎党皆……フフフ」
言葉の節々から感じるな邪悪さ。心無しか栞の周囲が歪んでいるように見える。
紫苑は今にも気絶してしまいそうだった。
耐えられているのは自尊ゆえだ。自尊が無ければ耐えられなかっただろう。
「だから、紫苑さんに危害がかかることは絶対ありません。
ただまあ、結果としてうちの事業も拡大してしまったので……はぁ。
倉橋が居ない今、そちらでも少々手間がかかってしまいました。
それでもしっかり回るように手配しておきましたので明日からは通常通りに登校出来ます」
不在の間迷惑をかけて申し訳ない、そう謝る栞だがそんな問題じゃないだろう。
今の彼女は完全に振り切れてしまっている。
今までならば自分のせいで死んでしまった人間の遺族に対して、
そんな非道な仕打ちをすることはなかっただろう。
むしろ贖罪として自分に出来る限りのことをやっていたはずだ。
だと言うのにこれだ。今の醍醐栞に善性は無い。
「(……なあカス)」
『……何だよ』
「(俺、マジであのボンボンに同情するわ……いや、恋が実らなかったのはしゃあねえよ。
うん、俺も邪魔したし? 楽しかったし? でも、殺されて、挙句にお家取り潰しだぜ)」
戦国時代も真っ青である。紫苑ですら同情するほどだ。
・惚れていた女を屑野郎に持って行かれる。
・惚れていた女の姉に殺される。
・惚れていた女に軟弱者とディスられる。
・惚れていた女に家を潰される。←今ここ! NEW!
この転落っぷりを見るに誰よりも不幸なのが少年であると言うのに異存は無いだろう。
「……紫苑さん」
「何だ?(どうしてこんなことになっちまったんだ……)」
殆どお前のせいじゃないかな。
見栄を張らなければ栞が正しさを見出すこともなかっただろうし。
「その腕、ごめんなさい」
栞の手が紫苑の左腕に添えられる。継ぎ目をなぞるその指が妙に艶かしい。
「(冷たっ! 何だこいつめっちゃ冷たいぞ! 冷血女になったからか!?)」
体温の低さにドン引きする紫苑だが冷血っぷりではコイツも負けてない。
もし本当に性格で体温が上下するなら奴はツンドラも真っ青な冷たさだろう。
「だから、誓います」
体温が通わない紫苑の左手を自分の頬に当てて、静かに宣言する。
「これより以後、栞がお傍で守り続けます。何があろうとも守ります。
その正道を阻む者を殺す刃となり、その光を掻き消そうとする刃から庇う盾となりましょう。
今の私に残されている唯一の正しさ、それは紫苑さんのために生きること。
魂魄の一片に至るまで捧げ尽くしましょう。どうか受け取ってください」
クーリングオフは出来ますか?
「紫苑さん、お慕い申し上げております――――今も、これから先も」
その笑顔を何と表現すれば良いのだろう。
負の要素を煮詰めて出来た狂気の愛、その醜悪さは白梅の香りでも隠し切れない。
「(勘 弁 し て 下 さ い)」
今にも心が折れそうだった。
美人だからって何でも許されるわけではないのだ。流石にこのレベルは無理。
まあ、紫苑はこうなる前から無理だと思っていたが。
「ふふ、何だか照れくさ……!?」
何処からか飛来した石が二つ、栞の顔面に突き刺さる。
紫苑が慌てて振り向くと、
「丁度良いや。アリス諸共に消してやる」
「冗談。それはこっちの台詞よ。
お姉さん二人を物理的にリストラして私が紫苑お兄さんのパーティに入るわ」
校庭から飛び上がって来たであろう天魔とアリスが空中に居た。
自由落下する二人をポカーンと見つめている紫苑を他所に栞は屋上の縁に足をかける。
「――――邪魔ですね」
そう呟いて彼女もまた飛び降りて行った。
「(い、癒しを……癒しをくれ!)」
もういっぱいいっぱいの紫苑は足早に屋上を去って図書室を目指す。
紗織が黒姫百合を演じていたと言うなら、オリジナルも勤勉なはずだ。
だからきっと、放課後は図書室で勉強しているはず!
藁にも縋る思いで紫苑は図書室へとやって来た。
「(どこだ? どこだ? どこだぁああああああああああ!!)」
勉強机にその姿は無く、本棚の辺りを探していると……。
「ッ!」
「きゃっ!」
横からの衝撃によって転んでしまう。
覚えのあるシチュエーション……まさか! 紫苑は期待を込めてぶつかって来た少女を見つめる。
「黒姫、百合……?
(キタ━━━ヽ(´ー`)ノ━━━!! キタ──ヽ('∀')ノ──!! キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!)」
そう呼びかけられた少女は困惑を露にしている。
「ど、どうして私の名前を知っているんですか?
だ、だって……あなたは、Aクラスの春風さん、ですよね?」
この演技力は紫苑も顔負けだ。
否、彼女の場合は完全に"黒姫百合"になると誓ったからか。
「あ、ああ……そう、だ……(天使は居た、図書室に居た!!)」
緩む涙腺、すぅ……っと熱い涙が頬を伝っていく。
ストレスの果てに辿り着いたオアシスへの感動だ。
うん、まあ……そのオアシスは毒沼なんですがね。
「あの、どうして泣いているんですか?」
「君を見ていると、逝ってしまった人のことを思い出したんだ……。
救えなかった俺に、涙を流す資格は無いから……もう、泣かないって決めたんだけど……。
ごめん、意味分からないよな……でも、本当に……涙が、止まらなくて……」
何も知らない人間から見ればこの涙の理由を隠す演技は深いものに映るだろう。
きっと、とても辛いことがあって、それを抱え続けているのだと。
では――――知 っ て い る 人 だ っ た ら ?
言うまでもなくこの黒姫百合の正体は醍醐紗織だ。
涙を流す紫苑を見てどう思うだろうか? そんなの決まってる。
醍醐紗織と言う疵は確かに彼の胸に刻まれているのだと。
「あの……良いと、思います。辛い時は泣いたって良いと思います」
「(嬉しいから泣いてんだよバーローwww)そう、かな? でも、俺はあの子に何も……」
「私には春風さんに何があったかよく分かりません」
いけしゃあしゃあとはこのことである。
「でも、春風さんが誰かのために泣いていることは分かります。
なら、その人は幸せなんじゃないでしょうか?
自分のために涙を流してくれる……それはきっと、何よりも素敵なことだと思うから」
百合は今にも叫び出したかった。胸を満たす歓喜はそれほどまでに大きい。
「あ……ご、ごごごごごめんなさい! な、生意気なことを言ってしまって……。
Aクラスの人に……私みたいな子が……ほ、本当にごめんなさい!」
「(この卑屈さも心地EEEEEEEEEEEEEE!)黒姫、そう自分を卑下するな」
ポン、と目の前にいる百合の頭に手を乗せる。
今度は紅梅の香りは漂って来ない……。
「俺は、今確かにお前に救われたんだ……(うん、マジで癒されるわこの駄目っぷり!)」
「あう……」
頬を赤らめたまま俯くその仕草も最高だった。
見下せる誰かが居ることの幸せ、紫苑はそれを全身で噛み締めている。
もしも浄土と言うものがあるなら、それはここだろう。
「……ごめん、今日は俺もう帰るよ。また会おう」
「は、はい!」
背を向けて去って行く紫苑は気付かない。百合の顔が、
「また――――御会いしましょう♪」
狂 気 の 笑 み で 歪 ん で い る こ と に。




