春風紫苑 弐
十二月二十五日、午前五時。まだ日も昇っていないような時間にカニは目を覚ました。
暖房を効かせた室内は暖かく、寝間着も下着だけ。
ずぼらな格好だが誰に見られることもないのでこれぐらいは赦されるだろう。
「……随分早くに目覚めたな」
柄にもなく緊張しているのか? そこまで考えて笑いが漏れてしまう。
いいや、大したことはないだろうと。己が至上と定めた男に比べれば他の一切は総て軽い。
例え世界の命運を懸けた戦いであろうとも重みは無いのだから。
「ん」
洗面所に向かい冷水で顔を洗う。
冷え切った水が肌に染み渡り一気に眠気を奪い去った。
もう一度、今度は目やになどを取るために水を手に溜め顔に押し当てる。
顔を清めタオルで顔を拭くともう完全に覚醒したと言って良い状態になった。
「これで良しっと」
歯を磨き、肩甲骨付近まで伸びる真紅の御髪を何時ものように纏める。
後は服を着てしまえばもう何処へだって出かけることが出来るだろう。
洗面所から室内に戻ったカニは寝る前に用意していた着替えを持ってのそのそと服を着始める。
無地の黒いTシャツと同じく黒のテーパードパンツを穿き靴下とブーツを履いて準備は完了。
スポーツドリンクを片手に部屋の外に出てみれば、
「おや?」
幾つかの気配が地下から消えている。
それらの気配を探ってみれば拠点表層部の何かと利用される屋上にあることに気付く。
「示し合わせたわけでもないんだろうが……まあ、目が覚めたし私も行くかね」
スポーツドリンクで喉を潤しながら屋上に出ればそこにはメンヘラーズが揃っていた。
彼女らはカニがやって来たことで少し驚いているようだ。
「カニもですか。示し合わせたわけでもないんですが……」
友人である紗織が口元に手を当て上品に驚きを露にする。
どうやら全員が全員早くに目が覚めて此処へやって来たようだ。
「や、私の場合はお前らの気配を感じたんでな」
「まあどうでも良いじゃないか」
屋上の柵に背を預け空を見ていた天魔がクツクツと笑う。
暗い冬の朝、雪でも降り出しそうなほどに冷たいのに雪は降っていない。
気を利かせているのかいないのか、まあそれもどちらでも良いのだろう。
「にしても、こんなに早う目ぇ覚めるなんてやっぱ皆緊張してるんやろか?」
決戦を前にして緊張する、そんな可愛い性質の人間がこの場に居るのだろうか?
「どうかしら? 紫苑お兄さん達はまだ寝てるようだし」
紫苑、ルドルフ、ベアトリクス、ルークの四人は未だ夢の中だ。
ある意味で彼らよりも図太いメンヘラーズが緊張していると言うのは考え難い。
「まあ、ベアトリクスさんは……ねえ?」
栞が楽しそうに笑う。何となくではあるが、全員が察しているのだ。
昨夜、ベアトリクスが勝負に出て勝利を掴んだであろうことを。
「多分、今日はがに股」
つまりはそう言うことだ。
女は愛を伝え、男はそれを受け入れた。そうして連綿と続く愛の営みを行った。
とは言え流石にアイリーンの発言はちょっとどころか、かなりアレだ。
「ちょっとアイリーンちゃん、女の子なんだからそう言うのは良くないわよ?」
お淑やかにしろとは言わないが、それでも恥じらいを持つべきだと雲母は窘める。
外見的にはアリスに続いて幼い雲母だがこの中では年長者なのだ。
「そう言えば二葉お姉さんってベアトリクスお姉さんと一緒のパーティだったんだっけ?」
何時だったか話題に上がったことがある。
ベアトリクス・アッヘンヴァルが加藤二乃と言う偽名を使っていたカニと同じクラスでパーティを組んでいたと。
「ああ、二乃って名乗ってる時にな。ルドルフ・フォン・ジンネマンへの人質に使おうと思ってたんだよ」
が、カニは独立独歩で紫苑から勝利をもぎ取るべく行動をしてしまいパーティは解散。
ベアトリクスと言う札は日の目を見ることなくお蔵入りとなってしまった。
「ルドルフくんがベアトリクスちゃんを受け入れたところを見るに割と有効そうだよね」
ハッキリと好意らしきものを抱いたのはニブルヘイムでだろうが、それ以前からも意識はしていたはずだ。
ルドルフは黙って見つめられて鬱陶しい、困ると言っていたがどうでも良いならそもそも関心すら向けないだろう。
ゆえに元々、憎からず想っていたのかもしれない。
「ですねえ。と言うか一時とは言え仲間だったんでしょう?
その仲間が恋を成就させたわけですけど、カニ的にはどうなんですか?」
「え? 興味無いかな」
カニは涙を流さない、ダダッダー! ジャンキーだから、テロリストだから~♪
ってな具合のカニに真っ当なリアクションを期待する方が間違いだろう。
「冷たい人ですね」
「つってもなぁ……だって、アイツ元々暗い感じでさ? いや、実力はあったけど……」
他のパーティメンバーとはそれなりに世間話なんかもしていた。
が、ベアトリクスの場合はその世間話が出来ないのだ。
話しかけてもコクコクと頷くだけで会話のキャッチボールが成立しない。
流石のカニも木石に話しかけているのと変わらない状態を好んで続ける気はなかった。
「確かにアイリーンお姉さんとは種類が違うコミュニケーション障害っぽいものね」
アイリーンの場合は物怖じなんてしたことがないし上手く話せない自分に負い目を抱いたこともない。
が、ベアトリクスの場合は物怖じするし上手く話せない自分に負い目を抱いてしまう。
結果としてコミュニケーションに不具合が生まれてしまったわけだ。
「私、障害じゃない」
フルフルと顔の前で手を振って自身のコミュ障疑惑を否定するアイリーン。
「いやいや障害やん。会話を成立させるためにこっちが乗り越えるハードル多過ぎやで」
アイリーンとの会話を円滑に行えるのは同族であるスカアハを除けば紫苑とアリスぐらいだ。
しかしそのアリスにしたって十全にとはいかないので実質紫苑だけである。
「最初は外人さんだから日本語不慣れなのかな? って僕も思ってたけどさぁ……」
「アイリーンさんの場合は単純に話すの面倒臭がってません?」
「何時でも全力」
何時でも全力で会話してるよ! と胸を張るがどう考えても手抜きにしか思えない。
ちょっと一回ぐらいコミュニケーションの大切さについて勉強するべきだ。
「春風さんが下手に甘やかすから障害を加速させてしまったのではないでしょうか?」
「あー……紫苑ちゃんの察しが良過ぎるからこれで十分って思っちゃったのかしら?」
「色恋方面には疎いのにこう言うとこだけ鋭いんやもんなぁ……困った男の子やわ」
色恋方面にも鋭過ぎると言って良いほどに鋭いです。
メンヘラーズの考えてることや期待していることは大抵読み切ってしまう。
読み切った上でガンスルーして鈍感な演技をしているだけだ。
「酷い」
寄って集ってコミュ障コミュ障とはちょっと酷いのでは? 唇を尖らせるアイリーンだが残念でも何でもなく当然だ。
「酷いのはアイリーンお姉さんのコミュニケーション能力よ」
「いやちょっと待て」
アイリーンの言語能力について新たな仮説を思いついたカニが場を制す。
「確か春に紫苑がアイリーンを薬漬けにしたんじゃなかったか?」
薬漬けと言うとひっじょーにイリーガルな臭いが漂い出す。
いやまあ、毒を盛ることが正道に則しているとは到底思えないけど。
「その時に言語野に異常をきたした可能性は?」
「と言うか二葉さん、あなた何でそんなこと知ってるんですか?」
同じ学校の人間や事情を聞いた者ならば知っていてもおかしくはない。
しかしカニは他校の人間だったし、こっちサイドに着いてからもそんな話をした覚えは無い。
だと言うのに何故知っているのか。栞が胡乱な視線を向けると、
「あの段では敵だったし下調べぐらいしてるに決まってるだろ」
カニはあっさりとそう答えた。情報収集は基本中の基本であると。
「で、どうだ? 毒による影響説とかありそうだと思うんだが……」
「そこら辺は今度CTでも撮ってみるしか無いんじゃないかしら? もしくはこの場で解剖してみる?」
人形を作る際に死体を腑分けすることもあるのでアリスは人体について造詣が深い。
それこそ下手な医者よりも異常を発見出来るだろう。
「失礼な、アムリタ飲んでる――口移しで」
ポっと頬を赤らめるアイリーン、場の空気が一気に重みと冷気を増すが本人はガンスルーだ。
「セカンドキス」
ファーストキスは意識を失う前のあれで、セカンドは紫苑の口移し。
そして恐らくは紫苑にとってもあれがファーストキスだったはず。
そう考えると自然と優越感が沸いて来るアイリーンだった。
「ざっけんじゃないよ。だったら僕、童貞貰ってるっての」
紫苑相手に一番槍を決めた――否、決められた、になるのだろうか? 城壁と槍的に考えて。
兎にも角にも紫苑の貞操を真っ先に奪ったのは天魔である。
ファーストキスよりも更に羨ましいだろうとばかりに薄い胸を張る天魔だが、場の空気は更に凍て付いた。
「あんなのじゃんけんじゃない! 別に天魔お姉さんが特別ってわけじゃないわよね?」
「アイリーンちゃんのキスだって無理矢理奪っただけやん。何ドヤ顔こいとんねん」
ペッ、と唾を吐き捨てるアイリーンと天魔以外のメンヘラーズ。
そんなことしてる時点で女子力はマイナスを突っ切っていることに早く気付いて!
幾ら容姿が整っていてもセーフラインと言うものがある。
メンヘラーズは諸々のマイナス要素を加味してしまうとその類稀な容姿でもカバー出来ない。
「今すぐにボコボコにしたい」
「ホントにねえ……」
もしも今日が決戦でなければこのままおっ始めていてもおかしくはなかっただろう。
流石に大事な一戦を前にして殺り合わない程度には理性があったらしい。
「よーし、全員深呼吸な」
カニの提案でメンヘラーズは肺いっぱいに冬の冷気を吸い込み、大きく吐き出す。
彼女らのパネェ肺活量のおかげで屋上は一瞬霧に包まれたのかと思うほどに白く染まる。
「流石に今日は何時ものように喧嘩をするわけにもいきませんよね」
「ですね。姉様とタッグを組んで戦うのはもうしばし後ですもの」
メンヘラーズの中で唯一と言って良い共同戦線を張っている姉妹。
一心同体、言葉通りにそうなるのだから出鱈目が過ぎる。
「にしても……紫苑ってモテるな」
ポツリとカニが呟く。この場に居る面子だけでも紫苑に好意を持ち肉体関係にあるのは八人。
何処ぞの王様ならともかく十代でこれだけの数と質(見た目)を備えた女達に囲まれているのは紫苑ぐらいだろう。
「私含めて容姿も良いのばっかだし」
「いやあのカニ、自分で容姿が良いとか言うのはどうかと思いますよ?」
常に自分の容姿を誇っている紫苑をディスってんのか。
「謙遜する方が嫌味だと私は思うがね」
謙遜もしなければ驕りもしない。客観的事実だけを述べるのがカニだ。
実際に容姿には秀でている、但しその中身は紫苑とは違う意味でどうしようもないが。
紫苑、メンヘラーズ、彼らは良い好例だ――――人間は見た目じゃないと言う言葉の。
「ま、それはともかくだ。これだけの綺麗どころに好かれてるわけだが、此処に居る面子だけじゃないだろう?」
「……まあ、そうですね」
苦々しく頷く栞、彼女のみならず他の女達の表情も優れない。
「まあ、元々学校でも人気はある方だったんだよ。Aクラスだけでもルドルフくんと紫苑くんで二分してたぐらいだしね」
入学当日にかました誠実さをアピールする自己紹介とそれからの行動。
顔が良く真面目である、それだけの要素で一定数の女性のハートを掴むことが出来る。
「そっからアイリーンちゃんとの一戦で更に人気出たなぁ」
純粋な身体能力や魔法の精度では劣るもののその人柄は確か。
それがアイリーン戦までの評価。が、アイリーン戦でその智謀を披露したことで更に増える。
しかもAクラスだけでなく他のクラスや学年でまで。
「私のクラスでも結構噂になってましたからね」
唯一Aクラスでは無い紗織だが、彼女も当時から紫苑については色々と聞いていた。
当時は別に積極的に紫苑に関わる情報ならば何でも収集する――なんてことはしていなかったが自然と聞こえて来るのだ。
Aクラスの春風くんって良いよね? 分かる分かる! なんて声が。
「そこから一旦落ち着いたけどアリスでまた」
若干何時もより長めの台詞を吐いたアイリーンの顔は苦い。
「え、私?」
キョトンとするアリス、自分が紫苑のモテ度を加速させた? アリスには心当たりがなかった。
「ロリなアリスちゃんに構ってる紫苑くんがお兄ちゃんと言うかお父さんと言うか……。
こう、男性の包容力を感じたー言う声があったんよ。アリスちゃんを膝に乗せとる紫苑くん、モロ父親かお兄ちゃんの顔やったし」
テメェは傍目から見れば恋人には見えねえんだよ邪悪ロリ! と言外に告げているのだ。
この地味な陰湿さが何とも言えない苦味を感じさせる。
「ふ、ふぅん……?」
麻衣の挑発を受けたアリスは辛うじて堪えていた。
ここで喰ってかかれば麻衣の言葉を認めることに他ならないからだ。
「そこから酒呑童子の一件で人気は更に加速……」
げんなりとした顔をする紗織。
そりゃ惚れた男がモテるのが嬉しいと言う思いは確かにある。
とは言え、モテ過ぎればそれはそれで複雑になるのが乙女心と言うものだ。
「元旦、それから今に至るまでの流れの中で極まったと言っても良いわね。
今、紫苑お兄さんを好いている女は世界中にどれだけ居るのか……考えたくもないわ」
顔見知りで言うならばアネットなどもそうだ。
アリスは深く深く溜息を吐く。他の面子もそれに釣られて暗い顔で溜息を吐いている。
溜息を吐くと幸せが逃げるとは言うが、溜息の一つ二つは吐きたくなるのも已む無しだ。
「此処に居る子達だけでも十分邪魔なのにねえ」
さらりと物騒な発言をする雲母、しかしそれは他の者らも同じだ。
何だかんだで仲良くはやっているものの自分一人だけをと言う欲求は絶えず燃えている。
「まあそれでも、ぶっちゃけ他の人らはミーハーでしょ?」
中にはそうじゃない女も居るかもしれないが、天魔には自負がある。
この場に居る面子の中で一番とは言えないが、有象無象に比べれば自分の愛の方が深い。
「まだギリギリ、マジでギリギリ我慢出来るラインが君らだもん」
自分を含めてこの場に居る女達の愛の深さは余人には到底辿り着けないものだと断言する。
好きな人のためならば何でもする、軽々しく口にはするが実際はどうだ?
好きな人のために他の親しい人間を総て切り捨てられるか? 好きな人のために世界を敵に回せるか?
好きな人のために世界を滅ぼせるか? 出来る人間は居ないだろう――自分達以外には。
天魔の言葉は傲慢とも取れるかもしれない。
しかし、想いが力となるこの世界で彼女らの力を見れば一目瞭然だ。
善悪正否の彼岸を超えて、漆黒の愛を謳う女達。
何処までも純粋だ、純粋過ぎて胃もたれしそうなほどに彼女らの愛は重い。
「だからってわけじゃないけどさ……」
正直、口にはしたくない。それでも現実問題として確かにすぐそこまで迫っているので言葉にせねばならない。
そんな天魔の葛藤は全員が共有していることだ。
たまたま最初に言葉にするのが天魔だったと言うだけで、彼女が言わねば他の誰かが告げていた。
「今日、僕らは全員で帰って来れるとは限らない」
正午十二時丁度に全員の力を合わせて現世の側から一気に境界を破壊し、紫苑を中心に全員で乗り込む。
それが理想だ。とは言え、現世に侵攻して来る兵力如何では一人か二人は残らねばならないかもしれない。
そして残る者らでエデンへと突入する。言葉にしてみれば簡単だが実際はそんなわけがない。
突入組こそが最も激しい攻勢に晒されるのだ。
突入組を迎え撃つ幻想は間違いなく最上位の連中で、一対一ならばともかく徒党を組まれてしまえば危険域だ。
勿論、天魔らとて負けるつもりで往くわけではない。ちゃんと勝利を掴む気で居る。
しかし現実問題として生命の果実を手にすることを阻止せんと立ち塞がる敵は強大だ。
それらを前にして全員で此処に戻って来れると言えるほど楽観的ではない。
「僕らの役目は何だ?」
そんなものは決まっている。
「紫苑お兄さんを護ること、そして紫苑お兄さんに生命の果実を食べてもらうこと」
人類の未来は先日語ったようにあくまでついでのようなもの。
だが世界で一番愛しい人がそれを望んでいるのだから全力でバックアップするのは当然のこと。
「命を惜しむつもりはありません」
「身を盾にしてでも紫苑さんは護ります」
それは全員が共有する想いだ。
戦闘員である天魔、栞、紗織、雲母、アイリーン、アリス、カニは当然として非戦闘員である麻衣も覚悟を決めている。
「そうだね、その通りだ。今更言うまでもなかったことかもしれないけどね」
それらを踏まえた上で現実的な見方をせねばならない。
「その上で、すっっっっごく嫌だけど! 生き残り易い順位付けをしよう。一番は麻衣ちゃんだ」
「うん」
最終防衛ラインと言っても良い。麻衣が死ぬ時は高確率で紫苑も死ぬかもしれない。
なので実質、麻衣に敵の魔手が届く前に趨勢を決する必要がある。
「二番目はカニ、君だ。実力的に言ってね」
「だろうな」
この中で一番強いのはカニだ、すなわち生き残る可能性もそれだけ高いと言うことである。
残る面子に関しては横並びだ。誰か死ぬかもしれないし生き残ることも出来るかもしれない。
「君ら二人は当然として、他の皆もそう。誰が生き残ってもこれだけは約束して欲しい――――紫苑くんを幸せにしてくれ」
そりゃ出来ることならば自分の手で、誰もがそう思っている。
だが、すぐそこにある現実がそれを赦してくれない。
「僕らの誰かが死んだら、きっと紫苑くんはその命に縛られ続けるだろう。
自分で言うのも何だが、僕らは限りなく紫苑くんに近い位置に居て、そしてそれだけ愛されている」
何度骨を折ってもらったことだろう? どれだけ苦労をかけただろう?
世話を焼いてもらった、それはすなわちそれだけ愛されていると言うことでもある。
天魔や他の女達はそう信じている――――実際は全然そんなことないのだが。
「例え勝利して、紫苑くんが望む人類の未来を手に入れたとしても……僕らが死んだらきっと哀しむ」
少しだけバツが悪そうな顔をする天魔。
想ってくれるのは嬉しいが重荷にはなりたくない。だって好きな人には何時だって笑顔で居て欲しいから。
「自分の選択が正しかったのか、僕らを死なせてまで得た未来が正しかったのか、きっと苦しむだろう」
いや、むしろ万々歳だと思います。
何せ紫苑の理想は不老不死を得て世界を救い、その上で自分だけ生還することなのだから。
「老いず死なず、未来永劫苦しみ続けることになり兼ねない。
僕も皆もそんなこと望んじゃ居ないだろう? 例え死んだって紫苑くんのためだったら後悔は無いんだから」
「ええ……あの日、紫苑ちゃんに救われてからもう十分過ぎるほどに沢山のものを貰ったもの」
ずっと紫苑の傍に居られないのは悲しい。
だが、死したとしても紫苑のために死ねたのならばは胸を張って誇れる。自分は正しいことをしたのだと。
「だけど僕らの自己満足で紫苑くんを泣かせるわけにはいかないじゃないか」
だからこそ、生き残った者は責務を果たさねばならない。
「僕らが今、抱いているこの愛は永劫だ。だから、その愛に人生を捧げる覚悟は出来ているよね?」
「分かっています」
「生き残った者が果たすべき責務」
それは、
「――――残りの人生を捧げて紫苑お兄さんを幸せにすること」
リトルな親切ビッグな御世話の体現である。
「永劫に続く生、痛みを抱えたままじゃあまりにも酷」
悲しげに目を伏せるアイリーン。
不老不死、人であれ人であれ、その矜持で歩き続けて来た紫苑にとっては何よりも重い業だ。
それを背負うだけでも酷なのに、その上死者に縛られ続けるなんてあまりにも悲し過ぎる。
自殺と言う逃避も出来ず、彼の強さは心を壊して楽になることも赦さない。
罪の意識に苛まれながら永劫の時間を彷徨うなんて地獄だ。
優しく強い紫苑だからこそ、一生己を赦せないまま地獄の中で喘ぎ続けることになる。
そんな未来は誰一人として望んじゃいない。想われることは嬉しいけれど縛られて苦しむ羽目になるなんて認められるものか。
あれだけ誰かのために頑張り続けた紫苑が幸せになれないなんて嘘だろう。
「そうだ。だからこそ、生き残った人間は教えなきゃいけない。
死んだ誰かが望んでいるのは紫苑くんの幸せなんだって。
痛みの果てに辿り着いた場所は正しいんだって。君は幸せになって良いんだって、教えるんだ。
気の遠くなるような時間をかけねば無理かもしれないけれど僕も皆も嘘じゃない、心の底から紫苑くんを愛している」
だからそれぐらいは出来て当たり前だ。出来ないのならばそれは愛じゃない。
「幸せになって良いんだよって抱き締めてあげられるのはさ……僕ら以外に居ないだろう?」
互いが恋敵で、そしてだからこそ誰よりも互いの愛を認め合っている。
自分が死んだとしてもそれからのことを託すことが出来るほどに。
「僕らは紫苑くんから多くを貰った。だけど、一つでも返せたと思うかい?」
天魔は微塵も思っていない。それだけ紫苑が彼女達に与えたものは多く貴いのだ。
大事な大事な心の宝箱に仕舞い込んだ輝かしい思い出。
未来永劫色褪せない至高の宝石。それに報いる術があるとすれば紫苑を幸せにすることぐらいだ。
こんな小さな世界じゃ収まり切らないほどの愛と幸せをあげたい――乙女の無垢なる祈りは何処までも美しい。
「ううん」
抱えきれないほどのものを貰っていて、それなのに何一つ返せた気がしないのは皆も同じだった。
「だから、さ。全部が終わった後で返そうじゃないか。生き残った人間が、死んだ人の分まで。
紫苑くんを幸せにするって形で。僕が生き残れたらそうするつもりだ、君らにもそうして欲しい。
僕が死んだ時は僕の代わりにめいっぱい紫苑くんのために生きて。癪ではあるけどさ、君らならば信じられる」
よしんば自分達が生き残っても、この戦いで紫苑が深く心に癒えない傷を負うのは明白だ。
沢山の名も無き命達、散ってしまい数字に成り果てたとしても紫苑の心には傷として残る。
捨ててしまえば楽になれるのに決して楽な道には流れないのが春風紫苑だから。
そんな紫苑をこれから先、永きに渡って支えることこそが報恩であり愛だ。
「そう、ですね。ええそうですとも。天魔さん、私も――私達も同じ想いですよ」
先にも述べた通りこれは天魔が言い出さねば別の誰かが言い出していたことだ。
「私と栞の場合は、どちらかが生き残ると言う形は無いでしょう。一心同体で戦いますからね。
それでも、生き残ることが出来たのならば私は残りの一生を春風さんのために捧げます」
それはきっと、あの日、救われた時から決まっていたことだ。
この場に居る誰にとってもそう。救われたり道を示されたりで紫苑と心を触れ合わせた時から……。
「私は私の誓いを果たす」
何があっても紫苑を護る、その誓いは何も物理的な意味でだけじゃない。
その心ごと包み込んであげたいと祈っている。そして共に幸せになるのだ。
「うちにそれが出来るかは分からん。それでも、傷を治すのは得意やもん」
傷だらけの心を癒す。肉体を治すよりも難しいことだ。
しかし、愛する人の心の傷を癒してあげられねば癒し手として失格だろう――麻衣は朗らかに笑った。
「傷付いて、折れてしまったとき、私は抱き締めてもらったわ……私も紫苑ちゃんにそうしてあげたい」
例え紫苑の心がどうしようもなくボロボロになったとしても、諦めない。
あの日彼が、彼だけが自分を諦めずに真正面から向き合ってくれたように。
「自分が生き残れば言われるまでもなくそうするつもりだったわよ。
まあでも、もしもの時は……ええ、紫苑お兄さんのことを任せてあげなくもないわ」
この場には確かな愛が満ちていた。
メンヘラったところはあるけれど、それでも彼女達の愛は決して対象を傷付けるものではない。
ただただ優しく包み込んであげたいと言う女性の原始的な愛情が満ちている。
「こうなる前は恋だとか愛だとかそう言うものに興味はなかったが……。
アイツにそれを教えられて気付けば私の中では勝ちよりも大事なものになっていた。
良いものだと心から思える。だから、それを教えてくれた紫苑には幸せになって欲しいよ」
かつてはその心を傷付ける側だった自分にそれが出来るかは分からない。
だけど好きになってしまったのだ。過去を忘れることは出来ないけれど人は変われる。
変わった自分、変えてくれたあなた、全身全霊で抱き締めよう。
「――――うん、安心した」
これでもう話すことは何もない。
示し合わせたわけでもないのにこうして此処に集まったのは互いに確認がしたかったからだろう。
自分がもしも死んでしまった後のことを託すことが出来る誰かが居ることを。
「確かに何だかスッキリしましたね」
クスクスと笑う女達を朝焼けが照らし出す。
赤く赤く染まった茜色の空、これがやがて青になり太陽が真上に輝き出す頃、最後の戦いが始まる。
しかし最早彼女達に気負いは無い。何処までも強く美しくしなやかに戦い抜くだろう。
幻想? 上等だ、私の男を哀しませる存在なんぞに屈してたまるか。
殺せるだけ殺しまくってやるから覚悟しろ。絶望と恐怖にのた打ち回れ――闘志は十二分に高まっていた。
まあ、若干物騒なのもメンヘラーズらしいと言えばメンヘラーズらしいのだが。
「死ぬ時は自爆で派手に敵を道連れにしてから死にましょうねえ」
朗らかにトチ狂ったことを言ってのける雲母とそれに頷く面々。
殆どが十代のJKだと言うのにどうしてこんなにぶっ飛んでいるのだろうか?
「でも紫苑お兄さんに被害がいかないように考えて自爆しなきゃ駄目よ」
「指向性のある自爆かぁ……まあ、やってやれないことはない、かな?」
死ぬとしても紫苑の邪魔になるものを少しでも減らしてから。
決してタダで死ぬ気はなかった。死ぬのならば敵に盛大な嫌がらせをしてからだ。
「まあ一番は自爆なんぞせずに地道にぶっ殺すことだがな」
「誰が一番か競争する?」
「ちょう待ってえや。うち、戦えへんからキルマークゲット出来へんで?」
「そんなことより御腹が空きました」
「皆さん、そろそろ朝食の準備に取り掛かりません?」
「つっても私、料理とか出来ないんだがなぁ……」
決戦を数時間後に控えてこれだ。ある意味で誰よりも男らしい女達である。




