俺ほど清廉潔白な人間をこれと一緒にするなよ
四月十二日、国連本部には各国ギルドの長百九十名余りが集合していた。
何のためか――無論、新たなリーダーを迎えるためである。
通常、総理大臣だったり大統領、規模の大きい枠組みのリーダーを決める際に反発と言うものは生まれて然るべきだ。
しかし、今日この場に居る誰もが新たなリーダーを支持している――若干十六歳の少年を。
今の情勢が過去に例を見ないほどに混迷としていることもあるが、それ以上に少年――春風紫苑は特別だった。
幻想回帰以降に積み重ねた功績は余人には決して真似は出来ないだろう。
仲間に恵まれていると言えば恵まれているが、それは紫苑のカリスマがあればこそ。
集った仲間達とて、彼に救われたからこそ今が在るのだ。
と言うか仲間の助力を差し引いてもその功績は偉大である。
が、真に偉大なのは積み上げた功績ではなくその精神性にあることを誰もが知っている。
誰よりも深く人を愛し、その未来のために命を削ることが出来る聖者の如き心。
慈悲深く、ともすれば甘いと呼べるそれは、だがしかし、決して折れることはない。
春風紫苑の真価はその心の強さにこそある。
人であれば誰もがそう在りたいと羨むような正しさに満ちたその姿に誰もが胸を打たれた。
この場に居る長達もそう。一人の人間として、年齢を超えて紫苑を尊敬している。
実態を知るカス蛇からすれば大爆笑ものだが、知っているのは奴だけなので問題は無い。
「あの日、パリで出会った日からこうなるような気がしていましたわ、ムッシュ」
未だ主役は登場していない壇上を見つめアネットがほう、と色っぽい溜息を吐く。
頭の中では紫苑との出会い、今に至るまでがリピートされていて、さながら夢見る乙女のよう。
が、そんな乙女の物思いに水を差すようにポンポンと肩が叩かれる。
「何ですかアデーレ?」
半目で隣に座るギルドの長と言うよりはトップモデルと言う形容が相応しいイタリア代表を睨むアネット。
睨まれたブロンド美人アデーレは何処吹く風で、
「ねえねえ、アネット。あなたってシオンと面識があるんでしょう?」
「ありますけど……何ですか?」
「ちょっと紹介してくれない? 別に取り入るとかそう言うんじゃないわよ? あくまでちょっと子種を貰――――」
言い切るよりも早くにアネットの裏拳がアデーレの顔面に突き刺さった。
「い、いきなり何をするのよ!?」
ダラダラと鼻血を垂れ流しながら抗議をするアデーレ、しかしアネットの視線は冷ややかだ。
道端で見つけた犬のクソを眺める視線の方が幾分優しいと思えるほどに。
「御黙りなさいビッチ」
「失礼な! ビッチじゃなくて恋に情熱的な女と言いなさいよ!」
「ものは言いようですね。と言うか、ムッシュは十六歳。淫行で捕まりますよあなた」
その言動や立ち振る舞い(表面的)なものから忘れそうになるが紫苑はまだティーンなのだ。
同い年、もしくは二、三年上とならまだしも三十代超えた女はどう足掻いてもアウトである。
合意があれば良いのだろうがあの男が好んでババアと付き合うわけがない。
もし付き合うとすれば遺産狙いとかそう言うのだろう。
「合意なら大丈夫よ! ほら、私美人だし?」
「美形と言うならムッシュもそうですし、ムッシュの周りに居る方々もそうですよ」
見慣れてるから大したアドバンテージにゃならねえよバーカ――アネットの瞳は雄弁だ。
「や、でもほら……生娘には無い魅力があるじゃない?」
残念、周りに居る女はカニを除き全員生娘卒業してます。
「はぁ……大体何ですの急に?」
「私、付き合うのは良いけど結婚とかは正直考えてなかったのよねー。
男とだって割り切った付き合いしかしてないし、子供とかだって欲しくなかったし。でも、彼見てたら……こう、ねえ?
一個人として尊敬出来るし、あの血を後世に残さなきゃと女の本能が燃え盛るって感じ?」
アネットもその言い分は分からないでもなかった。
春風紫苑は一人の人間として誰よりも尊敬しているし、そんな人の子供が欲しいと思うのも当然の帰結だ。
「まあ、理解出来なくもありませんが……」
「でしょう? あんな良い男、これから先現れると思う? 私は思わないわね」
ロンドンでの戦いは記憶に新しく、あの輝きは生涯忘れることはない。
口調こそ軽いもののアデーレは心底からあの戦いで紫苑に魅せられてしまった。
「あーあ、イタリアにも来て欲しかったなぁ……どうしてフランスに行ったのかしら?」
「あのねえ、こっちはジャンヌ・ダルクの一件で街一つ消滅してるんですよ?」
そして紫苑が来なければジャンヌの憎悪はフランスそのものを飲み込んでいただろう。
とは言え、そうなる前にアレクが動いて何とかしていた可能性も高い――と言うか確実に何とかしていた。
「それは御愁傷様としか言えないけれど」
「でしょう? 色々大変だったんですよ、こっちも」
ジャンヌをこのままにして良いのかと言う意見も当然あった。
が、感情ではなく道理でものを考えれば彼女が有用であることは確かだ。
なので、フランスから永久追放、そして春風紫苑の下で人類への奉仕と言う形で納得させることが出来た。
とは言えそれも楽だったわけではない。アネットは相応の苦労を以って政府や民衆を説得したのだ。
まあ、紫苑の存在も大きかったのである程度は楽だったが。
「それでも、ムッシュに比べれば随分と楽でしたが」
上に立つ者が率先して苦労すると言うのならば紫苑以上にリーダーの資質を持つ者はこの世界には居ないだろう。
常人ならば彼が踏破した試練一つ超えることすら出来ない。
アネットもそう。幾らかは何とかなりそうでも、無理だと言うものが多過ぎる。
ジャンヌの一件だってそうだ。彼女の苦しみを知り、その上で心を救うと言うのは無理だ。
例えそれが最善であろうとも、掴み易い次善に流れてしまうのが人だから。
「そうね……彼のお陰で今、良い流れが来ている」
幻想側に着いた冒険者達の寝返り、人心の安定――紫苑が齎したもの多い。
「そして、何より……私達に勝利の目が見えた」
「ええ」
当然のことながら、各国の代表だけには既に生命の実の件についても伝えている。
その後のことをスムーズに運ばせるためだ。
アネットを初めとして大阪城での会談に出席していて、紫苑の(表向きの)人柄を知る者達は思うところもある。
人を愛し、人であることの矜持を貫く紫苑にとって不老不死は恩恵でも何でもない。
それでも世界のためにと決断をした――その決断に至った彼の心境を思うと辛くなる。
だからと言って、翻意を促しても意味は無いし、立場上そうするわけにもいかない。
そのことに歯痒い思いをしているが、アネットはそれをグッと飲み込んだ。
もしも今感じているものを出してしまえば紫苑が気を遣ってしまうから。
「にしても、発表後は忙しくなるわね」
長達が紫苑から話を聞かされたのは二時間前のことだ。
かなりざわついたし、不安の声もチラホラと上がった。
だが、どの道人類に選択肢は無いのだ。全員で話し合い、見解を一致させるのにそう時間はかからなかった。
「政府も動かさなきゃいけないし、冒険者達も……ですわね」
「そうよ……っと、そろそろみたいよ。ねえ、メイクはバッチリかしら?」
「あなたが主役ではないでしょうに……」
会議場に撮影機器が運ばれて、スタッフがセッティングを始める。
この放送は世界中に放送されるのだ、主役ではないとは言え気が引き締まるのも当然だ。
撮影の準備が整い終わって数分後、遂に紫苑が会議場に足を踏み入れる。
彼が入室した瞬間、ざわめきは消え完全な静寂が訪れた。
「さて……正直、こう言う場は不慣れなもので、俺も少し戸惑っています」
壇上に立った紫苑は、まずそう切り出した。一体どの口で言っているのだろうか?
こう言うシチュエーションでの立ち振る舞いに関しては誰よりも長けているのに。
「何から話せば良いのか分からないのですが、一つだけ。
これからの話をする前に少し、過去を振り返ってみましょう。
今日この日に至るまで、この地球上で多くの血が流されました。
家族、友人、知人、見知らぬ誰か、一月一日を境に俺達の世界は一変して、多くの貴い命が散った」
一年前の自分に言っても信じられないだろう、神様や悪魔が実在していて、国が一つ滅んだなどと。
それでも今この時に生きる者達にとっては覆すことが出来ないリアルだ。
「目まぐるしく変わる世界の中で、死を悼む暇すら無かったかもしれない。
だから今は、ほんの少しだけ死者に祈りを捧げよう、死者は何も言わない、自己満足かもしれないけど……。
それでも俺達がもう一度歩き出すために、死者を悼むことを必要なことだと思うから」
黙祷――良く通る声でそう告げて、紫苑は胸に手を当て静かに瞳を閉じた。
そしてそれに倣うように会議場の長達も、世界中の人間も祈りを捧げる。
祈りの形はそれぞれだけど、想いは一つだ。ただただ死者を想っている――紫苑以外は。
数分間、世界は優しくも悲しい静寂に包まれた。
「……救えなかった命、救いたかった命、その重みに潰されてしまいそうになるかもしれない。
だけど、それは赦されない。誰かが生きられなかった今日を俺達は生きているのだから」
黙祷を終え、厳かな体を装ってペラを回す紫苑。
真実を知る者からすれば滑稽だが、知らぬ者からすれば今の彼には後光が差しているようにすら見える。
「俺、春風紫苑は今日を以ってアレクサンダー・クセキナス氏の後を引き継ぎギルドの長に就きます。
二十も数えていない若輩で、多くを知らぬ小僧がトップに立つ――不安は当然あるでしょう。
俺自身もトップの役割を十全にこなせるなんて思っていません、これまで同様誰かの助けを借りてこの責を果たしたいと思います。
此処に居る各国の支部長、そして多くの職員や冒険者達、世界中の皆の力を……どうか、俺に貸して下さい」
凛とした一礼を見るだけでも分かる。
春風紫苑は今、完全に指導者としての風格を纏っている――ように見える。
此処まで冴えた振る舞いが演技だと一体誰が見抜けようか。
『いやぁ、一年前は一学生だったのに立派になって……お母さん感動だわ』
「(誰が母ちゃんだよテメェ)」
だが、この飛躍は確かに凄まじい。
ほんの一年前まで春風紫苑は小さなアパートで一人暮らしをしていた、ただの学生だったのだ。
しかし、僅か一年で虚飾に彩られた王道を進みこんな場所まで辿り着いてしまった。
この事実が何を意味しているかは明白だろう。
春風紫苑と言う人間の本領は平和な世の中ではなく、乱れに乱れた時代でこそ発揮されるのだ。
「短くはありますが、これを以って就任の挨拶とさせて頂きます。
そして、ここからは未来についての話をしたいと思います。どうかよく御聞き下さい」
拍手を手で制し、紫苑は早速本題に突入する。ハッキリ言って彼はギルドのトップの椅子になど興味は無い。
目下紫苑が執念を燃やしているのは不老不死のみ。それ以外は眼中に無いと言っても過言ではない。
「――――人類に勝ちの目が見えました」
事情を知らぬ者は一瞬、唖然とし、次いで困惑する。
だがそれも当然だ。何せ紫苑自身がイギリスで散々人類の窮状を説いたのだから。
一方、事情を知る長達はいよいよこの時が来たかと気合いを入れ直す。
「突然何を、と思うかもしれません。順を追って説明して行きます」
そうして紫苑は、丁寧に、分かり易く、知識が無い人間にも分かるよう懇々と説明をしてゆく。
中国での大戦、ロンドンでの一騎討ち、それが齎した歪み、エデン、生命の実。
「……以上が、見出した勝機です。情報を齎したのが幻想側の存在と言うことで不安もあるでしょう。
しかし俺は、直に言葉を交わし感情、理屈、両方の面で信じることが出来ると判断しました。
感情についてはあくまで俺の主観なので省きますが、理屈の面については明白です。
姦計だと思いますか? それはあり得ない。この蛇に――いいや、幻想にそんなことをする理由はありません。
俺達を謀らずとも、時間と共に自分達の勝利が得られるのですから」
時間が幻想の味方であると言うのは紫苑自身もロンドンで言及したことだ。
「邪魔な存在である俺は余命幾許も無く、突出した戦力はあれどもそれは百にも満たない。
何をせずとも勝利を得られる者らがこのような回りくどいことをすると思いますか?
それに何より、元旦の出来ごとを思い出してください。メタトロンは明確な敵意をこの蛇に向けていました」
それともあれも演技? それこそあり得ない。
何度も言うが幻想に小細工を弄する必要は無いのだ。人間如きを謀ったところで何の意味がある?
「とは言え、俺はこの希望を皆に強制するつもりはありません。
これはオールオアナッシング――始めてしまえば後戻りは出来ない勝負なのだから」
境界を破壊してしまえば、幻想の総攻撃が始まる。
無論、その多くは紫苑達をエデンに辿り着かせまいと邪魔をするだろうが、現世に侵攻する者も必ず居る。
紫苑達が生命の実を手にするか、幻想がそれを阻むか、その二択の果てにあるのはどちらかの滅びだけ。
これは始まったしまえば戻ることは出来ない片道切符なのだ。
「勝てば未来を掴める……が、重ねて言いますがだからと言ってそれを強制する気はありません。
イギリスでも言いましたが、今の人類に必要なのは意思の統一。
何も全員が全員、まったく同じ考え方をしろと言うわけじゃない。
ただ、見据える方向……人類の未来と言う点で、誰もが明日を望む必要がある。
直接戦う冒険者は勿論として、それ以外の人間にだって決して関係の無い話じゃない」
一般人だから流されるままに、なんてのが赦される情勢ではないのだ。
「想いは力となる――――それが今の世の仕組みだと言うのは俺や俺の仲間達を見ても分かると思う」
敬語から素の喋り方に時々シフトするのは無論、意図的なものである。
素が出る――つまるところ、取り繕うこともなく真剣だと言うことがアピール出来るのだ。
「強く未来を想おう、一つ一つは小さな篝火でも総ての人間がそう想えばそれは大きな力となる。
寄り集まった無数の祈りは未来を照らす光となり、俺達に新しい道を拓いてくれるだろう」
紫苑の言葉は誰に向けられているものか――そう、一般人である。
どうしたって彼らは戦えず、負い目と言うものを抱いてしまいがちだ。
そこにこの発言、君達も力になれる、無価値ではないのだ、我らは共に戦っている。
それを表面上は大英雄である紫苑に言われたのだ。
心が奮える人間が出て来るのは当然――――相も変わらず見事な躍らせ方である。
「ただの同調圧力では意味が無いことを知って欲しい。これはそう言う次元の話じゃないんだ」
何てことを言ってる紫苑だが、同調圧力と言うのはどうしたって生まれることを知っている。
綺麗な言葉、理想を謳いながらも彼はその圧力に期待しているのだ。
周囲がそうだからと、まるで自分の意思であるかのように人々が戦いを選ぶことを心底から期待している。
清濁併せ呑むのが指導者の資質とは言うが、そう言う意味でこの男は適格者と言えよう。
表で綺麗なことを囀り、裏で汚泥を吐く――最悪なんだか最高なんだかよう分からん指導者である。
「ゆえに、一月……一月、皆が考える時間を与えようと思う。
その間に、本気で考えてみて欲しい。安易に戦うことを選ぶ、安易に逃げることを選ぶ、それだけは止めて欲しい。
どんな答えを出すにせよ、それが考えて考えて、悩みに悩んだ末の結論であって欲しい」
そう言い切り、一息吐いたところで紫苑にとって嬉しい予想外のことが起こる。
「私は、私は戦います!!」
そう叫んだのは撮影をしているスタッフの一人だった。
その男は本当に何処にでも居る何の変哲も無い一般人。
彼は決戦を想像し、震えながらも、それでも未来を望んだ人間の一人で紫苑にとっても縁のある人物だ。
「私には恋人が居て、彼女のお腹の中には私の子供が居て……私は、私はその子に未来をあげたい!」
止めるよりも、誰もが名も知らぬ一般人の言葉に聞き入っていた。
それは彼が何処までも真剣だったから。
「でも、それだけじゃない……ミスタ紫苑、私はあなたにも生きていて欲しいんです」
「俺に?(こう言う演出も考えはしたが、手間の問題で却下したってのに……やっぱり日頃の行いだな!)」
いわゆるサクラ的なものを仕込もうと考えていた紫苑だったが、それは直前で却下した。
幻術を使えば容易く心からの発言に見せかけることは出来るがそれは手間だ。
ならば普通に――とも思ったが、演技力に優れた一般人などそう居ないと却下したのだが、
期せずして考えていた演出が発動したことで紫苑は日頃の行いの良さを確信する――まあ、錯覚だけどね。
「(ま、実際は何処ぞの誰かの小細工だろうがな)」
『え?』
日頃の行いと言うのはどうやら冗談だったらしい。
「はい。ミスタは覚えていないかもしれないが、私は去年の九月……京都に居たんです。
その時に、恋人と共にあなたに助けられた。あなたが居なければ私達の未来は無かった。
あなたは、私と恋人、そしてこれから生まれて来る子供の命の恩人なんです」
あの時、春風紫苑を知り、幻想回帰が起こってもっと紫苑を知った。
男にとって紫苑は憧れの存在だった。人間としての尊厳に満ち溢れるその姿が愛しくてしょうがないのだ。
「私はあなたが好きなんです。生命の果実を口にすることをあなたは好んでいないかもしれない。
それは、あなたが何よりも重んずる人としての誇りを穢すものだから。
それでも、あなたは人類のために自身の矜持を捨てることすら厭わない。
だけど、私は嬉しい。あなたが生命の果実を食すことで、生きられるなら……私はあなたに生きていて欲しい!!!!」
と、そこまで言い切ったところで彼は気付く。
自分はこんな場で何てことをしているのかと。
顔を真っ赤に染め、一気に固まってしまった男を見て紫苑は今にも大爆笑したかった。
どうだ見晒せ! これが偉大な俺様だ! と。
「……参ったな。どうしよう、凄く嬉しいよ。これまで喪った命にばかり目を向け過ぎていたからかな。
こうやって、俺の力が少しでも及んだ人と出会えたのは本当に嬉しい――――ありがとう」
はにかみながら感謝を告げる紫苑に、男は弾かれたように自身も何度も何度も頭を下げる。
「ッ……緩んだ顔で、どうにも締まらないが、どうか御勘弁を」
再び世界中に向けて語り始める紫苑は、彼が言うように照れ臭さと嬉しさが滲んでいた。
誰よりも大人びた顔もあるかと思えば、このように歳相応の顔もある――あっざとい演出だ。
「ギルドの長として最初の命令を下します……どうにも命令と言う言葉はしっくり来ないな。
立場上そうであるとは言え……んん! 訂正します、改めてこの場に集った各支部長に御願いします。
それぞれ自国の政府に働きかけて、一月後に総ての人間の意思を確認出来る手段を整えて下さい。
生憎と俺は若造で、政治家なんて人達に伝手も何もありませんのでよろしく御願いします」
紫苑の御願いに各支部長達から力強い応答が返って来る。
これでやるべきことはやり終えたと言っても良いだろう。
「では、今日はこれで解散と言うことで。長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございました」
深く頭を下げ、堂々と会議場を後にする紫苑。
正式にギルドのトップになったことで、今日これからすぐに仕事があると思いきや――実はそうではない。
話し合うべきことは既に済ませているし、何より各支部長が気を遣ったのだ。
そりゃ当然、指示や意見を仰ぐことはあれども極力紫苑に負担はかけまいと。
ともすればお飾りのトップにも思えるが、それは違う。
支部長達は出来ることは自分でやろうとしているだけで、いざ紫苑から指示が来れば従うつもりなのだから。
報告だって包み隠さずするつもりだし――そう、この場合は部下が働き者と評する方が正しいだろう。
「よう、お疲れ」
スーツの上着を脱ぎ、控え室のソファーに腰掛け一息吐いたところで声がかかる。
「二葉に信長、ジャンヌもか。護衛ありがとう、そっちもお疲れ」
控え室に入って来たのはSPのように黒いスーツに身を包んだ三人だった。
有事の際にと一応就けられた護衛三人で、選ばれたのにはそれぞれ理由がある。
信長とジャンヌは何時でも何処でも呼び出せるし、いざとなれば自分の領域に紫苑を連れて逃げられるから。
カニの場合は単純な実力、彼女が一人居れば他には要らないぐらいだ。ぶっちゃけカニ以外の二人は保険である。
「カカカ、護衛つっても一応でしかないからな。疲れることなんぞ何もしちゃいねえよ」
「そうか……にしても戦国武将がビッチリスーツ着込んでいるのもまた……その、妙な感じだな」
とは言え、似合わないかと言えばそうではない。
良い男と言うのは何を着ても似合うもので、織田信長は良い男に分類される類の人物なのだ。
「ああ、俺も少々不思議な感じだわ。が、こう言うのも悪くはない。なあ、ジャンヌ?」
「おらに振られても……甲冑とかなら分かるけど、こう言うんはおらには似合わんだよ」
困った顔のジャンヌだが、そもそもからして彼女は田舎娘と言う形容がピッタリ嵌まる女性だ。
スーツよりもエプロンやじみーな服の方が似合いだろう。
「それより二葉」
「あん?」
「今気付いたんだが――――彼、お前の仕込みだろう?」
彼、と言うのはスピーチの最中に乱入して来た男のことだ。
それはカニの仕込みである――そんな紫苑の指摘にカニの笑みが深まる。
「……はぁ。嫌だなぁオイ。バレないようにしてたんだが、どうにもこうにも看破されちまう」
口ではそう言いながらもカニは嬉しそうだ。
彼女も女で、生まれて初めて心の底から敗北を認めた男と通じ合っているのが嬉しいのだろう。
「お前が言うところの吹っ切れた俺は、お前と思考が似通っているからだろうな」
「思いついて実行するかしないかの差は大きいと思うがね。で、何処まで読んでる?」
恐らくは完全に読み切られているとは思いながらも一応の確認を取る。
「あの会場に居たスタッフは、国連の人間じゃない。その道のプロを外部から雇い入れたんだろう。
派遣され得る人間をある程度絞り込んでその中に俺と縁のある人間が居たから滑り込ませた。
それも、誰かの介入であることを気付かせないように極自然にな……違うか?」
「御名答。一応のこと、事前に怪しい奴らが居ないか調べてる途中で見つけたから丁度良いと思ってな」
苦い顔をする紫苑、一応ポーズは取っておかねばならないのだ。
「そんな顔するなよ紫苑。小細工だってのは重々承知だが、彼のあの言葉は心からのもんだぜ?
更に言えば、私の小細工よりもお前の言葉の方が影響はずっと大きい。
私が下手なことをせんでも、大多数の人間はお前の言葉に心動かされ、いずれ決断するさ」
それは偽らざる本音だった。
確かにカニは小細工をしたが、彼が動いたのは紫苑の言葉に突き動かされたからだ。
勿論、彼女もそれを期待して配置したわけだが。
「正道を往く方が一番良いってのは本当に卑怯だ。羨ましくもあるよ」
いいえ、紫苑は常に邪道や外道方面を突っ走っています。
「と言うか、お前が吐いた嘘に比べれば私の嘘なんて可愛いもんだろ?」
「それは……」
苦味を更に深めた紫苑を見て、カニはクスクスと笑いながらその後ろから抱き着くように両手を回す。
「別に責めてるわけじゃないさ。自身の譲れないものを捻じ曲げてまで私を負かしに来たんだからな」
完全に予想外の決着ではあったが、本質を見るならばそれだ。
何が何でも自分をどうにかしなければいけないから本気を出してくれたのだとカニは考えている。
そして、そのことが嬉しくて嬉しくてしょうがないのだ。
「お前の側に着いた以上、これまでのようなことをするつもりはない。
それでも今みたいな、ちょっとした実害の無い汚れぐらいならば私が請け負ってやる。
そう言うのが必要な時が来るかもしれないしな。幸いにして、お前と私は随分近しいようだし?」
紫苑の頭にぐりぐりと胸を押し付けるカニはとても楽しそうだ。
その笑顔に邪気は無く、歳相応の女の子のようにも見える。
「……正直言って、嬉しくはないがな」
紛うことなき本音である。
紫苑は自身を至高と断ずるがゆえに、同格で語られることが嫌で嫌でしょうがないのだ。
「アハハ! そう言うなって。傷付くじゃないか」
カラカラと楽しそうに笑うカニ。何と言うか、これはあれだ。
人食いトラどころから特撮に出て来るヒーローを一度はぶち殺すような怪獣。
その怪獣を負かしてやったら、尻尾を振ってやたらと懐いて来たような感じ。
恐ろしいような頼もしいような……そんな何とも言えない感覚である。
「しかし何だ、良いコンビじゃないかお前達」
紫苑とカニを見て、信長はクツクツと笑っている。
「……そうか?(まあ確かに紅白でおめでたい感じはするけど、俺ほど清廉潔白な人間をこれと一緒にするなよ)」
清廉潔白と言う単語の意味を辞書で調べてノートに百万回書き写すべきだ。
言葉を武器にしている癖に勉強不足と言わざるを得ない。
「ああ。正しく、だが同時に正しさに囚われ過ぎて視野が狭くは無い、指導者の資質を持つ紫苑。
二葉は軍師やら参謀だな。主と考えが似通っているから言葉にするまでもなく主の最善のために動ける。
同時に、主に出来ない汚れ仕事もこっそりこなしてくれる……理想的なコンビだよ」
此処にメンヘラーズが居なくて良かった、心の底からそう思う。
もし居ればヤンキーの如く信長にイチャモンつけていたこと間違い無しである。
『相性が良いってんなら、まあそうだろうな。同格の魂の持ち主であり、互いが互いを最も意識し合ってたんだから』
「(余計なこと言うな馬鹿! 嬉しくないんだよこんな汚いのと一緒くたにされても!)」
汚泥具合で言えばどっこいどっこいだ。
むしろ、それを認めているカニの方が幾分かマシかもしれない。
何せ紫苑はこれまでえげつないことを考え、時に実行しながら、それでも尚、自分は綺麗だと思っているのだから。
もうあり得ないくらいに醜悪と言わざるを得ない。
「だってよ紫苑。私とお前は相性バッチリらしい」
実際、肉盾召喚戦法を示し合わせるまでもなく編み出し、
互いが互いの意図を多くを口にするまでもなく読み取る辺り相性は良いのだろう。
もし、覚醒したチート紫苑とカニが組んでいたのならば一体どうなっていたか。
分かるのは考えられる限りの最強タッグになると言うことぐらいだ。
「はぁ……まあ、一緒にやっていく以上は相性が悪いよりは良いに越したことはないか」
カニが使える駒であることに疑う余地は無い。
でなくばわざわざ味方にしようとあれこれ策を巡らせずに殺していただろう。
葛西二葉は優秀なんて言葉で括り切れないほどに使える人間だ。
その戦闘力も勿論だが、えげつないほどに回る頭も武器となる。
「フフ……なら、仲を深めるためにもっとイイコトでもしてみるか?」
艶然と微笑むカニ。もしそうなればその瞬間にアポカリプスナウ! である。
今日も三話投稿です。




