聖書の蛇 後
「(良い流れだ……俺が不老不死を手に入れる流れが来てる! 乗るしかない、このビッグウェーブに!)」
そのまま波に呑まれてドザエモンになれば良い。
「(ナイスカッス!)可能だと言うことは分かった。だが、それは人類を更なる窮地に追い込むことでもある」
『(あざーっす!)が、同時にこれは千載一遇の好機でもある』
「人類に勝ちの目が見えるとも言っていたな、どう言うことだ?(早くwww早くwww不老不死www)」
秦の始皇帝を初めとして歴史上、多くの人間が不老不死を求めた。
不老不死、それは人類の夢。
贅を尽くし何もかもをも手に入れた権力者でさえそれを手にすることは出来ない。
その不老不死に手が届く――俗物の化身たる紫苑にとっては生涯最大の福音だった。
『俺様達幻想とお前達人類、世界はこの二つで構成されている。
黒と白、二色に分かれているとイメージすりゃ分かり易いかな? 俺様達が黒でお前達が白。
さて、人が幻想を塗り潰しちまったら幻想はどうなると思う?』
「(前置きがなげえ!)消える、のか?」
『恐らくはな。人間は数が多い、質を補うだけの量がある』
生命の実は幻想の領分を侵すことが出来る、唯一の武器だ。
カス蛇はそれを人類に与えることを至上の目的としてこれまで動いていた。
まあ、動いていたと言うのは違うか。紫苑の中でニートやってただけだし。
『生命の実を得た人間は神に等しき存在へと昇華する』
「俺が実を喰って塗り潰せと?」
『お前一人じゃ無理だ。食したお前が聖槍の力を用いて全人類に力を伝播させるんだよ』
「伝播させるって……どうやってだ?」
『地球規模の強化魔法をかけるのさ。聖槍の力ならばそれも可能だ』
産廃強化魔法、まさかの再登板である。
ベンチ登録を抹消されて後は故郷へ帰るだけだった強化魔法選手が日の目を見るとは海の何ちゃらにも読めなかっただろう。
「……人類総てを不老不死にしろと?(ふざけるな! 恩恵を受けるのは俺だけで十分だ!!)」
他人にまで不老不死を渡すぐらいならば不老不死なんて要らない。
いや、だが欲しい――紫苑は今、揺れに揺れていた。
『安心しろ。他の人類が不老不死の業を背負うことはねえよ。
直接口にするわけじゃねえからな。多少老いが遅くなって寿命は延びるがその程度だ。
だもんで、質としては劣るがその分は数で補う。その数で一気に幻想を押し流してやるのさ』
正確に言うならば、春風紫苑と言う特級の幻想を主軸として新たな神話を紡ぐと言うのが真実である。
強固なる人間の信仰を一身に浴びた紫苑が最も新しき神話で旧き神話を淘汰。
誰も知らぬ地平を築く――カス蛇はそれだけを夢見て来た。そしてその夢はもうそこまで来ている。
「(ヤッター!!)」
これで紫苑の憂いは無くなった。自分一人だけが不老不死、特別になれるのだから。
浅ましさが滲み出た思考と言わざるを得ない。
「そうか……それなら、安心だ。不老不死なんてロクなものじゃないからな。
終わりが無い苦しみ、想像するだけでも恐ろしい。そんなものはあっちゃいけない」
また綺麗ごとを……ゲロが出るほど不老不死を欲してるくせによくもまあいけしゃあしゃあと。
『だがお前はその業を背負わなきゃならない。寛野とか言う爺が言ってたよな?
生き続けることが罰だって。お前は永遠に真実を秘したまま生きなきゃいけない。
お前の時間は永遠に止まる、愛しき者が先に逝こうともお前は生き続ける――――その覚悟はありや?』
全員の視線が紫苑に注がれる。
当人は瞳を閉じて、苦しそうに、それでも大きな決断をする体を装い……。
「――――それが俺の背負うべきものならば否応も無い(プリーズフロウフッシー! ブシャー!!)」
今にもシオン汁を撒き散らしそうな勢いである。
『良い返事だ。そう言ってくれると思ってたぜ(喜んでくれて何よりです)』
仲間達は安堵と同時に、苦い思いを抱いていた。
どうして何時も紫苑ばかりが割りを喰うのか。誰よりも頑張っているのに、誰よりも報われていない。
何時だってその身を誰かのために差し出すその生き方にはあまりにも救いが無い。
本人は満足だとしても、見ている方が辛いのだ。
「……ねえ、その生命の実ってさ。僕にも食べることは出来ないのかな?」
純化に至る魂であり、幻想とも同化している。
その恩恵として天魔もかなりの長寿が約束されているが、決して不死ではない。
愛する男が永遠の孤独に堕ちるのならば共に、せめてその傍らで孤独を癒したいのだ。
そんな期待を込めての問いは、
『紫苑以外で生命の実を口に出来る人間はいねーよ』
無残にも切り捨てられた――紫苑大歓喜である。
「何故だい? どうして、紫苑くんだけなの?」
「春風さんの魂が規格外とかそう言うことですか? でも、それならばカニも……」
心底嫌ではあるが、カニと紫苑の魂が同等の熱量を持つことに疑う余地は無い。
『そう言うことじゃない。魂の格と言うよりも、奇妙な形をしているコイツだから生命の実を喰えるんだ』
カス蛇が介入せねば普通の形になっていただろうが、標準として紫苑の魂は畸形だ。
そして、それこそが生命の実を受け容れる土壌となっている。
『私が説明を手伝ってあげよう。ルドルフ、少々手を借りるよ』
理解しているのはカス蛇とロキ、ルシファー、スカアハの四人ぐらいだ。
そして、この中で致命的なまでに説明に向いていないのはスカアハである。
「ん? ああ、構わんが……」
左手の制御がロキに移ると、彼は左手で空中に太極図を描く。
『まず、これが俗に言う一般人の魂の形だ』
白――陽の部分が殆どを占めるのが一般人の魂の形状だ。
『そして、これが冒険者』
一般人とは逆で黒――陰の割合が大きいのが冒険者の魂の形状。
『黒が占める割合が大きいほどに、冒険者として強いってわけだね。
春風紫苑を除く君達は殆どが黒だと思ってくれて良い。ちなみに私達は完全に黒だ』
「一般人に陰の部分が混ざっているのは何故ですか?」
栞が素朴な疑問を投げる。
幻想が完全な黒だと言うのならば、その対となるはずの人間は完全な白になるはずだ。
『知恵の実を食した原罪だよ。今も脈々と知恵の実の影響は受け継がれている。それが僅かな黒の正体さ』
そしてここからが本題である。
『そして、これが春風紫苑の魂の形状だよ』
描かれたのは完全に拮抗した陰陽だった。
寸分の狂いもなく半分に分かれた二色は今の紫苑の頭髪そのものだ。
『人を幸福にしたいと言う常軌を逸した黒の祈り、それを否定人であれと言う白の祈り。
完全に拮抗した祈りが陰陽相殺を齎し、完全なる空白を形作っている』
『ここからは俺様が説明を引き継ごう。良いか? 原初の人間二人は完全に無垢だった』
ゆえに、砂地に水が染み込むように知恵の実の影響をその魂魄に刻んだ。
『無垢だからこそ、知恵の実を食すことが出来た。
仮にアダムとイブが生命の実を食すチャンスがあったとすれば、知恵の実と同時に食すしかなかっただろうよ』
「正直、その理屈が分かりません」
『生命の実、神に等しい存在になれるなんてものが真っ当な代物じゃないってのは想像がつくだろう?』
カス蛇自身、生命の実が勝利の鍵になると分かっていても紫苑に出会わなければ絶対に人間に勧めることはなかった。
どれだけ人を愛していても――否、愛しているからこそ食わせるわけにはいかない。
『よう、人間の解釈じゃどうして神はケルビムと炎の剣を置いたことになってる?』
「人間が生命の果実を食して、自身に等しき存在になることを危惧した……って感じかしら?」
アリスの言葉を聞く限りでは神が人を恐れていたように聞こえるがそれは誤りだ。
神は恐れるどころか、人の身を案じていたと言っても過言ではない。
『成るほど、結論から言うがそりゃ違う。むしろ、神は人間を心配していたのさ。
知恵の実も生命の実も、食べるには無垢な心、それが作り上げる身体が必要なんだ。
神は己に似せて人を作ったとは言うが、人間は神に比べりゃ随分と単純な作りだ――心身共にな』
どんな精巧な機械よりも複雑怪奇な存在――それが神。
『二つの果実を食すことで、人はより難解で複雑な高次存在へと昇華する。
ようはコピー元である我らがゴッドに近付くってわけだが……さて、分かり易く例えるにはどうするかねえ』
カス蛇はちゃんと理解しているが、人間にも理解出来るよう噛み砕くと言うのは中々に難しい。
知識量、認識、常識、人と幻想では何もかもが違うのだ。
割と人間社会に馴染んでいるカッスだが、それでも完全にと言うわけではない。
『人間と言う精密機械があったとしよう、
人間は知恵の実と生命の実と言う追加パーツをくっつければバージョンゴッドにグレードアップ出来るのよ。
で、その追加パーツを嵌める場所は知恵の実と生命の実を二つくっつけなきゃ嵌められないように出来てんの。
だけど普通の人間は先に知恵の実を嵌めちまって、それを外すことが出来ない』
だからどうやっても生命の実が嵌まらずバージョンゴッドになれない。
そう言う形になっているのだ、追加パーツを嵌める場所が。
『製造段階でそんな構造になってて、もうどうしようもないわけだ。
無理に嵌めようとすればどうなるか、機械ならば壊れるだけで済むが……』
人間の場合は何が起こるか分からない。
まず間違っても不老不死を手に入れることなどあり得ないだろう。
ただ死ぬだけならばまだマシだ。もっと酷いことになる、尊厳を踏み躙られ醜い怪物と成り果てるかもしれない。
「……だから神様は、ケルビムと炎の剣を?」
『ああ。俺様のミスの尻拭いをさせたとも言えるな!』
それは胸を張って言えることではない。
『とまあ、こんな感じで普通の人間にゃどう足掻いても生命の実は喰えん。
が、紫苑の場合は構造からして違う。後付けで別途に嵌め込む金型になってんのよ』
ゆえに生命の実を食すことが出来るのだ。
人類の歴史を振り返ってもこんな畸形の魂を持つ人間は誰一人として居なかった。
それがこの時代に存在して、尚且つ聖書の蛇と出会った――これを運命と呼ばずして何と言う?
『確かにお前らは皆、悉くが強靭な魂とそれに見合う力を持ってる。
だがこれは強い弱いの問題じゃないわけ。ハナっから生命の実を受け容れる土壌が無いわけよ』
絶対に無理――残酷な真実に項垂れるメンヘラーズ。
紫苑を孤独にさせないと言う以外にも、永遠に傍に居られると言う思惑は木っ端微塵に打ち砕かれた。
とは言え、誰も気付いていないわけだがカス蛇は別に生命の実が喰えないと言っただけで不老不死になれないとは言っていない。
まあ、紫苑の機嫌を損ねないためにもカッスは御口チャックをかましているわけだが。
ちなみにルシファー、ロキ、スカアハも気付いているのだが彼らも言う気は無い。
死ねないがために苦しんだ経験があるからだ。
愛しい人が傍らに居るとは言え、死ねない苦しみは重過ぎる。
それを軽々しく自身のパートナーに伝える気にはなれないのだ。
『ねえ聖書の蛇……いや、カス。そろそろ根本的なツッコミをして良いかい?』
『あん?』
『君の言うことはどれもその通りだが――――そもそも生命の樹って枯れてるよね?』
ルシファーのツッコミに対して最も過剰に反応したのが、
「(キャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!
だ、だだだだ騙したのか!? 俺を騙したのかクソ爬虫類めぇええええええ……!!
哂ってたのか!? 夢と希望に溢れた未来が見えて心の底から喜んでいた俺を!!
ププーwwwぬか喜び乙! って哂ってたんだな!? 最低だ、屑だ! お前はこの世に居ちゃいけない!
どうしてそこまで酷いことが出来るんだ!? お前には心と言うものが無いのか!
どれだけ冷たい世の中でも優しさを忘れずに日々を健気に生きている俺がどうして……!)」
案の定この男であった。
しかし、発言の総てが紫苑にも当て嵌まるのだがそろそろそこらに気付くべきだ。
『(落ち着いてくださいよ紫苑さん! まだ話終わってませんから! どんだけ早とちりなんだテメェは)』
正直酷いリアクションが来るのは分かっていたので、苦笑交じりに即否定を返す。
『かつてよりも強大な聖槍はあるが、それだけを実をつけさせるのは不可能だと思うがね』
『ところがどっこい。あるんだな、最後のピースが。紫苑、ちょいとばかり右腕を借りるぞ』
返事を待たずに紫苑の右腕を借り受けたカス蛇が、
虚空に魔方陣を浮かび上がらせ、そこから紫苑もすっかり忘れていたある物を取り出す。
「? 首飾り、ですか? それも結構値が張りそうな……」
自身は宝石で着飾る趣味は無いものの、栞は良家の御嬢様。
紫苑の右手に握られている首飾りが値打ちものであることを即座に看破する。
「でも栞、この宝石って何かしら? ルビー、ルベライト、レッドスピネルにガーネット……どれでも無さそうだけど」
自身が知る紅い宝石の種類を思い出してみるが、首飾りに着けられている宝石はそのどれにも見えない。
分かるのはそれが高尚なものだと言うことぐらいだ。
「僕は宝石とか分かんないけど……アリス、君はどうだい?」
「そりゃ人形を作る時とかに飾りとして使うことはあるけど、こんなの見たことないわ」
宝石について多少なりとも知識がある面子は揃って首を傾げている。
だがそれも当然。これは宝石に見えるが宝石にあらず。
『……そんな隠し玉まであるとは、私も流石に予想していなかったな』
生命の実を何とかする算段があるであろうことはロキにも分かっていた。
が、カス蛇が持ち出したものは少しばかり予想外だった。
『ふむ、かなりの力を秘めているようだが……名のある聖者の遺物か?』
御国柄、イザナミにはその正体が分からないものの宝石が持つ力については看破出来た。
彼女の見立ては間違っていない。この宝石は超ビッグネームの男の遺物だ。
「(勿体ぶるなよ! つーかすっかり忘れてたわこれ!売り捌く暇も無かったし……)この宝石がどうかしたのか?」
『十字の聖者の血は、何の変哲も無い槍を高次元の器物にまで昇華せしめた』
その一言で、察しの良いものはすぐに分かった。
『コイツは刑場で流れた血が大地に染み込み、長い年月を経て結晶化したものだ』
『一目見て分かったよ。でも、何でそんなものを君が持ってるんだい?』
屑野郎が死体から追い剥ぎしました――とは言えない。
カス蛇も無論、言うつもりはなくしっかりとフォローを入れるつもりだ。
『これも紫苑の前に聖槍を持っていた人間の所有物でな。
死後に消えたと思ったら、気付けば紫苑の家にあったのさ。本人も気付いていなかったが俺様は気付けた』
彼の聖者の血だ。意思があったとしても不思議ではない。
カス蛇言い方だと、まるで宝石自身が紫苑を選んだように聞こえる。
このフォローがまた、天下無敵の屑野郎の自尊心を大いに満たしてくれた。
「……アリス、あんなものが家にあったの知ってたか?(俺、選ばれし者、スゴイ!)」
何でちょっと片言なのか。
「ううん、知らなかったわ。でも、何か勝手に着いて来るとか呪いのアイテムみたいだわ」
『呪いのアイテムとは酷い言い草だ。とんでもねえ代物だってのによ』
「凄い物だと言うのは分かりましたが、一体それをどう使うと言うのです?」
問題はそれだ。聖者の血、その結晶を使い如何なる方法を用いて生命の実を復活させると言うのか。
『生命の樹は我らが父なる神の所有物だ。主が居なくなったから、枯れてしまった。
が、この血と聖槍があれば一時的に生命の樹を誤認させられる――主が居るようにな。
そこらについては俺様が上手くやるさ。一番、エデンとそれにまつわる物に詳しいからよ』
これで総ての問題は解決された。
不老不死を得るついでに世界を救えて自分の評価も天元突破。
これ以上嬉しいことはない、紫苑は今にもサンバでもジルバでも全力で踊りたい気分だった。
が、キャラ的にまだやっておかなければならないことを思い出し、気合を入れ直す。
「成るほどな……が、天魔、晴明を呼んでくれ。俺も信長とジャンヌ、ジルドレを呼び出す」
「ん? ああ、そう言うことね。聞くまでもないような気がするけど……分かったよ」
二人がそれぞれ親交のある幻想を呼び出し、
既に天魔越しに事情を把握していた晴明を除く信長とジャンヌ、ジルドレにことの次第を報告する。
「幻想を押し流すと言うことは、つまり皆も消えてしまうと言うことだ。
信長、ジャンヌ、晴明、ジルドレ、そして俺達に同化している皆にも聞きたい。お前達はそれで良いのか?」
どんな時でも、他者の意思を聞くことは止めない。
決裂して、戦うしかないとしてもそれが責任と言うものだろう。
「良いも何も、お前は人間の未来を護るために既に腹は決めたんだろう? 黙して従えって言っても良いんだぜ?」
「敵対するにしても何にしても言葉を尽くすことは止めない。それが人間だよ信長、そしてお前も人間だ」
紫苑の言葉に信長は苦笑を滲ませ、その上で断言する。
「何の問題がある? 俺は、俺がお前に味方したのは連中に勝てると思ったからだ。
そして、その勝利が見えているならば何の躊躇いも無い。
良いかよ紫苑、俺や俺の部下達、そして茶々やその部下もそうだ。死人だと自覚している。
どれだけ未練が残る終わり方であろうとも、一度っきりの命を使い切ったんだよ。
今、こうして居るのは望外の幸運で、何時か終わることぐらい覚悟はしている。
お前は俺達を人間だと言ってくれた、ならば分かるだろう? 人間の矜持だよ、終わりが来てもジタバタしねえ」
死んだ人間が生き返っているような現状こそが狂っているのだ。
信長は自分達の歪さを理解している。理解して、その上でまだ戦える力があるならばと生き恥を晒しているのだ。
本懐たる人間の勝利が得られるのならば何時だって終わっても構わない。
「……ありがとう。お前達はどうだ?」
ジャンヌ、ジルドレのフランス組に目を向けると彼らの表情はとても穏やかだった。
「紫苑、春風紫苑。お前が、あの日、パリでジャンヌを救ってくれた時点で私の未練は無くなったのだよ。
今、こうして生きているのはその恩を返すためだ。お前の願いが叶うならばそれで良い」
ジャンヌが生きたいと願うならば話は別だが、彼女にその気が無いことは分かっている。
ならばもう何も憂慮することはない。ジルドレは喜んで最期を迎えられる。
「紫苑さ、おらは紫苑さに出会えて良かったと心から思うだよ。
無念のうちに死んで、死後も憎くて、苦しくて……ずっとずっとあの炎に焼かれていた。
沢山殺した、沢山悪いことした、だのに……紫苑さはそんなおらを抱き締めてくれた。
あれだけ、あれだけで良かったんだ。おらにとっては、何にも代え難い温もりだよ」
孤独に沈み、憎悪で目が曇っていた己を掬い上げてくれたあの優しい温もり。
その喜びは魂に刻まれ例え千度生まれ変わっても忘れることはないだろう。
「おらはもう十分報われた。だから、この命を紫苑さに捧げることには何の躊躇いもねえだ。
それに……おらを踊らせてくれたクソッタレ共に目にもの見せられるんだ、最高だよ」
穏やかな表情から一変、凶相が浮かび上がる。
人間への憎悪は消えたがそれでもジャンヌの中にある神と神に連なる者への憎悪は決して消えていないのだ。
「おお怖いねえ……ねえ晴明、君はどうなんだい?」
「わらわか? 語るまでもない。大方、信長と同意見だよ」
クスクスと笑っている晴明、彼女は元々こっち側に着いた方が楽しめると思って天魔に協力を約束したのだ。
幻想を滅ぼす――この上ない未知だ。自身も滅びるがそれでも構わない。
晴明も信長と同じように、現状を望外の幸運と捉えているのだ。
ゆえに楽しめるなら、楽しめて死ぬのならば何の問題も無い。
「十二分に楽しませてもらった。一花咲かせて散るも一興。
そなたらには感謝しとるのだぞ? ほんに、楽しませてもらった……生前よりもな。
であれば、恩を返さねばならんだろう。不義理を働くつもりはない、最後まで味方で居させてもらう」
晴明はたおやかに微笑む。それは誰もが見惚れる晴れやかな笑みだった。
「(良いぞ、俺の役に立てよ!)ありがたい……で、残るお前達はどうだ?」
幻想と同化を果たしている者が自身の肉体に刻まれた同化の証を撫ぜる。
『プロメテウス、カス蛇に次いで人間と同化した僕が代表して言わせてもらおうか。
滅びる? 結構結構――――人間の側に着くってそう言うことだろう?
初めっから覚悟はしてるよ。それは僕らだけじゃない、英雄と呼ばれる者達もそうさ。
その覚悟も無いままに味方をしたと言うならばそれは思慮が足りない馬鹿だよ。
そんな奴らは遠慮なく殺って良いだろ。そして、そんな馬鹿ならば取るに足りん相手だ』
可能不可能、手段の有無に問わず人類に味方をすると言うことは自身の滅びを許容するのと同じだ。
それが分からないままに行動するなど阿呆の極み。
ルシファーの言葉に人間の魂に溶けた幻想全員が同意を示す。
彼らは人間に寄り添った時点で、遅かれ早かれそうなることもあるだろうと当然の如くに覚悟を決めていた。
『ねえルドルフ、私の名前に込められた意味は知っているだろう?』
「閉ざす者、終わらせる者……だろう?」
『そう、旧き世界を終わらせ新世界を拓く――それが私の役割だ。であれば、何も問題は無い』
まあ、ロキの場合は此処ではない何処かに居る"彼"に惚れているから人間に味方したのだが。
そして、"彼"が新世界を望んでいるのだからそれに従うつもりで居る。
『ヘルと……あの子については、まあ私と君でまた後で話し合いに行こうじゃないか』
「分かった。と言うわけだ紫苑、そちらに関しては私に一任してくれ」
「うん、頼んだ」
ヘルと彼女とロキの間に生まれた子供に関して紫苑は殆ど縁が無いのでノータッチだ。
『私も姉様も栞と紗織に出会えて、短い時間とは言え元の姉妹に戻れたもの』
『……それだけで十分だわ』
女神姉妹は心の底から醍醐姉妹に感謝の念を抱いている。
彼女らのために死ぬるのならばそれで良いと納得の上で同化を果たしたのだ。
『私も同じよ。ママや弟や妹達と仲直りが出来て……自分が愛されるていることをアリスに教えてもらったもの』
寂しいと思う気持ちが無いわけではない。
それでも、狂っていた頃に比べれば幸福だと胸を張って言える。
この幸福の中で終わりを迎えられるのならば言うことはない。
「良い?」
『良い』
そしてこのコミュ障である。
まあ、意思の疎通が当人の間では出来ているし問題無いのだろうが……。
「イザナミ、あなたは良いのかしら?」
『ルシファーが言うた通りだ。そして、我が子らも同じ想いよ』
他の日本の神々については分からないが、敵対するならば潰すまでだ。
「カス蛇、お前は良いのか?(不老不死♪ 不老不死♪)」
『(落ち着けよ……)ああ、そのためにお前にくっついたんだからな。
と言うかだな、消える前提で話しているが……俺様達人間と同化した連中はどうなるか分からんのだよ』
この空気でそれかよ、とツッコミが入りそうだがどうなるか分からないと言うのは仕方の無いことだ。
『そもそもからして人間と同化した幻想、俺様以前はプロメテウスのみだぜ?
前例が無いから俺様達にも今の自分達がどんな状態になってるのか正確には把握出来ん。
つっても、消えてしまう覚悟はあるから気にする必要はねえ』
これから目指す未来はまったく予想の出来ない地平だ。
人にも神にも魔にも、誰にとっても未知。それを見通すことが出来る存在はこの世には居ない。
「ずっと気になってたことを聞いても良いかい? カス蛇、君は何故人間に味方するんだ?」
そもそもからしてそこが疑問だった。
自分達のようにぶつかり合い、認め合って絆を結んだのならば分かる。
だが、カス蛇の場合は一方的に人間に寄生しただけ。
人間に恋をしたなどと言っていたが、あの段階ではそれが真が判断がつかなかった。
ゆえに改めて問いを投げる、カス蛇の本意を知るために。
『前も言った通りさ。俺様は、遠い遠い昔に人間に恋をしたのさ』
「(気持ち悪いwww)」
バッサリ切り捨てるのが紫苑クオリティーである。
『アダムとイブ、俺様の目には世界のどんなものより――それこそ、我らが神よりも輝いて見えた。
一目惚れだよ、一瞬でゾッコンさ。俺様は人間こそがどんなものよりも素晴らしいと確信したね。
だから、あげたかった。彼らが持っていないものを……それが知恵の実だな。
が、俺様は同時にミスを犯した。神よりも素晴らしいと思いながらも生命の実を与えなかった。
心の何処かで神への畏怖があったのかもしれん。今となっては俺様もよく分からんがな』
与え損ねた生命の実、もしあれを与えていればどうなっていたか。
人間は神にも等しくなっていて、より輝きを増していただろう。
『惚れた相手にゃもっとずっと素敵になって欲しい、そう思うのが当然だろ?
だから俺様はずぅっと後悔していた。生命の実を与えなかったことをな。
だがどうだ? 長き時を経て、生命の実を食し、その恩恵を全人類に与えられる男と出会った。
衝撃だったね、春風紫苑との出会いは。アダムとイブを初めて見た時以来だよ、あそこまで心震えたのは』
虚無に苛まれて色褪せていた恋慕が一気に燃え上がった。
『俺様は片思いでも良い。それでも、あの時渡せなかったものを何が何でも渡したいんだ。
未練がましいと笑わば笑え。俺様は俺様の恋に殉じたいんだよ。
俺様は俺様に出来る限りを尽くそう、だからなあ人間よ――――どうか幸福であれ、俺様がお前達を愛する限り』
虚無の中で、色褪せることはなかった人間への愛。
つまるところそれは永遠だ。例え紫苑が生命の実を食した結果カス蛇が消えたとしてもその愛は不滅。
何せ彼の愛を一身に受けた春風紫苑が永遠となるのだから。
『とまあ、これが俺様が人類に着く理由さ。好きだから、シンプルな理由だろ?』
恋に燃えるカス蛇に虚飾の色は無い。
此処まで一途に人を想える彼にメンヘラーズはある種のシンパシーを抱く。
「恋をしたって、本とだったんだね。前は軽く流してたけど……。
うん、確かにシンプルな理由だ。恋する乙女としては共感出来るね……ん? 君ってメス?」
「でも天魔お姉さん、俺様とか言う一人称使う女の子なんて痛いだけよ?」
『俺様の性別についてはどーでも良いだろ。それより、これで話はまとまった。どうするよ紫苑?』
方針も既に生命の実を喰らうと言うことで落ち着いた。
ならば後は、具体的に何時決行するか、そして世界中の人間にそれを知らせるかどうかだ。
「これを知らせれば人々も希望を抱き、情勢も安定するだろうが……」
ルドルフの顔は苦い、知らせると言うことが何を意味するか理解しているからだ。
「連中の攻勢を強める結果にもなりそうだよねえ。
カス蛇の意図は僕らしか知らないとは言え、大々的に発表すれば当然向こうにも漏れる」
「カス蛇さん、生命の樹が破壊される可能性などは無いのですか?」
栞の疑問は当然のものだ。
もしも自分達が幻想の存在ならば確実に勝利の鍵を破壊し尽くしている。
『無い。あれは破壊出来るような代物じゃねえ』
「成るほど。でも、数で押すと言う性質上人類を削りにかかって来る可能性もあるわよね?」
「それは無いな」
紫苑とカニは揃ってアリスの言葉を否定する。
そのことで若干メンヘラーズの視線が険しくなったもののカニはガンスルーだ。
「おや、お前も私と同意見か……だがまあ、そりゃそうだよな」
「ああ。俺のペテンに反論してこっちを掻き回そうとする素振りが無かったことからも奴らが俺達を舐めているのは明白だ」
「仕掛けるとしたら私らが境界を破壊した後だな。そこで一気に滅ぼしにかかるだろうよ」
それまでは力を溜めておくはず、それが紫苑とカニの共通見解だった。
問題は突破出来るかどうかだが、それらについて詳しく話すのも後で良い。
「なるべく人間を護れるように色々考えなきゃいけないだろうが、そこらは今無理に考える必要は無い」
「だな。急いても意味は無い。私達にはまだ時間があるんだし」
思考が似通っているだけに二人の間ではポンポン話が進む。
それがまたメンヘラーズを不機嫌にさせているのだがそれはまた別のお話。
「今決めておくべきは決行日くらいか。カス蛇、俺が動けなくなるのはどれぐらい先だ?」
今はまだ平気だが、定期的に麻衣に修復して貰うとは言え、いずれはガタが来る。
ガタが来て動けなくなって後は死に一直線――紫苑自身もそれは理解していた。
『今年いっぱい……ぐれえかな?』
「だったら、十二月二十五日が良いな」
「成るほど、クリスマスプレゼントに未来を――ってか。士気高揚の面でも、そう言う分かり易い日付は良いな」
「だろう?」
すっかり通じ合っている紫苑とカニ。
もうそろそろメンヘラーズから放たれる瘴気がヤバイレベルになって、ルドルフが震え出しているのだが……。
「(でへへwwwクリスマスプレゼントに不老不死かぁ……良い子にしてて良かった! ありがとうサンタさん!)」
浮かれポンチになっている紫苑は全然気付いていなかった。
次の十話が戦闘無しの最後の日常話で、その次の十話で物語を〆ます。




